00014_人生をうまいこと送るためのリテラシーその1:「常識とは偏見のコレクション」

世の中、大切なことほど、教科書には載っていませんし、親も学校の先生も先輩も、世の中のことをよくわかっていません。

また、そういう
「ホンモノの知恵」
は、一握りの人間によって独占されていますし、独占している階層の人間は、この知恵を、よほどの理由がない限り、明かしません。

世間から嫌われるくらい成功して楽しい人生を送っている人間の中には、
「競争者を増やして、自分の首を締める」
ようなことをするバカは、ほとんどいませんから。

「成功」
とは、非常識な方法によって得られた稀有な結果です。

常識や良識にしたがったところで、得られるものは陳腐な結果です。

さらに言えば、
「常識」
とは、
「物心つくまでに身につけた偏見のコレクション」
を指します。

「大きなプロジェクトの成功」
は、例外事象であり異常現象です。

それなりに大きなビジネスや新規のプロジェクトは、フツーのことをフツーにやっていては成功などしません。

トラブルや想定外の事柄が次々生じます。

大きな事業・新規の事業を、公務員の皆様やフツーのサラリーマンの皆様や小学校の先生方や専業主婦の皆様に、彼らの常識や良識にしたがって取り扱わせたら、どうなるか、想像してください。

これらの事柄の対処には、常識や良識は通用しませんし、事業が悲惨な末路を迎えることは想像に難くありません(もちろん、前記属性の方々の中には、立派で尊敬に値する方も多数おわしますが、ここでは、「例外事象」「異常現象」を扱わせる、という限定された状況において、蓋然性の問題として、どういう帰結が見込まれるか、という議論における評価・推定の話です)。

アップルやグーグルやアマゾンの、新しいCEOを、
「公務員の皆様やフツーのサラリーマンの皆様や小学校の先生方や専業主婦の皆様から無作為に選ばれた、常識と良識に満ちた、庶民の考えや痛みや苦しみがわかる、そんな、常識と良識を持ち合わせた、平均的な思考ができる、平均的な方」
に任せることとした。

この場合、これらの会社の株価は、好感を得て上がるでしょうか、それとも、マーケットから総スカンを食らって暴落するでしょうか。

「世間で評価される仕事というのは、あらゆる形式やモラルを排して遂行されているものだ」
これは、あるベンチャー経営者が、若い方や後輩に常に言っている言葉です。

常識を疑い、常識の裏側や対極にあるものを想定し、非常識のアングルに立って物事を観察するクセをつけてみる。

そうすると、世の中には、イノベーションや改善の可能性、すなわち成功の機会がゴマンとあることに気づくはずです。

では、どうやって、
「成功するための、正しい非常識」
を身につけるか? 

周囲に流されず、良質な本を読み、成功した人間から正しい情報を得ることを通じてしか、この種の
「非常識だが、理にかなった、資本主義経済社会をうまく泳ぎ切るための知恵」
は手に入れることはできません。
(つづく)

00013_「訴えてやる!」と言われた場合の対処法

日常の口論でも、ケンカがエスカレートすると、
「訴えてやる」
「出るとこ出てやる」
「もう訴訟しかない」
「念書を書け」
「詫び状を書け」
といった物騒な言葉が飛び交うことがあります。

こういう厳しい言葉で詰め寄られた場合の対処法は、意外と知られておらず、無駄にビビって、相手の言いなりになって、やがて、そこからズルズルと「やられたい放題やられていく」という必敗パターンにはまり込んでいきます。

え、じゃあ、無視していいわけ?
無視したら、大変なことになるじゃない!
でも、こんな「訴えてやる」という相手の威嚇を無視して、本当に大丈夫なのでしょうか?
万が一、訴えられたら、大変なことになるのではないでしょうか?
とすると、訴えられることを回避するため、相手をなだめ、なんとかその場で話し合う方向で妥協した方がいいのではないでしょうか?
本当に大丈夫?
鐵丸先生、他人事だと思って、いい加減なこと言ってない?
ていうか、鐵丸先生、弁護士としては、揉め事起こった方が仕事になるから、仕事欲しさに煽ってんじゃないの?

という異論、反論、疑問、ツッコミが返ってきそうです。

ですが、正しい対応は、無視であり、「どうぞ裁判でも何でも、起こしたかったら起こして下さい」という突き放しなんです。

もちろん、本当に訴訟が提起される場合もないとは言えませんが、その確率は極めて低く、こういう「訴えるぞ」という脅し文句を絶叫する場合、単なる、ハッタリとしての捨て台詞であることがほとんどです。

こう言い切れるのは、訴訟の本質に根ざす事情に基づきます。

すなわち、訴訟を提起するといっても、裁判を行う場合、原告の負担があまりにも重く、訴訟を一種の「プロジェクト」と考えると、1万円札を10万円で買うような、無茶苦茶、コストパフォーマンスが悪い、「キックオフした瞬間に、経済的敗北が確定する」というくらい、厳しい負担が生じるものだからです。

というのは、民事裁判制度というゲームの構造が、原告にとってあまりに不愉快なシステムとして設計されているからです。

 違法や不正義に遭遇したときに、被害者がこれを申し出て、権力的に解決する制度として、裁判制度というものが存在します。

 よく、論争や見解対立が紛糾したりすると、「出るとこ出たる」「裁判を起こしてやる」「公の場で白黒はっきりつけてやるから覚えとけ」といった趣の売り言葉に買い言葉が応酬される場面に出くわしたりすることもあります。

 しかしながら、裁判制度の現実を考えると、実際に訴訟を提起することはかなりの困難が伴い、さらに言えば、「訴訟を提起する側は、提起しようとした瞬間、莫大な損失を抱えてしまい、経済的な敗北が確定する」とも言える状況が存在します。

 これは、裁判制度を利用するには、莫大な資源動員が要求されるからです。

 刑事事件として警察や検察等が動いてくれれば格別、民事のもめ事にとどまる限り、どんなに辛く、悲惨で、酷い状況に遭遇しても、被害者原告が、裁判を起こさない限り、国も世間も、基本的に、状況改善のために指一本動かしてくれません。

 そりゃ、同情はしてくれるでしょうが、同情を買うために愚痴を言い続けても、愚痴を聞く側もそれなりにストレスがたまるので、だんだん愚痴を聞いてくれなくなります。それでも愚痴を言い続けて嫌がられると、友達を失っていきます。

「じゃあ、愚痴言ってるヒマがあれば、とっとと、さくっと、すぱっと、裁判を起こして、解決してもらえればいいじゃん!」ってことになるのですが、これが、口で言うほど簡単ではなく、それなりの成果が出るように、真面目にやるとなると、気の遠くなるようなコストと手間暇がかかるのです。

 無論、弁護士費用や裁判所の利用代金(印紙代)もかかりますが、この外部化されたコストは、費消される資源のほんの一部にしか過ぎません。

 実際、訴訟を起こすとなると、原被告間において生じたトラブルにまつわる事実経緯を、状況をまったく知らない第三者である裁判所に、しびれるくらい明確に、かつ、わかりやすく、しかも客観的な痕跡を添えて、しっかりと説明する必要があります。

 裁判所は、「あいつは悪いやつだ」「あいつは嫌われている」「あいつはむかつく」「あいつの評判は最悪だ」とか、そんな、主観的評価にかかわるようなことはまったく興味はなく(むしろ、この種の修飾語の類いはノイズとして嫌悪される)、聞きたいのは、事実だけです。

 すなわち、客観的なものとして言語化された体験事実を、さらに整理体系化し、文書化された資料を整えることが、裁判制度を利用するにあたって、絶対的に必要な前提となるのです。

 そして、この前提を整える責任は、原告にのみ、重く、ひしひしと、のしかかり、世間も裁判所も、誰一人手伝ってくれません。

 それどころか、少しでも、この前提に破綻や不備があると、相手方はもちろんのこと、裁判所も「このあたりの事実経緯が不明」「この点をしっかりと、根拠をもって説明してもらわないと、裁判がこれ以上進まない」「もうちょっと、ストーリーを整理してくれないと困ります」と言って、ツッコミを入れ、裁判が成り立たなくなるような妨害行動(といっても、これは原告の主観的心象風景であって、裁判所や相手方からすると、「裁判をおっぱじめるなら、おっぱじめるで、テメエの責任で、きちんとストーリー作ってこい!」という、ある意味当たり前のリアクションをしているだけ)を展開します。

 このように、裁判システムは、ボクシングやプロレスの試合に例えると、原告が、ひとりぼっちで、延々とリングというか試合会場を苦労して設営し、ヘトヘトになって試合会場設営を完了させてから、レフリー(裁判官)と対戦相手(被告・相手方)をお招きし、戦いを始めなければならないし、さらに言うと、少しでも設営された試合会場ないしリングに不備があると、対戦相手(被告・相手方)もレフリー(裁判官)も、ケチや因縁や難癖をつけ、隙きあらば無効試合・ノーゲームにして、とっとと帰ろう、という態度で試合進行に非協力的な態度をとりつづける、というイメージのゲームイベントである、と言えます。

 こう考えると、裁判制度は、原告に対して、腹の立つくらい面倒で、しびれるくらい過酷で、ムカつくくらい負担の重い偏頗的なシステムであり、「日本の民事紛争に関する法制度や裁判制度は、加害者・被告が感涙にむせぶほど優しく、被害者・原告には身も凍るくらい冷徹で過酷である」と総括できてしまうほどの現状が存在します。

例えば、名誉毀損とか侮辱されたという類の喧嘩が起こったとして、トラブルの相手が「訴えてやる」と言ったところ、こちらが「どうぞ、訴えるか訴えないかはそちらの自由です。訴えたければどうぞ」と対応し、相手が「よし、覚えとけ。次に会うのは裁判所だ!」と言って、破談となったとしましょう。

相手が、宣言どおり、現実に、訴訟を提起するとなると大変です。
というか、ほぼ無理です。

まず、訴訟の相手をどうするか、住所は把握しているか。
いつ、誰が、どこで、どうして、どのようなことを行い、それがどのような法律要件に該当し、損害賠償請求権を生み出すのか。
賠償額をいくらにするのか。
1万円か、10万円か、100万円か、1億円か。
金額が大きくなれば印紙代もかかるが、無駄にならないか。
主張する事実に関する証拠をどのように揃え、整理し、提出の準備を整えるか。手持ちの証拠で十分か。
これだけの検討や準備や作業を独力でやるのか。
弁護士に依頼するのか。
弁護士はいくらで引き受けてくれるのか。
仮に、一審で勝ったとしても、相手が争って控訴がはじまったら、また、弁護士費用がかかるのではないか。最高裁にも行くのではないか。
そうやって、かけた弁護士費用分、きっちり賠償金が得られるか。

こんな疑問や、実施上の難題が、次から次へと浮かび上がります。

そして、これらの実施上の課題をクリアしようとすると、弁護士に依頼する場合はもちろんのこと、自分でやる場合であっても(そもそも、このレベルの事件では、素人さんにとっては、独力で訴状を書き上げることすら不可能かもしれません)、うんざりするような手間や時間やコストや労力がかかります。

さらに、残念なことに、名誉毀損の賠償相場は極めて低く、今回のようなケースで認められるとしても(そもそも認められない可能性も大変高いです)、100万円台はまずなく、10万円以下ではないでしょうか。

こんなプロジェクト、本当におっぱじめたら、経済的にも、労力的にも、精神的にも大変な負担を覚悟しなければならず、悲壮な覚悟が必要になります。

となると、経済合理性の点でもっとも賢明な選択は、「訴えてやる」と勢いよく宣言したことはおいといて、かなりかっこ悪いですが、実際は、訴えず、何もせず、諦める、という態度決定です。

「やられたら、どうするか?」

やり返してはいけません。

「やられたら、泣き寝入り」
が正解です。

そして、おまけです。

「念書を書け」と言われても、そんなもの書く義務は全くありません。

ですので、応答としては、「ヤだ」が正解です。

念書作成を要求された場合、私などは、「念書、念書、念書ってさっきから何度もいっておられますが、そんなに念書がほしいの?こっちはイヤなんだけど、そちらがどうしても念書がほしいんだったら、東京地裁に、『これこれこういう念書を作成し、交付せよ』、という訴訟を提起すればいいじゃないですか。そちらが訴えたら、こっちはこっちで、最高裁まで三回は争わせていただきます。万が一、最高裁で敗訴が確定し、さらに、確定判決に基づいてそちらが強制執行を申し立てたら、その段階で、おとなしく従ったほうがいいか無視するか、改めて、考えます」と答えることにしています。

「念書?ヤだ」といっても、引き下がらないとします。
義務がないことを強く求めたら、強要罪に該当します(ローマ法皇や皇族の方々のように、ジェントルかつエレガントに念書や詫び状をお求めになるのであれば問題ないでしょうが、詫び状をしつこく求めるような通常のケースですと、暴力や害悪の仄めかしを伴うので、強要罪ないし脅迫罪、少なくとも迷惑防止条例違反には該当するでしょう。実際、滋賀県近江八幡市のボウリング場で店員に言いがかりをつけ土下座させた、「元気が良くて、声の大きい、権利意識高めの舗装工のお兄さん」がいらっしゃったのですが、このお兄さん、大津地裁で、強要罪に問われ、2015年3月18日、懲役8月の実刑判決を食らっておられます)。
あまりしつこくやられたら、こちらが被害者として、警察を呼んで対処すればいいだけです。

いずれにせよ、「訴えるぞ」と、明らかに実現性のないハッタリかまされビビるのもダメですが、「念書書け」と言われ、言うなりになって書くのもアホです。

もちろん、こんな対処法、学校で教えてくれませんし、そもそも、教師は知りません。親も知らないでしょう。

世の中、こういう、「学校や親が教えてくれないが、生きていく上で、絶対知っておくべき、非常識なリテラシー」がかなりの数存在するのです。

一番、いいのは、弁護士に聞くことです。
その前提として、疑問に思ったら、弁護士に聞ける環境を作っておくことです。
さらにさらにその前提として、そして、常識という「バイアス」に依拠せず、「相手はこう言っているけど、ほんまかいな」と疑問に思うこと、です。

「我、疑うゆえに、我あり」
懐疑は、知的な人間としての、本質であり、全てです。

00012_「可愛げのない受験生」たちが、日本の輝かしい未来を担う

よく、学校教育の現場で、

「子供たちには明るい未来を考えさせよう」

「子供にスケールの大きな構想力を身につけさせよ」

「豊かな想像力を子供たちに」

ということが標語として掲げられたりするのをみかけます。

 もちろん、こういう能力を身につけることが有害とまではいいませんが、子供たちには、不確実な未来のことを大雑把に考えることよりも、もっと卑近で大事なことがあります。

 子供には、将来宇宙パイロットやプロ野球選手やサッカー選手になったときのことを考えるより、明日、明後日の宿題を地味に、きっちり仕上げることに専念させるべきです。

 乏しい情報と未熟な社会経験をもとに粗雑な社会構想をする暇があれば、目の前の課題克服にこそ注力すべきです。

 もちろん、想像力は大事です。

 ただ、想像力といっても、根拠のない希望的観測を膨らませる「妄想力」を養っても、社会への不適応者を増やすだけで、却って有害です。

 子供には
「問題文の行間に隠された出題者の真意を読み取る」
ための想像力を養わせるべきですし、また、悲観的な想像力を目一杯働かせて試験当日の様々なリスキーな状況をシミュレーションし、適正な準備と危機対処の一助とするのであれば、想像力の駆使も有用です。

 各種受験に成功することにより、格差固定社会において階級上昇のきっかけを掴もうとする野心的な子供たちは、前述のような無内容な教育標語を一切無視し、非現実的で意味のない妄想を排し、受験準備において、黙々と卑近で地味な勉強に終始します。

 テレビなどで、11、12才の子供たちが中学受験に真摯に取り組む様子を奇異な目で眺め、

「人生、受験勉強だけじゃない」

「受験戦争に狂奔する子供たち」

「受験勉強以外の幅広いことを学ばないとロクな大人にならない」

などと批判的な意見を呈する輩がいます。

 資本主義社会における熾烈な自由競争・能率競争の現場においては、

「希望的観測と妄想力に満ち、非現実的な思考に陥って、地味な情報収集や緻密な分析を怠る」

ような人間が生き残るような余地は一切なく、こういう低劣な人間は、たちまち倒産させられ、あるいは財産を亡くすことを余儀なくされます。

 このような淘汰の結果、資本主義社会において上層集団を形成する人種は、

「徹底した現実主義者で、モレやヌケが大嫌いな完全主義者で、細かい再確認を怠らないような方々」

が多数派を占めることになります。

 資本主義社会の淘汰の仕組は、中学受験と同様のシステムで機能しており、

「卑近な現実を軽視し、何事も希望的・楽観的に考えることから他人の悪意を見抜けず、モレやヌケが多い人間」

はことごとく排除されるようになっています。

 現在世界で大活躍する華僑やユダヤ人は、子弟の幼少期において、厳しい現実を察知するための思考力、批判精神、情報戦や経済競争を勝ち抜くためのインテリジェンスや危機対処力を身につけさせると聞きます。

 日本における過酷な受験戦争は、

「資本主義社会における競争のシミュレーション」

としては最適なものであり、この過程を通じて、受験戦争への参加者は知的競争への対処スキル全般を身につけることになります。

 「前述のような無意味で無内容な教育標語など無視し、競争社会の過酷な現実を直視し、地道な作業を厭わず、モレやヌケを徹底して排除すべく、前をみず、ひたすら後を振り返る、ソツがない、可愛げのカケラもない子供たち」

が増殖する未来は、決して悲観すべきものではありません。  

 むしろ、日本の産業界が世界的競争を勝ち抜くためには、

「現実を直視し、熾烈な知的競争を経験し、危機管理能力に優れた、可愛げのない子供たち」

にこそ、未来が託されるべきです。

00011_受験現場のマネジメント

今回のリアルハックは、受験現場のマネジメントについて、です。

今年2月はじめ、私のところに、東京都文京区、目黒区所在某国立大学(仮に、「T大」といいます)を受験される、という方がお見えになりました。

T大の受験日まであと3週間弱。

T大受験を始めとする、相応の競争倍率が前提環境となる難関受験においては、試験の目的は、当然ながら、
「採点者が採点しやすくなるよう、有意な偏差を生むための知的なふるい分けを行うこと」
に尽きます。

無論、T大の試験問題に、四則演算や、小学校低学年の漢字の書き取りといった、易しい問題を出してもいいのですが、こんな問題を出せば、ほぼ全員100点を取ってしまい、合否判定ができなくなります。

平均的な高校生なら誰でも答えられそうな問題でも、T大受験生であれば、ほぼ全員解答できてしまうため、これでも、合否判定が不能に陥りますね。

かといって、誰も答えられない問題も駄目ですね。

全員、0点だった、となったら、これも合否判定不能になりますから。

で、結果、どうなるか、というと、
・まず、解けない、もっというと、受験生レベルでは到底解けることなど端から期待していない問題
・解けることは解けるが、むちゃくちゃ時間がかかり、これに没頭すると、他の易問の時間がなくなる、意地悪な問題
・一見すると難しいが、センスがあれば解ける問題
・一見すると難しいが、暗記していたり、解き方に慣れていれば解ける問題
・普通の問題
を配合した問題が作成されることになります。

なお、
「一見すると難しいが、センスがあれば解ける問題」

「一見すると難しいが、暗記していたり、解き方に慣れていれば解ける問題」
ですが、前者は現役生有利、後者は浪人生有利、といわれます。

少し前、あちこちの医大で、
「浪人生を露骨に排除するため、現役生の点数に下駄を履かせる、ということを、こっそりやっていた」
というデタラメな試験運営がバレてしまい、エラい騒ぎになっています。

そんなに浪人生を排除したければ、T大と同様、数学等で
「一見すると難しいが、センスがあれば解ける問題」
を多くすれば、無理な不正をしなくとも、自然な形で望む結果が出たかもしれません。

とはいえ、
・出題側にそういう問題を作成する能力がなかったのか、
あるいは
・現役生の方も「センスで解ける問題を、解けるだけのセンス」がなく、結果、現役生、浪人生ともに、解けないので、有意な差を生めない状況だった、
ということであれば、浪人生排除も困難であったでしょうし、そういう理由で、諦めたのかもしれません。

ちなみに、司法試験においても、一時期、
「若手を有利に扱い、なるべく多く合格させ、長年司法浪人している受験生(ベテラン受験生、などといったりします)を排除するため、不利に扱って、合格させないようにして法曹界を若返りさせよう」
という目論見のもと、慣れや暗記の努力が通用しない、パズル的な問題を多数投入したり、いろいろな努力をした時期があったようです。

しかし、どんなに意地悪をしても、ベテラン受験生を効果的に排除できなかったようで、合格平均年齢は高止まりしたままです。

結果、試験運営者は、どういう行動に出たか?

なんと、あちこちの医大で隠れてコソコソやっている、
「現役生に下駄を履かせ、浪人生を露骨に差別する」
というエゲツない合格判定運用を、悪びれず、堂々と
「公式運用として、大々的に正式化する」
という、開いた口が塞がらないような、大胆なことをおっぱじめられました。

これは、
「丙案」
と呼ばれる、
「公平、公正」
を本旨とするべき受験制度の歴史における、致命的な恥部となる、驚愕の合否判定制度であり、平成初期のある時期、現実に導入され、運用されていました。

これは、
「特別合格枠制度(いわゆる丙案):合格者の若年化を図るため受験回数による特別合格枠(通称「丙案」、受験開始から3年までの受験生を優先的に合格させる)」
という形で、今でも、ネット等で存在し、
「法曹資格制度運用当局の顕著な愚行の痕跡」
として、誰でも確認できます。

ま、この司法試験の丙案も、ホニャララ医大の浪人生差別も、隠れてコソコソやるか、堂々と大胆にやるのかの違いこそあれ、やっている内容は同じです。

とはいえ、
「こそこそ隠れてアンフェアな運用をする」
ということは、さすがに法律家や司法当局としての矜持が許さなかったのか、表立って公的ルール化をした点に限っては、評価できます。

ホニャララ医大さんも、犯罪者のように、隠れてコソコソ、ヒソヒソやらずに、法曹界にならって、堂々と、ルール化、システム化して、公式にルール運用として表明してから、しれっとやればよかったのかもしれません。

別の考え方になりますが、
「建前が、本音の堕落の限界を画する」
という意味で、建前は建前として、せめて、相応の美しさ、正しさを保っておいてほしいところ。

建前としての公正さすらかなぐり捨て、悪びれもせず、李下に冠を堂々として恥じず、ここまで、あらかさまに、無茶苦茶な不公正な試験運用をやられると、
「本音の堕落の限界がなくなり、試験という公正な選抜の本質をどこまでも破壊した、不正の横行」
に歯止めがなくなるのではないか、とかなり心配になりますね。

脱線しましたが、話を元に戻します。

T大の試験は、
・アンタッチャブル問題(地雷問題):まず、解けない、もっというと、受験生レベルではおよそ解けるなど端から期待していない問題
・トラップ問題:解けることは解けるが、むちゃくちゃ時間がかかり、これに没頭すると、他の易問の時間がなくなる、意地悪な問題
・要センス問題:一見すると難しいが、センスがあれば解ける問題
・要暗記問題:一見すると難しいが、暗記していたり、解き方に慣れていれば解ける問題
・易問:普通の問題
を配合した問題で構成されます。

次に、問題の配列です。

試験問題を作成する側が、受験生にやさしく、受験生の緊張やパニックを配慮し、
「なるべく、いい点数を取らしてあげたい」
という優しい気持ちを持っていれば、易問を冒頭に配置し、暗記や慣れで処理できる(暗記や経験がなければ諦めてスキップする決断ができる)問題を次に、センスを求められたり、トラップ問題は、その次、アンタッチャブル問題は、末尾に配置するはずです。

受験生としては、配置された順に問題を解いていき、最後まで到達しなかったり、仮に、トラップ問題やアンタッチャブル問題に時間がかかり、中盤以降、中途半端な解答できなかったとしても、すでに易問は手につけているので、無駄なく、ムラなく、実力を出し切れます。

ところが、そんな受験生に配慮した問題配列にすると、有意な差が生じず、合格点前後で、団子状態となり、合否判定が非常に面倒になります。

そこで、試験を運営する側としては、問題配列にあたっては、
アンタッチャブル問題や、トラップ問題といった難問を冒頭に配置し、「合格に執着し、頭に血が上り、焦りまくっている受験生」を、冒頭問題処理に没頭させ、混乱とパニックを引き起こし、時間を消耗させるよう罠を張りめぐらせるとともに、
易問や暗記問題は、中盤あるいは末尾に配置し、冒頭の問題で時間も労力も費消しつくされ、焦りと不安で朦朧とした受験生が、「冷静に本来の実力を発揮すれば、一定のレベルで解答できる」はずのところを、実力が出せないような、底意地の悪い設置にする、
という形で、もともと難しい問題に、さらに、混乱の要素をばら撒き、受験生を心理的にも翻弄し、有意な偏差を生じさせ、採点の労力負担が少なくなるようにします。

では、そんな底意地の悪い問題設定に対して、受験生として、どう立ち向かっていけばいいのでしょうか?

これは、私なりの方法ですが、

1 開始の合図があっても、いきなり問題を読み始めたりしない。数十秒間を置く。
2 その後、ゆったりと、気持ちの余裕をもって、問題文全体をざっと見する。
3 アンタッチャブル問題やトラップ問題や易問、といった問題属性を判別し、解答順序と時間配分を設計する
4 そして、解答しはじめる。
5 見直し時間やバッファーを含め、終了前10分前には一旦終え、解答を万全にする

という段取りを実践していました。

「1 開始の合図があっても、いきなり問題を読み始めたりしない。数十秒間を置く」
については、一見、
「?」
という反応が返ってきそうですが、これはそれなりの意味があります。

この
「間」
は、周りの動静を感じ、
「競争者が焦り、不安に陥り、パニックを来し、あるいは絶望によって、混乱している様子」
を、観察するためです。

受験生は全員が全員、私のようなヒネている人ばかりではありません。

むしろ、たいていの受験生は、単純で善良で、純朴を絵に描いたような牧歌的な
「いい人」
が圧倒的多数を占めます。

そういう方々は、やる気満々で、周りが見えず、
「絶対負けてはいけない」
という心理的プレッシャーを自分にかけてしまっており、しかも、根が純朴なので、バカ正直に一問目から律儀に解答着手される方が大半です。

そんなマジョリティの受験生が、試験開始の合図とともに、めくった問題文をみて目に飛び込んでくるのは、難問、珍問、奇問ともいうべき、
「一問目、自分がうまく解ける問題が出て、華麗なスタートを切る」
という身勝手な想定を、完膚なきまでに打ち砕いてくれる風景です。

無論、落ち着いて問題文すべてを読めば、中盤以降に、易問等があることが判ります。

ですが、視野狭窄に陥り、冒頭の地雷やトラップを
「これは、絶対乗り越えなければならない」
という固定観念に囚われてしまい、面白いように、難問、奇問、珍問の罠にずぶずぶ入り込み、時間と労力の消耗に突入していきます。

この結果、試験会場では、戦闘開始直後に立ちはだかったバカ高い壁を見上げた大多数の受験生から出てくる、絶句とも嘆息とも取れる、悲痛な叫びのような、重く、悲しく、切ない、沈痛な空気感に包まれます。

私は、これを観察というか、この最高の瞬間を、堪能し、味わい尽くすのです。

無論、キョロキョロしたら、カンニングをしていると誤解されるので、動静を感じながら、重く、沈痛な場の雰囲気を肌で感じます。

そして、ライバルたちの多くがどツボにはまり込んでいる様子に、自分だけ、
「よしよし、これで、自分より優秀なライバルが、かなりの割合、問題文作成者の心理的な罠に陥り、パニックに陥って、勝手に沈んでくれた。」
と心の中で快哉を叫びます。

試験など、満点を取る必要はなく、受験生同士の相対的な争いにおいて、相対的な優位性を保ちさえすればいいだけ。

「競争相手が、勝手に不安に陥り、知的能力を低下させ、実力が出せず、混乱のまま、相対的劣位にずり下がってくれる」
なんて、こちらとしては、飛び上がりたくなるくらいの慶事であり、これを観察できれば、自分の士気向上にもつながりますので、こんな最高のイベントを逃すなんてもったいない。

こうやって、競争相手の
「絶句とも嘆息とも取れる、悲痛な叫びのような、重く、悲しく、切ない、沈痛な空気」
に包まれる貴重な数十秒間は、受験会場の
「静かな阿鼻叫喚」
ともいうべき重たい空気感味わえる、貴重な機会として、笑いを噛み締めながら、じっくり体感し、自らの士気向上に役立てます。

この程度のメンタルマネジメントや、試験マネジメントなんて、T大目指すような連中は、皆知っているものだと思っていました。

ところが、意外と知らないんですね。

お話をしたところ、当該受験生、かなり刺激的な話として、受け止めてくれたようです。

もう私立中学受験は終わりましたが、私学、国立大も含めた大学入試はこれからが本番です。

「受験戦争」
というイベントについては、ネガティブな見方をする向きもありますが、私個人的には、人生の知的基盤を形成する、貴重で有益な経験であり、チャレンジすることには、大きな意義と価値があると考えます。

00010_受験直前のメンタルマネジメント

受験シーズンは終わりましたが、その後も、公務員試験、司法試験(と司法試験予備試験)、公認会計士試験、税理士試験、宅建士試験、医師国家試験等の国家試験などなど、日本は、年柄年中試験が行われています。

というわけで、中学受験や高校受験や大学受験という点では、少し時期を逸しましたが、受験生や受験生を抱える親御さんに向けに、試験一般に関し役に立つ、
「受験直前のメンタルマネジメント」
を、お話したいと思います。

私は、受験については、まんざら、知らないわけでも経験がないわけでもありません。 

中学受験→私立の進学校に合格
大学受験→東大文一現役合格

ということで、まあまあ、語れるくらいの実績はあります。

とはいえ、普段の私の話し方がカジュアルで、適当で、アホそうな喋りのせいか(相手に合わせて、会話の水準を下げているだけなのですが・・・)、周囲の人間は、誰も私のことを
「賢い」
「知的」
「頭がいい」
とは言ってくれません。

どうも、私の見え方・評価は、
「賢い」
「知的」
「頭がいい」
というより、
「要領がいい」
「うまくやりやがる」
「小賢しい」
という人間のようです。

むかしの話ですが、東大に合格したとき、この報を伝え聞いた親戚のおばちゃんたちが、次々にお祝いの電話してくれました。

そのとき、おばちゃんたち、ほぼ全員、誰も、
「苦労したかいあったね」
「よう勉強したいんやね」
「努力家やね」
「真面目にがんばったんやね」
「頭いいんやね」
という言い方はしませんでした。

おばちゃんたちの口から出てきた言葉は、
「あんた、昔から、要領だけは良かったからな~」
「うまいことやりやったな~」
というものでした。

私は、
「おばちゃん、何言うてんねん。人をカンニングしたみたいに言うて。人聞きの悪い。要領だけで、東大通るか!」
と言い返してました。

確かに、努力家でありませんでしたし、要領の良さも否定しません。

といいますか、努力や苦労を売り物にするようなブサイクなマネは美意識に反します。

漫画に出てくるような、机に
「必勝」
「東大合格」
といった紙を貼り、
「東大一直線」
と書いた鉢巻をして、頭脳のパフォーマンスが低下する夜中にバカみたいに長時間勉強する、みたいな、これ見よがしなガンバリは、まったくしませんでした。

というか、
「そういう暑苦しい連中は、たいてい東大に合格できてないんじゃないか」
というくらい、実際の東大生は、今も昔も、無駄な努力が嫌いなスマートな連中が多いと思います。

とはいえ、メンタルを含め、自分をうまく制御するのは、受験競争を勝ち抜く上では、非常に重要です。

その意味では、
「自分として、どうやって、メンタルをコントロールするか」
という課題への対処方法は、常に、意識的に形成して、自分なりに会得しておりました。

今回は、受験生や受験生のお子様をお持ちのクライアントさん向けに、
「受験本番を前にした受験生のための、マインドセット術」
という形でお送りしているメール・メッセージをご披露させていただきます。

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1 前提

本番では、いろいろな想定外の事態が生じます。
番狂わせ、といわれるものです。

極度の緊張感、初めての環境と経験、結果がどこまでも確実ではなく蓋然性に左右されるという不安感。

この状況想定と、メンタルコントロールの巧拙により、プラスマイナス10~20%のパフォーマンス差を生じます。

学校の成績もそうですが、企業業績であれ、為替であれ、株価であれ、このことは妥当します。

実力値が、センチメントによって、最大2割上下することは、どんなプロジェクトの責任者(受験生も、受験プロジェクトの責任者ですから該当しますね)であれ、しっかり自覚すべきです。

本番マネジメント(心理制御)に成功したら点数2割上がり、失敗したら2割下がる、ということは、あちこちで革命が起こる、ということです。

だからこそ、心理制御は重要であり、そのためには、正しい状況予測と、フラットな自己認知と、効果的なリスク抽出と、制御リハーサルが必要なのです。

2 思い上がらない

まず、思い上がってはいけません。

思い上がりは、楽観バイアスを助長し、正しい不安醸成や危険予知を鈍麻させますので、百害あって一利なしです。

かといって、不安に苛まれるのもよくありません。

だから、機嫌はよくすべきです。

機嫌をよくしないといけませんが、調子に乗っては行けません。

いちばんいいのは、ヘッジ戦略です。

要するに、保険をかけること。

「別に行けなくてもいいや」
「これで人生決まるわけでもないし」
「でも行けたらラッキー」
「ダメならダメで、次、大学入試ではリベンジすればいい」
という心理的な保険をかけること。

どっちかに転んだら、人生終わる。

こんなギャンブルをすると、本当に人生終わります。

どっちに転んでも、大丈夫なようにしておけば、保険が無駄になるだけ。心理的保険なので保険料はタダです。

これが正しいマインドセットです。

3 練習は本番のように、本番は練習のように

これもよくいわれる心理制御術です。

あせったり、パニックたりするのは、練習段階で済ませておくべきです。

模試は、あくまでストレステストですので、さんざん焦って失敗し、ミスやエラーをどんどん経験しておくべきです。

本番は、焦ったら負けです。

焦る状況でも焦らず。

そもそも、自分が焦っているときは、他人はもっと焦っている。

だいたい、試験なんてものは、底意地の悪い出題者が、受験者を焦らせ、有意な偏差を出して、採点しやすくするために作っている。

「他人が焦っている」
という状況を冷静に判断し、相対的に落ち着き、どうやって、損害を減らし、生き残るか。

そうやって考えれば、損害回避方法、損害逓減方法といった、
「あの手、この手、奥の手」
が、いくらでも見えてくる。

本番では、そういう心理戦を乗り越えるスキルが決定的に重要です。

4 夢もなくおそれもなく

この言葉は、ルネサンス期に活躍した女傑マントヴァ侯爵夫人イサベッラ・デステの書斎にかかげられたモットーです。

このイザベッラ・デステですが、塩野七生女史の初期作品にも出てきますが、ようやくするとこんな人です。

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「ルネサンスの華」
と讃えられた美貌に加え、教養豊かで美的センスにすぐれた彼女はイタリアのみならず、欧州のファッションリーダーとなります。

フランス王室の女性たちもマントヴァ侯夫人の真似をしたとか。

しかし、彼女の真骨頂はやはり政治手腕にあるとわたしは思います。

結婚からおよそ20年後、夫は戦争で捕虜になり、35歳のイザベッラは敵に屈服することなく、味方であるはずの同盟国につけ込まれず、小国を守り抜かねばならなくなりました。

早期釈放を求める夫をはじめとした周囲に
「淫売」
とまで罵られながら、彼女はあらゆる手を尽くしてもっとも有利な時を待ちます。

息子を代わりの人質に取られることもなく、他国の君主が欲望や愚かさから外国の軍をイタリアの地に入れてしまうことも多かった中、けっして国境を踏ませず、イタリアの他勢力の軍をマントヴァに近づけることもなく、交渉でお金が必要でも、自分の宝石を売り払って増税することなく内政も支えきったイザベッラ。

敵国からさえ賞讃されます。

その夫とも10年で死別したイザベッラは若い息子の摂政として卓越した政治力を発揮し、マントヴァと実家フェラーラを守り抜き、1527年のスペイン・ドイツ連合軍による
「サッコ・ディ・ローマ(ローマ略奪)」
の際には3千人もの人を滞在していた宮殿に保護したりもしています。
https://ameblo.jp/cavy-do1010rain/entry-12026848266.html
より引用
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ドナルド・トランプと、金日成と、チェ・ゲバラと、カストロと、織田信長と、ココ・シャネルをかけ合わせたメンタルと知性をもつ、で、外見がグレース・ケリーのような、ファッションリーダーの女王閣下。

そんな趣の、城郭防御戦と外交・内政の天才で、超毒舌家のおばさんです。

彼女が、戦や重要な外交交渉に臨む時、このモットーをみて、
「よっしゃー」
といって出陣し、勝って勝って勝ちまくったそうです。

要するに、
「勝って驕らず、負けて腐らず」
「平静心」
「失意泰然得意淡然」
と同様の趣旨の言葉です。

受験生の仕事は、勝つことに執着することして不安を抱えてイライラしてエモーショナルに自己制御を失うことではなく、平静心で最高のパフォーマンスを受験会場で披瀝すること。

合否は、自分ではない、別の誰かさんが決めることであり、そんなことを気に病んでも仕方がない。

受験生は、自分ができること、自分で制御できること、自分のスペックを限界まで出し切ること、そのために心理的環境を整えること、に注力すべきです。

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このアドバイスを受けて、
「平静かつ冷静に対処ができ、うまく結果が出た」
という方もいて、ある程度役に立つマインドセットと考えております。

皆様も、使ってみてください。

00009_若い世代の離婚率が一貫して増加傾向にあることの背景

若い世代の離婚率が一貫して増加傾向にあるようです。

この 理由について、私は、
「特に、女性にとって、悪い方向での想定外が連続するから」
という状況によるもの、と推察します。

シンデレラというお話をご存じでしょうか?

作者は、ウォルト・ディズニーというアメリカ人ではありません(シンデレラも白雪姫も美女と野獣も眠りの森の美女もポカホンタスもムーランも、ウォルト・ディズニーが創作した物語ではありません。彼のオリジナルは、ネズミのキャラクターくらいで、ディズニーの作品のほとんどは、他人が創作した物語をベースにしています。だけど、そのくせ、自分たちのコンテンツが勝手に使われたりすることには、尋常ないくらい攻撃的になるようです)。

グリムという北欧の童話作家です。

物語をざっくりかいつまんで言うと、

・ボロを着て、カネも余裕もなく、炊事・洗濯・ムカつくガキの世話等、毎日
毎日家事全般させられ、休む間もない赤貧生活をしていた不幸な女性が、

・やがて、悲惨な現実の世界」から「ロマン満ち溢れる世界」へ段階的に移行していき、

・最期は、壮大な結婚式を挙げ、皆の祝福を受け、幸せの頂点に到達する、

という話です。

ところが、日本の若い女性が体験する一般的な結婚生活というのは、この
「シンデレラ・ストーリー」
の、見事なまでの“逆回転バージョン”です。

すなわち、

・出会ってまもなく、壮大な結婚式を挙げ、皆の祝福を受け、幸せの頂点に到
達した女性が、

・やがて、「ロマン満ち溢れる世界」から「悲惨な現実の世界」へ段階的に移
行していき、

・何年か後には、ボロを着て、カネも余裕もなく、炊事・洗濯・ムカつくガキ
の世話等、毎日毎日家事全般させられ、休む間もない赤貧生活に陥る

という、悪い意味での想定外の連続で、幸せの絶頂から不幸のどん底に至る、逆シンデレラ・ストーリーを経験します。

こういうことがあると、離婚したくなるのも、うなずけます。

とはいえ、

出会った当初、
「ボロを着て、カネも余裕もなく、炊事・洗濯・ムカつくガキの世話等、毎日
毎日家事全般させられ、休む間もない赤貧生活」
から始める、

というのも難しいですし、

結婚後も、幸福水準を維持するため、毎日、壮大な結婚式のようなパーティー三昧を続ける、

というのももっと困難です。

この現象は、 構造的欠陥によるであり、誰か責める相手がいるわけではなく、想像力を働かせれば予測できなくもないものです。

映画で観た
「シンデレラ」
の話と違う、こんな逆シンデレラ・ストーリーなど許せない、こんな現実我慢できない、裏切られた、といって一方的にキレて、離婚するのも結構です。

しかし、そうやって離婚を重ねるたびに、ますます不幸になりますので、私からのアドバイスとしては、結婚をする際は、空想と現実を区別する程度の理性をもち、想像力を働かしてある程度将来予測を立てながら、適切な判断の下、冷静に行ってほしいと思います。

00008_婚前契約というのは、どこまで意味があるのか

最近、日本でも婚前契約が普及してきた、というニュースがありました。

どんな内容なんでしょうか?

「浮気したら、2000万円払う」とか?

こんな契約書、本気で作るんでしょうか?

民法132条
「不法な条件を付した法律行為は、無効とする。不法な行為をしないことを条件とするものも、同様とする。」
をみる限り、どこまで有効か、疑問です。

せっかくお金をかけて契約を作っても、裁判で無効と判断されたりしないのでしょうか?

ネットをみたら、行政書士が婚前契約アドバイスサービスをやっているようですが、きちんとした法律知識に基づき、正しい指導がなされているのか、そもそも弁護士法の抵触問題も含め、大丈夫なんでしょうか、という印象をもってしまいます。

そもそも、民法には、婚前契約なんて代物、書かれていません。

あるのは、夫婦財産契約、と呼ばれるものであり、この契約の対象となる事項は夫婦の法定財産制(第2款=760条~762条)に関するものです。

これは、別に、
「夫婦のうち、弱い立場にある人間のことを同情して、法がか弱き配偶者の一方を保護してあげよう」
という正しく、美しい気持ちで、作られた条文ではありません。

夫婦間において、法律で決まっているものと異なる財産秩序を勝手に決めた場合、困るのは、そのような夫婦の内情を知らない取引相手や第三者。

身勝手なローカルルールで、取引社会に混乱を与えないよう、
「夫婦間で勝手な取り決めしても構わないが、あんまり、社会や他人に迷惑かけんなよ」
という限定付で、認めてやる、というスタンスです。

だから、夫婦財産契約については、登記が要求されています。

婚前契約に、いろいろ夢や幻想を抱くのは自由ですが、
「浮気したら大金もらえる」
みたいな雑なイメージを抱くと、あとで痛い目に遭うかもしれません。

そもそも、夫に財産や収入がなければ、浮気されようが離婚しようが、たいしたお金は手に入りません。

しかも、浮気の慰謝料というのは、法的に相場が決まっており、裁判例等を調べればわかりますが、びっくりするくらい低い金額です。

具体的な裁判例としては、
「(夫は)時々の自己の感情の赴くまま単独で、あるいは愛人A、愛人Bを随伴して旅行に出かけるなどし、これらの夫の身勝手な行動によって妻が相当程度の心労を被ったことは想像に難くない。以上の諸事情のほか、本件に現れた諸般の事情を考慮すると、夫が妻に支払うべき慰謝料額は80万円が相当である」(東京地方裁判所判決平成17年2月22日判決要旨)
のようなものがありますが、要するに、やりたい放題しても慰藉料は80万円しか認められないのです。

「裁判における慰藉料相場」
としては、一般にいわれているには100万円前後であり、暴力等の、かなりひどい状況があっても300万円を超える慰謝料を取るのは困難といわれています。

先程の民法132条もありますが、よしんばこの規定をクリアしたとしても、あまり多額な違約罰となると、公序良俗違反(暴利行為)となって、裁判官はあまりいい顔をしないかもしれません。

ともかく、婚前契約、まだまだ各種問題や論点がありそうですし、そもそも、お互いそれほど財産がなければ、無意味なものです。

さらにそもそも論のお話いとして、
「婚前契約の条件を取り決める」
といいますが、結婚の話を進める中で、こんな話、スムーズに進むのでしょうか?

結婚の話を前に進めるだけでも大変です。

それなのに、離婚の際の取り決めがスムーズかつスピーディーに進むとは到底思えません。

「離婚の条件決まらないから、なかなか結婚できない」
なんて、笑い話のような状況がそのうち出てくるのではないでしょうか。

00007_離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき「離婚にまつわる迷信・都市伝説」(6・完)~今にみてらっしゃい。裁判になれば、人格も見識も立派な裁判官様が正義の裁きを下してくれるからっ!~_20080920

平均的日本人は、裁判官という人種に接したことがないためか、裁判官という公務員に一種畏敬ともいうべき評価を抱いており、「裁判官は誰もが、白馬の騎士が如く、か弱き者の味方として、自分の困難を救済してくれる」等と身勝手な妄想を抱いているようです。  

しかし、残念ながら、このような裁判官のイメージは現実のものとは全く異なるものです。

裁判官は、特定の試験に合格することを前提として、特定の採用手続を経て、公務員としての身分を取得しただけであり、別に人格や見識の素晴らしさをもとに選ばれているわけではありません。

無論、高い受験偏差値をもつ試験秀才が集まっていますので、一般のサラリーマンや専業主婦の方々より頭がいいことは間違いありませんが、裁判官の常識や良識に関しては疑うべき場合が多いです。

例えば、ある学校のあるクラスにおいて投票で学級委員を選ぶ際、「○○君は足立区に住んでいるから1票だけ。○○さんは、港区に住んでいるから2票あげましょう。○○さんは、千代田区に住んでいるから5票ですね」なんてことを先生が言い出したら、「そんなの民主主義じゃない」と生徒からツッコミ入れられることは明らかです。

ところが、裁判所の頂点に立つ最高裁裁判所は、国会議員の選挙において「島根県民に5票、東京都民に1票という取扱でもOK。民主主義的にこれで問題なし」などという驚くべき見解を、長年にわたって固持していました。

これは一例ですが、「社会一般の常識や価値観は裁判所も当然のように共有している」と考えるのは早計です。

あと、裁判所は、揉めごとの解決は、すべて証拠の有無で決すべしと考えています。特に、「夫が暴力を振るった」「夫が浮気した」「夫がかまってくれない」「夫が優しくない」等といった犬も食わないトラブルに関して、証拠もなくワーワーキーキー騒ぎ立てるだけの妻側に対して基本的に冷淡です。

そして、裁判所は、「証拠をもたない弱者の主張を無視し、救済を拒否する」ことにあまり抵抗がありません。

むしろ、「弱者といえども、裁判所で救済を求めるなら、テメエの主張する事実について証拠はテメエで準備してもってこい。それもできずに負けるのは、自己責任の観点から当たり前だ!」というのが裁判所の基本的スタンスです。

逆にいえば、「出るところ出てやる」と息巻いたところで、証拠をそろえないことには話になりません。

たまに「神の如く、何から何までお見通しで、人格も見識も立派な裁判官様が、証拠とか文書とかそんな堅いこといわず、粋な計らいで、弱者である自分を救済してくれるはず」などと甘い考えで裁判をはじめる方がいらっしゃいますが、こんなことをしても完璧な敗訴を食らうだけで、惨めな気持ちになるだけです。

離婚にまつわるトラブルを裁判という手続きで打開することを願うのであれば、「裁判官の常識・良識」等という得体の知れないものに期待することなく、専門家の指導の下、丹念に証拠を収集するなど合理的な準備をすべきです。

さらにいえば、裁判などせず、お互い冷静になって話し合いにより解決した方が賢明といえますし、「出るとこ出てやる」などと無意味なハッタリをぶつけて話し合いの環境を悪化させるのは愚の骨頂といえます。

以上、合計6回の連載形式で、離婚にまつわる様々な迷信・都市伝説の類を検証して参りました。

一ついえることは、離婚というイベントには、勝者も敗者もなく、お互い時間とエネルギーとコストを費やすだけの、壮大な無駄であるということです。

このように本質的に無駄の固まりである離婚というイベントに、誤解や妄想や迷信が介在すると、話が余計にややこしくなり、互いに疲弊が増すだけです。

離婚というのは、お互い客観的な情報をもち、妄想や迷信を排して、冷静に話し合い、無駄や非効率を極力抑えて、短期間にキレイに処理するのが一番です。

というよりも、無駄を省いてトクな生き方をしたいのであれば、そもそも離婚などしないのが一番です。  

それに、神の前か仏の前か知りませんが、結婚する際には神妙な気持ちで永遠の愛を誓ったのでしょうし、約束とか誓約を守るのは大人としての最低限のモラルですから。

(「離婚にまつわる迷信・都市伝説」・完)

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.013、「ポリスマガジン」誌、2008年9月号(2008年9月20日発売)

00006_離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき「離婚にまつわる迷信・都市伝説」(5)~離婚したら、子供は私が引き取って立派に育てますからっ!?~_20080820

離婚する夫婦に子供がいる場合、妻側からこのような決意表明がされることがあります。

 ここで、3歳と5歳の子供がいる現在35歳の妻を想定しましょう。そして、この妻には兄弟がなく、現在70歳と65歳の両親(子供からすると母方の祖父母)がいるとしましょう。

 この35歳の妻がバリバリのキャリアウーマンで数千万円を超える年収をもらっている場合や、実家に数億円の流動資産があるのであれば、「離婚したら、子供を引き取って立派に育てる」という決意にも十分根拠があるといえます。

 反対に、この35歳の妻が、専業主婦の方で、さしたる学歴もキャリアもなく、これから職探しという状況で、加えて、両親の資産といってもバブル時に購入した安普請の一軒家とか築20年超のマンションしかない、となると、本人の主観的意図はともかく、「離婚して子供を引き取って立派に育てる」選択には凄まじい困難が待ち構えることになります。

 まず、現在の労働市場において、さしたる学歴もキャリアもない35歳の女性の方が正規雇用される可能性は極めて低く、派遣やパート等の非正規雇用ですら仕事をみつけるのは大変です。

 非正規雇用だからといって、仕事がラクだと思ったらこれまた正反対。

企業側は非正規雇用にも過酷な責任を課します。

といいますか、解雇が困難な正社員と異なって、企業側に解雇の自由が事実上保証されている非正規雇用社員には、わずかなインセンティブで正社員よりも過酷な責任を課しますので、「子供が熱を出したので退社します」とかいえる雰囲気ではありません。

結局、非正規雇用社員は、「賃金が安く、身分保証がなく、正規雇用者よりも仕事上も責任を課され、かつ業績が悪ければ真っ先にクビを切られる立場」といえます。

 こういう言い方をすると、「離婚しても養育費がもらえるから大丈夫」という声が返ってきそうですが、養育費といっても、月額何十万円ももらえるものではなく、平均的サラリーマンの夫の収入を前提にすると数万円程度にとどまります。

加えて、不景気で夫の収入が激減したりすると、任意の支払が遅延したりあるいは停止されたり、さらには減額されたりすることだってありえます。

 以上の経済的困難に、老齢の両親の介護の問題が追い打ちをかけます。

70代になると要介護となる現実的可能性が生じてきますし、公的施設に入れようとしてもどこも満杯状態。お金があればケアが充実した施設に入れる可能性もありますが、そこまでの事態を想定して十分な金銭を準備している高齢者は稀です。

結局、介護にまつわる経済的負担、肉体的負担のいずれかまたは双方は妻一人に重く、暗く、のしかかります。

 「離婚しても子供は絶対に手放さない」という意気込みは立派ですが、冷静に考えると、妻は、過酷な労働条件下で、「子供という元気な要介護者」と「親という、くたびれた要介護者」を両手に抱える未来が待っているだけであり、子供を引き取るのは実に不幸な選択といえますし、宣言どおり「立派に育てられる」か極めて疑わしいといえます。

 他方、離婚して子供を取られた夫側はというと、低廉な養育費の負担で面倒くさい日常の子育てすべてを妻側に押しつけ、「暇ができれば、面接交渉権を行使して子供と遊んでリフレッシュし、飽きたら妻に返却」という自由な立場が保証されます。

「父親の子育て参加」が叫ばれる中、素知らぬ顔で仕事に打ち込むことができ、場合によっては離婚前よりも出世したり、いい出会いがあって、却って人生が開けるかもしれない。

 私個人の意見としては、妻側は「子供は絶対に渡さない」などというドグマを捨て去り、「私は仕事と介護で忙しい。子供は押しつけるからアンタが責任持って育てろ。テメエの方がカネ持ってんだから、養育費は払わない。子供の顔がみたくなったら、適当に面談交渉権を行使して、飽きたら適当な時に返してやる」という選択をする方がはるかに賢明かと思うのです。

引き続き、離婚にまつわる迷信・都市伝説を検証していきたいと思います。

(つづく)

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.012、「ポリスマガジン」誌、2008年8月号(2008年8月20日発売)

00005_離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき「離婚にまつわる迷信・都市伝説」(4)~浮気されたら、慰藉料ふんだくってやる?!~_20080720

夫に浮気(法律上は不貞行為といいます)をされた妻側の常套句としては、「浮気したわね! おぼえてらっしゃい! たんまり慰藉料ふんだくって離婚してやるから!」というものがあります。

「たんまり」「ふんだくる」というのがどの程度の額を指すのかは発言者の経済感覚によりますが、「裁判所が認めてくれる慰藉料額」は、一般の方が想定するほど景気のいい金額ではありません。

裁判例としては、「(夫は)時々の自己の感情の赴くまま単独で、あるいは愛人A、愛人Bを随伴して旅行に出かけるなどし、これらの夫の身勝手な行動によって妻が相当程度の心労を被ったことは想像に難くない。以上の諸事情のほか、本件に現れた諸般の事情を考慮すると、夫が妻に支払うべき慰謝料額は80万円が相当である」(東京地方裁判所判決平成17年2月22日判決要旨)のようなものがありますが、要するに、やりたい放題しても慰藉料は80万円しか認められないのです。

「裁判における慰藉料相場」としては、一般にいわれているには100万円前後であり、よほどひどい状況があっても300万円を超える慰謝料を取るのは困難といわれています。

離婚して手にできるのは100万円程度ですが、離婚後世帯が分離することにより元妻側に襲いかかる過酷な経済的苦境は第1回で解説したとおり。

妻側にとっては「浮気されて離婚したはいいが、雀の涙ほどのカネしかもらえず、いつの間にか貧乏になり、踏んだり蹴ったり」ということになります。

さらに不愉快な話になりますが、この慰藉料というのは、不貞行為を基礎づける事実立証に成功した場合に初めて認められるものです。

「何となく怪しい」「行動が不可解」「女の影がチラホラ」みたいな程度の与太話では、慰藉料以前の問題として、不貞行為の事実すら認められず、当然ながら、「慰藉料はゼロ」ということになります。

だったら、「妻の方も報復で浮気してやればいい」等と安直なことを助言される方もいます。

しかし、これは、妻側にとってさらに過酷な結末を招くことになります。

すなわち、不貞行為の代償たる慰藉料はそれほど大した額にはなりませんが、不貞行為が一回でもあれば、立派な離婚事由となるのです。たとえ、夫の浮気に対する報復であれ、妻側が浮気をすれば、夫から強制離婚の請求を受けることになります。

つまり、「夫側が不貞行為をしても、支払うべき慰藉料は少額で、かつ、離婚後の人生設計がみえないので事実上離婚請求が困難」だが、「妻側が不貞行為した場合は、たとえ夫の不貞への報復目的であっても、問答無用で強制離婚となり、経済的苦境にさらされる」ということになるのです。

不公平だとか、おかしいだとか、という感情論はさておき、これが現在の日本の裁判実務における厳然たる状況です。

異性にだらしない夫と徹底的に戦うのは多いに結構です。

しかしながら、このような「地の利」をわきまえず、無責任な迷信に惑わされて好戦一方で攻め立てても、さらなる不幸に見舞われかねませんので、注意が必要です。

連載形式の「離婚が頭によぎったら、まずは読んでおくべき”離婚にまつわる迷信・都市伝説”」も4回目となりましたが、引き続き、この検証を続けていきたいと思います。

(つづく)

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.011、「ポリスマガジン」誌、2008年7月号(2008年7月20日発売)