00137_敵に塩を送らず、毒を送れ_20211220

今回は、軍事作戦や外交戦略の話です。

「敵に塩を送る」
という逸話、というか美談があります。

戦国時代、海に面した領地を持たない甲斐の武将、武田信玄は、東海地方から塩を手に入れていました。

しかし、領主今川氏真は、関東地方の北条氏康と同盟を結び、武田領へ塩を売らない措置をとりました。

信玄の苦境を見かねたのが、宿命のライバル、越後の上杉謙信です。

信玄のもとに、謙信から
「争う所は弓箭に在りて、米塩に在らず(我々は、武力で正々堂々と争うのであって、生活必需品の流通を妨害したような卑劣な争いはしない)」
という手紙が参ります。

そして、謙信は、手紙で宣言したとおり、商人たちに公正な価格で武田領に塩を売らせた、というエピソードです。

現在でも、このような美談に酔いしれ、ビジネスの競争や、法的な紛争の場面で、交戦中あるいは熾烈な交渉の最中に、騎士道精神を発揮して、苦境の敵に情けをかけようとするが方がたまにいます。

もちろん、
「すでに勝敗が確定して、圧倒的で確定的な勝利を手にし、相手が降伏したあと、相手に靴をナメさせた上で、降伏した相手が心から感謝と敬服を示したことを確認してから、施しをくれてやる」
という文脈で相手にプレゼントをする態度は、極めて合理的です。

他方、勝敗が定かではない状態で、交戦状態にある敵に対して情けをかけるのは、あまりに危険であり、愚劣です。

そもそも、敵が困っているなら、敵の困惑を助長して、ギブアップを加速化させるような措置をとるべきです。

この点、天下統一を果たした豊臣秀吉やその帷幕にあった黒田官兵衛は、
「三木の干し殺し」

「鳥取の渇え殺し」
といった、
「謙信の美談とは真逆ともいうべき、苛烈な兵糧攻め」
を好んで採用し、赫々たる戦果を挙げていきました。

「三木の干し殺し」
は、糧道を完全に遮断した上で、籠城した兵士や家族7500人の1年以上にわたり補給なしで飢餓に追い込み、1000人以上の餓死者を出させた上で、自軍には損害を出さず、攻城に成功しました。

「鳥取の渇え殺し」
は、軍事作戦としてさらに洗練されています。

秀吉は、事前に、城内の米を高値で買い上げ、予め城内の兵糧を枯渇させておきました。

このようにして、補給の消耗を加速化させていたため、城内に逃げ込んだ兵士や近隣農民等3500人はすぐさま飢え始め、やはり、自軍には損害を出さず、より早く開城に成功させています。

秀吉や官兵衛の戦利を徹底した作戦遂行の姿勢は、もちろんヒューマニズムも美しさはありません。

周辺で小競り合いを繰り返したりしたものの
「地方領主」
の域を出なかった謙信と、天下統一を成し遂げた歴史上の英雄である秀吉、という比較においては、どちらの作戦手法が評価されるべきかは、明らかではないでしょうか。

飢えている敵をさらに飢えさせるのは、作戦として合理的です。

作戦手法としての合理性だけで言えば、さらに優れているのは、
「敵に塩を送る」
わけではなく、
「何も送らない」
というわけでもなく、塩がなくて困っている敵に
「青酸カリを薄く、まんべんなく混入させた塩」
を贈呈することです。

タイミングとしても、
「敵が、塩が不足して、困って、困って、困って、喉から手が出るほど塩が必要な頃合い」
を見計らって、恩着せがましく施しをしていやるような態度で、
「青酸カリの入った塩」
をプレゼントすることです。

と、かなり物騒な話をしましたが、ビジネスの交渉や、法的紛争における交渉場面や、あるいは国家間の外交交渉においては、この種の作戦手法を実践ないし応用する場面があります。

ビジネスの交渉や紛争解決の交渉場面においては、互いに条件を出し合い、その歩み寄りが可能かどうかを検証していきます。

その際、困っている敵対勢力に、騎士道精神やヒューマニズムを発揮して、相手が欲しがるものを気前よくくれてやるのは、絶対やってはいけないことです。

情けが災いを呼び、交渉が長引き、さらには、自身を窮地に追い込むことにも成りかねません。

相手が欲しがるものを気前よくくれてやるのは、あくまで相手が完全に降伏した後です。

もちろん、敵に意地悪をするのはありです。敵方が困っているときに、敵の急所を繰り返し攻撃したり、
「敵の傷口に塩を擦り込み、辛子とわさびを塗り、最後に、レモンを絞る」
ような、
「わかりやすい」
攻撃も、ありなのですが、やや洗練と上品さに欠けます。

こういう
「わかりやすい、えげつない嫌がらせ」
をすると、敵のほか、周囲の反発や離反を招き、孤立を深めます。

相手に恨みを買って妥協が遠のき、また第三者の忌避を買って中立的な仲介者を介した調整も困難となり、最終的な合意に至るまでの時間とエネルギーがより多く費消することとなり、作戦や交渉遂行上の資源動員の効率性を損ねます。

最善手としては、
「一見して毒とは解らないが、後でよく効く遅効性の毒」
を混ぜた、表面上は相手の立場に配慮した和解条件を織り込んで、妥協を呼びかけることです。

そして、このような毒入り条件も、即座に提示するような愚を犯しません。

時間的冗長性を徹底的に戦略的に活用し、のらりくらりと困惑した相手をさらなる窮地に追い込んでいき、
「死ぬ寸前まで追い詰められ、精神的余裕を喪失した相手」
が、
「毒」
の存在を見過ごすような錯乱した状態になる状況を構築します。

このような環境を整えた上で、
「救いの手」
にみえる
「悪魔の手」
を差し伸べることが効果的です。

こういう言い方をすると、
「そこまでやるんですか」
という声が聞こえそうですが、産業界や政界や官界のエスタブリッシュメントたちは、ごく自然にこういう発想で事態対処をしています。

そして、
「対処行動の本質の卑劣さ」
とは完全に反比例する形で、ジェントルに、エレガントに振る舞いながら、こういう卑劣な営みを、肩に力を入れることなく、スマートにこなしているのです。

他方で、危機対処に失敗するような中堅中小企業オーナーは、愚かなヒューマニズムと騎士道精神を発揮して、会社や自身を窮地に陥らせたり、あるいは、そのまま地獄に直行したりするのですが、戦国時代の牧歌的な美談に酔いしれることなく、現代のエスタブリッシュメントの戦利を追求した冷徹なスタイルをもっと見習うべきかもしれません。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.171、「ポリスマガジン」誌、2021年12月号(2021年11月20日発売)