00124_「決断の技術」_6_機嫌を良くする

1、決断する時の情緒設定=機嫌のいいときに決断するべし
決断は機嫌のいいときに行う。あるいは、決断の際は、無理矢理にでも機嫌を良くする。

「ストレステストやって、ネガティブな展開予測をして、不愉快な気分になって、想定外を想定したり」という決断前には嫌な気分が盛り上がりますが、最後の最後に、いざ、「決断をします」というときは、機嫌を良くしておいて欲しいです。あるいは、機嫌が悪かったら、機嫌を直しておくべきです。

怒ったりして、慌てたりして、ネガティブな方向で、情緒豊かに、感情あらわに決断するべきではありません。

怒ったり慌てたりってとき、人間は一時的にバカになってます。

特に、「べき」がたくさんある人や、「自分がこうあるべきだ」ってことが覆されちゃったとき、人間は凄まじく怒ります。

そして、「怒ったとき」っていうのは、知的な能力が顕著に落ちてます。

もっというと、シビれるくらいバカになっちゃってます。

バカになったときって、決断しちゃいけないタイミングです。

逆に、機嫌がいいときは、バカが治ります。

だから、バカを直してから、機嫌を直してから、決断です。

2、決断するときの状況・環境設定
決断するとき、環境も大事です。

天気のいい朝に、バカ高いフレッシュジュース飲みながら、朝日を浴びて富士山とか眺めながら、高いビルの天辺で、窓際で、さらに言うと、シャンパンでも飲みながら、肩の力を抜いて、笑いながら決断をするべきです。

そういう環境・状況では、精神がフラットでソリッドになってます。

そういう環境・状況にあると、「やっぱ、先延ばししようかな」とか、「ヤメちゃおうかな」という気分になってくるかもしれませんが、そういう「先延ばし決断」「やめちゃう決断」も全くありです。

「あれこれ悩んだけど、よく考えたら、なんか、無理して、今やらなくてもいいかな」、みたいな雰囲気になって、
「いつやるの?後でいいっしょ」
「昨日の夜、徹夜で一生懸命考えたけど、よく考えたら、別に今やらなくってもいいかな」
っていうのをシャンパン飲みながら、ヘラヘラ笑って決断するとか、全くありです。

3、機嫌を良くすべきだが、調子に乗ってはいけない
機嫌を良くするべきだし、機嫌は直すべきですが、調子に乗ったら駄目です。

「機嫌を良くする」っていうのと「調子に乗る」ってのは似ているようで違います。

「調子に乗っちゃっている」ときも、人間は一時的にバカになってます。

だから、「調子に乗って決断する」ときは、失敗しちゃうフラグが立っちゃっています。

機嫌は良くする、機嫌は直す、感情はフラットにするんですけど、調子に乗っちゃいけない、ということです。

著:畑中鐵丸

00123_「決断の技術」_5_間違ったとき、しくじったときのイメトレ

1、決断するときに重要なのは、「うまくいったときの皮算用」ではなく、ストレステストとネガティブな展開予測
「いろいろ人の話を聞いて、迷って、計算して、考えて、さあ、決断だ」と決めるタイミングが来ました。

ですが、まだ、やることがあります。

決断をする前に、すごいネガティブなイメトレ、イメージトレーニング、もやってくださいねと。

要するに、「A案・B案あって、さんざん迷って、もういいや、B案でいこう」ってときに、決断して実行に移す前の最後の最後の段階で、「じゃ、B案でいった場合で、想定が狂いまくって、大失敗、大しくじりやらかしたときに、最悪、どうなっちゃんだろ」っていうことをイメージしてください、という話です。

人間が決断するときって、例えば、A案・B案のうちA案選ぶときには、うまくいったときのことだけを考えがちです。

「うまいこといって、大成功した」「危機を脱して、元の状態に戻った、直った」「シビレルくらい儲かった」って話については、イメージトレーニングというか、妄想たくましく、凄まじいまでに想像します。しかも、楽観バイアスが働くので、想像に偏見が加わり、その多幸感たるや、凄まじいものです。

しかし、決断の知的技術、という点からいうと、これと真逆のことをすべきです。

成功確率を高めたいのであれば、「A案でいった場合で、仮に、想定が全部崩れて、大失敗をして、お金も何から全部なくしてた場合」を考えた、最過酷想定もしておくべきなのです。

要するに「特定の決断をしたが、これが全く間違った決断であり、その結果、散々な目に遭ったときの状況」をリアルに具体的に想定しておくのです。

2、ネガティブなイメトレ=事前に「敗戦の弁」を考えてみる
具体的に言えば、「そのような最過酷の状況になったときに、自分はどういう敗戦の弁を言うか」ということも考えて、何だったら、原因分析を含む敗戦のスピーチまで起案しておいたらいい、と思います。

先の大戦で言えば、
日中戦争をおっぱじめたときに、うまくいかなかったり、最終的にボロ負けの末何も得られずに撤退したときのこと、
アメリカにケンカを売るときに、ボロ負けして本土まで攻め込まれて、戦争遂行責任者が片っ端から縛り首にされたときのこと、
を想定しておけば、もうちょっと、冷静に、確度の高い、合理的な外交戦略や事態収拾を展開出来たかもしれません。

スポーツ選手でいうと、金メダル取ったときのスピーチなんて、考える必要ありません。勝手に口から出てきますから。

むしろ、失敗して、メダル取れなかったときに、報道陣の前で、どういう敗戦の弁を語ってるかってときのことを、想定すべきなんです。

3、ストレステストやネガティブなイメトレは、成功確率を高めることにつながる
そういう不愉快な事態を想定しておいて、「いや、あんときにこういうことがあって、この想定が外れて、こんなアクシデントがあって」って言い訳をつらつら考えている、見えてこなかったリスクがくっきりはっきり見えてきて、もう一度、検証して、成功確率を高める準備が可能になりますので、より成功確率が高まります。

アクシデント、ハプニング含めて想定が崩れる場合のことも含めて、もう一回どのぐらいアクシデントも含めた対策ができてるかっていう、ストレステストを実施することで、準備を万全にするのです。

過酷な展開予測や、過酷な想定や、ストレステストは極めて重要です。

原子力発電所おっ建てて、造って動かすときには、「全部うまくいったらこうなる」っていう想定なんて不要です。別に当たり前の話ですから。

むしろ、原発造ったはいいが、どえらい津波とか来ちゃったり、地震とか来ちゃったり、いろんなことがあったりして、全部の想定外れたときでも、これぐらいで済むとか、あるいは、これについての対策はある程度できてるとかっていうことを、よりリアルに想定すべきです。

4、人間は、常に間違う動物である
人間は、動物です。人工知能ではありません。動物である以上、必ず、失敗します。誤解します、想定が外れます、認識や評価を誤ります。人間は、失敗することが不可避の生き物です。

だから、絶対、失敗します。絶対。特に、大きな計画や、野心的な事業や、選択や決断に迷うな営みは、すべからく失敗する契機を孕んでいる、と考えるのが正しい見方です。

選択した後の展開予測を行う際、ヒューマンエラーも含めてどういう失敗があり得るかってことを、どんだけ考えられてるかってことが重要ですし、これを、決断する前に、何度も再確認をするということが必須です

「未来の敗戦の弁」に対する対策は、どこまでできているかをもう一度検証する最後のストレステストを、重大な決断の前にやってください、という話です。

5、「永遠に決断出来ない」「いつまでも決断出来ない」なんて言われても、別に決断しなくてもいいし、「決断しない」「決断をグズグズ先延ばしにする」というのも立派な決断
そうすると、「いや、そんなこと言ったらいつまでたっても決断できないじゃないですか!」という反対の声が上がってきそうです。

いいじゃないですか。別にやんなくたって。先延ばしをしたって。先延ばししたって、別に困るようなことないかもしれません。

そんなに慌てて不動産買わなくたって、賃貸で十分じゃないですか。
投資しなくて、現金残しておけばいいじゃないですか。デフレなんですから。現金持っているだけで補助金つくような経済状況なんですから。

そんなにあわてて満州を占拠する必要あります?暴支膺懲とかって、そんなに必要?アメリカにケンカ売る必要あります?返り討ちにあってボロ負けしたときのこと、考えています?何の目的で戦っています?国のため、って言ってますが、国のために戦って、外地を全て失い、主要都市を爆撃され、原爆まで落とされたら、それこそ国のためにマイナスじゃないですか。

ただ、適齢期の間に結婚したい、とか時間がリスクになる場合、じっくり考えると、「時間を失う」というリスクが積み重なりますので、不愉快な展開予測やストレステストに目をつぶる場合もあるかもしれません。

例えば、婚前契約にこだわっていると、「『離婚の条件が決まらないから結婚できない』状態のまま、独身で還暦迎えた」なんてことになりかねませんし。

著:畑中鐵丸

00122_「決断の技術」_4_迷い方、他人の意見の聞き方

1、他人の話をよく聞く

期限が来たりして、迷ってばかりいられなくなって、いよいよ、「もう、そろそろ決断しなきゃいけないな」って話になりました。

そのときにはいろいろ悩んで、情報を分析して、評価してから、決断するんですが、個々の人間の持っている認識とか情報とか分析力とかを含めた知的資源は限られています。

「奥ゆかしく、慎ましやかで、謙虚な畑中鐵丸」としては、言うのが相当憚られますが、自慢でも何でもなく(ウソです。ほんの少しだけ自慢がはいちゃったかもしれません)、一応、東大卒です。
もっと言えば、東大文Ⅰ(東京大学教養学部文科一類)現役合格です。

それが、どうした!
うっせえ、うっせえ、うっせえわ!
テメエなんか、たいしたことねえわ!
という声が聞こえてきそうですが、はい、そのとおり。
おっしゃるとおりです。
全く、たいしたことありません。

しかし、そこそこ勉強してきたことは事実ですし、その過程でそこそこ知識も情報も知性らしきものも教養みたいなものも、ほんの少しだけ獲得出来たような気がします。

控え目にいっても、「日本人成人の平均レベル」程度には、知識も情報も実装しているかな、くらいは言えると思います。

加えて、弁護士も20年やってますから、普通のサラリーマンや専業主婦の方くらいには、世の中の仕組みの本質や、裏の話も表の話についても、知っていますし、健全な懐疑能力も持っている(つもりです)。

そんな私でも、(って言ったら、「テメエ、バカなんだから、テーリメぇだよ」とか突っ込まれそうですが、勇気を振り絞って、あえていいますが、)そんな(日本人平均レベル程度の知的資源は有している、いい年こいたオッサンの)私でも、いまだに、「世の中って不思議だな」って思うこととか、「世の中に、こんなこともあったんだ!」って驚くことがあったりします。

要するに、そんな(日本人平均レベル程度の知的資源は有している、いい年こいたオッサンの)私でも、知らないことだっていっぱいあるわけです。

あるいは、知ってるつもりになっても、実は間違えて理解していたってこともあったりします。
50を超えても、ですよ。

じゃあ、私、バカなんでしょうか?

確かに、そんなに頭良くないですが、バカってほどバカじゃないと思います。

一応、それなりの大学出てますからね。
また、それなりに難しい司法試験に、それなりに合格率が低かった時代に(※どうでもいい話ですが、私が合格した平成3年当時の司法試験の合格率が、受験者合計22,596人で、最終合格者が605人だったので、対出願者合格率は2.94%でした)、まがりなりにも通ってますしね。
弁護士もやってますし、社会生活も営んでおり、いい年こいていますので、それなりに知識や情報はあるはずです。

「それでもなお、この世の中に、分かんないことが山程ある」ってことは、やっぱり「個々の人間の持ってる情報や知識といった知的資源には限界がある」という厳然たる事実を示唆しています。

しかも情報を誤解してる場合もあったり、あるいはバイアスが掛かってる場合もあったりしますから、人生、生きていると秒毎に、間違ったり、誤ったりしています。

「常識で考えたら、当たり前でしょ。これが正しい決断」って言われても、それが間違いということも結構あります。

かの、アインシュタインさんいわく、「常識とは、物心つくまでに身に付けた偏見のコレクション」ってことです。
三つ子の魂、百まで。
三つ子の偏見、百まで。
三歳児が獲得したバイアスは百歳まで続くんだ。
って話があるぐらいですからね。

ですから、自分の常識ってのは当てにならない場合があったりします。

自分の情報も知識、実は見間違い、聞き間違い、勘違い、誤解や偏見だったりすることも平気であります。

その意味では、「いろいろ悩んで、情報を分析して、評価してから、決断する」ってときには、いろんな人の話を聞いたほうがいいです。

いろんな人の話を聞いている間に迷っちゃうぞって話ありますけど、迷うのはいいんじゃないですか。
別に急ぐことないですから。

2、「アツく」ならず、冷静に他人の話を利く精神的余裕(冗長性)を持っておく
迷ってもいいし、他人の意見を聞いたほうがいいんですよね。

ただ、意見を聞くときにも、これスキルあるわけですよね。

「自分の感覚で決めろ」とか「考えるな、感じろ」「アツくなれ」みたいなこと言われますけど、そんなアツくなっちゃ駄目ですよ。

たいてい、アツくなるほど、冷静さを失わなければ間に合わないほどの決断ってことじゃないかもしれませんから。

建物が火事になって逃げるか逃げないかって話なら、これはもう決断もへったくれもありません。
逃げる、の一択です。

火事に巻き込まれて逃げるとき、他人の話を聞く余裕もないですから、それはもうしょうがないです。

ただ、そんな「考えるな、感じろ」みたいな「アツくなるほど、冷静さを失わなければ間に合わないほどの決断」を迫られる切羽詰まった状況っていうのは、本当に一生過ごしても来ないかも分からないぐらいですから、そんな急ぐことないわけです。

3、聞く相手を間違えない
他人の意見を聞いた方がいいのですが、ただし、聞く相手を間違えちゃ駄目ですよ。

特に、当該決断によって利益を得る人や、損害を被る人ですが、こういう当事者とか利害関係人からの話とか情報とかは、絶対に聞いちゃ駄目です。

耳汚しなどという生易しいものではなく、騙りに近い、ウソの危険性がある、有害なノイズです。

株を買う、不動産を買うときに、「当該株を売ってくれる人」、「当該不動産売ってくれる人」からの情報っていうのは、絶対、聞いちゃいけません。

ノイズです。
危険で、有害で、頭を狂わせる、致命的で破壊的なノイズです。

うまーいこと、持っていかれるように仕組まれたバイアスが必ず入っている可能性があるからです。

だって、その不動産や株について、買い手さんが買ってくれたら、「当該株を売ってくれる人」、「当該不動産売ってくれる人」にとって利益になるんでしょ。

そりゃ、あばたもえくぼに、美しい誤解を招くような言い方しますよね。向こうだって商売ですから。

また、そんな美しい誤解を撒き散らすような情報があるかないか、分かりませんし、検証しようがありません。

もちろん、不動産にしても株にしても、ちゃんと価格の根拠となる情報は存在します。

株だったら有価証券報告書ありますし、会社四季報もありますし、ヤフーファイナンスなどの情報サイトをみても、PBRやらPERやらROEやらの各種財務指標に加え、信用倍率やらチャートやら価格根拠情報が山のように掲載されています。

不動産についても、重要事項説明書という精密な書類でいろいろな価格根拠情報が作成され、手渡されます。

ところが、普通の人は、不動産の重要事項説明書とか、あるいは有価証券報告書とか、会社四季報の情報とか、ヤフーファイナンスのいろんな情報とか、読むのを面倒くさがります。というか、読んでも理解できません。というか、読めていません。下記のとおり、日本で静かに増殖している「機能的文盲」という方が多く、その方にとっては、理解できないか、理解以前に視界に入ってこない(脳内には、意味のあるテキスト情報ではなく、無意味な図柄の画像情報としてしか入ってこない)

すなわち、下記の「機能的文盲」状態にあるせいか、不動産の重要事項説明書とか、あるいは有価証券報告書とか、会社四季報情報とか、ヤフーファイナンスのいろんな情報を目にしても、そこに記載されている漢字や数字がびっしり書かれた細かな情報の塊が、象形文字で書かれた滅びた古代の民族の呪文か何かのようにしか認識出来ず、意味や内容はおろか、読み方すら不明な難解な文字が散りばめられたもののようにしか見えないのです。

自分が、機能的文盲で、文書をしっかり読めないもんだから、業界経験長くて、文書を理解していそうな、売主側の営業マンの話を、ほいほい聞いちゃうわけです。

ですが、営業マンの話にはバイアスが入っていたり、「大事な内容で、しかも買主にとって、重要で、売主にとって不利な事実」が巧妙に抜いてあったりしたら、どうするんでしょうか?

こういう場合は、がんばって自分で読み、読んで納得しない限り、買っちゃ駄目です。「自分が機能的文盲でよく読めない、よく理解できない」なら、買う前に、「絵本を読んでもらうために母親にせがむ、字の読めない幼児」のように、識字能力があるインテリに頭を下げて、内容を読んで聞かせてもらわなければなりません。

ところが、機能的文盲者に限って、バカな上にケチ、という手合が多いのです。

手近なところで、無料(タダ)で済まそうとして(自分のために働いてくれるインテリに対する支援費用をケチって)、安直に、利害が対立する売り主側の営業マンの話を聞いてしまうんです。

だから、地獄に転げ落ちるのです。

「自分が機能的文盲でよく読めない、よく理解できないとき」に、取引相手の話を聞いたらダメに決まっています。

聞くべきなのは、利害関係がなく、むしろ、自分の利害のために、「知的資源を活用し、時間とエネルギーを費やしてくれる、第三者」であるべきです。

「当該取引に利害関係を持たず、自分のために頭を使ってくれる人の話を聞く」と言われても、そんな人がいなかったり、そんな人がいても、そいつの手数料をケチりたいなら、それはそれで結構です。

だったら、弱い頭をフル回転して、無い知恵しぼって、頑張って勉強して、不動産の重要事項説明書とか、あるいは有価証券報告書とか、会社四季報の情報とか、ヤフーファイナンスのいろんな情報を読み込んで、理解するべきなのです。

それでも理解できなければ、買い物をやめるべきなのです。

大事な買い物なんでしょ。高いんでしょ。

だったら、手を抜いたらいけません。

古代ローマ時代以来、格言として残っています。

「買い手は注意せよ」「買い手は勉強せよ」「買い手は情報を集めろ」です。

勉強は大事ですね。教養は大事ですね。

バカはこういう教養がないから、こういうことの価値を知らないし、認めないし、バカみたいにテレビばっかりみて口開けて笑っているから、失敗するんです。

え、うるせえよって?

いえいえ、私もバカの一人です。

だから、日々、読書をし、教養のありそうな人との接点を保ち、バカが治るように努力しているのです。

4、情報と解釈は別物
情報を集めるのは結構ですし、情報を解読するのも結構です。

しかし、事実と解釈っていうのは違います。

インフォメーションと、それからそのインフォメーションに解釈や分析や解釈や評価が加わったものとは、完全な別物です。

俗に、ポジショントークといわれますが、解釈には必ず、バイアスが入ります。

故意なのか過失なのか他意なきことかもしれませんが、利害関係から、主観が混じってしまいます。

事実なのか解釈なのか。

仮に、解釈だとすると、誰がどういう目的で解釈してるんだ、どの立場からのポジショントークなのかをちゃんと分けて考えるべきです。

5、ホニャララ士(し)や、「先生」や、「専門家」という人種には気をつける
注意・警戒すべきは、「何とか士(し)」とか「先生」とか「専門家」と呼ばれる人たちも同様です。

憚りながら、私、弁護士である畑中鐵丸もその一人です。

弁護士しかり、税理士さん、会計士さん、何とか士、大学の先生含め、また、お医者さんも含め、ナリや格好や肩書きが立派だったり、使う言葉が高尚で高級だったり、メガネをかけていたり、七三分けだったり、シブい感じだったり、高いネクタイをクビからぶら下げているからといって、それだけで、そういう手合の話を鵜呑みにすることはリスクがあります。

ナリや言葉や肩書きが立派でも、見かけほど頭良くなかったり、情報を知らなかったりとか、情報を誤解していたり、仕事欲しさに適当なことを言っていたり、ということも無いとは言えません。

もちろん、邪悪な詐欺師とまでは言いません。

あと、出来もしないことや、成就しない可能性があることでも、仕事欲しさに「私に任せれば何とかなる」という雰囲気を漂わせながら、自信たっぷりに、「お任せください」と胸を叩いて、フィーをもらう。

そんな、「専門家としての仕事の営業」は、見方を変えたら「善意に満ちた詐欺」とも言えます。

例えば、「医学的に絶対治らないガンに罹患したことを宣告され、焦って、パニックになって、財布の紐が緩んでいる患者」を前にして、「私に任せれば何とかなるかも知れません」などと無責任なことを言って、仕事をもらうのは、「専門家としての仕事の営業」ではなく、「仕事の対価をもらうための詐欺」になる可能性があります。

別に、騙そうとして騙すわけではなく、「自分にとって不利になる重要な情報を、聞かれなかったので、あえて言わなかった、隠していた」ため、美しい誤解が生じたが、そのままにしておいて、結果、買主さんが損したっていうことは、よくあります。

「いい加減な専門家が語る、真実とは程遠い無責任な話に踊らされ、不幸な誤解に基づき大損コいて地獄に叩き落された事例」っていうのが仮にあっても、新聞では大々的に報道されません。

ひょっとしたら報道されているかもしれませんが、どこかの中小企業の社長や地味な政治家が死んだときの訃報のように、新聞の隅っこに、ひっそり、わかりにくくにしか載っていません。

全ての詐欺が刑事事件になるか、というと、うやむやになったりだとか、証拠が不十分で、不起訴ってことも結構ありますので、報道されない裏話ってのも、世の中、結構あります。

脱線しましたが、専門とか肩書きとかそういったものに漫然と信用を置かないということでが大事です。

6、いろいろ他人の話を聞いて迷うのは、もちろん、重大な決断・選択に限っての話
他人の話を聞いたり、あれこれ迷ったりしろって言ってますが、いつもいつもそうしろといった話じゃありません。
いつもそうしてたら、もう社会生活できませんからね。
例えばコンビニエンスストアでおにぎり買うのに、専門家の意見聞きます。これはちょっと知性を疑われます。

あくまで、重大な決断のときについては、ちゃんとそれなりにいろんな人の話を聞いて、専門家の話も鵜呑みにしないという形で、慎重に、という話です。

お医者さんの世界でも、セカンドオピニオンというのもありますが、私の所属する弁護士法人にもセカンドオピニオンの依頼が来ます。

「先生、これって大丈夫でしょうか?」みたいな感じで聞かれます。

私のほうで、違和感があったら、ストレートに違和感を伝えます。

この収益不動産って、むっちゃ儲かるんですよね?だから、買おうとしているんですよね?でも、そんなに、笑いが止まらないくらい、シビれるくらい儲かりまくる収益不動産だったら、何で手放すんですかね?私だったら、その話が本当なら、絶対売らずに持っておきますが。収益シナリオとか、仮説とか仮定とか入っていませんか?ほらほら、満室前提とか書いてあんじゃないですか。物件見ました?え?見ていない?知らない方と結婚するのに、お見合いなしで、いきなり式挙げる、みたいな話じゃないですか。意味わかりません。

この投資商品、あなたの複雑怪奇なお話を前提にすると、凄まじい利益が出るんですよね?すいません。私、こんな話、聞いたことがありませんし、理解も出来ません。あ、言っておきますが、私、一応、東大出てます。東大文一現役合格です。どうでもいいかもしれませんが。そこそこの国語読解力とそこそこの知性と教養と情報があります。その私が、いくら聞いても、何のこっちゃわかりませんし、そんな儲かり話、耳に入ってきたこともありません。むしろ、逆に、この種の『意味不明だが儲かる話』に安直に乗っかって大損こいて地獄に直行した事件については、いっぱい聞きます。私が知らなかったり、理解できなかったりするのは、私がバカで世間知らずか、売り込もうとしているあなたが混乱しているか、どっちかだと思っています。試みに問いますが、大変ご無礼なことかもしれませんが、学歴や経歴をお伺いしてよろしいでしょうか?いえ、大きな買い物であり、大事な決断なので、売り込もうとしている方の情報の信頼性を確認したいだけなんです。ついでに、前科や前歴や、所属していた会社の行政処分の情報もいただけるとありがたいです。いえ、強制はしません。任意です。ご随意です。あれ?黙っちゃった。黙秘します?黙秘権ですか。洒落た言葉知っていますね。警察とか検察とか裁判とかで使ったことあるとか。黙秘、結構でしょう。言いたくないんですね。はい、結構です。言わなくて結構です。ですって、社長。で、どうされます?この投資、やります?あ、やらない?あ、そ。聞いた?ですって。買わないって。え、ちょ、何。何、そんなに怒ってんですか?やだなあ、もう。そんなに顔を真っ赤にして怒んなくたっていいじゃない。まあまあ、落ち着いて。お詫びに、いいこと教えます。あなたのおすすめするその商品、あなた自身がお買いになったらどうですか?そうしたら、あなたがおっしゃるとおり、シビレルくらい儲かりますよ。儲かること間違いなら、多少お金がなくとも、消費者金融で借りたって、バカ高い金利を遥かに上回るエグいくらいの儲けが出ることでしょうから、あなた、たちまち大金持ちですよ。え?何?俺は買わないって?そんなの私のクライアントに勧めないでよ。ったく

節税スキームのご提案ですか。なるほど。この資料の一番最後に、ミジンコみたいに小さく書いてある字、ちょっと、読んでみていいですか。え~と、なになに。つか、小せえな、この文字、なんだよ。ったく。『本資料に掲載されている情報を、専門的な会計、税務、法務、その他の権限あるアドバイスの代用として用いるべきではありません。本資料の情報に基づき具体的な決定や行為を起こす前に、専門家に相談することをおすすめします。本資料では、信頼できる情報源から得た情報を、確実に掲載するよう適正な努力を尽くしておりますが、本資料作成者は、間違い、情報の欠落、あるいは、掲載されている情報の使用に起因して生じる結果に対して一切の責任を負わないものとします。本資料に掲載されている全ての情報は、その時点の情報が掲載されており、完全性、正確性、時間の経過、あるいは、情報の使用に起因して生じる結果について一切の責任を負わないものとします。また、あらゆる種類の保証、それが明示されているか示唆されているかにかかわらず、また業務遂行、商品性、あるいは特定の目的への適合性への保証、また、これらに限定されない保証も含め、いかなることも保証するものではありません。 いかなる場合にも、本資料作成者ないしその関係者は、本資料に掲載されている情報によって決定を下したり、あるいは行為を起こしたことにより、結果的に損害を受け、特別なあるいは同類の損害を蒙ったとしても、またその損害の可能性について言及していたとしても、一切の責任を負いません。』なるほど。何だ、自信ねえじゃん。売ったものについて自信ないから、トラブル起きても、知らねえよってことね。つか、トラブルなるじゃん。こんな過激な節税効果出るのに、税務当局が黙って、笑って許してくれるわけ、ねえじゃん。デカい暴力団にみかじめ料約束させられていて、これをエグいくらいちょろまかすようなアイデアというかトンチを実行する、って話でしょ。暴力団が、『ははは、こりゃ一本取られたわ!』と笑って、許してくれる・・・・なわけねえじゃん。一休さんと新之丞さんの掛け合い漫才じゃないんだから。というか、あんた達、売り込んでるの、それって、国税当局とのケンカの種、ってことでしょ。で、ケンカが生じたら、知らんぷり。え?税務に詳しい弁護士を紹介しますって?でも、それって費用こっちもちでしょ。また、カネかかんじゃん。それに、税務争訟って9割近く負けんでしょ。二次被害じゃない。ですって。社長。どうします?

といった具合に、割とむかつくようなセカンドオピニオン出してですね、相談してきたクライアントが、結局やめるとか考えるとかっていうようなこともあったりします。

どんなにエラそうで、立派そうな専門家の話であっても、重大な重大な決断で、違和感を感じれば、ちゃんと裏付けを取ってください、ということです。

またむかつくような話をしますけど、特に、自分の学歴とか経歴とかそういったものにコンプレックス持ってる人は要注意です。

そういう人ほど何かにすがりたくなっちゃったりだとか、立派な学歴見せつけられちゃうと、精神的にひれ伏しちゃう可能性ありますから、要注意ですよ。

たかが、学歴、経歴ですよ。アクセサリー程度の話であって、話の本筋が大事ですよ。

東大ごとき、私のような、いい加減な人間だって入れるくらいですから、そんなに大したことありません。

どんな人の話を聞くべきか、というと、「利害関係がないにもかかわらず、耳の痛いことを、口悪く言ってくれる人」です。

そうです、畑中鐵丸です。と、さりげなくセカンド・オピニオン営業入れちゃいました。

あと、聞くべき人といえば、お父さん、お母さんの話です。
昔から言います。親父の説教と、特上の冷酒(ひやざけ)。どっちも「後からよく利く」って。

お父さん、お母さんって、それなりに社会経験あったりしますし、利害関係ないというよりもむしろ、子どものためには本当に一肌二肌脱ぎますというか、自分の命に代えても子どもを守るっていう心意気で、子供の幸せを願いますので、そういう方々の小言や説教は、よく聞くべきです。

ただ、その当該お父さんやお母さんが、情報を持っていなかったり、本当のことを知らなかったり、誤解していたりすることもあります。

世の中、「カネを儲けたり、危機を避けたりするような、人生の切所で役に立つ、本当に大事なこと」ほど、本に載っていませんし、学校でも教えられませんし、学校の先生も親もほとんど知りません。

加えて、「老いては子に従え」なんて言葉のあったりするぐらいですから、お父さん、お母さんも年をとって、ヤキが回っているかもしれない。

いずれにせよ、「耳の痛いこと」を言ってくれる人の話のほうが、かえって自分の決断にとって重要なサポートになっている可能性があります。

とにかく耳の心地良いことばっかり聞いたり、自分にとって都合のいい話ばっかり聞くってことは、その人がバカになるってことです。

バカばかになっちゃいけませんよ。

耳の痛いことや厳しい見立ても聞いた上で批判的に考えるべきです。

「我、疑う故に、我あり」です。

疑う、あるいは批判的に考えるってことこそが、知性ある人間の思考ですから。

重大な決断に際しては、以上のようなことを考えながら、いろんな人の話を聞いて、たくさん迷ってください、ということになります。

著:畑中鐵丸

00121_「決断の技術」_3_「ズルくて、格好悪く、世間体の芳しくない選択肢」も検討する

全ての選択肢が抽出・整理され、決断の前提は整いました。A案・B案、整いました。

いよいよ、決断するフェーズ(局面)に来ました・・・・・が、もう一つ、「ずるくて格好悪い、世間体の芳しくない選択肢」もあるので、これを積極的に検討すべきです。

「やる」と「やらない」という最低二択という選択肢があるとお話しましたが、これ以外に、
「先延ばし」
「決断しない」
「決断から逃げる」
「ぐずぐずする」
という選択肢も存在します。

「何時やるの?今でしょ」
ではなく、
「何時やるの?後でしょ」
「今、決めなくてもいいでしょ」
ということです。

先延ばしやってる間に状況変わってくる場合だってありますし、「状況が好転するまで、往生際悪く、ジタバタして、ぐずぐずして待つ」っていうこともあります。

「即断・即決・即実行」といったことを推奨する処世の指南書も多いですが、世の中、そんな立派なキレイゴトですべてうまくいくわけではありません。

特に、「高い買い物」をするとか、重大な決断をする場合です。
「家を買うか買わないか決める」「買うとしてどの家を買うか決める」
「結婚するかしないか決める」「結婚相手を決める」
「従業員を増やすか、増やさすのを見合わせるか決める」「採用するとしてどの人間を採用するか決める」
という決断です。

そういう決断は、別に慌ててやる必要ないかもしれません。

「結婚」「家を買う」とかっていう決断って、これ一生もんの決断ですからね。
どんなに、いい異性でも、短所や欠点はあるはずです。

結婚なんかでいうと、結婚するのは自由ですし、簡単です。
他方、結婚は自由だけど、離婚は自由ではありませんし、結婚した関係はいつまでも続きます。

「いつまで続けるべきか」っと言われると、それはずっと続きます、死ぬまで続きます、という答えになります。

そして、別れるのにものすごいエネルギー要りますからね。

芸能人が、ビビッとインスピレーションで、いきなり「結婚しちゃいました」とかよく報道されますが、たいてい、その後が大変です。

家族や先輩や友人や恩師の話を聞いてからでもいいはずです。

とはいえ、女性からすると、「ぐずぐずしてると私も年取っちゃうし、先延ばしは困る」という話があり、焦っちゃうかもしれませんし、これは立場に依存します。

少なくとも、女性でも焦っていない方や、男性側としても劣化の心配がない方については、「別に、そこまで焦んなくても良いのに、何でそんなに慌てて決断するの?」という状況があったりします。

決断する、決断しない、という二択のほか、
「先延ばしをする」
「決断しない」
「決断から逃げる」
という、
「ずるくて格好悪くて世間体の芳しくない選択肢」
も必ずありますので、そういう「第三の選択肢」も必ず織り込むべきです。

もちろん、取引相手や決断に関わる関係者等の周囲からは、
「格好悪い」
「優柔不断」
「卑怯」
「男らしくない」
と言われるかも知れませんが、重大な決断であれば、いくら悩んだって、差し支えありません。

世の中、あまり考えず、インスピレーションに突き動かされて、慌てて、雑に「エイ、ヤ!」でやって、「あの果断な決断で、万事、うまくいった」という例は、実はあんまりなかったりします。

後から考えたら、「もうちょっと考えてからでも、良かったかな」という事例が多かったりします。

例えば、「不動産を買う」「結婚」「従業員を採用」といった事柄です。

従業員採用は、特にそうです。

どんなにいい若者や中途採用希望者が来たからといって、インスピレーションだけで速攻採用するのは危険です。

採用するのは自由ですが、解雇すんのは大変ですから。
「採用したら、関係はいつまで続きます?」
って、定年までです。
最長40年とかです。
本当に定年までずっと居続けちゃう可能性もあったりします。

「結婚は自由だが、離婚は不自由」「採用は自由だけども、解雇は不自由」
という畑中鐵丸の言葉もあります。

非常に重大な決断は、あんまり早く決めなくていいのかもしれません。

何でもかんでも、そんなに急ぐことはありません。人生長いですから。

著:畑中鐵丸

00120_「決断の技術」_2_決断の前提環境構築・選択肢を整理する

1、最低二択
「決断」という以上は選択肢がもう既にいろいろとあるはずです。

「選択肢がない」「一択」「これしかない」などという状態というのはあり得ないんですよ。

決断の前提環境構築として、まずきちんと選択肢を抽出して整理しておくべき、ということです。

ブレーンストーミングをして、いろんなアングルからいろんな選択肢を出すべきです。

どんな状況でも、絶対、一択ではありません。
最低二択ですよね。

「何かをする」という決断もあれば、「何かをしない」という決断もありますから、そういう形で選択肢を増やしてください。

2、プロコン分析(プロス&コンス分析、長短所分析)
選択肢を増やしたら、あまりバイアスを掛けずに、その各選択肢ごと、オプションごとに、プロコン分析、すなわち、プロス(長所)とコンス(短所)それぞれを評価する、長短所分析も加えていくべきです。

著:畑中鐵丸

00119_「決断の技術」_1_畑中鐵丸が説く「決断の技術」とは

畑中鐵丸が説く「決断の技術」ですが、一般に書店に並んでるような、「決断力!」みたいな、前向きでポジティブで、普通一般の方々でも使えるようなものではありません。

大体において、皆さんがむかつくような話をいっぱいする毒舌家の畑中ですから、また、金持ち相手の商売やってる畑中鐵丸が語る知的技術ですから、
「経営者・資産家・プロフェッショナル(士業・師業)・これらを目指す野心家に向た、ずるくて卑怯だけども、でもこれ使えるな」
という知的営みを指します。

著:畑中鐵丸

00118_特別セミナー_「決断の技術」を磨き上げる_youtube動画

1、畑中鐵丸が説く「決断の技術」とは

2、決断の前提環境構築・選択肢を整理する

3、「ズルくて、格好悪く、世間体の芳しくない選択肢」も検討する

4、迷い方、他人の意見の聞き方

5、間違ったとき、しくじったときのイメトレ

6、機嫌を良くする

7、「想定が狂ったとき」の想定をしておく

8、まとめ

著:畑中鐵丸

00117_「ベンチャー企業経営者が陥りがちなビジネス・マネー・人生全般における失敗」の傾向と対策_12_聴講者からの質問その4_先生は、刑事事件って受けられます?刑事事件について取り組む場合、どのような対応をされていますか?「畑中鐵丸先生”ならでは”のアプローチ」とかってありますか?

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本コンテンツシリーズは、アジア経営者連合会「ALA経営塾」主催にて、令和3(2021)年3月25日(木)17時30分開始にて行われました、弁護士畑中鐵丸の講演「組織と個人の用心棒、顧問弁護士の使い倒し方・ベンチャー企業経営者特有の失敗の傾向と対策~ベンチャー企業経営者なら皆さん身に覚えがあるビジネスやプライベイトの失敗事例と対策のための”あの手・この手・奥の手”を25年超のキャリアをもつベンチャー弁護士が直接伝授します~」の講演レジュメ及び講演録から編集したものです。なお、本講演内容は、筆者(講師)独自の見解であり、所属組織及びアジア経営者連合会ないしALA経営塾のものとは一切関係ありません。
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刑事事件は、刑事裁判にまでもつれ込んだら、負けです。

99.9%負けますから、こんな不利な土俵で戦うのは、あまりにも愚かです。

もちろん、無罪判決をお取りになったりする刑事「裁判」の名手のような弁護士先生もいらっしゃいますが、その先生でも、「常に、当然に、完全に、何時でも無罪判決を勝ち取れる」ということでもなかろう、と推察します。

要するに、「無罪判決を取れるスキルがある!」などと豪語される弁護士先生(奥ゆかしく、謙虚な私などは、こんな大言壮語は口が裂けても言えません)といえども、無罪が取れなかった「口先ばっかり」「看板倒れ」「約束不履行」のような「失敗事件」もあるとも思われますし、刑事裁判の強烈に高い有罪率(99.9%)を考えれば、単純に考えて、どんなに凄腕の刑事裁判のプロでも表には出さない「失敗事件」も相当の暗数として存在する、と考える方が合理的です。

他方で、そんな私でも、「刑事事件で勝っている」ケースは相当あり、それも結構な割合を占めます。

どうやっているか、というと、「裁判になったら」99.9%負ける、という動かしがたいゲームのロジック、ルールがあるわけですから、このゲームのロジック、ルールを所与として、前提条件をぶっ潰す、というところに注力して、「裁判にしない」「裁判になる手前で事件を潰す」という「やや特殊な刑事弁護活動」を展開するのです。

客観面で争う場面があれば、警察や検察が辟易するまで、徹底的に事実との齟齬を争い、
客観面で争うことが難しくても、主観面(認識面、故意か、過失か、不注意とすら言えない「事故」なのか)を徹底して争い、
客観面・主観面ともに争えなければ、「浪花節(情状面)」で争い、
事件ではなく事故として未立件・立件阻止を目指し、
立件やむなしとしても、不起訴を目指し
つつ、「裁判以前の手前の段階での事件潰し」を画策します。

私や、私が所属する弁護士法人畑中鐵丸法律事務所においては、このような「公判前弁護活動」を中心に刑事事件を取り扱う場合が多いのですが、かなり満足いただいている結果を出しているもの、と自負しています。

他方で、刑事訴訟にまでもつれ込んだら、本当に無罪を目指すのか、あるいは戦略を切り替えて執行猶予や減刑を目指すのか、作戦環境の現実的認識・評価を前提にして、作戦目標について徹底した議論を行い、こちらもしかるべき作戦目標が達成出来るよう、尽力することとしており、「否認事件で無罪判決勝ち取る」と言った劇的な成果はありませんが、当初設定した作戦目標(執行猶予や減刑)は、達成出来、かなり満足いただいている結果を出しているもの、と自負しています。

著:畑中鐵丸

00116_「ベンチャー企業経営者が陥りがちなビジネス・マネー・人生全般における失敗」の傾向と対策_11_聴講者からの質問その3_コロナ禍で労働紛争が増えていると思いますが、相談のトレンドや経営者の対応方針について、特徴のようなものはありますか?

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本コンテンツシリーズは、アジア経営者連合会「ALA経営塾」主催にて、令和3(2021)年3月25日(木)17時30分開始にて行われました、弁護士畑中鐵丸の講演「組織と個人の用心棒、顧問弁護士の使い倒し方・ベンチャー企業経営者特有の失敗の傾向と対策~ベンチャー企業経営者なら皆さん身に覚えがあるビジネスやプライベイトの失敗事例と対策のための”あの手・この手・奥の手”を25年超のキャリアをもつベンチャー弁護士が直接伝授します~」の講演レジュメ及び講演録から編集したものです。なお、本講演内容は、筆者(講師)独自の見解であり、所属組織及びアジア経営者連合会ないしALA経営塾のものとは一切関係ありません。
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著:畑中鐵丸

00115_「ベンチャー企業経営者が陥りがちなビジネス・マネー・人生全般における失敗」の傾向と対策_10_聴講者からの質問その2_令和の時代、コロナの時代に気をつけておくべきこととは、どのようなことでしょうか?

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本コンテンツシリーズは、アジア経営者連合会「ALA経営塾」主催にて、令和3(2021)年3月25日(木)17時30分開始にて行われました、弁護士畑中鐵丸の講演「組織と個人の用心棒、顧問弁護士の使い倒し方・ベンチャー企業経営者特有の失敗の傾向と対策~ベンチャー企業経営者なら皆さん身に覚えがあるビジネスやプライベイトの失敗事例と対策のための”あの手・この手・奥の手”を25年超のキャリアをもつベンチャー弁護士が直接伝授します~」の講演レジュメ及び講演録から編集したものです。なお、本講演内容は、筆者(講師)独自の見解であり、所属組織及びアジア経営者連合会ないしALA経営塾のものとは一切関係ありません。
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1、令和の時代、コロナの時代の「変化」の特徴

令和の時代・コロナの時代では、世の中が変わった。

「想像を絶する、誰もついていけない変化」ではなく、「来たるべきものとして想定されていた合理的でありうべき変化が、予定より早く訪れ、強い圧力で強制される」というタイプの変化。

2、経営スタイルの選択が強制される

企業経営の観点で言うと、経営スタイルの選択が求められるようになった。

「パワープレー(規模を武器にした経営)」か
「スマートプレー(効率性や機動性を武器にした経営)」か
を選択しなければならず、
「どちらとも言えない中途半端なプレースタイル(規模も中途半端なら、効率性や機動性も中途半端)」の企業や組織は、全て淘汰される。

実際、中途半端な規模で、やっていることもオンラインやデジタルを使わない、昔ながらのスタイルで、たいして価値のない商品やサービスしか提供出来ていない、いわば、「あってもなくても会社」「別になかったからといって困らない業態」の企業は、ことごとく淘汰されるか、苦境に喘ぎ、淘汰される状況にまで追い込まれている。

3、選択肢その1:パワープレー

大きな資源(ヒト、モノ、カネ、情報、セールスインフラ等)を用いる。

売上は大きいが、もうけは少ない。

大乗仏教的志向・メジャー志向であり、M&Aを積極的に行い、「スケールの大きさ」によって市場や

社会でのプレゼンスを大きくする。

組織の永続性が何より優先される。
すべてが組織のためであり、組織が何より優先される。
組織における秩序こそが最優先であり、組織防衛のため、法律や外部規範をないがしろにする。
客より、社会より、従業員より、組織の存続が最優先である。
客を犠牲にして、客を食い物にしてでも、組織を存続させる。

こういうパワープレーの企業は、景気がいいときは、「組織防衛優先、客や市場や従業員は軽視・無視」「組織維持存続最優先で、客や従業員は後回し」という矛盾が露呈することなく、市場に受け入れられ、根源的な利害対立構造もお茶をにごしつつ、なんとかやっていける。

ところが、苦境に陥ると、なりふり構ってられない。そして、構造が明確になり、矛盾が露呈し、あちこちで混乱が生じやすくなる。

もちろん、規模が大きいために「こんなでかい会社なら潰れないだろう」という妙な安心感(楽観バイアス)が働く成果、規模が大きいだけに、潰れると社会的影響が大きいせいか、銀行も資金調達に協力してくれる。

しかし、客の都合より自分の都合を優先してしまう体質があるため、あるいは、経営幹部が「天動説的な自己中心・組織中心の発想」から抜けきれず、敏感な客のニーズの変化や商売の環境変化に機敏に対応出来ず、後手後手となる。すなわち、安易な値上げ、安易な首切りに基づく士気低下とサービス悪化、その結果による、客離れによる負の循環を起こしてしまい、さらなる苦境に陥る。

規模が災いして、売上が減るほどにコストが減らず、一気に、凄まじい額の赤字に傾く。

従業員に対しても、手厚い対応をしていると組織の存続に関わるので、すぐさまリストラに着手する。

パワープレーは、「信用によるレバレジで資源を膨らませると同時にリスクを大きくする」という「信用売買の株式投資」のようなものであり、景気がよく、あるいは思惑どおりの場合はいいが、新型コロナウィルス感染拡大といった想定外の負の事象が発生すると、規模の大きさが災いし、全てが裏目に出て、苦境にあえぐ結果になる。

とはいえ、規模があると、規模による安心感が得られ、また、資金調達も(中小零細の場合に比べると)比較的容易なせいか、すぐにはつぶれないが、構造的には奈落の底に向かって下り坂を転げ落ちる。

4、選択肢その2:スマートプレー

スピード、スモール、スマート、ソフィスティケイテッドといった価値観を優先し、スケールは追求しない。というより、スケールはコスト上昇を招く、諸悪の根源と考える。

スケールが必要なら、組織拡大ではなく、AIやRPAやDXやアウトソース、さらには、事業の再定義を行って、「組織や資源のスケールアップ」を伴わない事業拡大を目論む。

小乗仏教的志向、インディーズ志向であり、メディア戦略やネット戦略を積極的に行い、「影響力の大きさ(フォロワー数)」によって、市場や社会でのプレゼンスを大きくする。

チームメンバー(といっても経営幹部)個人の都合が最優先され、組織は、単なる道具であり手段。
「個人のため、個人として、個人がやって楽しいか」が活動の最優先課題。

全て個人の感受性が優先される。

組織は二の次であり、客の動向を気にするし、また、客に目を配るだけの余裕や冗長性があるため、組織の存続以前に、客への還元、客との対話、客との良好なリレーションを重視する。

規模がないため、この点で脆弱性は否めないが、身軽で手軽なため、コストダウンへの耐性もあり、危機に見舞われてもしぶとく生き残れる。

もともと、市場や客との対話を重視し、市場や客の動向を気にするような、地動説的知性があるため、変化の萌芽を敏感に察知し、柔軟に環境に適応出来る。

総じて、自己資本が厚く、不況への抵抗力が強く、生き残ることが出来る。

5、パワープレーVSスマートプレー

パワープレーを志向する企業は、いわゆる、重厚長大と呼称される典型的な日本企業のイメージである。

数万人、企業によっては数十万人という人員を抱えた、国家に匹敵する膨大な資源を背景に企業活動を展開する組織がこれに該当する。

スマートプレーを志向する企業は、具体的には、アップル、ファーストリテイリング、任天堂、キーエンスといった企業である(これら企業も十分大きいですが、志向としてはスマートプレーヤー)。

これらのスマートプレーヤーは、「ファブレス」というキーワードでくくれる。

ファブレスとは、工場(fabあるいはfabrication facility)を持たない(less)ことから生まれた造語ですが、「工場を持たない」経営スタイルを指す。

「製造業を営みながら、製造のための施設を自社では保有しない経営上の方法論」を「ファブレス経営」と呼んだりします。

行うのは、製品に関する企画や開発だけ。

企画や開発が終了し、量産フェーズに入ったら、商品の製造については外部の向上に委託しますが、このような仕組みで活動する企業は「ファブレス企業(またはファンドリ)」と呼ばれる。

もちろん、上記のような巨大なスマートプレーヤーもいますが、他にも、「オーケストラ型」ではなく、「ロックバンド」のような、余剰人員や不要機能を削ぎ落とした少数精鋭ながら巨大な影響力を志向するベンチャー企業もたくさん存在する。

7、経営者の「パワープレー」信仰(バイアス)

言うまでもなく、価値序列としては、今後、「スマートプレー」がどんどん価値を増す。

他方で、「経営者一般」特に「昭和や平成の感覚が抜けきらない、古い思考の経営者」は、スマートプレーを忌避、嫌悪し、パワープレーを強く志向する思考偏向(バイアス)に汚染されやすい。

これは、「スマートプレー」にまつわるネガティブなイメージがあるから。

すなわち、「経営者一般」特に「昭和や平成の感覚が抜けきらない、古い思考の経営者」にとっては、
「スマートプレー」=「中小零細志向、閉塞感、縮小均衡、無名感、忘れ去られる、埋没する、ジリ貧、未来がない」
というネガティブな連想が働き、芳しからざる印象がある。

故に、「経営者一般」特に「昭和や平成の感覚が抜けきらない、古い思考の経営者」は、すべからく、パワープレー志向(偏向)・メジャー志向(偏向)に陥りがち。

8、パワープレーを志向した挙げ句、結局中途半端になって、失敗するパターン

パワープレー志向(偏向)・メジャー志向(偏向)が好況期には問題が露呈しないが、不況期になると途端に脆弱性を露呈することは、既述のとおり。

加えて、パワープレー志向(偏向)・メジャー志向(偏向)の致命的欠点は、パワープレー志向(偏向)・メジャー志向(偏向)の場合、常にトップシェア(一番手)のみが市場で認知されるが、二番手以下に転落すると、市場での認知が急速に低下することが知られている。

そのため、一度、パワープレー志向(偏向)・メジャー志向(偏向)のゲームに参戦すると、際限なき資源消耗・体力勝負によるトップシェア獲得競争を強いられるが、中途半端な規模で参戦しても、資源が追いつかず、永遠に二番手以下となり、好況期であっても、さほどのベネフィットが得られるわけではない。

結局、中途半端のままで、最終的には、資源不足のため、破綻してしまう運命にある。

9、「スマートプレー=中小零細志向、閉塞感、縮小均衡、無名感、忘れ去られる、埋没する、ジリ貧、未来がない」のか?

「経営者一般」特に「昭和や平成の感覚が抜けきらない、古い思考の経営者」の思考の偏向的習性とは違い、現実には、
「スマートプレー」「中小零細志向、閉塞感、縮小均衡、無名感、忘れ去られる、埋没する、ジリ貧、未来がない」
という公式が成り立つ。

さらに言えば、
「スモールでスマートだが、プレゼンス(存在感)としてはメジャー級」
という秩序破壊型プレースタイルが登場したのが令和・コロナの時代。

キーワードとしは、IT、DX、ネット、youtube、インスタ、フォロワー、SNS、検索順位、露出。

ネット空間やSNSにおいて、中小零細が突如として大企業に匹敵する影響力を持つことが可能となり、ビジネスにおけるリモートやオンラインの一般化が拍車をかける。

ただ、誰でも、「スモールでスマートだが、メジャー」という秩序破壊型プレースタイルを駆使できるわけではない。

知性とセンスと進取の気性が求められるし、昭和や平成の残滓が堆積する古い頭の経営者にとっては、難しいし、思考転換できない(スキルがないし、知性もないし、センスもない)。

結局、昭和や平成の思考や感受性の残滓が堆積する古い頭の経営者は、「知性とセンスと進取の気性が求められるスマートプレー」をギブアップし、昔ながらのメジャー志向を選択してしまう(こっちの方が、楽で、わかりやすく、バカでも出来るから)。

そして、結局、体力勝負・消耗戦に陥り、資源が続かず、中途半端のまま経営破綻を迎える。

10、推奨されるべきスタイル:「パワープレー」志向(偏向)を捨て去り、「スマートプレー」を研究し、実践する

そのために、思考の柔軟性・開放性、新規探索性、過去の成功例の放棄を行い、新しいゲーム環境に慣れていくことを、一刻も早く行う。

著:畑中鐵丸