00267_組織_「中から変える」という幻想_同意なしに動ける世界を、自分の手で広げていく

家族が入院していた病院で、目を疑うような出来事が起きた。

あるいは、信頼していた会社に、顧客としてずいぶんぞんざいに扱われた。

大切な家族が、組織ぐるみの甘い管理のせいで、深く傷ついた。

そんなとき、多くの人の口から、とてもよく似た一言が飛び出します。

「あの組織の中に、私を入れてほしい。理事でも、アドバイザーでもいい。中に入って、自分の手で、根っこから立て直してやる」。

怒りの正しさは、少しも疑っていません。

それほど傷ついたし、それほど腹も立った。

それは動かしがたい事実です。

ただ、この一言は、残念ながら、ほとんどの場合、そのままでは通りません。

なぜか。

相手に
「あなたをそこに座らせます」
と、頭を下げてもらわないと、椅子は1つも動かないからです。

交渉とは、こちらの叫びを相手の耳に浴びせることではなく、相手のほうに
「うなずく理由」
を用意してあげることです。

ここに気づかないまま戦いを始めた人は、たいてい、途中で息切れしてしまいます。

「同意のいらない世界」と「同意がなければ始まらない世界」

世の中の行動を、一度すっきりと2つの箱に仕分けしてみると、景色がずいぶん違って見えてきます。

1つめの箱には、
「相手の意向とは関係なく、自分の意思と自分のお金と自分の時間で、勝手にどんどん進められること」
が入ります。

2つめの箱には、
「相手が『はい』と言ってくれない限り、どう頑張っても一歩も動かないこと」
が入ります。

たとえば、あなたがNPO法人を立ち上げて、病院全般の安全管理のあり方を世に問う活動を始めるとします。

これは、1つめの箱に入ります。

相手の病院からすれば、
「そちらが、そちらのお金と労力で、うちとは別の法人を作って何をなさろうが、どうぞご自由に」
という話です。

文句をつけられる筋合いも、ブレーキをかける理由も、ありません。

ところが、
「その病院の理事に私を迎え入れろ」
「系列グループから病院を切り離せ」
と要求し始めた瞬間、話は2つめの箱にすっと移ります。

相手の病院は、相手の組織です。

あなたが、いくら理屈を研ぎ澄ましても、いくら正義の旗を高く掲げても、相手が
「はい、お願いします」
と頭を下げないかぎり、椅子は1つも動きません。

2つの箱のあいだに引かれているのは、一見、細くて頼りない線に見えます。

しかし、この線を見落としたまま戦いを始めると、人は本当に消耗してしまいます。

怒りのあまり、自分の力では開かないドアを、何時間でも叩き続けてしまうからです。

「中に入れろ」と言った瞬間、あなたは相手の掌のうえにいる

もう一歩、話を踏み込んでみます。

「中に入って、内側から変える」
というフレーズは、正義感の強い人ほど、つい、うっとりしてしまいます。

しかし、冷静になってみましょう。

相手の組織というのは、どういう場所でしょうか。

文字どおり、相手の家です。

相手の家の椅子は、相手が置いたもので、相手が招いた人だけが座るものです。

「入れてほしい」
と頼み込む構図は、すでに、頭を下げる側があなた、頭を下げられる側が相手、という上下関係のうえに成り立っています。

さらに、意地悪な言い方をしますと・・・。

「中に入れろ」
と声を張るほど、あなたは相手を有利にしてしまいます。

もし相手が
「わかりました、理事にお迎えします」
と言い出したら、それは多くの場合、戦う意思が折れたのではありません。

「この人は、椅子を1つあてがえば黙る」
と、算盤をはじいた結果です。

中に入った瞬間、あなたは、その組織の守秘義務と、その組織の顔色と、その組織の人間関係を、まるごと背負うことになります。

外で自由にしゃべれていた言葉が、内側の作法と空気にからめ取られ、だんだんと、語尾が柔らかくなっていきます。

「改革する側」
に入ったはずが、気がつくと、
「改革されるべき対象の、広報担当」
に回されている。

これは、小さな会社でも、大きな法人でも、驚くほど同じ形で起きます。

「中から変える」
という夢は、じつは、もともと変わる気のある組織に対してしか、ほとんど効きません。

本当に変わってほしい組織ほど、あなたを内側には入れてくれない。

もし、すっと入れてくれたとしたら・・・。

それはもう、ほぼ例外なく、あなたの口を静かに塞ぐための、丁寧な工夫です。

それでも「中の椅子」が動くときはある――ただし、呼ぶのはあなたの怒りではない

もちろん、歴史を見渡せば、
「中の椅子」
が外からの声で動かされた例は、ちゃんとあります。

ひと昔前の話ですが、大手の乳業会社が、傷んだ牛乳を市場に出してしまい、世間から厳しい批判を浴びた事件がありました。

彼らは、自社の常識なら絶対に役員に迎え入れないタイプの、口うるさい消費者運動の専門家を、経営の中枢に座らせざるをえなくなりました。

あるいは、漢字の検定を行っていた団体で、親子の理事による身内支配が問題になったケース。

監督する役所が動き、当時の理事親子は追い出され、団体と縁もゆかりもなかった外部の弁護士が、いきなり理事長の椅子に据えられ、組織の作り方そのものが、根本から組み替えられました。

どちらも、
「法的な手続き」

「理屈」
だけで起きた変化ではありません。

背中を押したのは、マスコミという拡声器、世論というどよめき、監督官庁という「見張り役」――組織の外側から吹き込んだ、相当に強い風でした。

一般の人が、自力でこの風を呼べるかというと、正直、かなり難しい。

風を呼ぶためには、相手の事情が、全国ニュースに載るほど世間の関心を集める必要があります。

これは、誰にでも登れる壁ではありません。

平たく言えば、
「組織の中の椅子」
を動かす外圧とは、めったに落ちてこない雷のようなものです。

雷を
「落としにいく」
ことはできます。

しかし、雷を呼び寄せる人生を続けるには、相当の体力と、相当の運が要ります。

雷が落ちる前に、あなたの人生のほうが先に終わってしまうことも、十分にあり得ます。

雷を待つあいだに、あなたはあなたの旗を立てられる

話を、明るい方向に戻します。

先ほどの2つの箱でいえば、じつは、
「同意のいらない世界」
のほうが、想像よりずっと広い。

自分たちでNPO法人を作って、啓発活動を始める。

現場で起きた実態を、冷静な記録として丁寧にまとめて発信する。

同じような悩みを抱える患者家族たちを集めて、情報を分かち合う勉強会を開く。

現状を憂えている専門家に声をかけて、ゆるやかなネットワークを作る。

自分のブログや講演で、経験と、そこから引き出した教訓を、こつこつと語っていく。

いずれも、相手の病院の許可は要りません。

相手の会社の同意も要りません。

監督官庁の鶴の一声も要りません。

あなたの意思と、あなたのお金と、あなたの時間さえあれば、明日にでも始められる話です。

ここで気づいていただきたいことがあります。

こうした活動を地道に続けている人たちこそが、結果として、先ほどの
「外からの強い風」
を作り出す当事者に、静かに育っていきます。

最初は一人きりで立てた小さな旗が、いつのまにか風を呼び、気がつけば、頑として動かなかったはずの組織の中の椅子すらも、ゆらゆらと揺れ始める。

これは、きれいごとではなく、わりと地味な、社会の仕組みの話です。

直接、相手の椅子を奪いにいった人ではなく、
「自分の旗を、自分の手で立て続けた人」
のところにこそ、いつか雷は近づいてきます。

「カネで動く話」と「カネでは動かない話」を、区別しておく

もう1つ、整理しておきたいことがあります。

「同意が要る話」
と一口に言っても、じつは、さらに2段階に分かれます。

1つは、
「カネで動く話」。

もう1つは、
「カネでは動かない話」
です。

たとえば、相手に
「うちのNPOに寄付してくれませんか」
と持ちかけるたぐいの話は、前者に入ります。

世間体、事業上の思惑、税制上の扱いなど、相手の側にも、首を縦に振る動機がそれなりに用意されていて、条件次第で、手を打ってもらえる余地があります。

一方、
「病院の運営に口を出させろ」
「組織の編制を変えろ」
といった話は、後者です。

これは、相手の組織の背骨そのものにかかわる問題です。

いくらお金を積み上げたところで、相手は、絶対に、首を縦には振りません。

背骨を抜かれるのは、組織にとって、死ぬよりつらい話だからです。

このあたりを、ごちゃまぜに語っていると、
「あの人たちは、お金でも動かない強欲な連中だ」
といった、ずいぶんゆがんだ被害者意識に行き着きます。

相手が動かないのは、強欲だからではありません。

そもそも、構造上、動きようのない話を持ちかけている、というだけのことです。

相手の性根が悪いのではなく、こちらが、交渉している階(フロア)を間違えている。

この一段深い見立てができるだけで、怒りの量と、その怒りの注ぎ先が、ずいぶん違って見えてきます。

自分のエネルギーは、「動かせる盤」に集中させる

怒りには、残念なことに、使える燃料に限りがあります。

「取れる果実」

「取れない果実」
を見分ける力のことを、古い言い方で
「大局観」
と呼びます。

遺産分割でも、離婚でも、労働紛争でも、企業間のもめごとでも、最終的にきっちり結果を出している人たちには、例外なく、この大局観があります。

大局観の中身は、意外なほど素朴です。

「自分の意思だけで動かせる盤」
と、
「相手の手を借りなければ動かない盤」
を、最初の3分で仕分ける。

そのうえで、自分の時間と、自分のお金と、自分の怒りのエネルギーを、
「動かせる盤」に7割、
「動かない盤」に3割、
くらいの配分で、黙って注ぎ込む。

多くの人は、これを、見事に逆にやってしまいます。

動かない盤に9割のエネルギーを叩きつけ、動かせる盤は手つかずのまま放置し、気づけば、疲れ果てた自分と、びくとも変わらない相手と、何もしなかった1年だけが、手もとに残ります。

賢い人は、これをやりません。

動かない盤のほうに、エネルギーを半分置いてきぼりにしてでも、動かせる盤で、静かに、自分の旗を立て続けます。

「勝つ」とは、相手を屈服させることではなく、自分の陣地を広げること

最後に、もう一段、視点を引き上げてみます。

多くの人は、
「勝つ」
という言葉を、
「相手を屈服させること」
と、同じ意味で使ってしまいがちです。

しかし、長く効いてくる勝ち方は、相手を屈服させることではありません。

「自分が、自分の意思と自分の力で、立てられる陣地を、一歩ずつ広げていくこと」
です。

相手の椅子を1つ奪うより、自分の椅子を3つ新しく置いたほうが、結果として、あなたの世界は、確実に広くなります。

そして、自分の椅子が増えていけばいくほど、皮肉なことに、かつてあれほど欲しかった相手の椅子が、だんだん、どうでもよく見えてきます。

本当に手が届きそうになった頃には、もう、欲しくなくなっている。

そんなことすら、普通に起こります。

組織の不祥事に腹を立てた患者家族が、最初は
「あの病院を、なんとかしてやりたい」
と言っていたのに、3年経って振り返ってみると、
「気がつけば、日本じゅうの病院の安全の基準を、少しずつ引き上げる方向に、自分の活動が効いていた」
という景色になっている。

これは、現実に、何度も繰り返されてきた話です。

「中に入れろ」
と叫んでいた人が、内側の論理に飲まれて、いつの間にかおとなしくなってしまった隣で、自分の旗をこつこつ立て続けた人が、外側の景色そのものを、静かに塗り替えてしまう。

これが、世間というものの、少し意地悪で、しかし、かなり正直な一面です。

今夜、紙の真ん中に、縦に一本、線を引いてみてください

もし今、あなたが、どこかの組織の理不尽にぶつかり、
「どう戦えばよいのか」
と胸ぐらをつかまれるような思いでいらっしゃるなら、今夜、白い紙と、ペンを一本、用意してみてください。

紙の真ん中に、縦に一本、線を引きます。

左側には、
「相手の同意がなくても、今の自分で始められること」
を、思いつくまま書き出します。

右側には、
「相手の同意がない限り、どうやっても動かないこと」
を、同じように書き出します。

書き終えたら、右側の項目には、ひとまず、そっと鉛筆でバツ印を置いておきましょう。

すぐに諦めろ、という意味ではありません。

「今夜、自分のエネルギーを注ぎ込む場所ではない」
という目印を、そっと置くだけです。

そうしたら、左側に並んだ項目を、上から順に、1つずつ眺めていきます。

おそらく、あなたが思っていたよりも、ずっと多くの選択肢が、そこにはあるはずです。

「戦う」
とは、相手の家のドアを蹴り破ることではありません。

自分の家を、相手より一歩早く、ほんの少しだけ広く、建てていくことです。

同意のいらない世界を、今日から、1つずつ、自分の手で広げていく。

ただ、それだけで、あなたの立ち位置は、昨日までとは違う場所に、静かに移り始めます。

著:畑中鐵丸