00136_「訴えてやる!」と言われた場合の対処法(続)_20211120

今回は、前回の続編として、弁護士っぽい話となりますが、
「訴えてやる!」
と言われた場合の対処法を続けて解説します。

例えば、名誉毀損とか侮辱されたという類の喧嘩が起こったとして、トラブルの相手が
「訴えてやる」
と言ったところ、こちらが
「どうぞ、訴えるか訴えないかはそちらの自由です。訴えたければどうぞ」
と対応し、相手が
「よし、覚えとけ。次に会うのは裁判所だ!」
と言って、破談となったとしましょう。

相手が、宣言どおり、現実に、訴訟を提起するとなると大変です。

というか、ほぼ無理です。

・まず、訴訟の相手はどこの誰で、具体的に特定されているか。名前は本名か、免許証等で確かめたか、住所は把握しているか。
・訴訟の具体的内容をミエル化・カタチ化・言語化・文書化・フォーマル化していくとして、「いつ、誰が、どこで、どうして、どのようなことを行い、それがどのような法律要件に該当し、損害賠償請求権を生み出すのか」は明確にできているか。
・賠償額をいくらにするのか。1万円か、10万円か、100万円か、1億円か。
・金額が大きくなれば印紙代もかかるが、無駄にならないか。
・主張する事実に関する証拠をどのように揃え、整理し、提出の準備を整えるか。手持ちの証拠で十分か。
・これだけの検討や準備や作業を独力でやるのか。そんな事務資源や知的資源が自分にあるのか。
・事務資源や知的資源が自分にないとして、弁護士に依頼するのか。弁護士はいくらで引き受けてくれるのか。
・仮に、一審で勝ったとしても、相手が争って控訴がはじまったら、また、弁護士費用がかかるのではないか。最高裁にも行くのではないか。
・そうやって、かけた弁護士費用分、きっちり賠償金が得られるか。

・・・・・などなど。

こんな疑問や、実施上の難題が、次から次へと浮かび上がります。

そして、これらの実施上の課題をクリアしようとすると、弁護士に依頼する場合はもちろんのこと、自分でやる場合であっても(そもそも、このレベルの事件では、素人さんにとっては、独力で訴状を書き上げることすら不可能かもしれません)、うんざりするような手間や時間やコストや労力がかかります。

さらに、残念なことに、名誉毀損の賠償相場は極めて低く、今回のようなケースで認められるとしても(そもそも認められない可能性も大変高いです)、100万円台はまずなく、10万円以下ではないでしょうか。

こんなプロジェクト、本当におっぱじめたら、経済的にも、労力的にも、精神的にも大変な負担を覚悟しなければならず、悲壮な覚悟が必要になります。

となると、経済合理性の点でもっとも賢明な選択は、
「訴えてやる」
と勢いよく宣言したことはおいといて、かなりかっこ悪いですが、実際は、
「訴えず、何もせず、諦める」
という態度決定です。

「やられたら、どうするか?」

やり返してはいけません。

「やられたら、泣き寝入り」
が正解です。

そして、おまけです。

「念書を書け」
と言われても、そんなもの書く義務はまったくありません。

ですので、応答としては、
「ヤだ」
が正解です。

念書作成を要求された場合、私などは、
「念書、念書、念書ってさっきから何度も言っておられますが、そんなに念書がほしいの? こっちはイヤなんだけど、そちらがどうしても念書がほしいんだったら、東京地裁に、『これこれこういう念書を作成し、交付せよ』という訴訟を提起すればいいじゃないですか。そちらが訴えたら、こっちはこっちで、最高裁まで3回は争わせていただきます。万が一、最高裁で敗訴が確定し、さらに、確定判決に基づいてそちらが強制執行を申し立てたら、その段階で、おとなしく従ったほうがいいか無視するか、改めて、考えます」
と答えることにしています。

「念書? ヤだ」
といっても、相手が引き下がらないとします。

義務がないことを強く求めたら、強要罪に該当します。

ローマ法皇や皇族の方々のように、ジェントルかつエレガントに念書や詫び状をお求めになるのであれば問題ないでしょうが、詫び状をしつこく求めるような通常のケースですと、暴力や害悪の仄めかしを伴うので、強要罪ないし脅迫罪、少なくとも迷惑防止条例違反には該当するでしょう。

実際、滋賀県近江八幡市のボウリング場で店員に言いがかりをつけ土下座させた、
「元気が良くて、声の大きい、権利意識高めの舗装工のお兄さん」
がいらっしゃったのですが、このお兄さん、大津地裁で、強要罪に問われ、2015年3月18日、懲役8月の実刑判決を食らっておられます。

あまりしつこくやられたら、こちらが被害者として、警察を呼んで対処すればいいだけです。

いずれにせよ、
「訴えるぞ」
と、明らかに実現性のないハッタリかまされてビビるのもダメですが、
「念書書け」
と言われ、言うなりになって書くのもアホです。

もちろん、こんな対処法、学校で教えてくれませんし、そもそも、教師は知りません。

親も知らないでしょう。

世の中、こういう、
「学校や親が教えてくれないが、生きていく上で、絶対知っておくべき、非常識なリテラシー」
がかなりの数存在するのです。

一番、いいのは、弁護士に聞くことです。

その前提として、疑問に思ったら、弁護士に聞ける環境を作っておくことです。

さらにさらにその前提として、常識という
「バイアス」
に依拠せず、
「相手はこう言っているけど、ほんまかいな」
と疑問に思うこと、です。

「我、疑うゆえに、我あり」

懐疑は、知的な人間としての、本質であり、すべてです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.170、「ポリスマガジン」誌、2021年11月号(2021年10月20日発売)