スーパーのチラシを比べて、卵が10円安い店まで自転車を走らせる。
これは立派な生活の知恵です。
でも、もし家が火事になったとき、消火器を買うかどうか値段で迷っていたら?
「もったいない」
と感じる感覚そのものが、状況によっては命取りになります。
今回お話ししたいのは、そういう話です。
「危機のときに、平時の節約マインドを持ち込むと、なぜ失敗するのか」
という、ちょっと逆説的なテーマです。
「情報」と「証拠」は、まったく別のもの
たとえば、何か重大な決断を迫られる場面を想像してみてください。
就職、進路、人間関係・・・どんな場面でもかまいません。
そういうときに
「白黒はっきりさせたい」
と思ったとします。
そこで2つの選択肢が出てきます。
ひとつは
「いますぐ自分で調べる方法」、
もうひとつは
「時間はかかるが、公的・正式な方法」。
前者はお金も手間もそれほどかからない。
後者は確実だけれど、時間がかかる。
ここで多くの人がやってしまう失敗は、
「どうせ後で正式な方法でやり直すなら、今やるのは無駄じゃないか」
と考えることです。
一見、合理的に聞こえます。
でも実は、この考え方には大きな落とし穴があります。
「いますぐ自分が知るため」
の情報と、
「第三者を納得させるため」
の証拠は、目的がまったく違います。
情報は、自分が次の一手を決めるためのものです。
証拠は、相手や第三者に何かを認めさせるためのものです。
前者はスピードが命で、後者は精度が命。
2つは似て非なるものなのです。
たとえば、
「この会社、なんか変だな」
と感じたとき、すぐに自分で調べてみる。
それで
「やっぱりおかしい、辞めよう」
と決断できれば、その情報には十分な価値があります。
後になって法的に証明できるかどうかとは、別の話です。
戦っているときに「節約」を考えると、もっと大きな損をする
危機的な局面、つまり
「有事」
において、情報をケチることは致命的です。
なぜなら、判断が遅れるほど、失うものが増えていくからです。
「どうせ後でやり直すなら今は待とう」
と考えている間にも、状況は動き続けます。
その
「待つコスト」
は、ふつう見えにくい形で積み上がります。
機会の損失、時間の消耗、精神的な消耗・・・それらは数字になりにくいぶん、見過ごされやすいのです。
「二度手間になるのが嫌だ」
という感覚は、平和な日常では美徳です。
でも、局面が緊迫しているときには、その感覚が判断の邪魔をします。
しかも、先に情報を持っていることには、もうひとつの強力なメリットがあります。
それは
「先手を取れる」
ということです。
交渉でも、競争でも、人間関係のもつれでも、先に事実を把握している側は、圧倒的に有利な立場に立てます。
早めに動くことで、長引くはずだったことが、あっさり片付くこともあります。
歴史を振り返っても、ビジネスを見ても、
「競争や争いで負けるのは、リソースを持っていない人よりも、リソースを持っているのに使わなかった人」
であることが多い。
情報を得るための小さなコストをケチって、大局を見誤った例は、枚挙に暇がありません。
「もったいない」の正体
では、なぜ人は有事でも
「もったいない」
と感じてしまうのでしょうか。
それは、私たちの判断が、ほとんどの時間を過ごす
「平時」
に最適化されているからだと思います。
日常生活では、慎重に比較検討して、無駄を省く習慣が正しく機能します。
それが身についているほど、
「賢い人」
とみなされる場面も多い。
だから、危機的な局面に入っても、同じ判断基準をそのまま使ってしまいます。
でも、状況が変われば、最適な行動も変わります。
平時の美徳が、有事の足かせになることがある。
これは
「悪い習慣」
ではなく、
「正しい習慣の、間違った場面での適用」
という、より根が深い問題です。
だからこそ、大事な局面に差し掛かったとき、ひとつ立ち止まって自分に問いかけてみるといいかもしれません。
「私はいま、平時の感覚で動いていないか?」
と。
情報への投資を惜しまないこと。
それは、危機のときに自分を守る、もっとも確実な方法のひとつです。
著:畑中鐵丸