00204_国際進出話(3)_20151120

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
は、最終項目の
「営業」
というお仕事のお話の、さらに最後の最後の小項目である
「営業不振にあえぐ企業の起死回生の一発逆転策の危険性」
のお話に入っております。

前回、多くの中小企業が、実に“テキトーなノリ”で、いきなり、現地法人を作ってしまい、その結果、自分の首を締め、死期を早めてしまう、という話をさせていただきましたが、今回も、
「営業不振にあえぐ企業の起死回生の一発逆転策の危険性」
の1つ、海外進出話の危うさに関する話を続けて参ります。

(12)営業不振企業が一発逆転を狙って死期を早めるパターンその1・国際進出話【承前】

前回、
「ビジネスの目的設定は

  • カネを増やす
  • 出て行くカネを減らす
  • 時間を節約する
  • 手間・労力を節約する

のいずれかに収斂させ、かつ合理的な目的設計を行うべきであり、そうでないと時間と労力とコストを散々浪費した挙句、無残に失敗し、結果、企業そのものを危険な状況に陥らせる」
というお話をしました。

では、ビジネスの目的自体が、前記のいずれかにあてはまるとして、具体的にどのような形で目的設定することが合理的と言えるのでしょうか?

この点、
「ビジネスの目的が客観性と合理性を維持しているかどうかを検証するテストないし基準」
として、「SMART基準(法則)」が指標として使われることがあります。

「SMART」とは、

“S”pecific(目的が具体的で客観的で明確であること)

“M”easurable(目的が、定量化・数値化されるなど計測可能となっていること)

“A”greed upon(達成を同意しうること。無理難題ではなく、達成可能であること)

“R”ealistic(現実的で、経済合理的な結果を志向したものであること)

“T”imely(期限が明確になっていること)

の頭文字を取ったものです。

ビジネスを真剣に考えないトップがいいかげんなプロジェクトをぶち上げ、その際に適当に設定される
「事業目的」
なるものは、SMART基準を充足しない場合が多いです。

愛人に本業と無関係のブティックや飲食店事業を経営させたりするようなケースにおいて、
「トップによって公式上説明される建前上の事業目的」
なるものを冷静に分析検証しますと、大抵、
「具体的でも客観的でも明確でもなく、定量化・数値化もされず、達成が計測可能となっておらず、達成可能でもなく、現実的で、経済合理的な結果を志向したものとはいえず、達成期限すら明確になっていない」
という代物であることがみてとれます。

要するに、このような
「SMART基準を充足しない経済的に無意味な目的」
の事業は、
「動物の剥製、著名人とのスナップ写真、有名絵画、高級酒、さらには、銅像や日本刀や兜」
と同様、
「(経済的には意味がなくとも)イイカッコをする、世間体や体面を保つ、すごいですねと言われてプライドや自尊心を充足する、意地を張る、見栄を張る、ナメられないようにする、劣等感を解消する」
というのが当該経営判断の実体であろう、との推定が働くのです。

そもそも事業は、常に失敗のリスクや目的の下方修正や保守的変更の可能性を孕んでいます。

事業目的を1つ達成するのも大変な苦労を伴います。

複数の事業目的に明確な優劣をつけないまま、多義的で抽象的な目的を設定したまま、あるいは己の分際をわきまえず、欲張って目的を複数同時達成すべく追求しても、最終的に目的相互間に重篤な矛盾を来たしてしまい、結果、全ての目的が達成できず、時間とカネとエネルギーだけを費消するだけで終わります。

こういう点をふまえて、営業不振にあえぐ企業の起死回生の一発逆転策として挑戦する
「アジア進出」
事業について、その目的の妥当性・合理性を評価検証してみます。

まず、そもそも、なぜ、中国やその他アジア各国に進出するのでしょうか?

その経済的意味はどこにあるのでしょうか?

ここで、倫理や道徳や綺麗事を捨象して、シビれるくらい、シビアに、純経済的に、合理的に目的考察をしてみます。

「アジア進出の動機として、生産拠点を日本からアジアにシフトする、ということを考える企業」
においては、アジア進出のメリットは、ずばり、
「低賃金」
です。

すなわち、
「現地の方を安い給料で、コキ使えるから」
というのが進出の理由として推定されます。

だからこそ、
「最近は中国の人件費が高くなったからベトナムがいいぞ」
「いや、ベトナムも高いから、ミャンマーとかカンボジアだぞ」
といった、話が聞こえてくるのです。

要するに、生産拠点をシフトする形で中国に進出する企業は、別に、中国が好きとか、民間レベルの日中友好を進めたいとか、本場の中国料理が好きとか、中国の方が好きとか、4000年の歴史に敬意を感じたから、といった動機ないし目的ではなく、その真の目的は、
「(日本人とくらべて相対的に)安くて、コキ使える無尽蔵の労働力がある」
と考えて、進出するのです。

だから、中国より安いところがあると、経済的判断において、当該
「さらに安い人件費」
を求めて、進出先を変更したりするのです。

かつて、植民地支配の時代に、欧米列強が、(当時の彼らからみて)劣等民族であった現地人を、奴隷労働力(植民地時代の欧米列強の一般的認識としてです)として廉価に活用できるから、という理由で、アジアアフリカ諸国や中南米において生産活動を行っていたことがありました。

生産拠点を日本からアジアにシフトすることを目的とする企業の進出動機は、
「倫理や綺麗事を捨象した、純経済な観察における目的」
として考察すれば、要するに、これと同様であり、現地の人的資源を経済的に有利な条件において生産資源として活用したい(からアジアに進出する)、というのが、その目的ないし真の動機として捉えられます。

また、別の企業は、進出するアジアの国を、自社の商品を消費してくれる巨大市場とみて、進出するところがあるかもしれません。

この点についても、かつて、植民地支配の時代に、主に商品を販売することを企図した欧米列強の企業がアジア各国に進出したケースと同様、(当時の彼らからみて)文明レベルの劣る民族に対して、
「現地では作れない、現地の方の消費欲求を掻き立てる圧倒的な価値と希少性を有する商品・サービス」
を提供することによって、母国では考えられないほど容易に、市場争奪や市場支配が可能だったからです。

現代の日本で、販売拠点をアジアに設けることを目的とする企業の進出動機も、建前や倫理・道徳を一切捨象して純経済的に突き詰めれば、これと同様、母国とくらべて有利な競争環境を求めて効率的に稼ぎたい(からアジアに進出する)、というのが、その目的ないし真の動機として捉えられます。

無論、アジアに進出する企業は、こんな時代錯誤も甚だしい下劣な言い方で、その動機や目的を語ることはなく、綺麗事や建前やエレガントな進出目的(相互互恵による国際的な協調、対等な真のパートナシップによる相互発展など)を騙り、ディスインフォメーション(情報偽装)します。

「この種の韜晦を、いけしゃあしゃあとカマし、実際の目的ないし動機は、植民地時代の欧米列強の企業のものと同様のものを強固に持ち、これを、SMART基準に落とし込んで、部下に的確な指示を出し、シビアに当該目的を達成する」
という企業は、まず、間違いなく進出に成功します。

他方で、本音と建前がよくわからない状況で頭脳の中でカオスとなっている(さらに言えば、「国際進出をした国際的な企業の国際的な社長さん」とみられたいというくだらない意地や見栄のため、進出自体が自己目的化しているような)企業については、アジア進出の目的を見失い、確実に失敗します。

では、具体的に、アジア進出に成功する企業は、どのようなビヘイビアで、その目的(具体的な言葉にすると、やや問題を生じかねないので、あえて言葉にしませんが、植民地時代の欧米列強諸国の企業の進出目的ないし動機とほぼ近似するようなもの、と述べるにとどめます)を達成するのでしょうか。 この点は、次回に譲りたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.099、「ポリスマガジン」誌、2015年11月号(2015年10月20日発売)

00203_国際進出話(2)_20151020

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
は、最終項目の
「営業」
というお仕事のお話の、さらに最後の最後の小項目である
「営業不振にあえぐ企業の起死回生の一発逆転策の危険性」
のお話に入っております。

前回、多くの中小企業が、実に“テキトーなノリ”で、いきなり、現地法人を作ってしまい、その結果、自分の首を締め、死期を早めてしまう、という話をさせていただきましたが、今回も、
「営業不振にあえぐ企業の起死回生の一発逆転策の危険性」
の1つ、海外進出話の危うさに関する話を続けて参ります。

(12)営業不振企業が一発逆転を狙って死期を早めるパターンその1・国際進出話【承前】

日本企業のアジア進出ですが、多国籍展開経験のある一部の巨大企業を除き、ほとんどの中堅中小企業は、すべからく残念な結果に終わっているようです。

今から数年前、
「中国進出ブーム」
なるものが日本の全産業界を席捲しました。

その当時の経営者向けのメールマガジン等を見てみますと、

「国連『世界人口白書』によると、世界の総人口が70億人を突破する予定です。そのうちの人口のトップは、約13億人で中国。単純に考えて、世界の5人に1人は中国人という計算です。この国が抱える13億人の一大マーケットは非常に魅力的」
なんてリードがあり、
「今、中国進出しないのはバカです!何もしないと死にます!」
ともとれるような煽り文句が読み取れます。

この種の威勢のいい号令に従う形で、
「日露戦争における203高地への無謀な突撃」
の如く、数多くの中堅中小企業が中国に進出して行きました。

そこから数年経った2015年現在、中国ビジネスに関するもっともホットな経営テーマは、
「中国進出企業の撤退の実務」
だそうです。

曰く、
「外国企業が中国事業から撤退しようとしても、日本での撤退手続のように、必ずしもスムーズにいくわけではない」
「中国では、外国企業の撤退に関する法制度が未だ完全には整備されていないため、手続が煩雑で、多くの時間とコストがかかる」
「また、撤退に際して、政府から許認可等を得る必要がありますが、各地方政府の担当官の裁量により、ケース毎に撤退に関する判断や要求が異なる場合が多くある」
「中国における清算の実務上のポイントを説明し、いくつかの実例を挙げながら、よりスムーズに撤退手続を行うための方策」
なるものを勉強しましょう、といったセミナーが、中国からの撤退を考える中堅中小企業の経営幹部に人気だとか。

こういう状況を冷静に観察すると、
「進出するのか、撤退するのか、どっちやねん!?お前ら(中略)ちゃうか?」
というツッコミを入れたくなります。

日本の中堅中小企業の経営者の多くが、なぜ、こんな無意味で愚劣な行為をするのでしょうか?

「東大卒弁護士」
風情では理解ができない、何か、高度で深淵な意味があるのでしょうか?

私はそう思いません。

「経営者が、多大な時間とコストとエネルギーを注ぎ込んで中国に進出した挙句、数年後、さらに多大な時間とコストとエネルギーを費消して撤退する、という壮大な愚挙を敢行する」
のは、何か深淵で高邁な意味があるわけではなく、単に、
「経営者が愚劣だから」
ということに尽きると思います。

もう少し、別の言い方をすれば、中国進出をやらかす中堅中小企業の経営者は、
「目的が未整理で、頭脳が混乱した状態」
で経営判断しているから、ということだと考えられます。

営利を追求することをメインミッションとする組織である企業の目的設定・経営判断の方向性としては、

  • カネを増やす
  • 出て行くカネを減らす
  • 時間を節約する
  • 手間・労力を節約する

のいずれかに収斂するはずです。

とはいえ、現実的には、
「企業の目的設定・経営判断」
として、

  • (経済的には意味がなくとも)イイカッコをする、世間体や体面を保つ、「すごいですね」「国際企業ですね」とか言われてプライドを充足する、意地を張る、見栄を張る、ナメられないようにする、劣等感を解消する

という、
「経済的には説明できない、というか、合理的理解を超えた、愚劣極まりないもの」
も存在します。

オーナー系中小企業をみていると、本社社屋に、娯楽施設とかフィットネスクラブとか茶室とか業務に関係のない施設も併設されていたりする光景や、社長室が無駄に広く、動物の剥製、著名人とのスナップ写真、有名絵画、高級酒、さらには、銅像や日本刀や兜など、高価というだけで特定の趣味・嗜好・センスが感じられない品々が、一貫性もなく、無秩序に羅列されている光景に遭遇することがあります。

また、素材メーカーや部品メーカーの企業が、突然、イタリアンレストランやブティックの経営に乗り出し、
「素性のよくわからない、社長と親交のある、妙齢の女性」
が当該子会社のトップに抜擢されたり、ということもたまにあります。

以上を整備するのにカネや時間や労力が相当投入されていますが、当該設備への投資は、
「カネを増やす」
「出て行くカネを減らす」
「時間を節約する」
「手間を節約する」
いずれにも無関係であり、これらいずれの目的への貢献もほぼ皆無です(社内外には、相応の説明がなされますが、いずれの説明も、「東大卒弁護士」風情の頭脳では理解できない複雑怪奇な説明であり、案の定、この種の「理解を超越した難解な」新規事業は、いずれも、短い時間に赤字を積み上げ、無残に撤退しているようです)。

目的が合理的でなかったり、現実的でなかったり、計測不能であったり、タイムラインもいい加減であったり、といったものは、形式上の説明如何にかかわらず、要するに
「イイカッコをする、世間体や体面を保つ、プライドを充足する、意地を張る、見栄を張る、ナメられないようにする、劣等感を解消する」
というのが当該経営判断の実体であると推定されます。

そして、
「中国進出ブームに舞い上がって中国進出をやらかしちゃった経営者」
というのは、冷徹で緻密な計算をし尽くすこともせず、要するに、
「我が社は、トレンドに遅れていないぜ!最先端の国際ビジネスをやっているぜ!」
という意地やプライドや主観的満足充足のため、頭脳が混乱した状態で、進出した、という蓋然性が高いと思われます。

だからこそ、
「短期間に赤字を積み上げた揚句、撤退を決定したが、出口戦略をまともに描いていなかったため、撤退すらままならず、のたうち回っている」
という悲惨な現状に直面しているのではないでしょうか。

以上、
「営業不振にあえぐ企業の起死回生の一発逆転策の危険性」
の1つ、海外進出話の危うさについて、愚劣な意思決定をした経営者の心理にも迫る形で解明をしておりますが、次回もさらに、この話を続けたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.098、「ポリスマガジン」誌、2015年10月号(2015年9月20日発売)

00202_国際進出話1_20150920

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
は、最終項目の
「営業」
というお仕事のお話の、さらに最後の最後の小項目である
「営業不振にあえぐ企業の起死回生の一発逆転策の危険性」
のお話に入っております。

前回、企業において、起死回生の一発逆転の秘策が奏功した例はほぼ皆無であり、余計なことをすると却って死期を早める結果に終わる例が多い、というのお話を申し上げました。

実際、スポーツもののドラマやヒーローものをみていると、主人公が起死回生の秘策を編み出し、土壇場で一発逆転を行うシーンがみられますが、これはあくまで虚構の世界の話であって、ビジネスの世界ではこのような起死回生の一発逆転劇というのはありえません。

破綻間近の企業が無理をして行うその種のプロジェクトは、経験値の無さがわざわいし、ほぼ全て、無残に失敗し、かえって死期を早める結果になります。

というのは、事業というのは、一朝一夕に立ち上がるものではなく、
「発案→企画→試作品の完成→商品化にこぎつけ→営業の成功→取引成約→代金回収」
という長期間の地味のプロセス(しかも各プロセスにおいてそれぞれ相当な試行錯誤があること)によって成立するものだからです。

このような地味で面倒なプロセスを嫌って、楽に結果を求めようとすると、かえって、足元を掬われ、より損害が広がってしまいます。

事業はゴルフというスポーツに似ており、ボギーやダボ(ダブルボギー)しか出せないプレーヤーが最終ホールでいきなりバーディーやパーを連発することはありえません。

逆に、実力のない者がバーディーを無理に狙うと、逆にダブルパーやそれ以上に悲惨なスコアでホールアウトするのと同様です。

すなわち、パっとしない企業がいきなり
「国際進出だ」、
「大型提携だ」、
と騒ぐのは、
「それまでボギーすらとれていないゴルファーが、たまたまティーショットがそこそこいいところに飛んだといってはしゃぎ、それまでまともに当たったことのないロングアイアンを振り回す」
のと全く同じ状況で、より悲惨な結果が予測されるのです。

(12)営業不振企業が一発逆転を狙って死期を早めるパターンその1・国際進出話

ところで、
「ご臨終になりそうな企業が一発逆転を狙うと称して手を出して大やけどを負ってしまう」
というストーリーにおいて、登場するお約束のプロジェクトが、国際進出です。

古くは豊臣秀吉の朝鮮出兵、また、時代が近くなると、満州で一旗上げる話や、ハワイやブラジルへの移民話、さらには、バブル期のロックフェラーセンターやハリウッドの映画会社買収話など、日本人は、国際進出というものを安易に考えすぎる気質があるようで、毎度毎度バカな失敗を繰り返してしまいます。

国際進出は、情報収集も情報分析も国内では考えられないくらい難しく負荷がかかるものです。

これはあくまで感覚ですが、国際進出して成功するには、国内で成功するより20倍難しいといえると思います。

「国内で成功し尽くした会社が、国内での市場開拓より20倍のリスクがあることを想定し、周到で綿密な計画と、十分な予算と人員と、信頼できるアドバイザーを整え、撤退見極めのメルクマール(基準)を明確に設定して、海外進出する」、
というのであればまともな事業判断といえます。

しかし、(アウェー戦ではないホーム戦である)国内ですら低迷している会社が、
「新聞で読んだが、中国ではチャンスがある」
という程度のアバウトな考えで、適当に海外進出して成功する可能性はほぼゼロに近いといえます。

本業が痛んでいるにもかかわらず、起死回生の海外進出策などと称した、現実味のない話が出てきて、浮ついているような会社に未来などあるはずもなく、こういう知的水準に問題のある会社が、中途半端に“国際進出もどき”をおっぱじめても、儲かるのは、現地のコーディネーターやコンサルティング会社や旅行関連企業(航空会社やホテル)や現地会計事務所等だけで、たいていはお金と時間と労力の無駄に終わってしまいます。

フィージビリティスタディ段階で自らの無能を悟り、進出をあきらめれてくれれば、損害は軽微なもので済みます。

しかし、頭の悪い人間ほど自らの無能を知らないもので、実際は、多くの中小企業が、実に“テキトーなノリ”で、いきなり、現地法人を作ってしまい、その結果、自分の首を締め、死期を早めてしまうようです。

次回も、
「営業不振にあえぐ企業の起死回生の一発逆転策の危険性」
の1つ、海外進出話の危うさについてお話を続けます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.097、「ポリスマガジン」誌、2015年9月号(2015年8月20日発売)

00201_現代のBtoB営業3_20150820

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
は、最終項目の
「営業」
というお仕事のお話に入っております。

前回より、B toBあるいはB2Bと呼ばれる営業領域、すなわち、法人向け営業や企業間取引営業(Business to Business)の現代型仕事の基本を解説しておりますが、今回もこの話を続けていきます。

(10)現代のB to B営業その4・意味もなく流通経路に居すわっていると「中抜き」される

問屋(卸売販売業)もB to B流通業の代表選手のような業界ですが、この業界においても再編合理化の大きな嵐が今後吹き荒れることが予想される業界です。

「きちんとした役割や付加価値を提供するわけでもなく、意味もなく流通経路に居座り口銭をはじいているだけの問屋業態」
などは、突然淘汰される危険性が高いと思われます。

「そうは問屋が卸さない」
という諺があります。

江戸時代の服飾流通業界においては、呉服問屋がメーカー(呉服職人)から商品を一手に集め、委託販売形式で小売業者に卸しており、卸売価格の決定権を握ることを通じて、流通支配を行っていました。

したがって、新規参入を考える者が問屋に断りなく店舗を構えようとしても、商品を卸してくれません(現在では「ボイコット行為」として独禁法違反に問われますが)。

このことから、
「相手のある話に関しては、相手がどう考えるかによって変わるので、全てあなたの思うとおりには行かない」
ということを表すものとして、
「そうは問屋が卸さない」
という諺が出来上がったのです。

しかしながら、現在では、小売業者へさらに進んで、消費者に価格決定力がシフトしております。

流通業においては、
「消費者に安くて品質の良いものを、合理的経路で、迅速に届ける」
ということが唯一かつ絶対の正義となっております。

具体的には、小売業者をネットワーク化し、これをコントロールするバイヤーと呼ばれる者が、
「消費者に安くて品質の良いものを迅速に届ける」
という正義を旗印に、卸業者(問屋)、さらにはメーカーにまで、流通の合理化を要求するようになってきています。

その結果、
「意味もなく流通経路に居座り口銭をはじいているだけの問屋」
はことごとく排除されるようになってきているのです。

今後は、ネット取引の拡大とともに、流通業がますますシビアに整理合理化されていくことになります。

したがって、
「何の特徴もなく、単に特定のメーカーと取引がある、あるいは特定の小売業者の口座を有しているだけで、商品ないし伝票を右から左に流しているだけ」
という類の流通業はある日突然姿を消す可能性が高いといえます。

むしろ、小売店舗向けに高度なコンサルティングを行ったり、コモディティ化していない商品や、付加価値の高い商品を発見して独占的に流通するなどして、自社の価値やコアコンピタンス(絶対的差別化要因)を増強していくのか、あるいは、いっそのこと、徹底したコストダウンによって、小売とメーカーの双方の奴隷となって、
「早く、安く、効率的にモノを届ける」
だけのシンプルな機能に徹するか、といった方向性を顕著に出していくことが、B to B流通業の生き残りの選択肢となると考えられます。

(11)営業不振企業が一発逆転を狙って大失敗するケース

2015年現在、
「デフレ脱却のため、異次元ともいえるレベルで金融の量的緩和(通貨供給量の増加)で、経済が再び成長する」
という社会実験(アベノミクス)が行われています。

しかしながら、この政策によって
「高度経済成長時代のような継続する右肩上がりが再来する」
という事態に至ることは、およそ想定困難です。

確かに、アベノミクスにより若干景況感が改善し、株価も上昇しましたが、東証全体のPER(Price Earnings Ratioの略称。株価収益率。バブル期は60倍となっていた)は17倍程度というフツーの水準になったに過ぎず、相変わらず、利用価値が高い一部不動産を除き不動産価格は低迷したままです。

フェラーリやベントレーが飛ぶように売れたり、ゴルフ会員権やリゾート会員権が高騰したり、といった話もあまり聞かれません。

バブル経済崩壊後、
「モノ余り、 低成長時代」
を迎えて成熟した日本の経済社会においては、 すでに、監督官庁の保護育成も、業界同士の横のつながりも、今までの大量消費(販売)を前提とした大量生産もまったく機能しなくなっています。

金融緩和云々は別にして、産業社会は、
「品質と価格に基づく、シビアな能率競争」
を前提に、縮小しつつあるパイを苛烈に奪い合う競争社会に突入したのです。

このように、環境がシビアなものに変化する中、営業不振に仰ぐ企業が増えてきています。

そうした営業不振にあえぐ企業において出てくる話が、
「起死回生の一発逆転」
という施策です。

しかし、企業において、起死回生の一発逆転の秘策が奏功した例はほとんどなく、むしろ、無駄なことをせずひたすら競争に耐えていれば、残存者利益を得るか、身近で地味な分野に業態転換して、しぶとく生き残れていた可能性があったにもかかわらず、いたずらに死期を早める結果に終わる例ばかりです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.096、「ポリスマガジン」誌、2015年8月号(2015年7月20日発売)

00200_現代のBtoB営業2_20150720

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
は、最終項目の
「営業」
というお仕事のお話に入っております。

前回より、BtoBあるいはB2Bと呼ばれる営業領域、すなわち、法人向け営業や企業間取引営業(Business to Business)の現代型仕事の基本を解説していきます。

(9)現代のBtoB営業その3・究極のBtoB、役所を相手とする商売も危険

江戸時代以前から、
「○○御用達」
というものが商人のブランドの一つを形成してきたことからも判るように、
「役所から仕事をもらえる」
ということは商売人にとって一種のステータスとなっていました。

公共工事その他の役所とのビジネスというのは、BtoB取引の中でも最も大きな法人組織相手の取引(その意味では、BtoG、Business to Governmentとでもいうべきでしょうか)ですが、取引発注者の予算が無制限であることもあり、どことなく
「役所と取引があるということは企業の安定の証」
という考え方が今でも、ビジネス界の中にあるように思われます。

しかしながら、
「取引先が特定の企業に依存していることは危険である」
という話は、仕入れ先や取引相手が「官公署」という場合も同様にあてはまります。

赤字国債が連発され、財政破綻の危険が具体化する中で、民主党政権下になって、事業仕分けというものが大々的に行われるようになりました。

現在の財政上、もっとも重荷になっているのは間違いなく公務員の人件費です。

その意味では、財政健全化において、公務員、特に地方公務員の削減こそがもっとも急務の課題と言えます。

かつて、民主党が政権を担っていた時代がありました。

民主党も、公約として、財政健全化を掲げていたところから、民主党なりに正しいと考えた財政健全化策に着手しました。

前述のとおり、財政健全化において、公務員、特に地方公務員の削減こそがもっとも急務の課題であることは、知性を働かせれば、だれでも理解できる事柄でした。

同時に、自治労が支持母体である民主党に、財政健全化策として、地方公務員の数や人件費に手を付けることを期待しても無理であることもまた、誰の目にも明らかでした。

結局、民主党は、
「パフォーマンス」
として、
「事業仕分け」
なる財政健全化策を行うことでお茶を濁すこととし、その矛先は、
「切り捨てても文句を言わないところ」
すなわち、官公署や独立行政法人との取引を行っている業者に向かうことになりました。

すなわち、民主党が行った
「財政再建パフォーマンス」
としての
「事業仕分け」
は、官公署や独立行政法人と民間企業の取引を止めたり合理化したり、という方向に行き着くことになります。

このように、官公署との取引に依存している企業は、取引相手方たる役所の都合によって、突然、取引自体が消失したり、消失しないまでも相当程度、規模を縮小することになったりして、不幸に見舞われることがありうるのです。

また、コンプライアンスという観点からも、役所は些細な不祥事であれ、少しでも問題があれば、問答無用で取引を停止します。

すなわち、談合その他の法令違反があれば、軽重を問わず、指名停止扱いとなり、以後、役所との取引から徹底して排除されることになります。

役所からの仕事に依存しているような企業がこのような事態に直面した場合、その企業の命脈は直ちに尽きてしまいます。

実際、筆者が仕事として経験した事案ですが、ある会社において、地方の一営業所の営業マンが自治体職員を接待する、ということが明るみになり、これが贈賄事件に発展して、新聞に報道されてしまいました。

それからまもなく、当該自治体のみならず、ほかの自治体の取引も一切できなくなり、役所からの発注に依存していた主要営業部門が機能停止に陥りました。

その会社は、役所依存から脱却しようと、民間からの受注も開拓していた矢先であったのですが、結局、主要営業部門の取引停止をカバーするだけに成長しておらず、たちまち破綻状態に陥りました。

結果、会社は、再生を断念し、破産に至ったのです。

役所と取引するのは大いに結構です。

しかし、役所との取引の依存割合が極度に高いと、役所の予算の都合で突然取引そのものが廃止されたり、些細な事件や事故がきっかけで事業が全て停止に追い込まれる危険があるのです。

したがって、漫然と役所からの受注に全て依存するというスタンスの企業は、企業の行く末に大きな危険をはらんでいるものと言えます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.095、「ポリスマガジン」誌、2015年7月号(2015年6月20日発売)

00199_現代のBtoB営業1_20150620

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
は、最終項目の
「営業」
というお仕事のお話に入っております。

前回、コンシューマー向けの営業活動(Business to Consumer、BtoCあるいはB2C営業)についての仕事のお作法についてお話をしました。

今回は、BtoBあるいはB2Bと呼ばれる営業領域、すなわち、法人向け営業や企業間取引営業(Business to Business)の現代型仕事の基本を解説していきます。

(7)現代のBtoB営業その1・業界“協調”時代から、業界“競争”時代へ

護送船団行政や業界癒着構造の終焉の動きに併せて、低成長時代の到来、これによるパイの奪い合い、さらには構造的不況による業界間(内)競争や業界再編の動きが加わりました。

このようにして、日本の産業界は業界“協調”時代から、業界“競争”時代にシフトしていくことになりました。

かつては
「健全な経済発展のためには必要なもの」
という論調まであった談合(談合の当事者は、「談合」という言葉を忌避し、「業界協調」という言葉を使われるようです。しかし、「便所」を「お手洗い」「Rest Room」と言い換えたところで、そこで行われる行為が上品でエレガントなものに変わるわけではないのと同様、言葉を変えたからといって、実体としての違法性が払拭されるわけではありません)ですが、リーニエンシーという
「密告奨励制度」
まで整備され、カルテルや談合は、法的に徹底的に排除される時代になりました。

このような時代の変化により、企業は
「仁義や友情を欠いても、非情なまでに能率競争(品質と価格の競争)を徹底しないと生き残れない」
という状況に直面するようになりました。

このことは、
「古くからの友人関係をビジネスに優先させる会社は生き残れない」
ということを意味します。

また、環境が激変する時代においては、企業は、生き残りのための変革を行い、環境適応しなければなりません。

変革をして環境適応する際には、必ず、新しい事業を興し、新しい市場に参入し、新しい関係構築がついて参ります。

逆に考えますと、会社の取引相手が古くからの会社に固定化されており、長期間変わり映えしない、という状況は、新しい人間関係や商流が形成されていないことの裏返しといえます。

BtoB営業を展開している企業で、古くからの取引先と十年一日のごとき取引を繰り返しているというところは、よほどのブランドやコアコンピタンス(絶対的差別化要因)でももっていない限り、生き残りが厳しいと言えます。

(8)現代のBtoB営業その2・一社依存取引の危険性

中小企業などで、
「ウチは一部上場企業の□□社が上得意だ」
「当社は世界展開している○○社の取引口座を持っている」
「わが社は、△△社の系列だ」
などと自慢するところがあります。

いずれも、大きな会社が主要取引先であり、
「よらば大樹の蔭」
という諺のとおり、
「そこに依存している限り、我々も倒れないから安心できる、ということを自慢したい」
ということだと思います。

しかしながら、これまで
「世界の工場」
として世界中の製造加工を一手に担い我が世の春を謳歌してきた日本は、冷戦の終結とともに、中国や旧東欧といった、考えられないような低コストで製造加工を請け負う新興勢力との競争にさらされるようになりました、ということは何度か申し上げました。

後発組は、新しい技術を既存のものとして取り入れ、設備も全面的に更新できますし、かつて日本で行ってきた
「傾斜生産方式」
などのように国を挙げての保護支援を受けています。

このような環境の変化を受けて、日本の多くの企業は、部品や関連製品の調達コストの合理化を常に検討しています。

取引先に対してコストを下げる圧力を強めるほか、調達先自体を多様化し、互いに競争させるような施策を取り始めています。

このような状況下においては、
「取引先が大手一社」
ということは、将来の安全を保障するものではなく、逆に、
「その大手に切られた場合、たちまち経営不安に陥る」
という意味で、きわめて危険な状況と評価できるのです。

下請けや系列の立場でありながら、生き残りを真剣に考えている企業は、このような変化を敏感に感じ取り、新たな仕入れ先を開拓したり、培った技術でまったく新しい製品を作る可能性を検討し始めています。

逆に、こういう状況下で
「取引先が大手だから安泰」
などと考える企業は、認識不足が甚だしいというほかなく、こういうおめでたい企業の将来は芳しいとはいえません。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.094、「ポリスマガジン」誌、2015年6月号(2015年5月20日発売)

00198_現代のBtoC営業_20150520

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
は、最終項目の
「営業」
というお仕事のお話に入っております。

前回、時代が昭和から平成、さらに平成も30年近く経過した現代において、
「営業活動」
が気合から科学へ、根性論・精神論から理にかなった段取りや仕組みで行うようになった、と申し上げました。

今回は、これを受けて、現代型営業活動について述べさせていただきます。

営業については、コンシューマー向けの営業活動(Business to Consumer、BtoCあるいはB2Cなどと言われます)と、法人向け営業や企業間取引営業(Business to Business、BtoBあるいはB2Bなどと言われます)とで、基本的なロジックや活動スタイルが異なりますので、2つに分けて解説していきます。

(5)現代のBtoC営業その1。全ての品はコモディティ(日用品)化する

「全ての商品はコモディティ化する」
という命題があります。

無論、サービスも同様、全て日用品化し、陳腐化していく運命にあります。

衣食足り、モノやサービスがあふれ、消費者の目が肥え、究極にワガママになった現代において、
「フツーのものをフツーに作って、フツーの値段で、フツーに売ろう」
としても、消費者にそっぽを向かれ、早晩倒産してしまいます。

結局、
・入手しやすさ(価格や購入方法の簡便さ等)
・クオリティ(品質や機能)
・刺激・目新しさ
のいずれか又は全てにおいて、消費者の支持を得ない限り、モノやサービスは売れないのが現代です。

すなわち、営業活動においては、
「怠慢を戒め、以上の全ての要素を常に改善されるよう、たゆまぬ努力をするしか企業が生き残る道はない」
というのがシンプルな結論です。

商品やサービスを、
「値段が高く、入手が面倒くさく、品質や機能も陳腐なままで、長い時間同じものを売っている」
ような怠け者の企業は市場からとっとと退場を命じられます。

逆に、品質や価格において常に消費者の支持を得られるように改善を続けていき、また、リニューアルや新商品や新サービスを恒常的に提供し続けることができる企業は生き残ります。

よく、デフレでモノが売れない、などという声が産業界から聞こえます。

じゃあ、
「インフレになったから、昭和時代のように、モノがバカスカ売れるか」
というと、そんな甘い話にはなりません。

アベノミクスで市中にカネがあふれ、貨幣価値が下がりましたが、
「若い世代が新車を争うように買ったり、高級レストランでバンバン飲み食いする」
なんて景気のいい話は寡聞にして知りませんし、今後、インフレが進んでも、そんな事態にはならないでしょう。

顧客の欲求・現実・価値に真摯に向き合い、方向性を誤らず、誠実な努力を重ねることによって、営業活動が成功する。

実につまんない話ですが、これが営業という仕事の全てです。

(6)現代のBtoC営業その2。「女子供」の目線をもつ

「誠実な努力が大事だ」
と申し上げましたが、何事も、方向性を誤り、無駄な努力を重ねても意味がありません。

では、
「BtoC営業を行う際、どのような方向性をもつべきか」
という点ですが、営業あるいはその企画・計画を練る上では、
・入手しやすさ(価格や購入方法の簡便さ等)
・クオリティ(品質や機能)
・刺激・目新しさ
いずれを目指す場合も、
「女子供」
の目線をもって磨き上げることが重要です。

一般に
「女子供」
というコトバは、女性や低年齢の方々に能力を蔑視するコトバとして忌避されます。

しかし、現実を重視するマーケティングにおいて、モラルや方式にとらわれて、ジャッジを誤ることこそ避けるべきなので、あえて、この
「女子供」
という言葉で解説します。

「女子供」
という言葉は、
「相手が、女子供だから、この勝負、ちょろいもんだ」
という形で、ディスるときに使われるのが一般的な用法ですが、マーケティングにおいては、
「女子供」
は強敵です。

最強です。

「女子供」
の対極にあるのが
「オッサン」
ですので、これと比較しながらお話しましょう。

「オッサン」
は、何事も我慢します。

あきらめます。

目先の人間関係に波風立てるくらいなら、カネを払ってすまそうとします。

それだけの時間的経済的余裕があります。恥とか外聞とかあるので、騒いだりしませんし、文句も言いません。

情実が通用するのでしつこく食い下がると不要なモノでも買ってくれます。

ところが、
「女子供」
は我慢しません。

イヤなものは、イヤ。

つまんないものは、つまんない。

古臭いものは手に取ることはおろか、見向きする時間ももったいない。

0.5秒で判断し、一度、NGを出したら、二度と振り向いてくれません。

一度拒否したにもかかわらずしつこくアプローチすると、
「ストーカー」
扱いされ、嫌悪感が増すだけで、逆効果です。

だから、手強いのです。

「こんな方々の注意を惹き、商品やサービスを知ってもらい、財布を開かせ、買っていただく」
ことを実現するための苦労は並大抵ではありません。

BtoC営業を展開する上で失敗するのは、
「女性や子どもたちの目線」
に立たず、
「オッサン」
の頭と感性で考えるからです。

「女子供」
をバカにせず、むしろ、
「営業活動の合理性を検証する上で、ストレステストの最強のカウンターパート」
として、その感性や行動をつぶさに観察研究することが、現代のBtoC営業には求められるものと言えます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.093、「ポリスマガジン」誌、2015年5月号(2015年4月20日発売)

00197_平成以降の営業_20150420

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
は、
「営業」
というお仕事のお話に入ってまいります。

「営業」
という仕事のお作法について、特に時代の変化をふまえながら、現代における営業活動の基本を、私なりに解説しております。

前回、昭和から平成に時代が変わるあたりから、冷戦が終了し、世界市場が単一化し、供給が過剰になりはじめ、日本国内においては社会が成熟し、デフレ・低成長時代になり、モノ余りが顕著になっていった、という話をさせていたえだきました。

今回は、これを受けて、時代の変化とともに営業スタイルが変わってきた、というお話をさせていただきます。

(2)平成以降の営業=もはや気合、根性だけでは売れない時代

このようにして、
「フツーのものをフツーに作れる」
というのは希有でもなんでもなく、
「ビミョーなものを、イジョーな安価で作れる中国に簡単に負ける」
ことを意味するような時代になったのです。

こんな時代の到来とともに、日本企業は、フツーのものを大量に作れば、フツーに在庫が積み上がり、フツーに会社が死んでしまう時代になったのです。

また、消費者規制が強化されるようになり、気合で売ろうとすると、逆に特定商取引法違反で逮捕される時代が来たのです。

その意味で、気合、根性、精神論で営業を展開する企業は、
「すでに20ないし30年ほど時代遅れの経営を行っている」
か、
「特定商取引法に無視ないし軽視した経営を指向している」
か、のいずれかまたは双方である、と言えます。

(3)営業は気合からサイエンスに

低成長でデフレーションが顕著な現代においては、営業は、データと科学で緻密に戦略をたて、細かいことにこだわる戦術によって行うことが求められます。

一例を申しあげますと、

売り上げ=(潜在客数×来店率×成約率×平均客単価)+(来店客数×リピート率×リピート成約率×平均リピート客単価)

として計算されます。

売り上げを伸ばすには、潜在客数を増やすか、来店率を上げるか、成約率を上げるか、平均客単価を上げるか、リピート率を上げるか、のいずれかの方法によるしかありません。

すなわち、
「売り上げが低迷している」
という状態を改善するのであれば、
1)平均客単価が減少しているのか、
2)成約率が悪いのか、
3)来店率が悪いのか、
4)リピート率が下がっているのか、
5)潜在客数が減少しているのか、
6)そもそも市場自体が構造的に縮小傾向にあるのか、
等を分析した上で、それぞれに原因に対して有意となるべき合理的な手段を構築し、遂行すべきなのです。

いたずらに、
「気合」
「根性」
と叫んだところで時間とエネルギーの無駄です。

科学的なアプローチを行って合理的な手順や段取りで進めていかない限り、営業はまともに機能しません。

(4)根性論ではなく、科学的かつ具体的な営業指示へ

大日本帝国海軍連合艦隊司令長官であった山本五十六は、
「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」
と言ったそうです。

海軍のような指揮命令系統が整備されていて、最終目標が
「敵をより多く殺戮する」
という単純明快な組織ですら、このような状況です。
ましてや
「人にモノを買わせる」
という複雑で小難しいミッションを遂行しなければならない企業においては、海軍以上に現場への指示を、合理的で、細かく、具体的で、再現性を持たせるようにしないと組織は動きません。

ハウステンボスを建て直したHISの澤田社長が建て直しの苦労話をされた際、
「『10%売上げを増やせ』という指示を出しても、現場には理解できない。現場への指示は明快で具体的であるべきだ。そこで『移動であれ、会議であれ、作業するのであれ、話をまとめるのであれ、10%スピードアップをしてくれ。1時間かかっている会議は50分で終わってくれ。お遣いに行くときは歩いていかずに自転車を使ってくれ。こういう細かいところも含めて全てスピードアップをしてくれ』という指示を出しました。そうしただけで、売上が劇的に改善された」
ということを言っておられました。

このように、営業上の復活を遂げ、生き残る企業(ハウステンボスの場合、「生き返る企業」ということになりますが)は、精神論、根性論ではなく、
「現場に対して確実に伝わる、現実的で合理的な指示」
が行われることが多いようです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.092、「ポリスマガジン」誌、2015年4月号(2015年3月20日発売)

00196_昭和の営業_20150320

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
は、最終テーマ、
「営業」
に入ってまいります。

「ヒト」
「モノ」
「カネ」
「情報・技術・ノウハウ」
といった各経営資源を調達・運用した企業は、企業内部に
「商品在庫や役務提供のための設備・人員等」
という形で付加価値(未実現収益)を蓄積していきます。

次に、企業は、営業・販売活動によって、これら付加価値(未実現収益)を収益として実現していくことになります。

商品をカネに変質させることを、一般用語では、
「営業」
といいます。

すなわち、どんなに立派で高機能の商品でも、売れるべき期間売れずに長く売れない状態が続けば、不良在庫として、事業活動上も税務上も邪魔なものとして企業に害を与え続け、それでも売れなければ、陳腐化・品質低下し、ただの廃棄物(ゴミ)となります。

サービス提供施設も同様です。

バブル期前後にできたテーマパークの中には、客が来ないし、ショバ代(固定資産税)は取られるわ、邪魔だわ、不気味だわ、と社会的には有害物であり、壮大なオバケ屋敷兼ゴミ屋敷となってしまうものもありました。

ゴミなら捨てればいいのですが、最近では、うっかり廃棄物の捨て方を間違うと、産業廃棄物処理法違反で書類送検される世の中です。

このように、企業にとって、営業活動は、もっとも重要かつ意義ある活動として考えられます。

なお、営業活動の成果として、商品がカネに変わり、この
「カネ」
が経営資源となって、ヒトやモノやチエを生み出す原資になり、最後は、また商品となり、カネに変わり、というサイクルを繰り返す。

これを、小難しい言葉で
「営業循環」
などと表現したりします。

このような循環を繰り返す中で、企業は拡大再生産を繰り返し、企業価値を高めていくのです。

いずれにせよ、企業にとっては営業活動がもっとも重要です。

顧客を発見し、顧客の
「欲求、現実、価値」
を理解し、特定し、これに適合する形で、自社の商品やサービスを提供していく。

アホではできない高度に知的なチャレンジです。

実際、企業においては、デキる人間ほど営業に回されます。

よく、テレビドラマ等では、営業マンというと、できないサラリーマンの典型例のように扱われますが、実際の企業社会においては、営業部隊がもっとも発言権をもっており、事業会社の社長は、営業のトップが就任する例がほとんどです。

ただ、営業のあり方も、日本の社会構造や産業界の変化に伴い、大きく変質していることも事実であり、そういう状況も踏まえないと、仕事をうまく進めることはできません。

では、以下、
「営業」
という仕事のお作法について、特に時代の変化をふまえながら、現代における営業活動の基本を、私なりに解説してまいりたいと思います。

(1)昭和の営業=気合、根性だけで営業が何とかなった時代

最近では、中東における緊張状態が連日報道されていますし、ウクライナにおける代理戦争のようなロシアとEUとの暗闘状態が垣間見えたりしますが、今から、30年から40年ほど前までは、米ソが、世界を舞台にして、一触即発のガチの睨み合いの真っ最中でした。

本格的な殴り合いはないものの、今にも殴り合いがはじまりそうな、みていてハラハラするようなガンの飛ばし合いを、
「冷戦」
などと言っていました。

このように世界が緊張状態のまっただ中にある中、アジアにおける西側世界の
「代貸し」
ないし
「若頭」
的地位にあった日本は、アメリカという
「組長」
の庇護の下、
「フツーのものをフツーの値段でフツーに作れる」
という稀有な工業国家として、
「世界の工場」
の地位を築き上げました。

経済はインフレーション傾向にあり、作っても作ってもモノが不足し、作ればすべてモノが売れる時代でした。

現在のように、マーケティングだの営業戦略だの細かいことをグダグダ考えなくても、気合を入れれば、なんとか需要家がみつかり、あとは押しの一手で在庫を持ってもらうことができる、そんな時代でした。

そういう時代においては、能書きたれるよりも行動こそが重要で、まさしく営業は気合であり、根性だったのです。

この時代、売上とは、
「営業マンの数×1人当たり売上」
で計算されました。

いかに多くの営業マンを採用するか、そして、いかに営業マンを働かせるか、が重要だったのです。

しかし、1989年、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終了し、世界市場が単一化し、供給が過剰になりはじめました。

そして、東欧諸国や南米や中国が競争に参入し、圧倒的な価格競争力で
「世界の工場」
という地位を日本から奪取しにかかります。

加えて、日本国内においては社会が成熟し、デフレ・低成長時代になり、モノ余りが顕著になっていきました。

今回は、このあたりで一旦お話を終えますが、次回は、時代の変化とともに、営業が
「気合」
「根性」
からサイエンスに基づき合理的に行われるようになり、これについていけない会社が憂き目をみるようになった、というお話を含め、現代産業社会における
「営業」
というお仕事の本質について解説して参りたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.091、「ポリスマガジン」誌、2015年3月号(2015年2月20日発売)

00195_チエのマネジメント(15)_20150220

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の15回目です。

前回、ビジネスの世界においては、特許権や実用新案権とは別に、
「正式な権利」
にはならない
「企業秘密」
という知的財産領域があり、しかも、現実には、この
「企業秘密」
と言われるものの方が、ボリュームとしても膨大であり、かつ、企業にとって重要性を有している、という前振りのお話をさせていただきましたが、今回は、この
「企業秘密」
のお話をさせていただきたいと思います。

(21)企業秘密の特徴

原子力発電は高度な技術情報の集積によって成り立っています。

当然ながら、原子力発電に関する特許は、かなりの数の技術情報が、特許あるいは実用新案として、登録され、あるいは出願されています。

特許や実用新案に関する情報がデータベース化されている
「特許電子図書館」
というサイトで
「原子力発電」
というキーワードで検索すると、同キーワードに関する技術は、特許で2866件、実用新案で55件の合計2921件みつかります。

さて、ここで、例えば、ある会社が、原子力発電所を作ろうと思い立ったとしましょう。

特許許諾云々の問題は別にして、当該会社は、特許や実用新案として公開されている技術情報だけで、原子力発電所を作ることはできるでしょうか?

答えはNOです。

まず、不可能だと思います。

こういう話の仕方をすると、
「畑中は何を言っている! 3000もの技術が公開されているんだから、これを使えば、原子力発電所くらい作れるはずじゃないか!」
とおっしゃる方が出てきそうです。

しかしながら、現実には特許や実用新案だけで原子力発電所を作るなど、夢のまた夢、といえるほど、技術情報が不足著しいのです。

何故か、というと、原子力発電所を作るには、特許や実用新案として公開されている情報”以外”の膨大な技術情報が必要だからです。

これらの技術情報群は、特許化も実用新案化もされることなく、原子力発電メーカー固有の
「門外不出のノウハウ」
として膨大な情報群として存在し、一般の目に触れることなく、日々アップデートされ、進化を遂げているものです。

おそらく、原発を作るのに必要な技術情報のすべてを100とすると、特許や実用新案として公開されるのは、そのうち0.001%にも満たない、と言えるかもしれません。

原発開発に携わる会社は、
「技術競争力の根幹に関わる技術で、比較的早期に陳腐化し、公開することにより生じる犠牲を勘案してもなお、模倣リスクを防御し、牽制しておいた方がいい、ごく一部の情報」
だけを選び出し、競業する他社への牽制も込めて、特許ないし実用新案として出願する、という行動に出ます。

そして、それ以外の膨大な技術情報群は、一切公開されることなく(したがって外部によって真似されるどころか、目にする機会すらない状態で、)静かに製造現場で蓄積されていき、メーカーの競争力を支えているのです。

特許は、強力な権利ですが、他方で、その内容を公開しなければならず、かつ、一定期間でその優先的効力は消滅します。

また、特許の効力は登録した国限りのものであり、登録をしない国においては、
「パクリ放題」
です(特許における属地主義)。

現実問題として、世界百数十ヶ国全てにおいて特許権を取得しようとすると、想像を絶する取得コスト・維持コストが必要となります。

他方、企業内部の技術情報は、新規性や進歩性といった技術内容に関する要件など一切不問で、一定の要件を充たす限り、登録等の手続きは一切不要で、不正競争防止法という法律によって保護されます。しかも、存続期間は永久です。

営業秘密としてよく例に出されるのが、コカコーラの原液のレシピ情報です。

すなわち、コカコーラの原液のレシピ情報は、一切公開されることなく、
「門外不出の企業秘密」
として、百年以上にわたって保護・管理され、コカコーラ社の長期間にわたる競争力を支えています。

もし、これが特許として公開されていたら、コカコーラは20年程度でその競争における優位性を喪失し、今頃企業は破綻していかもしれません。

世阿弥は
「秘すれば花」
と言いました。

技術情報も、同様です。

特許として公開してしまえば、高いコストをかけた挙句、20年ポチしか保護されませんが、公開せず
「自家薬籠中の物」
として保管しておけば、低コストで、かつ長期間、企業の競争力を支えてくれるのです。

(22)日本企業における企業秘密のずさんな管理実体

「営業秘密」
として保護されるためには一定の要件充足が必要であり、その一番重要な要件が、秘密管理性と言われるものです。

要するに、企業が、特定の情報を、不正競争防止法に基づく
「営業秘密」
として保護を求めるのであれば、
「これら情報を、従業員を漫然と信じて、いい加減・適当に管理するようなこと」
はNGで、
「守秘義務誓約書を徴求するとか、社外に容易に持ち出せないような物理的あるいは制度的な仕組を作るなどして、厳密に管理しておく必要がある」、
というわけです。

ですが、長年、
「社員は家族。社員を信じよ。社員を泥棒と考えるような強烈な管理の仕組みはよくない」
というカルチャーを信奉してきた日本の各メーカーは、この種の仕組みをまったく持っていないことが多く、リストラした社員が、情報を持ちだしても、打つ手がなく、技術情報がどんどん流出する状況です。

有名なのが、新日鐵が保有していた方向性電磁鋼板製造技術で、これら技術は、特許化されることなく、長年企業内の秘密として運用されていました。

ところが、リストラされた技術者が、転職先の韓国メーカーにこの技術を持込んだことが契機となって、国際的な企業紛争に発展しています。

無論、新日鐵サイドは、
「不正競争防止法にもとづく保護を受けられるに十分な、営業秘密としての管理実体はあった」
と主張していますが、韓国メーカー側は、
「そんな管理なんかやっていないだろう。大事なものなら、ちゃんとしまっておけ。従業員を信じて適当な管理をしておきながら、クビにした従業員が培った技術を適正に使ったからといって、今更、ギャーギャー騒ぐな。見苦しい」
と応戦しているようです。

いずれにせよ、営業秘密として保護を求める以上、相応の要件充足が必要であり、これまで性悪説に基づく社員に対する厳格な情報管理を要求した経験のない日本企業は、右往左往している、というのが実体です。

以上、企業秘密について見てきましたが、ポイントとしては、発明をしたからといって、何でもかんでも特許化を狙って公開すればいい、というものではなく、
「秘すれば花」
という形で、非公開の営業秘密として運用した方が便宜な場合もあり、企業における技術情報の大半はこのような形で維持・保全されている、ということです。

とはいえ、このような営業秘密として維持・保全を企図するのであれば、
「ウチの従業員はまともだから、信じても大丈夫」
という態度は禁物で、性悪説を徹底した厳密な管理をする必要がある、ということも踏まえなければなりません。

さて、これまで、情報、技術、ブランドといった
「ソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)」
をテーマに、脱線を交えながら、実に多くの企業情報の取り扱い方をみて参りましたが、今回で、一旦、これら
「チエ」
に関わる仕事の作法のお話は終えたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.090、「ポリスマガジン」誌、2015年2月号(2015年1月20日発売)