相続というものは、
「家族の健康診断書」
になります。
普段は元気そうに見えていた家族が、いざ診断を受けてみると、あちこちに
「知らなかった持病」
が出てくる。
そして厄介なことに、その
「持病」
の請求書が、故人ではなく残された家族に届く——そのような話が、今日も日本のどこかで、起きています。
今回ご紹介するのも、そんなケースです。
「知らなかった」というポジションの、二面性
ある家族の相続手続きの過程で、次のようなことが明らかになりました。
母親が、相続財産に関連する約3億円もの連帯保証債務を負っている、というのです。
しかも母親本人は、そのことを
「きちんと認識していない可能性がある」
というのです。
「知らなかった」
というのは、世間では同情を集めやすいポジションです。
「だまされた被害者」
「何もわかっていない気の毒な人」
と見られがちです。
ところが法律の世界では、
「知らなかった」
は、免責の言葉にはなりません。
連帯保証というのは、署名捺印した瞬間に効力が生じます。
理解していたかどうか、説明を受けたかどうかは、原則として、債権者(つまりお金を貸した銀行)との関係では関係がない。
いわば
「無知は無罪にならない」
というルールが支配しています。
世間では
「知らなかった」
と言えば許してもらえる場面が多い。
しかし銀行は、あなたの無知に同情はしても、請求書を引っ込めはしません。
家族は、最も近くて、最も情報格差が大きい関係
「なぜそんなことになったのか」
と不思議に思われるかもしれません。
ところが実務の現場では、このケースは珍しくもない光景です。
いずれ事業を継ぐものと目されていた長男が、父親に言われるがまま、銀行融資の際に
「お母さんのハンコも、もらいたい」
と言う。
母親は
「家族のためなら」
と、内容をよく理解しないまま押してしまう。
銀行も、保証人に対して説明をすることは求められています。
ただ、最終的に
「本当に意味を理解しているか」
まで、完全に確認する義務があるわけではありません。
そのため、保証人である母親があとから
「よくわからないまま判子を押してしまった」
と言っても、それだけで無効になるとは限らないのです。
もっとも、近年は個人保証人を守るルールが強化され、銀行側の説明や確認も、以前より丁寧になってきてはいますが。
このケースでは、3億円近い債務が、事業に直接かかわることのない母親の名前で、静かに積み上がっていきました。
家族というのは、最も親密な関係でありながら、同時に、最も情報格差が生まれやすい関係でもあります。
「家族なんだから大丈夫だろう」
という信頼が、説明の省略を生み、省略が無知を生み、無知が後日の悲劇を生む。
これは裏切りと呼ぶには少し酷で、しかし善意と呼ぶには少し甘い。
そして皮肉なことに、家族への愛情が深ければ深いほど、法的リスクも大きくなる——それが、この問題の本質です。
財産目録が、問題を表面化する
被相続人の財産目録を作ることは、家族の
「見て見ぬふり」
を終わらせます。
平時には曖昧なままでよかったものが、数字と文書によって、白日の下に晒される。
家族の中の
「なんとなく」
が、有無を言わさぬ記録になる。
3億円という連帯保証債務も、まさにその過程で表面化したわけです。
誤解してはいけないのは、問題は財産目録を作ったことで生まれたのではない、ということです。
財産目録を作る前から、すでにそこにあったのであり、相続のときに
「発見」
されただけです。
真の問題は、「誰が悪いか」ではなく「何が起きているか」
こうした状況で、家族の間に不協和音が生じるのは自然なことです。
しかし、よくあるトラブルパターンは、その不協和音が感情的な犯人探しに発展することです。
「長男が勝手にやった」
「いや、そういう話だったはずだ」
——こうなると、解決から遠ざかる一方です。
弁護士だけが潤う展開の、典型的な入り口です。
本来やるべきことはシンプルで、かつ地味です。
「まず、事実を正確に知る」
ことです。
誰が何に、いつ、どのような条件で署名したのか。
保証人である母親はどの程度の説明を受けていたのか。
その保証債務は現在どういう状態にあるのか。
これらを感情抜きで整理することが、唯一の出発点です。
感情は事実の後でいくらでも出せます。
しかし事実は、感情が先走った後では、なかなか冷静に見えなくなります。
「家族への信頼」は、法的な免責にはならない
愛情と法律は別の言語で動いています。
家族の間では
「信頼しているから大丈夫」
が通じても、銀行の窓口では通じません。
「知らない」ことは、守ってくれない
無知は悲劇を生みますが、無知は言い訳にはなりません。
「知らなかった」
で同情は買えても、債務は消えません。
知ろうとする努力は、愛情と同じくらい、大切な家族への責任です。
問題は、見えた瞬間に生まれるのではない
問題は、見ないでいた時間の中に積み上がります。
暗がりに置いておけば問題が消えるわけではなく、ただ見えなくなるだけです。
見えない問題は、解決できません。
感情の前に事実を。事実の後で感情を
家族の紛争を複雑にするのは、事実と感情が入り混じることです。
感情を先に出すと、事実が歪んで見えます。
事実が歪むと、解決も歪みます。
まず事実を冷静に整理し、それから感情を出すのが、遠回りのようで最も近道です。
家族の相続とは、故人が生前に片付けられなかったことの、総決算です。
このケースでは、3億円もの保証債務も、家族の不協和音も、すべては
「なんとなく」
のまま先送りにされてきた、父親の置き土産でした。
「あなたは、きちんと伝えましたか?」
その問いは、遺された家族だけに向けられているわけではありません。
逝った父親こそ、誰よりも深く、その答えを知っていたはずです。
*本稿は一般的な知識・教養を目的としたエッセイであり、個別の法律・税務相談ではありません。
具体的な問題については、専門家にご相談ください。
著:畑中鐵丸