00042_世界最強リゾート都市、東京

リゾートライフについて語りますと、「”世界最強リゾート都市”、それは、実は、東京」というのが私の持論です。

もちろん、東京そのものがリゾートである、ということではありません。

「世界水準のリゾートライフ」
へのアクセスが、東京ほど完備されているところはない、という意味です。

アクセスの利便性、完成度、洗練性については、よく考えれば、世界中の都市生活者にとって垂涎の的となるレベルだと思います。

私が、パリやロンドンとかのヨーロッパの大都市、あるいは、ニューヨークやシカゴやロサンゼルスといったアメリカの大都市に住んでいたとします。

アメリカやヨーロッパの大都市住民である私が、
「休みになったし、スキーでも行くか」
「寒いから、南の島に行って昼寝でもするか」
「どこか温泉に行って、美味しい鍋でも食べてゆっくりするか」
と考えても、これを現実に実行するまで、かなりの時間とカネと労力がかかります。

アメリカやカナダやスイスにもスキー場はあるにはありますが、パリ、ロンドン、ニューヨークからスキー場に到達するまで、1日、下手すりゃ2日かかります。

アメリカだと、フロリダまでひとっ飛びでしょうが、パリやロンドンから南の島、となるとかなり大変そうです。

欧米で温泉のあるスパリゾートと言えば、ドイツのバーデンバーデンが有名ですが、パリやロンドンやニューヨークから行くにはかなり大変そうです。

手軽にリゾートライフが楽しめず、というか、リゾートライフを楽しもうとすると、途方もない、時間とカネと労力がかかるし、たどり着くまでの負荷が相当なものなので、一度リゾートライフが始まったらかなり長期間楽しまないと、元が取れないし、もったいない。

そんな前提があるから、欧米のバカンスって、あんなに、無駄に、アホみたいに長いんだろうな、と思います。

仕事好きの私からすると、何週間も仕事するな、と言われると、死にたくなるくらいの拷問ですが。

話を元に戻します。

そんな風に、世界の普通の都市住民にとってはリゾートライフはかなりの負荷を覚悟をしないと実現しないものですが、東京にいると、わずかな時間と費用と手間で、というか、世界の他の都市からすると、「ほぼ一瞬」といってもいいレベルで「世界水準のリゾート地」までたどり着け、また、その気になれば、東京まですぐに帰ってこれます。

今の季節ですと、例えば、上越新幹線に1時間強乗って越後湯沢まで行ってしまえば、積雪3メートル級で、最上級のコンディションのスキー場がそこらじゅうに出てきます。

しかも、温泉もあり、ご飯も旨いし、日本酒も旨い。

「トンネルを抜けると雪国であった」
というのは有名な川端康成さんの書いた小説の一節ですが、現在では、
「上越新幹線に乗って、ビール飲んで、スマホいじっていると、いつの間にか雪国だった」
くらいの展開速度です。

パリやロンドンやニューヨークに置き換えると、
「空港に行って手荷物検査している間に、スキー場に到着していた」といったような話であり、ドラえもんの「どこでもドア」
を使ったくらいの、衝撃的なスピードと利便性です。

また、国内に亜熱帯気候の沖縄を擁する我がニッポンは、真冬の時期は難しいにしても、
「パスポートなしで、南国リゾートまで、週末ひとっ飛びして、リフレッシュしたら帰ってくる」
という弾丸ツアーも、さほど無理せず実現できます。

長野新幹線や北陸新幹線を使えば、
「週末を利用して、3000メートル級の日本アルプスで本格登山」
といったことも可能です。

沖縄のダイビングスポットも、海外で知られるようになってきたようですが、透明度やサンゴ礁の美しさは、世界屈指レベルです。

私はしませんが、釣りをする方にとっては、海に囲まれ、山が多く川があちこちに流れている日本の「釣り環境」は、世界的にみてもかなりのレベルであろう、と思います。

ところで、冬になると、知り合いの社長さんの話を思い出します。

この社長さん、趣味がスキーで、週末になると、一人、日帰りで、スキーに行くそうです。

朝起きて、そのまま、ゴーグルとか手袋とかちょっとした荷物だけもって上越新幹線に乗り込み、駅についたらタクシー乗って5分でNASPAニューオータニへ。

スキー、ブーツ、ストック、ウェアをフルレンタルし、滑って、滑って、滑り倒す。
合間に、SATSUKIでお茶したり(NASPAには、なんと、東京と同様、SATSUKIがある!)し、疲れたら、適当に切り上げ、ホテル内の温泉へ。

帰りは、駅構内の日本酒バーでいっぱいひっかけて、帰る。

そんな、弾丸ツアーのスキーをなさっているそうです。

弾丸ツアーというと大変そうですが、その社長さん、
「すごい楽で簡単だよ。ほんと、すぐだし。鎌倉か高尾山行くのと同じ時間だよ。多分、保土ヶ谷でゴルフするくらい簡単。こっちは渋滞ないし、温泉あるし、荷物いらないし。全然楽しいよ」
とおっしゃってました。

で、最近、私も、用事があって、越後湯沢方面に行ったのですが、高崎超えて、20分もたたないうちに、景色が一変して、大雪に埋もれる雪国。

本当、まるで、ワープ。

「欧米人がみたら、この景色の変化、腰抜かすだろうな」、
と思った次第。

それと、日本のリゾートの最も強力な利点は、食事のクオリティです。

日本は、国内どこにいっても、和食はもちろんのこと、中華も洋食も、世界最強水準です。

海外は、あちこち、そこそこ行きましたが、ローカルなお店も、高級ホテルの食事も、現地で一流と言われるレストランも、どこも例外なく、飯は、腹が立つくらいまずいです。

海外旅行に行く度に思うのは、「旅行中、最も美味しい食事は、羽田や成田のJALの空港ラウンジのビュッフェと、ビジネスあるいはファーストの機内食」ということです。

普段、あまりに当たり前になってしまい、気づかないことですが、「東京に住んでいる」ということは、
「リゾート地まで行ける、どこでもドア」
を持っている、そんな異次元レベルの利便性がある、ということと同じです。

「3週間とか、無駄に長いバカンスがないと、リゾートにたどり着けず、効果的なリフレッシュできない、世界の他の都市住民」

に比べると、安く、早く、手軽に、気軽に、リゾートライフを楽しめる、

「東京という都市の、隠されているものの、あまりに強力な魅力」

は、今後、オリンピック等を経て、世界にどんどん知られていくことになるものと予想されます。

00041_千葉の小学校4年生虐待死事件で、被害者が父親の暴力を訴えたアンケートのコピーを市教育委員会の担当者が容疑者父親に渡した問題について

千葉の小学校4年生虐待死事件で、被害者が父親の暴力を訴えたアンケートのコピーを市教育委員会の担当者が容疑者父親に渡した問題について、コメントいたします。

報道によると、
・被害者(Mさん)の一時保護が解除されたあとの去年1月12日、父親のK容疑者(41)が妻とともに小学校を訪れた際、「娘に暴力は振るっていない。一時保護といって子どもを引き離された者の気持ちがわかるか」などと抗議し、アンケートの回答を見せるよう強く迫った
・その3日後にK容疑者が市の教育委員会を訪れた際にも、威圧的な態度で要求した
・「恐怖感を覚え精神的にも追い詰められて影響を深く考えられなかった」ということで、教育委員会のY次長が、父親にアンケートを手渡した
・なお、Y次長、アンケートを手渡す際、小学校の担任の先生のプライバシーには非常に手厚く配慮して、担任の書き込み部分を消してからアンケートのコピーを渡した
ということです。

この父親、ものすごい勢い、というか、尋常じゃない圧で、迫ったんだと思います。

娘を殴り殺すくらいのバイオレントな人間からのねじ込みですから、かなり、怖い感じだったことは想像できます。

それより、この教育委員会のY次長、たしかに、駄目、というか、アカン、というか、とことん無責任で、情けない人です。

自己保身の塊で、わが身可愛さに、モラルを投げ捨て、小さい子を危険にさらす、という意味で、大人として、人として、どうか、と思います。

他方で、
「アンケートを手渡す際、小学校の担任の先生のプライバシーには非常に手厚く配慮して、担任の書き込み部分を消してからアンケートのコピーを渡」す
ということをしているようです。

「子供はいくらでも犠牲にするが、教育関係者のプライバシーや身の安全は徹底的に守る」
という、しびれるくらい下劣な態度も、印象的でした。

教育委員会次長Yは責められるべきだし、責められても仕方ないことをやらかしていますし、責めるのは簡単です。

他方で、
「怖かった」
「ヤバかった」
「あんな勢いで迫られると無理」
「どうしようもなかった」
「そりゃ批判するのは簡単だけど、対抗するなんてできませんよ」
「皆さんも同じ立場に立ったら、絶対無理だと思います」
など、納得できるかどうかは別にして、彼にも、いろいろ言い分があるのかもしれません。

このような悲劇や愚行や恥ずべき事態を根絶し、社会を少しでも良くするためには、今回の事態の原因を、もっと深掘りし、本質や根源に迫ってみる必要があります。

すなわち、
・彼(教育委員会次長Y)が、このような卑怯で姑息で劣悪な行為をやって、殺人を誘発してしまった原因ないし背景はどのようなもので、
・彼としては、どのように考え、どのように行動すればよかったのか、
という点まできっちり考えないと、彼を弁解の余地なく責め切ることは難しいですし、そうなると、今回のY氏の
「自分や組織や業界の保身のため、子供を危険にさらしても、目の前の凶悪で危険な人物の言いなりになるのも、不可避の事故だった」
という形で風化していき、今後も、同様の悲劇が起きる可能性が懸念されます。

今回は、
「自己保身のため、大人を信じて、助けを求めてきた少女を、あっさり、裏切り、凶悪な暴力性癖のある人間に引き渡す」
という事件でしたが、教育の世界では、いじめ問題の対応でも、
「教師や教育関係者が、無責任で無関心な姿勢で、加害行為を放置し、イジメを黙認し、間接的に助長する」
といった対応事例が頻繁に発生しています。

いじめが発生しても、担任も、他の先生も、見て見ぬふり。

犯罪に該当するエゲツないイジメが発生しており、生徒はおろか、先生も、皆、はっきり、くっきり、知っている。

だけど、誰も、指一本動かさない。

その結果、いじめられた子が自殺する。

事件後、先生も学校も、異口同音に
「わからなかった」
「見つけられなかった」
「イジメのサインを見逃した」
「もっと早く気づいていれば」
などといった弁解を、いけしゃあしゃあ、と述べたりする。

よくある事件です。

私としては、こういう学校や教育現場で発生する
「子供のほったからしの末の見殺し」
が生じる根本的な原因は、学校や教育委員会等の教育行政に関わる方々の、能力過信によるものだと思います。

言うまでもありませんが、学校や教育委員会等の教育のプロの方々は、教育問題については、専門的知見と対処スキルを持っておられます(と思います)。

ですが、これら教育のプロの方々といえども、
「教育問題を超えた、法律問題」
については、ずぶの素人であり、まったく無力です。

われわれ弁護士も、相当勉強しますし、職業経験により培った知識も加えると、結構、いろいろ物を知っています。

社会生活において発生する生理的な事態も、病理的な現象も含め、酸いも甘いも、清も濁も、かなり多くの知見があります。

とはいえ、そんな物知りの弁護士とはいえ、病気になったら、自分で判断しませんし、友人の医療問題を扱っている弁護士に聞いたりもしません。

だって、医療問題だから。

知らないから。

無理だから。

われわれは法律のプロであっても、医療については、素人だから。

素人が判断しても、解決できないから。

「素人判断で状況を悪化させる」
なんてアホなことはしないから。

今回、教育委員会次長の方に突きつけられた問題は、
「加害者の父親から、自分の暴力行為を被害者の娘が告白したアンケートを見せろ、と凄まれたが、どうしたらかいいか」
という課題です。

この課題は、完全に教育問題を超えており、明らかに法律問題です。

先程の例でいうと、弁護士である私が、腹が痛い、胸が苦しい、高熱を発した、足が動かない、という状況と同じです。

これは、法律問題ではなく、医療上の課題です。

明らかに自己判断が不可能であり、適切な専門家に一刻も早く相談しないと、まったく改善しないでしょうし、さらにいえば、却って悪化しかねない状況です。

この教育委員会次長も、
「教育問題ではないから、自分では無理」
と考え、とっととギブアップし、弁護士に相談すべきでした。

ところが、実際は、
「自分でなんとかすべきだし、なんとかできるし、なんとかしなきゃいけないし」
と愚かな考えに陥り、
「知識も経験も適性もスキルもない事柄に素人が自己判断でやってはいけない行動を敢行する」
という愚行に及び、
最悪の結果を招いた。

そういう話です。

イジメ問題も同様です。

この点については、「いじめ問題解決の第一歩」で、書いた内容を引用します。
====================>引用開始
・・・・・・・・・・・
しかし、いじめの内容と質は、時代の変遷とともに、負の方向で驚異的な進歩を遂げています。

現代
「いじめ」
と称されるものは、未成年による毀棄隠匿行為、窃盗行為、名誉棄損行為、侮辱行為、暴行行為、傷害行為、脅迫行為、恐喝行為、強制猥褻行為、強盗行為、強姦行為、強盗強姦行為等です。

未成年者が関与するこれら犯罪行為については、加害者と被害者が同一教育機関に属する生徒である限り、すべて
「いじめ」
と呼称することがルール化されているようであり、状況を正確に表現しようとしても、犯罪用語の使用はよくわからない理由で御法度とされます。

いうまでもなく、
「いじめ」
といわれるものの実体である前記の各行為は、加害者と被害者が同一教育機関に属するか否かに関係なく、すべて悪質な犯罪です。

当然ながら、犯罪は教師の解決能力を超えた問題であり、本来、捜査機関による捜査と裁判所の判断を経て、法務省所轄の施設で矯正される等(保護という名の監視を含む)べきものです。

教育サービスの提供者に過ぎない教師が、犯罪行為を捜査し、解決し、犯罪者の矯正に責任を負うなどといったことは、できるはずもなく、また、してはいけないものです。
(以下、略)
<====================引用終了

教師や、教育関係者、弁護士、ジャーナリスト、作家等は、実際の知的水準はさておき、一応、
「インテリ」
とされます。

インテリ一般は、自信過剰で、プライドが高く、分際をわきまえず、自分は何でも知っているし、何でも自分でできる、と勘違いする輩が多いようです。

また、
「知らないことや、苦手なことや、できないことがある」
「自分が、バカなこと、駄目なこと」
を認めるのが非常に苦手な人種だと思います。

そのくせ、自己評価が高く、うまくいかないときには、逃げたり、弁解したり、ウソをついたり、知らないふりをしたり、煙に巻いたり、すっとぼけたりと、ありとあらゆる姑息で卑怯なマネを駆使して、自己保身を図ることがあります。

もちろん、インテリの一派である弁護士の1人である私も、
「このような、イヤな内面気質を持っているクズ人間の要素」
が皆無とは言い切れません。

件の教育委員会次長さんが、
「これは、教育問題ではなく、法律問題なので、私には無理。弁護士に相談しよう」
と正しい考えに至らず、
「自分でなんとかすべきだし、なんとかできるし、なんとかしなきゃいけないし」
と愚かな考えと愚かな行動によって、最悪の結果を招いたのは、彼が
「インテリ」
であることと無関係ではありません。

いや、今回の愚行は、悪しきインテリとしての要素が、思いっきり出てしまったことによると思います。

すなわち、
・自信過剰でプライドが高く、
・自分は何でも知っているし、何でも自分でできる、と勘違いし
・「知らないこと、できないこと、バカなこと、駄目なこと」を認めるのが非常に苦手、
というインテリのダメ気質が染み付いてしまっており、結果、
「専門外の法律問題ないし法律事件になってしまっている対処課題」
を、教育のプロとして、教育問題の延長として処理・対応しようとしたことによるものだと思います。

教師、学校関係者、教育関係者の皆様は、もっと、謙虚になって、自分たちの能力の限界を知り、分際をわきまえるべきです。

これ以上、今回のような被害者や、イジメの自殺被害者を増やさないために。

教育者としてのプロフェッショナルスキルは、
・法を尊重し、他者の尊厳を尊重し、
・文明人、文化人としての常識と作法を身につけ、
・知的好奇心があり、知識や学問の価値を認め、学びの意欲と姿勢がある、
そんな、まともな人間に対しては、非常に効果を発揮します。

しかしながら、
・法を尊重せず、他者に平然と危害を加え、
・常識や作法を知らない野蛮さをもち、
・知的好奇心もなく、知識や学問の価値を認めず、学びを拒否する
といった、特異な人間に対して必要なのは、教育ではなく、隔離と矯正です。

教育理論ではなく法律学や刑事政策の知見を活用すべきです。

無論、刑務所に入って、おとなしくなり、教育を受ける準備と前提が整えば、教育の力が発揮されることもあるでしょう。

しかし、校舎のガラスを叩き割り、盗んだバイクで走り出している真っ最中の少年に、
「ねえねえ、サイン・コサイン・タンジェントを教えてあげるよ」
と語りかけても、金属バットで殴られるだけです。

こういう言い方をすると、
「金八先生のように、不良学生を立ち直らせるのも、教師の役割と責任ではないか」
という物言いがつきそうです。

実に愚かな見解です。

・法を尊重せず、他者に平然と危害を加え、
・常識や作法を知らない野蛮さをもち、
・知的好奇心もなく、知識や学問の価値を認めず、学びを拒否する
というタイプの人間を収容し、更生させるために用いるべき本来的施設は、学校ではなく、別の矯正専門施設です。

また、この種のタイプの人間への対処は、本来的に、矯正のプロが担うべきです。

絶対、教師が矯正活動を兼業していけない、というわけではありません。

個人レベルで、教師が、
「学ぶ意欲のある者に教授する」能力
だけでなく、
「学ぶ意欲すらない、前述のような社会への脅威を振りまく特異な人間」を矯正することも得意
というケースも、属人的かつ稀にではあるものの、一切存在しない、というわけではありません。

ですが、たいていの教師の本源的スキルは、教育であり、矯正ではないですし、
「虞犯傾向が顕著な青少年を矯正することが大好き」
という方は、どちらかというと少数派です。

大学を出て、教員免許を取得して、教師になった先生一般は、そんな、
「言葉も通じないし、話も通じないし、気持ちも通じない、道徳や倫理と常識を共有できない、異世界の住人」
とは距離を置きたいと思うはずです。

だからこそ、教育委員会次長さんも距離を置こうとして被害者児童を生贄に差し出したのでしょう。

だからこそ、たいていの教師は、凶悪なイジメ(実際は刑法犯)を現認しても、見て見ぬふりをするのでしょう。

「金八先生」
はレアであり、例外であり、異常事例です。

「レアで、例外で、異常な事例」
を取り上げて、全体を語ったり、社会全体の課題を解決しようとしても、絶対に失敗します。

「金八先生」

「GTO」
のように、教育の傍ら、矯正も行う、なんて曲芸をできる異常事例は極々少数であり、たいていの教師は、矯正課題は放ったらかしであり、さらに言えば、厄介事として、見て見ぬふりをします。

私が教師でも、絶対そうします。

だって、専門外だし、わかんないし、できないし。

「机に座っている学びたい人間を教えるの」
は自分の仕事ですが、
「机に座れないし、学問の価値も認めない、野蛮で自己制御できない、俗悪で無作法な人間を、一定時間、黙って机に座らせるよう躾ける」
のは自分の本来的仕事ではありませんから。

というか、そういう仕事が好きだったら、動物園かサーカスの仕事を選んでいるはずだし。

動物とかそれに近いのが大嫌いだから、教師になったんだし。

教師になって、動物の調教に近いことやらせるなんて、冗談でしょ。

勘弁してよ。

そう考えるのが普通でしょう。

弁護士である私に対して、
「胸が苦しいのでなんとかして」
「頭が痛いのですが、これ、CTスキャンした方がいいですか」
「熱が下がらないのですが、インフルエンザの薬もらえませんか」
と相談されても、困ります。

無理です。

できません。

「医者に行った方がいい」というほかありません。

それと同じことです。

今後も、インテリ特有の自信過剰に陥り、学校や子供に関連して生じた事象すべてを
「教育問題」
の延長として捉えるような教育関係者が、自分は何でも知っているし、何でも自分でできる、と勘違いし、分際をわきまえず、
「教育問題の範疇を超えた、法律問題」
に直面しても、
「自分でなんとかすべきだし、なんとかできるし、なんとかしなきゃいけないし」
と考え、危険な素人判断で、愚劣な対応を続ける限り、今回のような悲劇や、イジメ問題を原因とする自殺事件等は、増えこそすれなくならない、と断言できます。

私としては、一刻も早く、教育関係者が、自らの程度や限界をわきまえ、目の前の問題が
「法律問題か教育問題か」
を早く正しく見極める判断力を備え、
「法律問題は、とっとと法律家か警察に持ち込む」
という、正しい
「ギブアップ習慣」
を身に着けていただくべきと考えます。

そうすることで、
法律問題が法律問題として適切に処理され、
犯罪者や犯罪者予備軍から攻撃を受ける弱者が、教育者により見殺しにされることなく、法律の力できっちりとした保護を受けられ、
少しずつ社会がよくなるのではないか、
と思います。

学校で発生しようが、子供同士で生じようが、親が騒ごうが、教育問題を超えたら、教師はとっととすっこみ、法律問題は法律問題として、法の視点で観察し、法の力で是非を論じ、きっちりカタをつけていく。

こういうシンプルで当たり前のことが行われれば、
イジメ被害による自殺事件が根絶し、
今回のような愚かで無能で無責任は大人の愚行で小さな子どもが犯罪被害に遭うといった悲劇が二度と起きない、
そんな、普通の社会になっていくのではないでしょうか。

00040_科学的ダイエットのための“逆洗脳”

私は、6~7年ほど前から、食生活や生活習慣を改め、ジムに通って筋肉と体幹を鍛え、体重を30キロ近く落としました。

体組成計上の肉体年齢は20代です(実年齢のはるか下の年齢です)。

ちなみに、
「結果にコミットするホニャララ」
には、行っておりません。

いろいろな情報を収集して、自分なりに研究し、肉体改善のための自己制御プログラムを作り上げ、実践する。

そんな
「我流ダイエット」
で、肉体改造をしました。

「ここ5年ほど、私と会っていない」
という方と久しぶりに会うと、激変ぶりに驚かれます。

また、久しぶりにお会いした取引先の社長にも驚かれてしまい、仕事の話そっちのけで、ダイエット論の話で盛り上がってしまい、結果、
「仕事の話は、また今度でいいや」
という流れになってしまうなど、私の界隈では地味に盛り上がっています。

ということで、肥満でお悩みの方向けにダイエットについてお話したいと思います。

まず、私のダイエットセオリーの根幹ですが、
「太る原因は、暴飲暴食にある」、
そして、
「暴飲暴食の原因は、脳の暴走により、制御不能に陥ることにある」、
という課題認識が前提となっており、
「いかに、脳を制御するか」
ということが主眼となっております。

そして、私が実践した方法は、紅茶キノコを飲むことでも、朝バナナでも、納豆やコンニャクや寒天どか食いでもなく、自己制御としての
「脳の正常化に向けた、正しい洗脳」
を自分に対して徹底して行う、というものです。

自己洗脳というか、自己啓発に近い内容を行い、これを起点として、食生活を含む生活習慣を改変したことで、大きな結果が生まれた、というものです。

脳の歪みを特定し、これを矯正する。

それだけです。

ところで、
「洗脳」
なんて持ち出すと、なんか、悪の犯罪組織や、ヤヴァい新興宗教がやる、おどろおどろしい、不気味なものと思われがちですが、
「洗脳」
は、そんなネガティブなものばかりでもありません。

身近なことでいえば、学校教育も、親の説教も、上司の説教も、新聞の社説も、テレビのコメンテーターのお話も、政府の記者会見も、広い意味での
「洗脳」
の一種です。

教育などは、洗脳の最たるものでしょう。

教育の本質は、
「頭脳が未発達で、知性が乏しい、知的水準が未熟な者へ、偏見を植え付けるための、洗脳」
を指すわけですから。

「学ぶ」

「真似ぶ」
から転じたといわれますが、教育の本質をよく表しています。

正しい洗脳、もとい、教育というのは、模範とする人物をベンチマークとして、思考や言葉やビヘイビア、さらには仕草や呼吸の仕方に至るまで、徹底的にコピーすることがその本質です。

・・・と、
「洗脳」
から、脱線しましたが、私がやったのは、
「糖質やめられない」
という脳内を巣食うバイアスを特定し、これを取り除くための
「正しい脳に改善するための、逆洗脳」
とも言うべき、手法です(共産主義国家風にいえば、「再教育プログラム」となるでしょうか)。

「ロカボ(low-carbohydrate)」

「低糖質」
という言葉がすでに浸透しているとおり、炭水化物をはじめとする糖質が肥満の原因であり、いかに食事において糖質摂取を抑制するか、ダイエットの鍵となる、ということは、すでに知られているところです。

もちろん、脂のとりすぎも肥満の原因、という考え方もあるのですが、脂は、意識的に摂取を抑制しなくても、ある程度控えることは可能です。

すなわち、
「お腹が空いたから、肉の脂身を食べて、バターやサラダオイルをごくごく飲みたい」
という方はまずいらっしゃらないと思います。

おそらく、肉が好きとか、揚げ物が好き、という方は、
「油や脂そのものが大好き」
というより、
・ヌルヌル、あるいはヌメヌメした舌触り
・塩加減や一緒に食するご飯やお酒などの糖分とのバランス
・歯ごたえや噛みごたえなどの食感
といった別の要素を嗜好している、と思われます。

例えば、
・肉と同じような歯ごたえや噛みごたえがあるタンパク質の食材を使い、
・塩分で味を整えて、現在の調味技術で、本物に近い味加減を再現し、
・見た目をハンバーグやステーキのようにするため絵の具(着色料)を使って
・スチーム調理器を使って、油を使わない加熱調理を行う
という方法で、豆腐やささ身や魚肉を使った、ステーキやハンバーグや唐揚げが普及すれば、
「健康のための代替料理」
として問題なく受け入れる方もそれなりにいらっしゃるであろう、と思われます。

結局、油は、しょっぱさ(塩)と甘さ(糖)その他をまろやかにして、食感をよくするためのもので、油そのものを嗜好する、ということはなく、今流行りのスチーム調理器を使えば、相当程度、摂取を回避できると思います。

また、最近では、豆腐ハンバーグや、ビーガン向け食品等、食べごたえのある、豆腐や植物性蛋白を使った食品等も出回っています。

太る、という点での大きな課題となるのは、糖質摂取の抑制です。

「油や脂そのものが大好き」

「お腹が空いたから、肉の脂身を食べて、バターやサラダオイルをごくごく飲みたい」
なんて人は滅多にいませんが、
「できたてのご飯なら何杯でもいける」
「お餅が大好き」
「甘いものがやめられない」
という方は相当いらっしゃるはずです。

この点、ロカボや低糖質を謳ったダイエット法が多数出版されていますが、私からみると、どれもイマイチな感じが否めません。

というのは、
「糖質の取り過ぎが良くない」
「痩せるには糖質を抑制した方がいい」
ということは、別に本を買わなくても、皆、十二分にわかっているのです。

問題の根本は、
「糖質が良くないのは頭でわかっているが、体や心が好きなので、どうにもこうにも手が出てしまう」
すなわち、
「わかっちゃいるけど、やめられない」
という状況の改善ないし抑制にあるにもかかわらず、この点をしっかり捉えて、制御する方法を説いている本があまりない、ということなのです。

糖の摂取に関して、こんな科学的説明があります。

糖質も甘味も薬物依存と同じ作用をすることが動物実験などで明らかになっており、快感を求めて甘味や糖質の摂取を求め、次第に摂取量が増え、摂取しないとイライラなどの禁断症状が出てくる。

この点、コカインよりも甘味の方がより脳内報酬系を刺激し、甘味はコカインよりも中毒症状や依存性になりやすいという実験結果するという結果が報告されているそうです。

重度のコカイン中毒者に対して、
「コカインが身体に良くないのはわかっているんだろ。だったら、なぜやめられない!」
と、正論を振りかざして説教を何回繰り返しても、無駄です。

また、覚せい剤を切らすと居ても立ってもいられないほどの重度の依存症の者に、
「コカインの代わりに、ビールや酎ハイで我慢してみたら?」
と提案しても、聞いてくれるわけがありません。

そこで、私は気づきました。

ダイエットに必要なのは、
「薬物中毒の症状を治す」
のと同様のアプローチが必要、であろう。

すなわち、脳のバイアスの根源を探り当て、その歪みを明確にし、これを制御するための逆バイアスを自己脳内に構築して、逆洗脳をして、自己制御を完成させる、そんな、アプローチがダイエットには必要ではないか、と気づいたのです。

紅茶キノコやプーアール茶を何杯飲んでも、
リンゴを納豆をアホみたいに食べても、
喉詰まらせるくらいコンニャクやコンニャクゼリーを爆食いしても、
まっずい酢大豆をいっぱい食べても、
寒天やサバ缶をたらふく食っても、
鼻をつまんで黒酢やもろみ酢を何杯飲んでも、
朝にバナナ、夜にトマトを食べても、
「脳が甘味依存症、糖質依存症」
である限り、人間は、糖摂取をやめられず、際限なく糖を取り続け、結果、太り続けていくと思います。

そこからは、結構早かったです。

「甘味依存症」
「糖質依存症」
を脳内に形成する根源を探り当て、その歪みを取り除くための考え方を明確に認識し、自己制御としての糖質制御をして、これと並行して、筋トレその他代謝を上げる活動を取り入れていきました。

1年目で18キロほど、2年目で30キロ減量し、そこからかれこれ5年ほどは、ほぼ体重、体脂肪率をキープしています。

自己制御プログラムの具体的中身ですが、さすがの私も、メールで配信するには憚られる内容なので(違法とか、半倫理的なこととか、そういったことではないのですが、なんとなく、障りがある、というか、ちょっとアレな内容、という意味です)、ここでは、詳細は控えます。

また、
「糖質の取りすぎがよくない」
ということはすでに知られた内容であり、
「わかっちゃいるけど、やめられない」
ことをやめるのは、自己制御課題であり、自己制御の取り組み方は人それぞれですし、自分なりにやって自分が納得して自分を制御できればいいだけの話。

たいしたことではありません。

それに、自己制御という、パーソナルな領域に踏み込むのは一定の信頼関係が必要ですし。

いずれにせよ、ポイントは、
・ダイエットが出来ないのは、脳が暴走していること
・脳の制御をするためには、覚醒剤依存症の克服プログラムと同様、「脳の間違った働き」の根本を探り出し、直接働きかけ、これを改善する、逆洗脳が必要
・脳を正常化して制御しない限り、「甘い物がやめられない」「糖質がないと気が狂う」という暴走現象が収まらず、結果、紅茶キノコ、サバ缶、黒酢、朝バナナ等々、何をやっても、ダイエットは永遠に失敗し、太り続けていく
ということです。

00039_マネーの正体_20181120

お金というのは、ただの、紙切れであり、記号であり、取り決めであり、幻想です。

例えば、千円札や五千円札や一万円札というものは、JASDAQに上場している某株式会社(日本銀行は、証券コード8301で、東証一部でも二部でもなく、新興市場であるJASDAQに株券上場している一民間会社です)が発行している手形の如き紙片であり、
「日本及び世界中の人が、この『JASDAQに上場している某株式会社が発行している手形の如き紙片』に一定の価値(90ドルなり77ユーロなり65ポンドなり)があるはずだ」
という共同幻想を抱くことで成立している価値空間における、価値表章道具に過ぎません。

最近では、ビットコインという名の下に、新たな価値空間や、当該価値空間における価値表章道具が突如創造され、瞬く間に浸透して一般化していますが、マネーの世界というものが、かなりイージーに作り上げられる幻想空間である、ということが改めて確認できる事象です。無論、崩壊したり無くなったりするのも割とすばやく、あっけなく起こったりするかもしれませんが。

こういう事例は、
「マネーないしマネーに関わる営みの本質が、情報産業でありバーチャル空間創造事業の一種である」
という一面を如実に表わしております。

なお、千円札や五千円札や一万円札が、東証一部でも二部でもなく、新興市場であるJASDAQに株券上場している一民間会社の発行している紙切れ、などというと、
「この弁護士はバカで、モノを知らんな。通貨を発行しているのは、日本国政府であって、そんな、JASDAQに上場しているショボイ企業とちゃうぞ!」
という声が聞こえてきそうです。

しかし、お持ちの紙幣を、目クソをしっかりかっぽじりあそばして、よくご高覧ください。

偽札でない限り、お持ちの紙幣の発行体は、株式会社日本銀行(JASDAQ:8301)という民間企業であることが明記されていることをご確認いただけるかと存じます。

そういうと、
「んなもん、何の違いがあるねん! 日銀も日本国政府も一緒やんけ!」
とか、おぬかしあそばされそうです。

ここまで無知だと、さすがに矯正のしようがありません。小学校か中学校の社会の教科書から勉強し直してください。

日本国政府と日銀は別の組織であり、ミッションもガバナンスも別のものです。

(日銀とは全く別組織の)日本国政府が発行できるのは、500円玉を筆頭にしたコインだけです。コインとは、補助通貨と言われますが、
「取引決済1回につき20枚までしか提供できない」
という制限が付された、決済道具としては相当ポンコツなものです。

国の借金(正確には、国債及び借入金並びに政府保証債務現在高)が1000兆円超えたとか超えないとかで、ギャーギャー騒がれているようですが、法律を改正して、
「取引決済1回につき20枚までしか提供できない」
という制限を取っ払ってしまって、1000兆円分の500円玉を製造して、これを、某JASDAQ上場企業の日本橋の本店に持っていけば、国の借金なんて一挙に返済できちゃいます。

ちなみに、政府の債務といっても、反対側の債権を保有しているのは、日本の企業(たいていは一般の銀行ですが、JASDAQ8301の特殊銀行業を営む某企業が自分で買う場合を含む)や個人です。

日本国を一つの家族として考えると、お父さん(日本国政府)が1000万円の借金を負っているといっても、「借りた先は、サラ金でも闇金でも銀行でもなく、いや、家庭の外にいる親類縁者ですらなく、一緒に暮らすお母さんのへそくりから借りてます」、というのと同じです。

確かに、お父さんは、お母さんに頭が上がらず、いじけていますが、
「家庭全体が危機にひんしているとか、借金取りに追われて夜逃げしなきゃいけないとか、破産して全員クビつる」
とかそんな話ではありません。

なお、この「日本」というご家庭全体では、貯金が328万円あります(対外純資産は2017年末で328兆円です)。

「お父さんがお母さんから1000万円超借金しているが、家族全体で貯金が328万円ある」
なんて話だと、カネがあるのかないのかわからない、なんともビミョーな貯金額ですが、なんと、この貯金額、世界一なんです(日本の対外純資産額は、2位のドイツを70兆円以上引き離し、ダントツの世界一)。

話は脱線しましたが、お金を貯めることは多いに価値と意味がありますが、お金の本質は、紙切れなり金属の塊によって表章される「幻想価値空間」の道具に過ぎません。

賭博場のポーカーチップや、パチンコホールのパチンコ玉と同じであり、大事に貯め込むというのは本来の効用のあり方ではなく、使ってこそのものです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.135、「ポリスマガジン」誌、2018年11月号(2018年11月20日発売)

00038_「金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!」と意気込む婚活女子が知っておくべき、「金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向」~まとめ~

その1:「お金持ち」の種別

その2:資産家

その3:オーナー系企業の創業者

その4: オーナー企業の後継者(二代目以降)

その5:投資家

その6:財産形成に成功したプロフェッショナル(士業の成功者やオーナーシェフや開業医や芸能人や出世したサラリーマン重役等)・完

00037_「金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!」と意気込む婚活女子が知っておくべき、「金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向」その6:財産形成に成功したプロフェッショナル(士業の成功者やオーナーシェフや開業医や芸能人や出世したサラリーマン重役等)・完_20190520

今まで、いろいろ
「金持ち」
と呼ばれる人種の生態観察を披瀝してきましたが、どれもこれも、ケチ呼ばわりしてきましたので(私も節約と倹約が大好きな稀代のケチですので、ケチというのは、私としては褒め言葉です)、
「また、今回も、ケチが出てくる」
と思われる方も多いのではないか、と思います。

しかしながら、今回の、
財産形成に成功したプロフェッショナル(士業の成功者やオーナーシェフや開業医等)
はケチではなく、むしろ、使い方が上手かどうかは別にして、
お金をよく使うタイプである、
といえます。

弁護士をはじめとする士業や医師、さらに、シェフや各種職人といったプロフェッショナルで、経済的成功を収めた方々は、働けるあいだは、どんどんお金が入ってきます。

他方で、所得が上がると、社会保険料を含めて
「六公四民」
になる高額の税金を負担しなければなりません。

税金を払いたくないばかりに、売上を誤魔化したり、架空給与を支払ったりといった乱暴なことをすると、仮装隠蔽による脱税として犯罪者として処断されるリスクが高くなりますし、最悪、告発・起訴・有罪判決を受けて、社会的信用を失い、仕事が続けられなくなるので、そういう過激な節税(というか犯則事件になりうる悪質な脱税行為)に手を染める方は少数派です。

このように、
「稼ぎはいいが、稼ぎの6割近くは、日本最大の暴力団である国税当局等に、所得税等という名のみかじめ料としてもっていかれる」
という状況で、少しでも課税負担を減らそうとすると、経費をふんだんに使うほかありません。

もちろん、事業と関係のない経費を使うと、後日、税務調査で指摘され修正申告を余儀なくされたり更正決定を食らったりしますが、事業と関係性が維持できる経費については、ちまちま考えず、値段を確認せず、大胆に、イージーに使うと、税額が圧縮されることに繋がります。

こういうこともあり、弁護士をはじめとする士業や医師、シェフや各種職人といったプロフェッショナルや人気のある芸能人、さらには出世に成功したサラリーマン社長・サラリーマン重役等、自身のスキルを使って経済的成功を収めた方々は、
「宵越しの銭はもたない」
感覚で、お金を派手に使う方が多いです。

その意味では、この種のお金持ち、小金持ちで、ケチ臭い方はあまりいらっしゃらず、下手すると、そこらの資産家や経営者より、よっぽど羽振りが良かったりします。

弁護士とクライアントの会社の社長が、たまたま国際線で居合わせて、商用の社長さんがプレミアムエコノミーの席にもかかわらず、半分休暇の学会出張の弁護士がファーストクラスの席で、何ともバツが悪かった、なんて話もよく聞きます。

「突然売上が激増して、いい気になって、派手に使いすぎ、翌年の予定納税や住民税でヒーヒーいう」
などという、後先考えず、刹那的な金銭感覚のプロフェッショナルもいたりします。

こんな、お気楽で、刹那的で、景気のいいカネの使い方をする、成功したプロフェッショナルたちですが、弱点もあります。

それは、いつまで働けるかという将来の健康上のリスクや不安と、自分の仕事をどうやって後継者に承継するか、という点です。

普通のサラリーマン以上に、リアルに
「体が資本」
のプロフェッショナルたちは、健康に無茶苦茶気を使います。

もちろん、暴飲暴食をして健康を損ねるタイプもいますが、弁護士や医師は、同世代の平均と比べても、かなり健康で、70歳、80歳になっても、バリバリ働いている方が多いです。

しかも、定年はなく、頭や体やスキルを使って仕事をすると、精神的にも若さを保てるせいか、高齢で現役のプロフェッショナルの皆さん、どなたも楽しそうです。

100歳で現役のお医者さん、という方がいましたが、私はこの事例を聞いてもあまり驚きませんでした。

人間ドックや高額医療、さらには、健康増進につながるゴルフや登山や乗馬など、成功したプロフェッショナルたちは、健康につながることには特にふんだんにお金を使うようです。

そんな楽しそうな人生を送るプロフェッショナルたちの唯一の悩みは、世代承継です。

経営者や資産家は、特段、試験や資格なしでなれますが、プロフェッショナルになるためには、たいてい、試験や資格がつきまといます。

他方で、頭脳やスキルは、遺伝によって確実に子孫に承継されるとは限らず、
「開業医の子供のデキが悪く、なかなか医学部に合格できない」
なんて事例が出てきます。

医学部入試不正問題で実態が一部露見しましたが、デキの悪い子供を医学部にねじ込むために、試験の公正・公平を大胆に歪めることが堂々と行われる背景には、開業医の切実なまでの世代承継の願いがあるようにうかがえます。

以上、金持ちカテゴリーの中でも、
「成功したプロフェッショナル」
というのは、仕事には尋常ではないコダワリをもつものの、それ以外では鷹揚で単純で気前よく、世代承継の悩みをもちつつも、健康維持管理を含め、わりと刹那的に、景気よくカネを使う、付き合っていて愉快な、ある意味、もっとも
「金持ちらしい金持ち」
といえる、と思います。

なお、私は、プロフェッショナルですが、それほど成功しておらず、投資家や経営者としての気質が強いこともあり、かなりケチな部類です。

と、オチがついたところで、連載形式で解説してきました、
「お金持ち」
という生き物の種別に対応した、特徴・生態・習性・偏向といった生態観察結果のお話を終わりたいと思います。

(完)

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.141、「ポリスマガジン」誌、2019年5月号(2019年5月20日発売)

00036_「金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!」と意気込む婚活女子が知っておくべき、「金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向」その5:投資家_20190420

投資家もケチといえばケチですが、投資家のケチっぷりは、これまでみてきたほかのタイプのケチとはやや毛色が異なります。

これは、投資家にとって、
「お金」
というものの捉え方が、他の金持ちと異なることに由来します。

そもそもの話になってしまいますが、
「お金」
という道具は、いろいろな顔をもっています。

われわれ一般人にとっての
「お金」
とは、価値を貯蔵したり、価値あるものと交換(決済)したりする機能をもつ、究極的に便利な道具であり、それ以外の何物でもありません。

ところが、投資家は、
「お金は、もう1つ重要な機能がある」
ということを明確に認識しており、この機能を最大限にかつ効率的に使うことに命をかけて取り組んでいる、というところに生態の特徴があります。

「価値を貯蔵したり、価値あるものと交換(決済)したりする機能以外のお金の機能」
とは、一体何でしょうか?

それは、お金のもつ、
「お金を運用することによって、それ自体が、価値を創造し、自己増殖させることができる」
という機能です。

製造業を経営する企業の社長にとっては、工場が生産手段として日々価値を創造してくれます。

投資家にとっては、お金が
「メーカーにおける工場」
と同じ意味と価値を担います。

一定の方向付けを与えれば、自己増殖的に価値を生産してくれ、大切な商売道具として認識されます。

ポケットに1万円入っていて、食事をするために入店したレストランのディナーコースが、Aコース7,000円、Bコース5,000円、Cコース3,000円の3種類があったとします。

この場合、投資家が意識するのは、食べたあとに残った3,000 円なり、5,000円なり、7,000円が、そのまま
「価値創造手段」
として使うことができる、という事実です。

7,000円のコースを食べれば一過性の満足をそれなりに得られるかもしれません。

しかしながら、7,000円のコースを食べれば、3,000円のコースを食べた場合に比べ、手許に残る金銭差分(7,000円ー3,000円=4,000円)については、投資に回せる可能性を不可逆的に喪失してしまい、その結果儲けるための道具が相対的に貧弱になり、投資収益増殖のスピードが犠牲となってしまいます。

要するに、投資家が、お金を価値交換道具として消費に使う場合、
「お金のもう1つの大事な機能である、『投資という貴重な営みに使う必殺道具』を部分的に犠牲にしてまで、その贅沢をする価値があるか」
といった思考を巡らす習性を有する、ということです。

もっと簡単にいえば、種籾(たねもみ)は、ご飯に炊いて食べてしまえばそれで終わりだが、田んぼに撒いて収穫することによって、もっと増やすことができる。

お金も、使えば終わりだが、うまく使って増やすことができる。投資家は、お金に対して常にそんなイメージを抱いている、ということです。

また、投資家にとっては、情報や情報の運用は、命とお金の次に大事なものです。

ですから、正確で良質な情報をスピーディーに入手するためや、取引を瞬時に決済するための情報環境投資については、まったくお金を惜しみません。

他方で、陳腐な情報、コモディティとなった情報設備・機器については、瞬時に無価値と判断し、まるで興味を示しません。

したがって、投資家は、情報の入手・整理・分析に資するものや、これらの作業時間の効率化に貢献するものには、惜しみなくお金をつぎ込みます。

とはいえ、昨今の革命的な情報技術の進歩によって、少ない投資で、以前では到底考えられなかったような巨大なデータを、パソコンやスマホで扱えるようになりました。

ICT技術の発展で、笑いが止まらないくらい恩恵に浴しているのは、投資家という人種であることは間違いありません。

最後に、ほとんどすべての投資家は、税金という
「日本最大の暴力団が強制的に徴求するみかじめ料」
に対して、根源的な憎悪を抱いています。

設備も人員も不要のICTが発展した現代社会においては、パソコンとネット環境さえあれば、投資活動はどの国や地域でも行えます。

投資家としては、特定の国家から特定の行政サービスを受けている意識も感謝も希薄であり、
「国なんてあってもなくてもいいし、むしろ、無駄に税を徴求し、移動を制限し、無意味な規制を振り回す、有害な寄生虫」
くらいにしか思えません。

ですから、節税や租税回避のためであれば、相当大掛かりなものや冒険的なものも含めて、費用を投じて各種スキームを策定したり実践したりします。

成功した投資家が、日本の課税を忌避して、税率の低い海外に移住する、なんて話をよく聞きます。

私などは、投資こそするものの、本業が日本の弁護士業であり、さらに
「安全で清潔な環境と、世界一のメシの旨さと、ホスピタリティの充実さと、製品・サービスの洗練度合い」
から考えて、永遠に日本で住み続けたいですし、
「僅かな税を忌避して、別に悪いこともしていないのに、こんな素晴らしい国を、自主的な国外追放・亡命のような状況に身を置くなんて、あり得ない」
と考えてしまいますし、
「海外移住することにまつわる、コストや面倒や不愉快さや不都合さを考えると、却ってカネとエネルギーの無駄につながるんじゃないか」
とも思ってしまいます。

こんな
「日本大好き」
な私にとっては、
「世界の難民にとって、トップクラスの逃亡先であるニッポンから、自主亡命・自主難民化する」
という投資家の行動はまったく理解し難いのですが、
「筋金入りの投資家の冷徹な判断」
からすると、私の考えの方がアホで不合理でヌルい、と映るのかもしれません。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.140、「ポリスマガジン」誌、2019年4月号(2019年4月20日発売)

00035_「金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!」と意気込む婚活女子が知っておくべき、「金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向」その4:オーナー系企業の後継者(2代目以降)_20190320

オーナー企業の後継者(二代目以降)も、やっぱり、創業者同様、ケチには変わりありません。

しかし、
「資産を握りしめて、闇深く逼塞して、じっと動かない」
という資産家とは違い、日々実入りがあるせいか、資産家と比べればマイルドなケチです。

また、創業者との違いは、カネの使い方におけるシビアさというか
「ロジカル派ケチ」としての徹底ぶり
が希薄である、更に言うと、ケチっぷりがユルい、という点です。

どんなケチな創業者も、
「ここぞ」
というときにはお金は、半端なく、大胆に、ズバッと、使います。

「ここぞ」
というのは、新規事業やM&A等のリスクはあるが儲けが大きい話と、訴訟や税務問題や監督官庁や取引所からのお叱りといった、ビジネスや財産の安全保障に関わる話です。

いずれも、創業者が大胆なお金の使い方をする際には、徹底した功利分析を行い、
「お金がどのように使われて生きてくるか」
というロジックやメカニズムについて、きちんと腹落ちするまで徹底的に調べ、検証し、裏を取ります。

どんな些細なことでも、わからない点があれば何度も聞き返しますし、少しでも違和感や疑問があれば、さんざん提案させた挙げ句、ビタ1円出さない、なんてしょっちゅうです。

こういう言い方をすると創業者と付き合う方としては面倒臭そうですが、実際は、創業オーナーのお金や関係構築のスタンスは、理由や目的や判断ロジックがしっかりしているせいか、提案した挙げ句、お断りをされても、提案した側(断られた側)も、不思議と腹は立ちません。

「儲からないから」
「これはリスクではなく不確実性であり、プロジェクトではなく、ギャンブルだから、事業として認められない」
「ゲームのルールがわからないし、不合理」
「期待値が低い」
「効果が不明」
という、
「明快なエコノミクスで、バッサリ」
といった感じで、お断りされますし、ド真ん中のポイントを突いており、諸事明快なのです。

ところが、オーナー企業後継者は、このようなシビアさという、しつこさというか、徹底ぶりが窺えません。

特に、あまりお勉強が得意ではなく、学歴等でコンプレックスを抱いている二代目、三代目の場合、自分より知的や経験的に優位に立つ人間が、劣等感を苛(さいな)むような物言いをして、不安に陥れ、救済や改善と称して指導や指南をするような状況においては、財布の紐がゆるくなってしまいがちです。

結果、効果検証なしに、無駄なコンサルや、無意味な金融商品や、危険で毒が満載の投資商品や、どう考えてもバリエーションがデタラメでシナジーもまったく想定できなさそうなM&A案件、といったガラクタを
「衝動買い」
してしまい、結果、無駄にカネを失ってしまう傾向があるようです。

創業オーナーにとっては、お金は、自分の命を削って蓄積したものであり、
「カネのやりとりは、命のやりとり」
であり、完全な納得と腹落ちしない限り、命はやれん、という凄みが感じられます。

ところが、二代目以降になると、親から引き継いだもの、所詮、他人からもらったもの、という安易さ、安直さがあるせいか、どうしても、
「命のやりとり」
といった切迫性、緊張感が抱けないのかもしれません。

また、オーナー企業後継者が資産家と違うところは、
保有している財産である「企業」
が、
一種の「金を稼ぐマシーン」
であり、自己増殖性を有しており、
よほどアホなことをしない限り、資産規模と収益を勝手に増やしていってくれる、
という自律的メカニズムを内包している、という点です。

資産家の場合、承継資産の運用益は、どうしても上限が観念されますし、将来の資産承継の際に賦課される課税の大きさを考えれば、運用益による自己増殖のスピードでは追いつかず、ほっといたら、どんどんジリ貧になる、という危機感があります。

このため、ただただひたすら節約・倹約に努める、求道者のようなケチになってしまいます。

ところが、オーナー企業後継者の場合、無論、波はあるでしょうが、企業の成長エネルギーが大きければ、資産承継の際の税務課題をシビアに悩まずとも、気楽に金持ちライフを堪能できます。

特に、企業規模が一定サイズを超えて株式公開してしまえば、
「上場株式」
という流動性の高い資産が一挙に入ってきますし、数十%超保有しておけば、あとの株式割合を放出しても、事実上、
「効果的な企業統治(別名「私物化」)」
は十分可能であり、この点でも、財産を保全し増殖させる手段が豊富に存在します。

その意味では、オーナー企業後継者のケチ度は相対的にマイルドです。

そして、生まれながらにしてたくさんのカネに囲まれ、カネの使い方、カネの力、カネの限界について、一種の英才教育を実地で受けておりますので、
「大金を手にしたことない貧乏人が宝くじにあたって、カネの毒で、身を持ち崩す」
というような痛々しい失敗とは無縁で、カネと上手な距離感をもって、合理的な使い方をする向きも多いです。

最後に、オーナー企業後継者の場合、
「生まれながらにして『カネ』という可能性の塊を何不自由なく、もっている」
という利点を活かし、そこから、自ら別の企業を創業し、
自身が「オーナー企業創業者」になったり、「投資家」に移行したり
することもある、という点が、特筆すべき点です。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.139、「ポリスマガジン」誌、2019年3月号(2019年3月20日発売)

00034_「金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!」と意気込む婚活女子が知っておくべき、「金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向」その3:オーナー系企業の創業者_20190220

オーナー企業創業者も、やはりケチです。

ただ、ケチはケチでも、ロジカルなケチです。

カネをケチるときの哲学や価値観がはっきり、しっかりした、論理的な美しさを実装した、メリとハリとキレのある、吝嗇家です。

資産家のケチは、論理性やメリハリはなく、哲学的で宗教的で、求道者や修行僧のような、ただただ、ひたすら、首尾一貫したケチなのですが、この点は明らかな差異が観察されます。

オーナー企業創業者は、お金を大胆に使うこともあります。

むしろ、
「使うべきときに大胆に使うために、無駄なことにはカネを使わない」
という、お金を使って勝負することを予定して、その日のために無駄を排して蓄財する、そんな戦略的ケチのようです。

とはいえ、自己を差別化して、承認欲求を充足するための投資については、経済合理性について首を傾げるようなものも含め、かなり大胆に行われるようです。

衣服や、時計や、靴、また、車、住まいや別荘、クルーザー、ジェット機、競走馬、さらにはご子弟が通われる私立学校の費用や入学準備のためにかかる費用、そして、家族であったり、
「その他特殊な関係であったり、お側にいらっしゃる方」
のお召し物や宝飾品といった、自己差別化アイテム(威信財)には、あまり厳格な費用対効果の検証をなさらずに、積極的かつ大胆にお金を投じられます。

「東大卒で、留学歴があり、身長が高く、知性も教養もあり、容姿にコンプレックスもない、知人や友人に恵まれた、明朗快活なスポーツマン」
というタイプの方であれば、いってみれば、人間自身が究極のブランド物です。

これみよがしのブランド物の中身を、さらに、これみよがしのブランド物で着飾ると、かえって、くどくて、嫌味で、エレガンスがなくなります。

ですので、こういう
「(人間の)中身がブランド物」
というタイプの方は、ギンギン・ギラギラ・ゴテゴテ・ピカピカのブランド物を忌避し、清潔感があり、趣味のいい、こざっぱりした格好を好みますし、無駄に目立つと生活が窮屈になりますので、プライバシーをことのほか重視し、諸事ひっそりとした生活を営む傾向があります。

ところが、前述のようなタイプとはやや趣を異にしたタイプの方、すなわち、苦労に苦労を重ねて、どん底から、気合とド根性で這い上がって成功した、立志伝中の人となったような方は、やはり、ご自身で、差別化をより確実なものにしたいのでしょうか、
「わりと、わかりやすい形」
で、自己差別化アイテム(威信財)にお金をかけられます。

先程述べた
「経済合理性について首を傾げるような」威信財アイテム
を積極的に装備されますし、生活全般についても、
「無理して、そこまでしなくても」
というようなライフスタイルを次々と実践されます。

無論、そんな派手で目立つことをしていれば、プライバシーが犠牲になるのですが、この種の権利意識は乏しいのか、人目につくことについてはあまり気になさらず、むしろ、積極的にそのご様子を披瀝されるようです。

とはいえ、お金の使い方全体を観察すると、
「ロジカルで、シビアなケチ」
には変わりなく、特に、事業に関連するお金の使い方や、自己差別化に直接貢献・関連しない費用については、徹底した倹約精神を発揮されます。

都内に住んでおりますと、数千万円するような高級外車(商用上の実用性のなさそうなドイツの軍用ワゴン車やスポーツカー)が、割と庶民的なスーパーマーケットの前で路上放置されてあって、駐車監視員にみつかり、駐禁を切られている状況をしばしば目にします。

駐車場代ケチるほど貧乏なわけではないでしょうし、食材なんてそこらのスーパーで貧乏人と同じ列に並んでなど買わずに、デパートの外商をアゴで使って手軽に身軽に済ませればいいのに、と思ってしまいますが、そこは、お金持ちならではの独自の金銭感覚といったものがあるのでしょう。

いずれにせよ、オーナー企業創業者は、論理と独自の美意識をもつ、孤高のケチであり、とはいえ、
「自己差別化と威信を増幅するアイテムについては、経済的合理性を放擲した、大胆なカネの使い方をする」
という意味において、特徴ある生態と思考習性が観察されます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.138、「ポリスマガジン」誌、2019年2月号(2019年2月20日発売)

00033_「金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!」と意気込む婚活女子が知っておくべき、「金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向」その2:資産家_20181220_20190120

まず、資産家という人種は、たいていケチです。

金持ちは総じてケチですが、資産家は、シビれるくらいケチです(いうまでもありませんが、褒め言葉です。私も稀代のケチですから)。

資産家という人種にとっては、
「カネが減るのが何より苦痛」
という絶対的感受性が神経の隅々まで支配しているようで、みていてすがすがしいくらいの、純粋で、度を超した、別格のケチが多いようです(繰り返しになりますが、最上級の褒め言葉です)。

考えてみれば、当たり前です。

代々の資産家にとっては、
「資産をできるだけ減らさず、次世代に承継すること」
が、絶対的使命であり、生きる目的であり、命をかけて遂行するべきプロジェクトです。

他方で、現在の相続税制度を前提とすれば、
「資産を減らさず、次にバトンタッチするゲーム」
におけるデフォルト設定として、資産は世代をまたぐたびに、きれいに55%ずつ、日本最大の暴力団である課税当局に毟り取られていく。

資産を運用するものの、成長が鈍化し、運用環境が悪化した日本においては、資産から得られる運用益は、まったく足りません。

もちろん、資産家は多額の資産をもっているので、運用収益もそこそこあるでしょうが、
「日本最大の暴力団が、将来相続の際に要求する莫大なみかじめ料」
を事前にしっかりと準備する、というプロジェクトゴールを比較前提として考えると、雀の涙、というよりミジンコのすね毛くらいの僅かなものにしかなりません。

結果、資産家の方は、冬眠したクマのように、でかい図体をもっていながら、極力、動かず、消耗せず、ひたすら、ひたすら、出ていくカネを抑制し、少しでも、多くの資産が減らないようにして、地味に、ひっそりと暮らす、という生き方を実践されます(くどいようですが、褒めてます)。

無論、貸しビル業やマンション経営をして相応に稼ぐことはされますし、キャッシュフローがないわけではないのですが、収入は固定化しているか、減ることはあっても増えることはないですし、将来の相続のことや、これに伴う根源的恐怖心から、派手に使えるようなマインドには傾かないようです。

よく、
「将来、お金持ちのお嫁さんになって、一生幸せになる!」
という野望を抱いて、涙ぐましいまでの婚活を行って、結果、めでたく資産家と巡り合い、見た目や年齢やルックスや離婚歴といった各種ハンデを乗り越えて、砂糖に群がるアリのようなたくさんの競争者との競争に打ち勝ち、資産家のハートをゲッチュし、無事、資産家に嫁いで、夢にまでみた資産家のお嫁さんになる、という野望を実現する女性をおみかけします。

こうやって苦労して嫁いで夢を実現した女性は傍目には幸せそのものにみえますが、時間が経つにつれ、
「資産家」
という
「お金持ち」
の、ナチュラル・ボーン・ケチっぷりに辟易し、節約・倹約生活にひどくくたびれて、消耗してしまわれる方も少なくありません。

いずれにせよ、使命、運命とはいえ、
「承継した資産を減らさない」
という死守すべき目的のため、お金を使わないようにするための涙ぐましいほどの努力は、もはや、求道者の域に達しています。

このような、常人には理解しがたい、哲学的で芸術性の高いケチ。

これが資産家の生態です(何度もいいますが、私は、資産家の生き方をものすごくリスペクトしています)。

資産家の最大の悩みは、将来、資産の世代承継が生じる際に確実に訪れる、
「我が国最大の暴力団からの、最大55%ものみかじめ料徴求行為」
をいかにうまいことやり過ごすか、という点であり、節税対策等のため、税理士、弁護士、コンサルタントといったプロフェッショナルの支援サービスを利用されます。

ところが、支援プロの立場においてもっとも面倒で頭を悩ませるのが、資産家のお仕事を引き受ける際、ギャラの支払いでモメるケースが意外に多いという経験上の現実です。

資産家にとって資産とは、先祖から預かった、命よりも大事なものであり、資産が減るのは、命が減る、寿命が短くなるくらい、不愉快で苦痛を感じさせるものです。

資産やお金が、カタチのあるものや、何か残るものに変わる、というのであれば、まだわかります。

カタチあるものに変わったり、何か具体的に残るものであれば、それが値上がりするかもしれませんし、売れるかもしれません(骨董や不動産は、手垢のついた瞬間半値になりますので、買った瞬間、ゴミやガラクタになるようなものは、値上がりしたり売れたりするケースは少ないのですが)。

ところが、プロフェッショナルの支援サービスなどというシロモノは、カゲもカタチもなく、ネットで調べればなんとか理解できるようなものであり、調達コストはゼロであり、聞いてしまえば済む話です。

「こんなものに、命より大事な財産を削って、手に入れる」
などという行為は、資産家にとっては、
「空気にカネを払うように愚劣で無駄で許しがたいもの」
ということになります。

プロフェッショナルは、サービスの詳細やメカニズムをご案内するフェーズで、特段フィーをいただかずに、要望を聞いたり各種説明をすることもあります。

このような無料サービスの段階でいろいろ知見をしてもらっていると、資産家の脳内では、
「へえ、賢いんだ。すごいんだ。なんでも知ってんだ。こんなことも無料で教えてくれるんだ。賢いアンタからすると、いろいろな難しい問題も、朝飯前のスムージーのように、簡単にさっくりできちゃうんだ。じゃあ、ここまで無料でやってくれるんだったら、その延長で、もうちょっと手間増やして、最後までやってよ。やってくれたら、晩飯おごって、ちょっとお駄賃あげるからさ」
というような話に展開されていくようです。

無論、こんな資産家の脳内の妄想をそのまま受諾すると、プロフェッショナル側は、小遣い銭程度で過酷な任務を負担させられ、大赤字となり、組織が維持できなくなります。

このような両者の思惑における根源的な誤解が解消されないまま、費用処理があいまいな状態でなし崩し的にサービスインして、プロジェクトが進んでしまうと、最後は、
「払え」
「払わん」
という醜悪なトラブルが発生してしまいます。

なお、そこまでシビアなトラブルに至らなくても、費用見積もりの段階で、資産家は、値切って、値切って、値切りたおします。

そりゃ、まあ、そうでしょうね。

だって、
「資産は、命より大事。大事な資産を減らすのは、寿命を縮めるのと同じ。物知りから知識を買うなんて、空気にカネを払うようなもので、できれば、一切払いたくない」
というのが本音なのですから。

結果、
「本来のプロジェクトのキックオフ前に、ギャラの取り決めに多大なエネルギーを費消し、仕事の士気を多いに損ねてしまう」
という悲喜劇が起こります。

無論、値切るのは悪いことではないのですが、プロフェッショナルサービスを値切るのはやや問題です。

私もケチっぷりについては人後に落ちないのですが、例えば、医者などのプロフェッショナルにお世話になる場合、絶対ケチりません。

ケチらないどころか、
「そんな安くていいんですか。もっと払いますから、その分、ちゃんとやってください」
といって、値上げをお願いするくらいです。

なぜなら、プロフェッショナルサービスにおける重大な課題とリスクは、
「完成度や品質について、形も基準も相場も検証方法も存在しない」
という点にあるからです。

すなわち、サービスプロバイダ側(プロフェッショナル側)は、気分一つで、いくらでも、手を抜いたり、適当にお茶を濁したり、頑張ったふりをしてサボったりすることが可能なのです。

もちろん、反対に、プロフェッショナルの気持ちや熱意次第で、いつも以上に情熱的に取り組み、アウトパフォームを期待することもできます。

要するに、プロ側の気分次第でサービスクオリティが大きく変動する。

この点こそが、この種のサービス取引の最大の課題であり、リスクなのです。

命や財産や事業が危険にさらされ、この状況の打開や改善を専門家に委ねざるを得ない状況で、値切って、値切って、値切りたおして、士気を低下させれば、どうなるでしょうか。

そんな状況でも、プロフェッショナルは、いつもと同じように、あるいはいつも以上に情熱を注ぎ込み、アウトパフォームして、見事な成果を出し、事態を打開して、窮地から救ってくれるでしょうか。

それとも、露骨に手を抜かないまでも、切所で踏ん張りが効かず、結果、大惨事につながる危険性が増幅するだけでしょうか。

私は、弁護士として、受任した以上は最善を尽くしますし、不合理に値切られるようであれば、そもそも仕事をお引き受けしませんが、資産家の無茶な値切りが遠因となって、ホニャララスキームがうまく機能せず、その後、支援プロとの間において、血で血を洗う内部ゲバルトに発展した、なんて話を聞くと、
「さもありなん」
と思ってしまいます。

と、最後は、業界事情の愚痴のような話になりましたが、このエピソードも含め、 資産家の生態や思考習性について、いろいろと学んでいただければ幸いです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.136-2、「ポリスマガジン」誌、2018年12月号(2018年12月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.137、「ポリスマガジン」誌、2019年1月号(2010年1月20日発売)