00071“畑中鐵丸”流スピリチャリズム_20100220

ちょっと前(注:2010年2月当時です)に、スピリチャルや風水といった幸福追求の条件・環境を非科学的なものに求めるムーヴメントが起こり、今ではすっかり日本社会に根付いた感があります。

私個人としても、科学では解明できないこの種の見方・考え方に対してアレルギーはなく、むしろ、精神的に豊かな生活をしていく上で、うまく取りいれていきたいと考えています。

とはいえ、本を読んだり、怪しげなセミナーに行って勉強したりする気はさらさらなく、自分が適当かつ勝手に確立した「我流スピリチャリズム」を突き通すつもりです。

今回は、「鐵丸流スピリチャリズム」の一つをご紹介します。

私が実践する「鐵丸流スピリチャリズム」の中に、「不幸のアイテム」を自分の身の回りから排除するということがあります。
「不幸のアイテム」とはどのようなものか、というと、その代表選手はキャラクター系のぬいぐるみです。
「20代前半のお母様と子供だけが暮らしている家賃数万円のアパートの部屋」と「50代の知的でリッチな企業経営者の書斎」とをイメージしてみてください。

「前者には必ずといっていいほどお見かけするものの、後者には絶対存在しないアイテム」があることに気づかれると思います。

すなわち、「20代前半のお母様と子供だけが暮らしている家賃数万円のアパートの部屋」には、ほぼ確実な割合で、アメリカ生まれのネズミをモチーフにしたキャラクターのぬいぐるみや、山梨生まれのネコをモチーフにしたキャラクターのぬいぐるみ等が所狭しと置かれているような気がします。

これらキャラクターは「子供に夢を与える」というお題目で創造されたものだそうですが、私には、なんとも貧乏臭く、子供がこの種の「ケバケバしくて品のかけらもない、見た目に明らかなツクリモノ」に囲まれて育つと、夢はさておき、知性や想像力のカケラもない大人になりそうな感じがしてしまいます。

なお、「夢があふれる子供」というのも、見方を変えれば、現実社会との適応に精神的な障害があるということも言えるのであり、そもそも「夢を与える」というお題目自体、セールストークとしてのすばらしさはさておき、教育理念としては安易に過ぎるのではないかと思うところです。

いずれにせよ、私には、ケバケバしいネズミややたらと顔のデカイネコの類は、「不幸のアイテム」の代表選手であり、「鐵丸流スピリチャリズム」から言えば、こういうアイテムを身の回りから排除するとシアワセがやってくるか、少なくともフシアワセの進行を止めることができる、ということになります。

実際、キャラクター系のぬいぐるみを山のように買い込んで部屋に並べ、ただでさえ狭いアパートを狭くしている母子家庭の母のところには、きちんとした男性が寄りつかないような気がします。

他方、この種のぬいぐるみ類をすべて廃棄し、たとえ安アパートでも、茶室のように「狭いながらも小奇麗で静謐で趣味のいい」感じにしておくと、良縁もめぐってきそうな気がします。

幸・不幸などというのは、所詮、人の器量と努力によって定まるものであり、アイテム一つでどうにかなるものではありませんが、生活環境を「小奇麗で静謐で趣味のいい」ものにしておくというのは、短い人生を豊かに生きるという意味においても実践する価値があると思います。
このように「鐵丸流スピリチャリズム」には、他にも実践可能ないくつかの生活スタイルがあるのですが、文書にして公にするには少し躊躇を覚えるような内容も相当ありますので、割愛させていただきます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.030、「ポリスマガジン」誌、2010年2月号(2010年1月20日発売)

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