00189_チエのマネジメント(9)_20140820

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)」の9回目です。

話は
「チザイ」、
すなわち知的財産権の話から、立法・司法・行政という国家三権とその機能分担(三権分立)の話に広がり(脱線し)、これがひどくなる一方ですが、いずれ、チザイ話に戻ってまいれると思いますので、引き続き脱線を続けたいと思います。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

(13)「”立法機関”である”国会”」が立法すると、椿事として、ニュースになる

前回、言ってみれば、役所(行政機関)が料理(立法)のプロで、国会は
「出された料理のケチをつけることはできるが、自分では目玉焼きひとつ焼けない、料理評論家集団」
である、と申し上げました。

ところが、ケチはつけるが自分たちではほとんど法律など作らない国会議員のセンセイ方が、何を血迷ったか、夜の会合をキャンセルして、自ら法律を作ってしまう場合があります。

これは
「議員立法」
と呼ばれるものですが、国会議員が自分たちで法律を作ると、それだけでニュースになるくらい椿事なのです。

むろん、その出来具合はお世辞にもいいとは言えず、立法のテーマも、
「国家の効率的運営による国益の向上を目指した、後世に残るすばらしい法律」
は少なく、
「○○族と呼ばれる議員センセイが、特定の業界の利益の向上と結びつくような法律」
だったり、
「選挙の際、専業主婦やサラリーマンに手柄としてアピールしやすい法律」
といったものです。

議員立法で有名なのは、故田中角栄先生です。

彼が作った法案の多くは、道路、建設、開発あるいはこれらの財源措置や特殊法人に関するものでした。

特に、民主党政権の際に問題になった
「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」
も角栄先生の議員立法として成立したものですが、要するに
「都会のサラリーマンがガソリン購入の際に支払う税金を、田舎の道路工事のためにばらまく」
というものであり、建設業界と地元のゼネコンを利するという目的においては、非常に分かりやすい代物でした。

(14)この国を動かすのは国会ではなく役所(行政機関)

話を元に戻しますと、立法のプロとして、法律を作っているのは、
「お笑い芸人、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋、あるいは現在拘置所にいる刑事被告人といった様々な職種で構成される国会議員のセンセイ方」
ではなく、東大を卒業し、難しい試験に合格した、優秀な頭脳をもつ役所(行政機関)なのです。

つまり、中央官庁に務める高級官僚は、
「自分たちが使いやすいような法律を自分たちが作り、作った法律を自分たちが使う」
というわけです。

駒場の東大キャンパスに行くと、青雲の志を抱いて地方から浪人して東京大学文科一類に入学した青年が、
「僕は、キャリア官僚になって、日本を動かすんだ!」
という夢を語る場面に出くわします。

確かに、
「自分たちが使う法律を自分たちで作る」
わけですから、
「日本という国家を動かしているのは、国会議員などという有象無象の輩ではなく、キャリア官僚という高学歴のエリート集団である」
という認識は、全く間違っていません。

以上、立法権力を振るうとされる国家機関である国会の実体について、行政機関との比較においてお話しましたが、次回も、この話を続けてまいります。

知財からずいぶん脱線が続いており、さらに、次回も脱線が続きますが、しばらく、この壮大な話にお付き合い下さい。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.084、「ポリスマガジン」誌、2014年8月号(2014年7月20日発売)

00188_チエのマネジメント(8)_20140720

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)」の8回目です。

話は
「チザイ」、
すなわち知的財産権の話から、立法・司法・行政という国家三権とその機能分担(三権分立)の話に広がって(脱線して)おりますが、引き続き脱線を続けたいと思います。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

今回は、国家三権、すなわち、立法権力、行政権力及び司法権力を付託された各組織が、それぞれ具体的にどういう特徴をもって運営され、国家意思を具体的に実現しているか、について具体的に解説してまいります。

(11)「国会」と「お役所(行政機関)」「裁判所」との違い

立法権力、行政権力及び司法権力を付託された
「国会」
「行政官庁」
「裁判所」
という3種の国家機関の特徴を比較する形で解説してまいりますが、まず言えることは、国会と他の2機関には顕著な違いが存在する、という点です。

国会議員は選挙で選ばれますが、一定の年齢制限以外、試験もなければ能力の評価検証もありません。

学歴不問、経歴不問、能力不問、試験無し。

自分の名前が書ける程度の学があり、選挙に通りさえすれば、基本的に誰でもなれます。

お笑い芸人、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋でもOK。

拘置所の中からだって立候補可能です。

他方、行政官僚や裁判官となると、そんなわけにはまいりません。

ハードな勉強をして、小難しい試験に合格しなければなりません。

また、行政官僚や裁判官の場合、職を得てからも、一部の国会議員のように、料亭で無駄話をしたり、銀座のクラブで駄法螺を吹いているヒマはなく、目の前の大量の事務を、地味で堅実に効率よく裁いていく必要がありますし、そうでもしないと出世もおぼつきません。

国会議員が際立った個性派ぞろいであるため(言い方をかえれば「有象無象(うぞうむぞう)」であるため)、同じく国家運営の一翼を担う立場でありながら、行政官僚も裁判官も
「地味で、個性のないエリートで、似たような連中」
としてくくられてしまうのです。

そういうこともあって、一般国民の認識においても
「裁判官も行政官僚も同じじゃん」
と思われており、実際、霞ヶ関に多数いるお役人を、裁判官と行政官僚に区別するのは、至難の業です。

国会議員・役人・判事を並べてみて、
「ゴルフ焼けしてて、脂ぎってて、声がデカくて、スーツよりも作業服が似合いそうなガタイで、オシの強そうなオッサン」1人
と、
「地味なスーツを着て、眼鏡をかけてて、知的で神経質そうで、あまりパっとしないオジサマ」2人
がいれば、前者が国会議員で、後者が裁判官・行政官のいずれかであろう、という推定が働きますが、この推定はほぼ100%当たっています。

そのくらい、
「国会議員」
とそれ以外の
「裁判官・行政官」
は見た目だけで簡単に区別することが可能なのです。

他方で、
「地味なスーツを着て、眼鏡をかけてて、知的で神経質そうで、あまりパっとしないオジサマ」2人
を並べて、どちらが裁判官でどちらが財務官僚か、と言われても、区別するのはほぼ不可能です。

(12)立法をするのは「国会」ではなく「行政機関」

読者のみなさんは、小学校で
「国会は法律を作るところ」
「役所(行政機関)は、国会で作った法律を運用するところ」
ということを習ったと思いますが、これは、建前はともかく、実体としては明らかな間違いです。

「『お笑い芸人、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋、あるいは現在拘置所にいる刑事被告人の方』といった様々なバックグランドを有する国会議員のセンセイ方に、難解で技術的な法律の文章を作ることができるか」
というと、普通に考えて無理であることは明らかです。

もちろん、国会議員の中には元キャリア官僚という方もいらっしゃり、そういう方が本気を出せば法律ぐらい書き上げられるということもあるでしょう。

しかし、国会議員のセンセイには、
「地元の有権者の陳情を受けて、橋や道路を作ったり、各種違反の措置軽減や就職口斡旋する」
あるいは
「料亭やクラブに行って派閥人事を処理する」
といった重要な仕事があるので、
「机の上に齧りつき、関係法令集と格闘しながら徹夜で法案を作成する」
という地味で面倒でクラダナイことはなさいません。

じゃあ、
「国会議員が作らないのであれば、一体、法律は、誰が作っているんだ?」
というと、
「役所(行政機関)が法律を作っている」
というのが答えになります。

国会は、法律を作るところではなく、役所(行政機関)が作ってきた法律を
「ここはいい」
「ここはダメだ」
といってケチをつけるところなのです。

言ってみれば、役所(行政機関)が料理(立法)のプロで、国会は
「出された料理のケチをつけることはできるが、自分では目玉焼きひとつ焼けない、料理評論家集団」
と言った方が正確です。

以上、今回は、立法権力を振るう国家機関である国会の実体についてお話しましたが、次回も、この話を続けてまいります。

知財からずいぶん脱線が続いていますが、最終的には、知財における行政と司法の軋轢問題に帰着させる予定ですので、しばらく、この壮大な話にお付き合いください。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.083、「ポリスマガジン」誌、2014年7月号(2014年6月20日発売)

00187_チエのマネジメント(7)_20140620

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の7回目です。

前回から、話は
「チザイ」、
すなわち知的財産権の話から、立法・司法・行政という国家三権とその機能分担(三権分立)の話に広がって(脱線して)おります。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

(9)実は不効率で無駄が多い三権分立(承前)

前回、三権が一体のものとして運営されていた江戸時代の状況を例に挙げ、
「当時の江戸幕府側からみると、『国家運営機能を無理矢理3つに分割し、それぞれ別の指揮命令系統で動かす』現代の三権分立システムは、実に無駄で非効率に映るのではないか」、
と疑問を投げかけたところで終わりました。

三権分立に慣れ親しんだ現代の私達からみると、権力を集中した形で振りかざす江戸幕府の国家運営は野蛮に見えるかもしれませんが、江戸幕府が三権分立を採用しなかったのは、
「国家運営を統一的・効率的に行い、無駄を省く」
という自然かつ合理的な感覚によるもので、決して
「バカで時代遅れの超権力志向だったから」
ではありません。

例えば、時代劇等で出てくる
「奉行所」
は、刑事警察と公安警察と治安維持のための武装部隊と検察庁と裁判所をミックスしたようなところでした。

遠山の金さんなどを見たらおわかりかと思いますが、奉行という高級官僚は、司法警察官と検察官と裁判官を兼ねておりましたので、自分で調べ、自分で体験したことを判断の基礎にして、犯罪事実を認定し、刑罰を定めていました。

こういう制度の下では、裁判官は、気になったら自らとことん取り調べができますし、その取調べの結果に基づき絶対的な自信をもって事実認定ができますので、今の日本の裁判よりもはるかに緻密な司法を実現していたのかもしれません。

もし、遠山の金さんがタイムトラベルして、今の日本の刑事司法を見たとすると「警察署に検察庁に裁判所と指揮系統の異なる多数の役所を無秩序に作り出した挙句、一つの奉行所でできることを、無駄で非効率な形で分掌させる、信じがたい税金の無駄遣いをしている」と映るかもしれません。

(10)三権集中(三権未分離)から三権分立へ

このように、三権集中に比べ、無駄で非効率極まりない三権分立システムですが、ご存知のとおりイギリスで始まりモンテスキューが理論化しフランス・アメリカで採用され、その後全世界に広がっていきました。

世界的に広がったとはいえ、人類が文明社会を作り社会運営を行ってきた永きにわたる歴史からすると、
「三権を分離して、別ラインで運用する」
という国家運営システムは、歴史的にはまだまだ日が浅いものといえます。

では、なぜ三権集中(あるいは不分離)ではなく、
「三権分立」
という一見面倒で非効率な国家運営方法が主流になったのでしょうか。

確かに、三権を集中させた方が国家運営効率は高まりますし、英明なリーダーの下では国家は大いに発展を遂げます。

しかし、反面、ルイ16世やヒトラーのように、集中した国家運営権を使って、やりすぎてしまう奴も出てきたりするのです。

時速200キロメートルで走っているポルシェがいきなりブレーキを踏むと大事故を起こすのと同様、国家運営効率が極限にまで高まった状態で三権全てを掌握するリーダーが大失敗をやらかした場合、その影響は計り知れず、革命が起こるなどして社会が崩壊してしまい、国家インフラがズタズタになってしまいます。

こういう負の経験をふまえつつ、人類は
「効率性をある程度犠牲にしても、三権を分離して、それぞれを別の指揮命令系統下におき、相互にいがみ合いをさせながら、活発な議論の下慎重に国家運営させていった方が、大チョンボが起こりにくく、国家なり社会体制としては長続きし、国民としてもハッピーになるはず」
という認識を有するに至ったのだと思います。

ということで、現代の日本も、
「多数決で選ぶ国会議員」
「公務員試験で選抜する行政官僚」
「司法試験で選ぶ裁判官」
という3つのタイプの国家運営キャリアを設け、
「法律を作ることを国会議員が構成する国会に担わせ、法律を運用して税金を集めたり使ったりするのを総理大臣指揮下の霞ヶ関行政官僚団に任せ、法律の解釈と揉め事の解決は裁判官で構成する裁判所に任せる」
という三権分立システムを採用するようになったのです。

次回以降、これら3つの国家権力を担う国会議員や行政官僚、そして裁判官たちの実像に迫りつつ、国家三権が、それぞれどういう特徴をもって運営されているか、という壮大な脱線話を続けたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.082、「ポリスマガジン」誌、2014年6月号(2014年5月20日発売)

00186_チエのマネジメント(6)_20140520

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の6回目です。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

「チザイ」
の代表選手である特許を例にお話しさせていただいておりますが、この特許という権利は、特許庁(行政庁)のほか、裁判所(司法府)でも取り扱われます。

この2つの国家機関の判断がいつも同じであればいいのですが、判断が別れる場合があり、もともと面倒くさい知的財産マネジメントをさらに大きな混乱に陥れています。

この混乱の実体をきちんと把握いただくため、また、企業としても、国家機関とお付き合いする上では、国家機関、すなわち、司法機関、行政機関、さらには立法機関という3つの国家機関それぞれについて、組織の目的・役割・特徴をきちんと認識していただくため、今回から、行政と司法、さらには立法の役割、という少し大きな国家システムの話をいたします。やや壮大な話になりますが、こちらもこの場を借りて解説させていただきます。

(8)「裁判官」も「検察官」も「霞が関の官僚」も、言ってみりゃ、皆同じ?

皆さんは、テレビの裁判報道等で、法廷の壇上で不景気で陰気な顔して、妙なマントっぽいものを羽織ったおじさんやおばさん(これが裁判官です)が出てきたりするのを見られたことがあるかと思います。

また、大きな政治疑獄や経済事件で東京地検特捜部が強制捜査を開始する際、スーツを着た集団が颯爽と政治家の事務所や大企業のビルに入っていく様子(強制捜査の際、ダンボールをもって突入しているのは、検察官ではなく、検察事務官ですが)が報道されるのも見られたこともあるでしょう。

このように、裁判官とか検察官といった存在は一応社会的に認知されているのですが、世間の認識の中では
「裁判官だか検察官だか知らないが、言ってみりゃ、どっちも、東大出てて、司法試験合格していて、地味なスーツを着て霞ヶ関で働いていて、小難しい顔して法律や事件の関係のことで働いてる人で、同じようなもんでしょ」
と思われているようで、両者を正確に区別できる方はそう多くはいらっしゃらないような気がします。

さらに言えば、裁判官も検察官も中央省庁に勤める行政官僚すらも、世間一般の認識においては
「法律に関して、何か難しそうなことやってる公務員」
という括りで一緒くたにされており、その違いがあまり意識されていないような気がします。

この現象は、世間一般に限りません。

不動産登記簿謄本を入手するために法務局にしょっちゅう出入りされているプロの不動産業者ですら、裁判所と行政機関との違いにあまり頓着されない方が結構いらっしゃいます。

実際、
「裁判所って、あれでしょ、ほら、九段のところにある登記簿謄本とかもらうところでしょ」
なんて調子で、東京法務局と東京地方裁判所をごっちゃにしておられる不動産業者の方を見かけたりします。

脱税や強引な節税のかどで刑事告発されたご経験をおもちの方などにおいても、税務調査官も国税不服審判官も検察官も裁判官も
「同じような地味な人」
という括りでしか認識しておられず、事件の過程で次々と登場するスーツを着たエラそうな公務員相互間の区別がつかない、という方も少なからずいらっしゃいます。

たしかに、裁判官も検察官も税務調査官も財務官僚も法務局登記官も、雑なイメージだけで語れば
「眼鏡かけてて、勉強できて、スポーツ音痴で、東大出てて、一緒に食事してもツマンナそうな、やたらと細かい、地味な役人」
として一緒くたにされてしまいますし、これら五者の外形上の区別は困難です。

しかし、裁判官とそれ以外(行政官)というのは、まったく違う運営理念を持つ組織で働いており、生態も思考も行動様式においても、顕著な違いが存在するのです。

そして、行政と司法の機能上の差異、さらには立法活動との違いをきちんと理解するためには、裁判官と行政官という「似て非なる」両存在の違いをきちんと理解する必要がありますし、そのためには三権分立の話をしなければなりません。

(9)実は不効率で無駄が多い三権分立

読者の皆さんは、小学校の社会の授業で、
「三権分立」
という概念を習ったことがあると思います。

こういうと
「あー、知ってるよ。立法権、行政権、司法権ね。そうそう、国会、内閣、裁判所。それそれ。そんなの常識じゃん」
という答えが返ってきそうです。

しかし、三権分立というシステムは、長い人類の歴史からみると非常識かつ不効率なものであり、
「新規で特異な国家運営技術」
と位置づけられます。

前述のように、現代の日本社会に暮らしているわれわれは、三権分立による国家運営は当たり前のように思っていますが、つい200年前までは、三権は明瞭に分離させられることなく、江戸幕府という単一機関が立法権も行政権も司法権も独占して保持し、統一的な指揮系統の下にこれらを運用していました。

すなわち、江戸時代においては、江戸幕府を代表する将軍が
「御法度」
等の法律を作り、その名において徴税や治安維持や公共工事といった行政活動を行うとともに、民事の揉め事の解決や刑事裁判は将軍指揮下の奉行所において行われていました。

国家の運営の責を担う幕府側からみると、現代日本で採用されている三権分立システム、すなわち
「国家運営機能を無理矢理3つに分割し、それぞれ別の指揮命令系統で動かす」
などという代物は無駄の極みであり、ほとんど狂気の沙汰に映るのではないでしょうか。

以上のとおり、我が国の法運用システム一般についての壮大な話に脱線しておりますが、次回以降も、この点のお話を続けてまいりたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.081、「ポリスマガジン」誌、2014年5月号(2014年4月20日発売)

00185_チエのマネジメント(5)_20140420

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の5回目です。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

 前回
「チザイ」
の代表選手である特許について、特許庁(行政庁)で散々冷たい目でこき下ろされて晴れてようやく特許権になったと思ったら、裁判所(司法府)ではさらに無茶苦茶な取り扱われ方をされており、
「知的財産を重視する国家戦略」
というお題目などまるで無視されている、ということをお話しました。

(6)ニッスイ事件

ここで、
「『審査官をウマく丸め込み登録はしたものの、新規性、進歩性等の要件に問題があるエエ加減な特許権』をブンブン振り回して、鼻息荒くライバル企業に差止・損害賠償訴訟を提起すると、カウンターパンチを食らうような形で裁判所から突然『特許無効』と宣言され、最後に泣きを見た、という事例」
についてお話します。

1998年、日本水産(ニッスイ)は、冷凍の塩味茹枝豆に関する特許を取得しました。

特許といっても、製法や材料や味や保存期間等の画期的技術についてではなく、枝豆の塩分濃度や解凍後の枝豆の硬さなど、性質や機能を数値で表現したものに特許権が与えられたものでした。

ニッスイは、特許取得後、同じく冷凍塩味茹枝豆を販売しているニチロ、ニチレイ、マルハなどに特許使用料を要求する交渉を開始しましたが、各社はこれに猛反発します。

2002年2月にニチロが特許庁にニッスイの特許の無効審判請求をしました。

要するに、ニチロとしては、
「ニッスイが、取得した、と騒いでいる特許は、何ら画期的な発明ではなく、特許要件を満たさないものだから、そんなものは無効だ」
と特許庁に訴えたわけです。

特許無効審判は
「せっかく苦労して東大に合格したのに、いきなり合格が取り消されるくらいションボリする話」
です。

苦労して取得した特許権をそんな風にケナされてニッスイ側としても黙っているわけにはまいりません。

ニッスイ側は、この対抗措置として、自社の特許権を侵害したとして、ニチロの冷凍塩味茹枝豆の販売差止などを求めて、東京地裁に提訴しました。

しかしながら、結果は、東京地裁が
「ニッスイの特許技術に進歩性はない」
と判断し、ニッスイ側の完全敗訴となりました。

ニッスイ側は、控訴も断念し、ここに冷凍塩味茹枝豆の特許をめぐる冷凍食品業界の仁義なき抗争が終結しました。

(7)“なんちゃって”特許

特許が成立するのは、それまで冷凍食品業界においてまったくなかったような高度な発明で、かつ従来技術からは思いもつかないような進歩的な発明でなければなりません。

人間の食に対する意識は結構保守的で、変わった食品や変わった製法の食品を敬遠する向きも多く、その意味で、一般に
「食品業界では特許が成立しにくい」
などと言われます。

特許権があるからといっても、裁判所からみたら、ニッスイの特許権は
「下駄をはかせてもらい、インチキで取得した『“なんちゃって”特許』とも言うべき代物」
です。

こんな
「“なんちゃって”特許」
で、強気に訴訟提起したら最後、ニチロから無効審判請求の申立てや、特許法104条の3の抗弁(キルビー抗弁)が出され、鵜の目鷹の目で徹底的に調べ上げられ、たちまち無効とさせられる危険が生じる、というわけです。

裁判で負けたら、販売差止に失敗するだけではなく、今度はライセンスしている他の食品会社からも
「ガセ特許をネタに高いロイヤルティをふんだくりやがって、特許が無効になった以上、これまでインチキで払わされたロイヤルティを全部返せ」
ということを言われる可能性もあります。

ですので、ニッスイとしては、あまり物騒な展開にせず、なるべく早く大人の話し合いで、双方にとって体面が保てる幕引きをし、
「“なんちゃって”特許」
が化けの皮を剥がされないようにすべきであった、といえますね。

ニッスイ事件の解説としては以上のとおりですが、次回以降、行政と司法の役割、という少し大きな国家システムの話をいたします。

といいますのは、チザイをよく理解するには、特許庁(行政府)と裁判所(司法府)との役割の違いを理解しておかないと本質が理解できませんし、ビジネスを行う上では、このような我が国の法運用システム一般について基本を抑えておくべきことも必要ですので、やや壮大な話になりますが、こちらもこの場を借りて解説させていただきます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.080、「ポリスマガジン」誌、2014年4月号(2014年3月20日発売)

00184_チエのマネジメント(4)_20140320

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の4回目です。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

(4)「知財」の扱われ方(承前)

 前回
「PAT.P(Patent Pending、特許出願中の意味)」
と呼ばれる
「特許を受ける権利」
について、何やら仰々しくて相応の権利がありそうなことを示していると勘違いされがちですが、
「将来、ひょっとしたら、特許権になるかもしれないかもしんない権利」
という程度の代物で、東大を目指す浪人生が
「おれは東大に願書を出したぞ!」
と威張っているのと同様あり、よく考えると、あまりたいした話ではありません、と申し上げました。

実際、東大を目指す受験生のうち大半が無残に不合格となるように、特許出願された発明のほとんどは、特許権になることなく無残に朽ち果てていきます。

特許出願から1年半経過した後、出願内容が公開され誰でも閲覧できますが、インターネット等で公開された特許出願の内容を見てみると、子供の落書きのような手書きの願書や、まったくやる気や真剣さが感じられないでたらめでいい加減な願書なども相当数含まれ、まさに玉石混淆です。

たまに
「特許を受ける権利」
が高額で売買されることがありますが
「きちんとした科学者による世紀の大発明で、論文等で裏付けもあり、実施されている発明」
というのであればともかく
「子供の落書き」
をやや高級にしたようなものを何も知らずに高値でツカまされたというケースもあります。

出願された発明は、特許庁において特許要件充足の有無を審査され、その過程でいろいろとケチをつけられ形を変えながら、当初出願されたものとは似ても似つかぬものとなっていきますが、そういう紆余曲折を経て最終的に特許査定という行政処分がなされれば、所定の手数料を納付し、晴れて特許権が成立します。

このように、特許だの知財だのと騒いだところで、専門家や特許庁や裁判所からみれば、その大半はあまり大した話ではなく、成立するならともかく、取り扱われ方も、まずは門前払い、ようやく審査の俎上に乗っても鵜の目鷹の目でこき下ろされるなど、さんざんな取り扱われ方をしているのが現実であり、
「どこが知的財産を重視する国家戦略やねん!」
とツッコミを入れたくなるような状況なのです。

(5)特許が成立してからであっても安心できない

特許権が成立し、権利として登録されれば、見るからにおごそかな特許庁長官発行の
「特許証」
という、合格証書のようなものが発行されますが、
「チザイ」
の代表選手である特許の扱われ方の過酷さは半端なく、登録されてからでも安心できません。

特許要件が1つでも欠けると思われれば、特許を快く思わないライバル企業が無効審判を申し立て
「この特許は無効だ」
などと攻撃を仕掛けてきますし、特許権が侵害されたからといって、怒りに任せて、差止や損害賠償請求を仕掛けるのも、反撃を受けて特許がつぶされる危険が生じます。

その昔
「裁判所は文系の人間で、科学技術のことはよくわからないから、特許権が有効とか無効とかそういう小難しいことは、技術に明るい特許庁の方々に任せ、基本的に特許庁の判断を尊重しよう」
というシキタリがありました。

ところが、あるとき、公知技術を組み合わせただけの明らかに無効な特許を、うまく登録に持ち込んだものが、差止や損害賠償請求を行うという事件が起きました。

その際、最高裁は、前記シキタリを破り、
「差止や損害賠償請求が求められた際、裁判所が当該特許の有効・無効を判断し、たとえ技術に明るい特許庁の審査官がお墨付きを与えた特許権であっても、無効と断じてもいい」
と宣言しました。

このような最高裁の取扱は、特許法改正により明文化されました。

このルールがあるため
「特許庁の審査官をウマく丸め込み登録はしたものの、新規性、進歩性等の要件に問題があるエエ加減な特許権」
をブンブン振り回して、鼻息荒くライバル企業に差止・損害賠償訴訟を提起すると、カウンターパンチをくらうような形で裁判所から突然
「特許無効」
と宣言され、最後に泣きを見る、という事例が出てくるようになりました。

東大の例に例えると、
「散々浪人して、せっかくなんとか東大合格を手にいれたものの、入学してから再試験をされて、そのとき、良い点を取れなければ、たちまち、元の浪人生に逆戻り」
というのと同様、人の人生をオモチャにしているとしか思えない悲惨で過酷な取り扱われ様です。

以上のとおり、
「チザイ」
の代表選手である特許ですが、行政庁である特許庁で散々冷たい目でこき下ろされて晴れてようやく特許権になったと思ったら、裁判所でもさらに無茶苦茶な取り扱われ方をされており、
「何が知的財産を重視する国家戦略や!人のことを馬鹿にするのもいい加減にせい!」
と言いたくなる状況なのです。

今回は、この辺りで終わりますが、次回は、
「『審査官をウマく丸め込み登録はしたものの、新規性、進歩性等の要件に問題があるエエ加減な特許権』をブンブン振り回して、鼻息荒くライバル企業に差止・損害賠償訴訟を提起すると、カウンターパンチをくらうような形で裁判所から突然『特許無効』と宣言され、最後に泣きを見る、という事例」
について、特許庁(行政府)と裁判所(司法府)との役割の違いにも言及しつつ、お話してまいります。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.079、「ポリスマガジン」誌、2014年3月号(2014年2月20日発売)

00183_チエのマネジメント(3)_20140220

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)」の3回目です。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

(4)「知財」の扱われ方

前回、
「知的財産権のダークサイド」
とも言うべき、産業技術や文化発展を阻害するようなマイナス面をご紹介するとともに、知財管理の仕事をするビジネスマンや一部弁護士に、政府の
「知的財産権を積極的に保護しますよ」
というポーズを真に受け、上記マイナス面を無視し、やたらと知的財産権をもてはやす風潮、
「知財バブル」現象
が蔓延した、というお話をさせていただきました。

今回は
「知財を実際に最終的に取り仕切る特許庁や裁判所」
において、実際、知財がどのような形で取り扱われているか、ということを述べて参ります

具体例として、知財の代表選手である特許の場合を考えてみます。

特許権というと、
「日本の特許出願件数40万件!」
などという報道があったり、また、各種工業商品に
「PAT.P(Patent Pending、特許出願中の意味)」
の表記がみられるなど、巷に特許は溢れ返っており、また、前回お話ししたように、政府が、2002年12月4日に、
「知的財産の創造、保護及び活用に関する施策を推進すること」
を目的とする知的財産基本法を作り、知的財産権保護を政策として奨励していることで、知財バブル現象に浮かれ、踊り狂う
「知財マンセー」
の方も多くいるため、一般には、発明が完成し、これを特許庁に持ち込めば、両手を挙げて歓迎され、すぐにでも特許権がもらえそう、とイメージを持たれる方も少なからずいらっしゃるものと推測されます。

しかしながら、現実には、特許権という権利が成立するためには、相当高いハードルを乗り越える必要があります。

まず、
「発明」

「特許権という法律上の権利」
に変化させるためには、出願という手続きが必要です。

例えを使って説明しますと、
「発明」

「東大入学を目指す受験生」、
「特許権という法律上の権利」

「東大に合格して、晴れて東大入学を果たした東大生」
とイメージしてください。

東大に憧れ、東大入学を目指す者は多いですが、目指した人間全員が入学できるわけではなく、実際東大に入学して東大生となれる人間はごくわずかです。

とはいえ、入るのが難しいからといって、
「目指してはいけない」、
「受験するのは許さん」
ということまでは言われませんし、門戸は広く開放されています。

どんなに勉強できない人間であっても、東大を受験する権利までは否定されませんし、少なくとも、
「オレは東大を目指しているんだ」
ということを吹聴したり、自慢して威張る自由は保障されています(そういう吹聴や自慢は自由ですが、「自慢や吹聴は合格してからにしろ」というツッコミが入り、却ってバカにされる危険はあります)。

この
「発明」
という受験生が、
「特許権」
という東大合格の栄誉を得るため、最初に行うのが、
「出願」
すなわち、願書提出行為です。

東大がどんなに勉強できない人間にも受験の機会を保障しているのと同様、特許手続きについても、どんなに下らない発明や、およそ特許が成立しないような思いつきであっても、
「出願」
自体はできます。

すなわち、発明や思いつきの内容や自分として要求する権利の内容を文書や図面で記載し、受験料とも言うべき出願手数料を支払えれば、原則として、どんなものでも出願可能です。

そして、東大に願書を提出した浪人生は、実際合格するまでタダの浪人生ですが、特許の世界では、出願しただけの発明に対して、特殊な称号を付与してくれます。

これが、
「特許出願中」
と言われるものであり、平たく言えば、
「将来、ひょっとしたら、特許権になるかもしれないかもしんない権利だぞ」
という称号です。

そして、このような状態にある権利は、先ほど述べたとおり、
「PAT.P(Patent Pending、特許出願中の意味)」
としてエラそうに表示しています。

「PAT.P(Patent Pending、特許出願中の意味)」
といえば、何やら仰々しくて相応の権利がありそうなことを示していると勘違いされますが、言ってみれば、浪人生が
「おれは東大に願書を出したぞ」
と威張っているのと同様、よく考えると、あまりたいした話ではありません。

ここで紙面の限界が来ましたので、今回はこのあたりとさせていただき、次回も引き続き、特許権の内容に関するお話をさせていただきます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.078、「ポリスマガジン」誌、2014年2月号(2014年1月20日発売)

00182_チエのマネジメント(2)_20140120

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の2回目です。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

(2)「知的財産権」の正体

前回、
「法律の専門家である弁護士ですら『知的財産紛争は一切取り扱わない』というスタンスを取る者も出るほど、取扱がやっかいなビジネス課題である」
と申し上げましたが、そもそも知的財産権の正体とは一体何なのでしょうか?

ここで、知的財産権の正体をわかりやすくお伝えするため、メタファー(暗喩)を用いて、解説します。

まず、
「時は天下統一の完了した織田・豊臣時代、東西を結ぶ大動脈たる整備された大街道、中山道や東海道」
をイメージしてください。

かつては、交通の自由が規制され、あちこちに勝手な関所が作られ、関所毎に通行料が支払わされ、流通コストが増大し、経済発展が歪められました、織田・豊臣によって天下は統一され、
「関所はいくつかあるものの、天下の往来は原則自由」
となりました。

ここで、
「現代における産業技術や文化市場におけるアイデアや表現が自由に往来する状況」
を想定し、これと、
「平和が訪れた豊臣政権の時代における中山道や東海道の大街道」
と同様のイメージをもってください。

産業技術や文化市場では、アイデアや表現が自由かつ活発に交換されることにより、どんどん高度化されます。

これは、
「誰かが適当に作り上げた意味不明な関所や値段のよくわからない通行料」
のない、自由な往来ができる整備された街道によって経済が発展するのと同様です。

学ぶとは、
「真似ぶ」
すなわち
「真似る」
ことから転じており、模倣は産業技術や文化発展の原点とも言えます。

知的財産権というのは、基本的に、この
「現代における産業技術や文化市場におけるアイデアや表現が自由に往来する状況」
に、
「私人に関所を設けさせ、これを使って他者を威嚇したり、通行料をせしめること」
を是とする制度です。

すなわち、特定の要件を満たして(著作権以外の知的財産権は登録等も必要)、自分が作り出したアイデアや表現に権利が付与されると、
「アイデアや表現を自由に使える状況」
に対して一種の
「関所」
のようなものが作られてしまいます。

すなわち、技術や表現(知的財産権)を自由に使って、産業社会や文化市場で自由な活動をしようとすると、いきなり、
「そなたは、国からお墨付きを得て当方が設置しておる関所を勝手に通行しておる。通行を止めろ(差し止め)、通行料を払え(ロイヤルティや損害賠償を払え)」
と言われてしまうのです。

「知的財産権を積極的にどんどん認め、その権利を強力に行使させる」
というのは耳に心地よく聞こえます。

しかし、よく考えてみれば、
「知的財産権を次から次に認め、その権利を最大限行使させる」
というのは、喩えてみれば、
「せっかく、天下統一して、大街道を往来自由にしたにもかかわらず、また、各地方の権力に自由に関所を作らせ、通行料の徴求を許す」
のと同様、産業社会や文化市場の発展にきわめて有害といえます。

このように、知的財産権の正体は、
「(アイデアや表現の自由な往来における)公認関所」
のようなもので、産業社会や文化市場の発展を阻害する、というダークサイドの要素を秘めたものなのです。

(3)知財バブル

知的財産権については、政府が、2002年12月4日に、
「知的財産の創造、保護及び活用に関する施策を推進すること」
を目的とする知的財産基本法を作りました。

この、政府の
「知的財産権を積極的に保護しますよ」
というポーズを真に受け、以上述べてきたような
「知的財産権のダークサイド」
とも言うべき、産業技術や文化発展を阻害するようなマイナス面を無視し、やたらと知的財産権をもてはやす風潮が蔓延しました。

そして、社会や経済の仕組みをよくしらない一部の
「知的財産教の狂信者」
とも言うべき方々が、
「これからは知財(ちざい)だ!」
「知財が日本を強くする!」
「企業は知財を強化すべきだ!」
などと言い出し、
「知財」
という得体のしれないものをもてはやしはじめたのです。

この熱狂というか、アホというか、意味もわからずに、
「知財」
がもてはやされる風潮を、もてはやしている人間の低劣さを揶揄する意味をこめて、
「知財バブル」
などと言ったりします。

今回は、
「知財」
の本質と、2002年にはじまる
「知財バブル」
の勃興までをお話しましたが、次号は、さらに、
「知財バブル」
が、
「知財を最終的に取り仕切る裁判所」
において、実際、どのような形で取り扱われているか、ということを述べて参ります。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.077、「ポリスマガジン」誌、2014年1月号(2013年12月20日発売)

00181_チエのマネジメント(1)_20131220

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
として、ガバナンス、ヒト、モノ、カネとお話しして参りました。

今号から、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)についてお話しをしております。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

(1)企業における「チエ(情報、技術、ブランド)」のもつ意味・重要性

かつての産業経済は、一定の規格のモノを安価かつ大量に生産し、これを大量に消費することにより成り立っていました。

しかし、農業における
「豊作貧乏」
という事態のように、社会にはモノがあふれ、逆に過剰となったモノは地球環境にとって有害である、とすら言われ、企業の責任として
「無駄なゴミを作り出すな。廃棄物の回収に責任をもて」
ということまで要求されるようになってきました。

現代の企業活動においては、
「モノ」
を大量に作り出すことから、高度な研究開発の成果を蓄積・活用し、ブランド力を高めることが、競争力の維持・向上や企業の生き残りとして必須の課題と認識されるようになりました。

このように、現代では、多くの企業において、重視すべき経営資源が
「モノやサービス」
から
「アイデアやブランド」
にシフトしていくようになっておりますし、また、世界的にも、競争力を高めるためにはアイデアやブランドを保護し、強力なインセンティブの下にこれらの創造を後押しすることが重視され、知的財産権の強化が叫ばれるようになってきています。

日本においても、
「知的財産立国」
を目指して知的財産戦略会議を行い、知的財産戦略大綱の決定を経て、知的財産基本法が施行され、一貫して知的財産権保護強化の政策が取られています。

他方、もともと産業文明が模倣と改良により発展してきたものであり、知的財産権を必要以上に強化することは、産業社会の発展を妨げるという考えもあります。

知的財産保護の法制度も
「一定の要件を満たす高度でユニークな知的成果で、社会にとって有用なものに限定して法的保護を与える」
ということを大前提としています。

ところが、このような趣旨を誤解し、
「高度な知的成果とは言い難い、ありふれた思いつき」

「知的財産」
と称し、知的財産権保護の名の下に正常なビジネス活動を行う企業を威嚇するなどして、社会に混乱を与えるケースも存在します。

また、知的財産権は物権のように強力な権利を第三者に及ぼすことができる反面、権利範囲は物権と比べて曖昧模糊としており、知的財産権が及ぶ範囲と及ばない範囲や、類似の知的財産権相互間の権利範囲の境界は極めて漠然としています。このため、
「土地の境界争い」
が如き知的財産権紛争も増加の一途をたどっています。

一括りに知的財産権といっても、実に多種多様の権利を含み、また、それぞれの権利毎に、権利が発生するための要件や登録の要否、権利侵害が生じた場合の救済手続が細かく、かつ複雑、かつ難解に定められております。

また、知的財産とは、
「国がフレームを定め、一定の要件の下に、民間人に『特別の利権』を付与するもの」
である以上、当該利権の仕組みには行政機関が強力に関わってきます。

他方、所管する行政機関が知的財産権の種類毎に異なるほか、権利としての成立の是非を巡る訴訟に至った場合、
「特許庁の登録という判断(行政判断)を裁判所の司法判断として採用するか異議を唱えるか」
という“司法権”対“行政権”という国家機関相互のケンカにまで発展する問題をも孕む、極めて複雑な法律問題に発展します。

このため、法律の専門家である弁護士ですら
「知的財産紛争は一切取り扱わない」
というスタンスを取る者も出るほど、取扱がやっかいなビジネス課題であることは確かです。

このようにビジネス課題としては、極めて理解及び運用が困難な知的財産マネジメントですが、知的財産が今後の企業活動にとってますます重要性を帯びることを考えれば、知的財産の実体を正しく理解し、情報・技術・ブランドに関し正しい戦略を構築し、武装を行っていくことは企業にとって必須となることは間違いありません。

次号より、
「チエ」
すなわち、情報・技術・ブランドという経営資源のマネジメント課題について具体的に述べて参ります。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.076、「ポリスマガジン」誌、2013年12月号(2013年11月20日発売)

00180_カネのマネジメント(6)_20131120

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
として、ガバナンス、ヒト、モノと続き、
「カネ」
という経営資源のマネジメント(ファイナンスマネジメント)についてお話しをしております。

5 カネのマネジメント(ファイナンス・マネジメント)に関わるお仕事の作法

(7)無責任な「節税」策に踊らされて、会社が危機に陥る(承前)

前回は、
「企業がカネの問題でつまづいたケース」
として
「うまく節税しようとして、節税商品あるいは節税スキームに手を出して失敗した」
という例についてお話しました。

その中で、飛行機や船を用いたレバレッジド・リースや映画フィルム債といったスキームをご紹介し、裁判所の判断として、
「飛行機と船はOKで、映画フィルム債は、事業のために用いられているような実体がないということで重加算税賦課処分を認めた」
というお話をさせていただきました。

そして、敗訴した映画フィルム債の場合は勿論そうですが、
「勝訴して裁判所が節税を認めてくれた、飛行機や船を使った節税スキーム」
についても、
「『税務署とのトラブルに巻き込まれた』という点で企業にとって大きな損失になった」
ということも併せて、お話させていただきました。

この種の
「節税商品」
を売る側は、
「節税プランは完璧です」
ということをセールストークとして声高に謳います。

ですが、売る側の金融機関は、売った後に顧客がどんな税務トラブルを抱えたとしても、
「損金計上できると判断するか、損金計上できると判断するとして、実際損金計上するかどうか等は、すべて自己責任だから、関知しない」
という態度を取るものです(もちろん、同情はしてくれたり、紛争対策のための税理士や弁護士を紹介してくれることはあっても、決して手数料を返したりはしてくれません)。

(8)「カネ」に関するお仕事の注意点

「いい話にはウラがある」
という警句は、実に的を得たものであり、たとえ売り込む側が、仕立てのいいスーツを着て、高価なネクタイをぶら下げ、学歴が高く、名の通った金融機関に勤めていても、金融に関する案件で、売る側のセールストークを鵜呑みにするととんでもないトラブルに巻き込まれる可能性があるのです。

先ほど述べた
「節税商品スキーム」
というものについて言えば、どんなに外来語や専門用語が散りばめられ、横文字で大層な商品名が書いてあったとしても、会社が購入するのは、シンプルに言えば
「税務当局とのケンカの種」
に過ぎません。

フツーに商売するのですら困難な時代に、税務当局と大喧嘩して、企業がまともに生き残れるほど甘くはありません。

また、これほどまでに運用が困難な時代に、
「リスクが少なく、リターンが大きな、安全な投資」
などありえませんし、仮にそういうものがあっても、
「資産といってもほどほどの額しかなく、金融に関する知識にも乏しい、そこらへんの一般企業」
のところには決して回ってきません。

一般的に申し挙げて、
「余剰資金運用や節税にエネルギーを使う企業」
は、
「健全な成長・発展してきちんと納税する企業」
との比較において、短命と言えます。

企業が
「一発逆転」
を狙って自分の頭脳で理解できない利殖商品に手を出したり、何度聞いてもよくわらかない節税商品に手を出すのは、方向性としても、実際問題としても大きなリスクがあり、企業生命を危うくするものと考えられるのです。

おカネないしファイナンスというものは、サイズが大きくなっていくにつれ、その価値の構成や仕組が抽象化され、時間やリスクというファクターが複雑に組み合わさっていき、どんどん理解が困難な代物になっていきます。

また、
「銀行は、晴れた日に傘を貸して、雨が降ったら取り上げる」
などと言われますが、おカネを扱う方の品性や野蛮さは、着用しているスーツの品のよさや学歴の高さと見事に反比例しています。

無論、これは褒め言葉です。

「百獣の王と呼ばれ、動物の世界で頂点に立つライオン」
が、知的で、狡猾で、慎重で、自己中心的で、冷酷で、残忍であるように、
「金融資本主義が高度化した現代において、経済社会の頂点に立つ、金融関係者」
も、強靭で、知的で、狡猾で、慎重であることは当然です。

金融のプロからみれば、
「知ったかぶりで、無防備な企業の社長」
をひねりつぶすなどいとも簡単なのです。

バブル期の不動産担保ローン、変額保険、高額会員権、為替デリバティブ等、
「カネの知識のない一般企業」
が銀行や金融機関によって経済生命を奪われた例は枚挙に暇がありません。

「身の丈を知る」
という言葉がありますが、実業に徹し、ラクをすることを考えず、慎重かつ保守的に行動し、理解できないものには手を出さず、手を出すなら売る側の金融機関担当者を上回るくらいきっちり勉強して、諸事疑ってかかれば、おカネやファイナンスで失敗することはありません。

以上のとおり、おカネにまつわる仕事をする際は、おカネやファイナンスの難しさや、おカネやファイナンスをとりまく人間のずる賢さや恐ろしさといったものを適切に理解し、勉強を怠らず、慎重に行動していくことが求められるのです。

以上で、ヒト、モノ及びカネにまつわる仕事の作法についてのお話を終わります。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.075、「ポリスマガジン」誌、2013年11月号(2013年10月20日発売)