00051_「バカ」にされない人生を送るために

私は、あまり頭がよくありませんし、モノを知りません。

一応、東大は出てますが、世の中の事象はあまりに多く、東大出ごときの頭脳や知見では、森羅万象全てを理解するなんて到底不可能です。

したがって、「自分はバカである」という自覚は持っています。

ただ、卑屈にはなっていません。

自分も結構なバカですが、経験上、世の中には、「私と同じレベルの、頭がよくなく、モノを知らない人たち」が結構な数いらっしゃる、ということを知っているからです。

簡単にいうと、「そりゃ、自分も相当バカだけど、他にもバカは多いし、自分だけってわけじゃないから、別に問題なくね?」ということです。

私は、「自分はバカである」という自覚はあるものの、不思議とあまりバカにされた経験はありません。

むしろ、他の方々からは、
「こいつはそれなりに頭がいい」
「意外とデキる」
「アホそうだけど、不思議とモノを知っている」
「話し方はバカっぽくて、残念だけど、本質をわかっているし、外していない」
と思われているようです。

これはどういうことなんでしょうか。

私は、バカですが、自覚あるバカです。また、バカであることに卑屈になったり悩んだりしないバカであり、「卑屈さをもたず自分に自信もありますが、傲慢さとは無縁の、謙虚なバカ」です。

ですので、間違ったりして、バカを指摘されたら、すぐバカを認め、バカの原因を教えてもらい、バカを都度都度直します。

そうやって、東大も合格しました。

東大に合格するまで、模試や練習問題で、ものすごい数間違えました。ただ、その度、間違ったことを認め、間違いを知り、その原因を理解し(その原因すらわからない場合、自分より賢い人に頭を下げて教えてもらい)、矯正しました。

この、単純なことを繰り返せば、東大に合格しちゃいました。

東大なんて、そんなものです。バカな私でも合格できちゃいます。

そういう意味では、伸びしろのある、進歩するバカです。

自分の自覚(「私はバカである」という認識)とは別に、他者からバカにされない、いやむしろ、平均以上に知能が高いとみなされる人生を歩めている。

そういう意味では、幸いなことに、バカではあるものの、バカにされずに人生を送れているようです。

「バカ」にされない人生を送りたい、と考える人は結構多いようです。皆、どうやったら、「バカ」にされない人生を送れるか、ということをかなり真剣に考えているようです。

そこで、「バカ」な私なりに考えた、「バカ」にされない人生を送る方法をご教示申し上げたいと存じます(とはいえ、所詮、バカであることを自覚している私が考えたことです。多分に間違いや勘違いがあるかもしれませんので、その点は、割り引くなり、皆さんなりに修正するなり、つまみ食いして聞いてください)。

「バカ」にされない人生を送ることなんで、実に簡単です。

「バカ」を直せばいいんです。

じゃあ、「バカ」を直すのはどうすればいいのか?

「バカ」なんて簡単に直せます。

「バカ」を認めればいいんです。

自分が無知で、愚かで、間抜けで、非論理的で、情緒的で、不合理で、説明できない思考や行動をとっていることを、正面から認めればいいんです。

「バカ」を認めて、その原因を探り、原因を修正ないし矯正すればいいんですから。

すなわち、「バカ」にされないためには、「バカ」を直せばよく、そのためには、「バカ」を認めればいいんです。

「自分がバカであること」を素直に認めれば、原因にたどり着けますし、バカのグラウンド・ゼロ(爆心地)さえ見つかれば、修正さえすればバカを簡単に直せます。

バカを直せれば、バカにされずに生きていけます。

ところが、この
「自分がバカであることを素直に認めること」
が、結構難しいようです。

「自分がバカであること」をなかなか認めることができない。

そんな単純なことができないのが原因で、多くの人がバカを直せず、バカが直らないまま、バカにされて生き続ける苦痛を味わいます。

「自分がバカであることを素直に認めること」
なんて、簡単なんですけどね。

何がそんなに難しいんでしょう。私には全くわかりません。

私に関して言えば、ですが、「自分がバカであることを素直に認めること」は簡単であり、苦痛でもなんでもなく、本当に大したことではありません。

「自分がバカであることを素直に認めること」は、別に自分の尊厳の破壊することを意味しません。

前述のとおり、「自分はバカである」という自覚は持っています。だからといって、「自分には尊厳がない」ということと同義ではありません。

一応東大出てますし、自分と同じくらい、あるいは自分より、モノを知らないし、自分より知能や計算が働かない人はたくさんいますし、自分がバカだからといって、別に卑下する必要がない。

だいたい、 世の中の事象はあまりに多く、私の如き「東大卒風情」の頭脳や知見では、森羅万象全てを理解できませんから。

知らないことの一つや二つ、百や千、万や億あっても、全く不思議ではありません。

だから、自分がモノを知らず、論理や仕組みを理解できず、頭が働かないことを、何の抵抗もなく認めることができます。そして、バカであることを認めたからといって、自分の尊厳が破壊されるわけでもありません。

いずれにせよ、自分に自信をもつことです。

ただ、自信を持つからといって、傲慢になる必要はありません。

自分には自信をもちます。堂々と、自分がバカであることを認めます。

それと同時に、謙虚に、知らないこと、わからないこと、理解できないことの存在を認めることです。

そうすることによって、自分が「バカ」であることを素直に認められますし、バカを素直に認められれば、妙な情緒や精神的抵抗もなく、原因にたどり着けます。

原因さえわかれば、修正すればいいだけです。

バカなんて、そうやって簡単に直すことができます。

自分がバカであっても、バカを都度都度直せば、バカはどんどん直りますし、バカが直れば、バカにされずに生きていけます。

どうです?

簡単でしょ。

簡単なはずです。

私のような「バカ」にも簡単にできるくらいですから。

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