00102_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」30_(16)いいカッコをしたり、いい人であろうとしたり、正義のヒーローを演じようとすると、必ず身を滅ぼします_その2_20200920

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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前回、
「人は生きている限り、法を犯さずにはいられない」
「人間がどんなに修行を積んで、立派になっても、欲には決して勝てない。法やモラルを守れといっても、人間が動物である限り、本能と衝突した場面では、必ず、本能が法やモラルに打ち勝つ」
「どんな人間であれ、生きている限り、1日最低1つは法を犯す」
という社会科学上の絶対真実ともいうべき原理ないし法則をお伝えしました。

しかし、物事には必ず例外があります。

すなわち、
「人は生きている限り、法を犯さずにはいられない」
という絶対的かつ普遍的な法則にも例外があり、
「生きていても、絶対法を犯さない」
というタイプの方が、私の知る限り、少なくとも2種類存在する、と述べました。

では、この
「生きていても、絶対法を犯さない」
というタイプの人種、どんな属性の方なのでしょうか。

いえ、カトリックの神父さんとか大きな神社の神主さんや名刹のお坊さんとかではありません。

カトリックの神父さんの児童の性的虐待や、
「姉弟の間で、文字通り『血で血を争う抗争』」
となった神社の内部抗争等をみれば、むしろ、
「どんなに立派(そう)な人間でも、決して欲には勝てない」
というシンプルながら、強烈な現実を再確認することができるくらいですから。

(5)「生きていても、絶対法を犯さない」というタイプの人間その1―受刑者―

「生きていても、絶対法を犯さない」
というタイプの人種の1つ目は、懲役刑を食らって刑務所に収監された受刑者の方々です。

これらの方々は、別に、法令遵守意識が高いとか、精神が高邁・高潔というわけではありません(私の勝手な推測ですが、おそらく真実に近いと思います)。

普通の人と同じく、いや、普通の人以上に、欲に素直で、ルールやモラルに無頓着で、さらに言うと、大胆に法を犯したか、はっきりとした痕跡を残したか、あるいはその双方をやらかし、普通の人より大きなしくじりを犯した方々です。

ですが、受刑者の方々は、どんなに法を犯したくても犯すことは不可能です。24時間監視されて、自由が奪われ、社会との接点がないからです。

(6)「懲役」というペナルティの本質的過酷さ

深夜の高速道路の自動車のスピード状況や、かつての大阪市内の路駐の状況をみれば、
「ごく普通の市民であっても、生きている限り、個人単位で、1日に2つ3つ法を犯しながら、生活している」
という事実はご理解いただけると思います。

除夜の鐘が108とかいわれ、煩悩は108程度ですが、普通に生活していたら、法令違反の数は1年間で軽く1000を超えます。

我々は、そのくらい、日々法を犯しながら、平気な顔で生きているのです。

ところが、犯罪者の方々、すなわち、

・「法を無視ないし軽視するような性格・気質」を生まれ持っている
あるいは
・「欲得やスリルや刺激を抑えきれず、法を犯すのが大好きな特異な精神傾向」を有している
ような特定属性の方々が、
「どんなに法を犯したくても、24時間監視体制下にあって、社会との接点もないため、決して法を犯せない」
という環境で長期間過ごさなければならない。

そこに、懲役刑というペナルティの本質があると考えられます。

すなわち、懲役刑というペナルティの本質的な意味は、
「どこかに閉じ込めておくこと」
「どこかに隔離しておくこと」
ではありません。

もし、懲役刑がそういう趣旨をもつのであれば、犯罪者をまるごと、脱出手段をなくした絶海の孤島に放り出せば、済むはずです。

刑務所設備もそのメンテナンス費用も刑務官その他の人件費も大幅に削減され、
「犯罪者のために多額の血税を投入する」
という無駄もなくせます。

多額の建築費・設備運営費・人件費をかけて、24時間監視体制で自由を奪うインフラを作って運営するのは、犯罪者に対して、単純な隔離以上に、受刑者により積極的に働きかける意義と必要性が存在するはずです。

要するに、
「犯罪者、すなわち、『法を無視ないし軽視するような性格・気質』を生まれ持っている、あるいは『欲得やスリルや刺激を抑えきれず、法を犯すのが大好きな特異な精神傾向』を有しているような特定属性の方々」
に対して、
「一定期間、24時間監視体制の下、社会との接点を失くさせ、『法を犯したくても、決して法を犯せない』という状況ないし環境」
に追い込み、強烈な精神的な負荷をかけさせる。

このように、
「『法を無視ないし軽視するような性格・気質』を生まれ持っている、あるいは『欲得やスリルや刺激を抑えきれず、法を犯すのが大好きな特異な精神傾向』を有しているような特定属性の方々にとって、悪夢というべき、最悪な環境」
を作って、そこに犯罪者を送り込むことを以て懲らしめとする、という点にこそ、懲役刑というペナルティの根源的負荷性があるものと思われます。

要するに、
「普通の人なら、普通に生きて、普通に1日2つや3つの法を犯しつつ、娑婆で気ままに生きれる」
という自由があるところ、懲役刑を食らうと、
「普通の人のように、気軽に、自由に、カジュアルに法を犯そうとしても、24時間監視され、社会との接点がなく、自由が奪われた状態で、気ままに法を犯せない」
という窮屈な生活を強いられる。

しかも、
「普通の人と同じく、いや、普通の人以上に、欲に素直で、ルールやモラルに無頓着」
というリベラルでファンキーな方に、普通の人より窮屈な生活を強いる、という苦痛を味わわせる。

ここに、懲役刑のペナルティとしての厳しさがあるものと思われます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.157、「ポリスマガジン」誌、2020年9月号(2020年8月20日発売)

00101_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」29_(15)いいカッコをしたり、いい人であろうとしたり、正義のヒーローを演じようとすると、必ず身を滅ぼします_その1_20200820

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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(1)カッコつける人間を演じることのリスク

いいカッコをしたり、いい人であろうとしたり、正義のヒーローを演じると、ウソをつかなかればならず、精神衛生上よくありませんし、ストレスがたまり、疲れます。

(2)人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられない

そもそも、人間は、生きている限り、法を犯さずにはいられません。

これは、歴史上証明された事実です。

「人間が生きている限りどうしても法を守れない」
「人間が生きている限りどうしても病気や怪我と無縁ではいられない」
こういう厳然たる事実があるからこそ、医者と弁護士という
「人の不幸を生業とするプロフェッション」
が、古代ローマ以来現在まで営々と存在し、今後も、未来永劫存続するのです。

普段暮らしていると、忘れてしまいがちな、重要な前提があります。

「人間は動物の一種である」
という命題です。

人間は、パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもなく、これらとは一線を画する、
「動物」
の一種です。

そして、
「パソコンでもスマホでもAI(人工知能)でもない、動物」
である人間は、生きて活動する限り、ルールやモラルと本能が衝突したときには、必ず本能を優先します。

だって、我々は
「動物」
の一種ですから。

もし、本能に反して、ルールやモラルを優先する人間がいるとしたら、もはや、その人は、
「動物」
ではなく、
「パソコン」

「スマホ」です。

PEPPERくんです。

SIRIちゃんです。

いつもいつも、そんな、清く正しく美しい選択をする人間がいるとすれば、社会心理学上稀有な事例として、研究対象となり、
「なんで、そんな異常なこと、理解に苦しむことをやらかすんだ?」
と考察と検証が行われます(社会心理学では、反態度的行動というそうです)。

(3)どんなに修行を積んだ聖職者でも、欲の前には無力

私が、コンプライアンスに関するセミナーを行う際にご紹介する興味深い事件があります。

高野山真言宗の八事山興正寺(名古屋市昭和区)の前住職らが約80億円を不正に流用したとして、現住職側が背任と業務上横領容疑で告訴状を名古屋地検に提出したことが16日、分かった。14日付。関係者によると、前住職は在任中の平成24年、寺の土地約6万6000平方メートルを学校法人に約138億円で売却。現住職側は、前住職がこのうち約25億円を外国法人に、約28億円を東京都内のコンサルタント会社に送金したと主張。いずれの送金先も前住職と関連のある会社だったとしている。前住職の代理人弁護士は取材に「告訴内容を把握しておらず、コメントは控えたい」と話した。高野山真言宗は無断で土地を売却したとして、前住職を26年に罷免しているが、前住職は「罷免は不当」として現在も興正寺にとどまっている。興正寺は名古屋国税局の税務調査を受け、27年3月期までの3年間に約6億5000万円の申告漏れを指摘された(産経WEST2016年9月16日12時57分配信)。

実に味わいがある、というか、深い、というか、考えさせられる事件です。

「どこの金の亡者の話か?」
と思えば、千日回峰行(空海が教えた密教の修行)を完遂した阿闍梨(仏陀の
「完全な人格」
にかぎりなく近づいている高僧)もいらっしゃる、立派で、高邁な組織で実際あった事件です。

この話以外にも、宮司姉弟間の殺人で話題になった富岡八幡宮事件や、カトリック教会の性的虐待事件など、
「我々、無知蒙昧で、欲まみれで、薄汚れた、迷えるダメ人間」
を導いてくださるはずの、
「難行苦行や修行や日々の祈りによって、欲を克服した、精神の高みに達したはずの聖職者の方々」
も、私のような小心者の想像を絶する、大胆で、えげつないことを、敢行します。

私も
「非日常」
を扱う弁護士という仕事をかれこれ四半世紀もやっていますから、そこそこヤンチャというか、えげつないというか、大胆な人間を知っていますが、このレベルのワイルドな人間は、弁護士からみても、かなりレアというか、オリンピック級です。

そして、特定の、という限定はつくにせよ、聖職者の方々が敢行された犯罪行為の凶悪さ、大胆さをみるにつけ、なんとも感慨深い気持ちになります。

すなわち、これらの事件やトラブルに接すると、
「どんなに立派な修行を積んでも、人間、決して、欲には勝てない」
という、シンプルだが鮮烈な事実を、我々に改めて再確認させてくれる、ということです。

この話が、何につながるか、といいますと、
「人間が欲に勝てない以上、法やモラルを守れといっても、本能と衝突した場面では、必ず、本能が法やモラルに打ち勝つ」
という社会科学上の絶対真実ともいうべき原理ないし法則につながります。

(4)普通に生きていると、1日1つは法を犯す

私の感覚ですが、どんな人間であれ、生きている限り、一日最低一つは法を犯します。

警察や裁判所や刑務所がパンクしないのは、すべての違法行為を取り締まらず、自らの取り締まり能力に見合った数の事件しか取り締まらず、あとは未立件で放置しているからです。

違法行為には、
「目くじら立てて、時間とエネルギーをかけて是非・善悪を明らかにして、公式記録に残されるもの」
以外に、
「発覚しないまま、不問に付され、その後時効にかかるもの」
「お目こぼしされるもの」
といった莫大な暗数のものがあるのです。

いずれにせよ、社会は、違法、違反、約束違反で満ちています。

人間は、誰しも、法を守らず、約束を反故にし、ウソをつき、他人を裏切り・陥れ、目先の利益を姑息においかけて、生きています。

法律も、このような人間の本質をよく理解した上で、
「隠れて、コソコソ、表沙汰にならず、ひっそりと生きていく」
ということを、人格的尊厳を守るための人権として、正面から認めていますというところで、紙幅の限界が来ましたので、この話は次回に続けたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.156、「ポリスマガジン」誌、2020年8月号(2020年7月20日発売)

00100_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」28_(14)「社会人として仕事をする」という営みは、「学生時代のお勉強」とはまったく違います_20200720

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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「仕事をする際、誰の力も借りず、すなわち、カンニングや代筆やレポート丸写しや替え玉受験といったラクで効率的方法を忌避・嫌悪し、とことん自分の頭で考え、徹頭徹尾、自力でやり遂げることにこだわる」
という人間がいます。

有名大学卒の生真面目な試験秀才タイプの企業人の方に多く見られるのですが、彼ないし彼女はホンモノのアホです。

こういう
「有能なバカ」
「生真面目なアホ」
というタイプの方々の脳みそには、
「責任ある自立した社会人として、『目の前の課題に背を向け、安易に外のプロにカネを払って済ませる』という事自体、無責任で不誠実の極みであり、人として、社会人として、歯を食いしばって何とか頑張るべきではないか」
という根源的に誤った思想偏向が巣食っています。

確かに、学生生活においては、勉強や調べ物や宿題やレポートはすべて自力でやり遂げるべきものであり、
「家庭教師にカネを払って宿題を代わりにやってもらう」
などということは言語道断であり、また、試験でカンニングしたり、替え玉に受験させたりするのは、犯罪行為とされています。

では、立派な社会人としても、同様に、勉強や調べ物や宿題やレポートはすべて自力でやり遂げるべき、ということになるのでしょうか?

社会人が仕事を進める上では、
「『自分たちだけでやり遂げる』ことにこだわり、ロクに知識もない素人が何ヶ月かけてグズグズ議論する」
という方が給料の無駄であり、会社にとって資源と時間と機会を損ねる有害な所為です。

「社会人が仕事を進める場合、カンニングや替え玉受験やレポート代筆等は、むしろ積極的に推奨されるべき行動である」
という点をきちんと理解しておくべきです。

有名大学卒の生真面目な試験秀才タイプの企業人においては
「“仕事”と “お勉強”の違いがわかっておらず、法務リスク管理という純ビジネス課題を学究課題と勘違いし、時間がかかっても自力で調査する」
という無駄で非効率な方向性に向かいがちです。

無論、自力で正しい解決にたどりつければいいのですが、情報や経験の不足から、方向性を誤り、
「時間をかけた挙句、仕切りをミスって、会社に大きな迷惑を被らせる」
という悲惨なチョンボをしでかすことが、結構な割合で発生します。

「デキる社会人」

「優秀で真面目な学生」
とは、まったく異なる存在、というか真逆の存在です。

「デキる学生」
とは、きっちり授業に出て、ノートを取り、出回ってきた他人のノートのコピーや、先輩から引き継いだアンチョコにも依存せず、当然ながら、カンニングもせず、親や家庭教師によるレポートの代筆や丸写しもせず、カンニングや替え玉受験など言語道断、徹頭徹尾自力でオリジナリティと想像力を駆使して、どんなに長い時間がかかろうが、刻苦勉励して、知の高みや真理に到達する、という崇高な営みを真面目に行う求道者のような人間です。

しかし、
「デキる社会人」
は、
「デキる学生」
とは対角線上の位置に存在します。

「デキる社会人」
は、自分の未熟の頭であれこれ想像したり妄想したり
「下手の考え」
を巡らせることを0.5秒で放棄し、とにかく、情報を集めることから始めます。

ネットサーチをしたり、本を読んだりすることもあります。

しかし、そもそも、ビジネスや投資に関する情報で公開されているものは、腹が立つくらい難解にわかりにくくしか書いておらず、理解ができませんし、仮に理解できたとしても誤読・誤解する危険もあり得ます。

さらにいいますと、本やネットの知見がそのまま使えるか、という問題もあります。

世の中、大事なことほど本やネットに載っていませんし、テレビで伝えられませんし、学校や親も教えてくれません。

というか、テレビ番組制作者も学校の教師も親も
「ビジネスや法務の本質」
を知りません。

さらにいえば、テレビで伝えられている内容や、学校の教師や親がいうことは、ビジネスや法務の本質とは真逆の偏見であったりしますし、その常識に従うと裏目に出ます。

ビジネスや投資に関する知見は、
「本に載っていないし、載っていても、行間にわかりにくくしか載っていない情報」
の最たるものです。

ということで、
「デキる社会人」
は、カンニングの名手です。

企業内人脈や仕事の関係人脈に加え、セミナーや各種会合等で知り合って名刺交換をした非公式の有力者や専門家の知人・友人のメールアドレスや携帯電話番号も把握していて、
「知識と経験が豊富で、本に載っていないことをたくさん知っている専門家」
のネットワークを保有しています。

そして、
「デキる社会人」がある課題や障害に遭遇した場合、ネットワークをフル活用して、「ゲームのロジックやゲームのルール、相場観や展開予測、さらに想定される現実的ゴール、ゴールを達成するための『あの手、この手、奥の手、禁じ手、寝技、小技、反則技』」
といった各種非公式情報や、そのような情報や知見をもっている関係者にたどりつきます。

「あたり」
が付けられた(見通しが立った)ところで、事例や公式情報の裏付けも協力者の協力を得て探し出し、
「レポート丸写し」
の形で判断に正確性と根拠の担保を実装させます。

場合によっては、知り合いの外部専門家に、的確な指示を与えて、適切なギャランティ交渉を行い、期限管理・品質管理をして、しかるべき
「代筆」
を外注します。

さらにいえば、自分自身や所属組織のリソースでは手に負えない案件の場合、例えば、弁護士からの警告書や通知書が会社に送達され、裁判外紛争が始まったり、争訟事件に至ることになったりすれば、
「替え玉受験」
よろしく、しかるべきプロを立てて、対処します。

このように、
「デキる社会人」
は、
「カンニング」
「代筆」
「替え玉受験」
に長けた、本質的情報や外部専門家の調達のプロ、という言い方ができます。

このような言い方をすると、
「デキる社会人」

「自分では何もやっていない、『圧倒的に高度な知見や優秀なスキルを保持する外部人材の腰巾着か太鼓持ち』でしかなく、女衒やポン引きと同様、独自の価値がない」
という評価をされてしまい、バカにされ、コケにされる、と危惧されるかもしれません。

しかしながら、仕事で大切なことは、
「自力でやって、自分の功績を誇り、威張ること」
ではなく、
「目の前の課題を、早く、少ない労力でうまいことやって、チャッチャと成果を上げる」
ということに尽きます。

「外部の異世界を自由に渡り歩き、効率的に、最適な資源を調達でき、適材適所を以て課題や障害に対処できるようアレンジし、非連続的変化を演出して事態を打開できる」
というのは、まさしく一種の才能でありスキルです。

外から必要な情報や資源や知見を調達する、というと簡単に聞こえるかもしれませんが、調達した情報や知見や専門家が常に最適とは限りません。

間違った情報、紛いものの知見、デキそうだがまったく無能な専門家やカネがかかっても成果が出ないダメな業者、といったトラップにひっかかる可能性もあります。

・目の前の課題に対処したり、障害を克服したりするために必要な資源を発見特定し、これを調達にこぎつけること
・必要な資源を調達するにしても、迅速かつ適価かつ適正品質での調達を実現すること(調達の要求内容や範囲や条件を厳密に定義して、必要かつ最小限な調達となるよう調達設計することを含む)
・外注するとしても、目的達成まできっちりフォローすること、すなわち外注管理(予算管理、品質管理、納期管理、使い勝手管理)をすること

は、偉大な営みであり、立派な仕事(付加価値の創出)です。

外注するにしても、
「外注先を信じて任せれば、あとは寝て待てばいい」
というものではありません。

外注一般については、
外注「管理」
という営みが絶対必要です。

といいますのは、
「外注先を『信用しない・信頼しない』という前提で管理・制御する」
のが、プロのビジネスマンとしての仕事のあり方だからです。

外注業者や外部の専門家が、調達の要求内容や範囲や条件を正確に把握しているかどうかは不明ですし、仮に把握していても、間違ったレスポンスや貧弱なレスポンス、漏れ抜けだらけの欠陥ありきのもの、さらには過剰な対価やサービスフィーとセットになった過剰な内容のもの、納期にルーズなサービス、使い勝手が悪いサービス等々、信用・信頼できない場合もありますし、そもそも
「適切な信頼関係構築をするために、あえて『信頼しない前提』『ケンカ上等の緊張関係』を維持して接する」
という態度で対向することも必要なのです。

加えて、外注業者や外部専門家から納品・提供される成果物や知見が、使い勝手が悪く、課題対処や障害克服の資源として用いるには、
「帯に短し襷に長し、といった趣の、中途半端な代物」
がほとんどです。

こういう場合、自社や自分で使い勝手がよくなるように、カスタマイズするセンスやスキルも必要になります。

さらにいいますと、外注を実現するために
「予算と資源動員の権限をもっているスポンサーや経営者とうまくコミュニケーションすべきこと」
も必要ですし、
「外注がスムーズに機能するように、平時から予算や資源動員の裁量と権限を実装する」
ための社内政治力も求められます。

このように考えると、
「デキる社会人が、カンニングや代筆依頼やレポート丸写しや替え玉受験を通じて、仕事を成し遂げる」
のは、
「女衒やポン引きのようなバカでもできる安直な外注手配」
ではなく、意味と価値と奥行きのある営み、ということができましょう。

バカもハサミも協力会社も関係部門も取引先も外注業者も外部専門家も、要は、使いようです。

いずれにせよ、社会に出たら
「学生時代の勉強のように、カンニングや替え玉受験なしで、自力でなんとかしなければ」
と考えて無駄なストレスを抱え込むことなく、ビジネス社会で遭遇する課題対処については、
「『課題解決はすべて内製化して自力で行う』というドグマを排して、外注という資源動員上の選択肢を常に保有し、ときに『外部業者や外部専門家をいかに上手に、適価で使いたおすか』ということを活動の本旨として、迅速かつ正しく課題に対処していくこと」
が最も重要なのです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.155、「ポリスマガジン」誌、2020年7月号(2020年6月20日発売)

00099_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」27_(13)運のいい人間、強い人間、勢いのある人間、知恵を持っている人間とのみ付き合い、そうでない人との付き合いをやめましょう_20200620

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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付き合うなら、運のいい人間、強い人間、勢いのある人間、知恵を持っている人間と付き合いましょう。

そうでない人と付き合うのは極力避けましょう。

この交際哲学はラックマネジメントとして極めて重要です。

負け犬同士つるむのは時間の無駄です。

そこからは何も生まれません。

ダメな3人が寄っても、生まれるのは文殊の知恵ではなく、休むに似たりの下手な考えしか出てきません。

だいたい、世の中、大事なことほど本やネットに載っていませんし、テレビで伝えられませんし、学校や親も教えてくれません。

たまに、
「世の中の大事や、ど真ん中の本質」に関連しそうなことが本に載っていることがありますが、「行間に、わかりにくく」
しか書いてありませんし、仮に、頭で理解できたとしても、
「経験を通じて体得したホンモノの知恵」
とは程遠い代物です。

というか、テレビ番組制作者も学校の教師も親も
「世の中を渡る上で大事なことや本質に関わるようなこと」
を知りません。

さらにいえば、テレビで伝えられている内容や、学校の教師や親がいうことは、ビジネスや世渡りの本質とは真逆の偏見であったりしますし、人生の切所や大一番で
「テレビで伝えられていたり、学校の教師や親が教えるような陳腐な常識」
に従うと、たいてい裏目に出ます。

「本に載っていないし、載っていても『行間に、わかりにくく』しか載っていないし、経験を通じてしか体得できないホンモノの知恵」
を学び、運をもらい、世の中の本当の姿や大局や時流を、リアルに、ビビッドを教えられるのは、
「常識の外にいて、自由かつパワフルに世間を泳ぎ渡っている、一流の人物」
だけです。

「運のいい人間、強い人間、勢いのある人間、知恵を持っている人間」
をみつけ、近づき、接点を持ち、交際関係の輪に入るのは、世渡りのために絶対的な必要な事柄です。

とはいえ、
「一見、『運が良さそうな人間、強そうな人間、勢いのありそうな人間、知恵を持っていそうな人間』のようにみえるが、実際は、調子がいいだけで、口先だけで、受け売りだけで、たいしことがないクズや小物や、どうしょうもない詐欺師や犯罪者ないしその予備軍・亜種」
という
「まがい物の輩」
も、世の中、うじゃうじゃいます。

この種の人間に騙されないようにするためには、
「目の前の人間がホンモノかどうか」
を鑑定する
「眼力」
も必要になります。

とはいっても、別に難しいことではありません。

「学歴ないし経歴だけが人の評価のすべて」
とはいいませんが、この種の評価指標は能力証明手段(シグナリング効果)としては相応に機能しますので、人間に貼り付けられたラベルやレッテルをスクリーニングの道具として活用することも有益です。

もちろん、東大卒といってもたいしたことのないバカはたくさんいますし、学歴とは無縁ながらも超一流の天才、といった人物もたくさんいます。

少年少女を強姦するカトリックの坊主もいれば、
「前科・前歴があっても、立派な人格者」
という方もいます。

ですが、奇をてらって、そんな稀有な例をわざわざ探さなくても、普通に学歴や経歴といった一般的なシグナルを手がかりに、
「運のいい人間、強い人間、勢いのある人間、知恵を持っている人間」
を探していけば、それなりの人物にたどり着ける可能性が高いと思われます。

以上のとおり、
「運のいい人間、強い人間、勢いのある人間、知恵を持っている人間」
と積極的に近づき、交わるとともに、
「そうでない人」
とはなるべく距離を取る、あるいは不要なお付き合いはできる限り遠慮する、というのが(ヒューマニズムとしてどうか、という点はさておき)功利的には正しい行動、といえます。

ただし、負け犬だからといって、マジョリティを馬鹿にしたり、見くびったりするのは極めて危険です。

「一人の馬鹿は、一人の馬鹿である。二人の馬鹿は、二人の馬鹿である。一万人の馬鹿は、〝歴史的な力〟である。」

これは、日本一の毒舌女性インテリ、塩野七生が『サイレント・マイノリティ』(新潮社、1993。163p)で書いていた一文です。

足を引っ張られないように、最低限の付き合いをして、人間関係が悪化しないように処置をしておくべきです。

これは、
「安全保障」
として重要な意味があります。

「中途半端に優秀な人間」
というのはアホの真似ができません。

「本当に優秀な人間」
は、アホになれます。

「アホ」
以上に
「アホ」
ができます。

「本当にデキる、超一流の人間」
とは、
「本当のアホよりも、頭悪そうに、平然と、ナチュラルに、『アホ』の真似や仕草ができ、大量破壊兵器級の『アホ』と対向しても、動じることなく、笑顔でその『アホ』と戯れることができる人間」
です。

ちなみに、私がリスペクトする芸能人は(中略)です。

「自分も、大きくなったら、(中略)のような人間になりたい」
と、思っています。

憧れです。

目標です。

(中略)モデル、もといロールモデルです。

(中略)は、一般的には、おバカで天然なタレント、などと言われています。

(中略)は、バカでも天然でもありません。

緻密に計算されつくし、完璧に作られたキャラです。

(中略)の実のお父さん、某B国籍の(中略)さんは、詐欺容疑で国際指名手配され、同罪で有罪判決を受けた、と報道されています。

容疑が事実であるとすれば、国際詐欺師です。
私の小さいころからの憧れの人物、「ルパン三世」と同じランクの人物です。

国際指名手配されるような詐欺師さん(国際詐欺師)は、バカではできません。

頭が切れ、英語ができ、エレガントに振る舞え、国際社会を知り尽くし、行動力があり、大胆不敵であり、融通無碍で臨機応変に対応でき、何より、人を魅了する(中略)、もといオーラがないと、国際詐欺師は務まりません。

(中略)のお父さんも、ほぼ間違いなく、頭が切れ、英語ができ、エレガントに振る舞え、国際社会を知り尽くし、行動力があり、大胆不敵であり、融通無碍で臨機応変に対応でき、人を魅了する(中略)、もといオーラが充満しているような方のはずです。

そこらへんの教師や公務員やサラリーマンや専業主婦など、何回生まれ変わっても(中略)のお父さんのようにはなれないでしょう(なりたくないか)。

そんな父から、超優秀なDNAを受け継いだ(中略)がバカなわけがありません。

(中略)は、確実に、どえらいIQを持って、冷徹な計算し、シビアな商売人の気質を持っているはずです。

しかも、そんな
「エゲツない優秀さや、エグいまでの凄さ」
をおくびにも出さないようにして、徹底してバカを演じきっている。

だから、すごいんです。

究極なんです。

まさに、タレント(a talented person。天賦の才能ある人間)なのです。

ん?よく理解できない?

「えーとね。そうねー。そうだねー。うーん。多分あなたにはわからないと思うー。かな。んふふふっ。」

と(中略)風にまとめたところで、今回は終わりたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.154、「ポリスマガジン」誌、2020年6月号(2020年5月20日発売)

00098_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」26_(12)大きな仕事をするのに、常識は有害です_20200520

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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「常識」
は捨ててください。

そもそも
「常識」
とは何なのでしょうか。

断言します。

「常識」
とは、3歳までに身につけた偏見のコレクションです。

・「『常識』とは、物心つくまでに身につけた偏見のコレクションを指す」(20世紀の天才科学者、アインシュタインの言葉です)
・「三つ子の魂百まで」(ことわざ)
という2つの格言から、当然導かれます。

「常識」
という
「偏見の集積」
をもっていれば、
「いてもいなくても同じの、『大したこと』を何一つできないし、『大したこと』にも関われない、社会にとっては陳腐なコモディティとしての『労働者』」
で終わってしまいます。

いえ、別に、そういう人生が良いとか悪いとか、っていう評価は別です。

「英雄や偉人を目指せ」
というのは、別の言い方をすれば、
「異常者になれ」
というミッションと同様ですし、

そんな人生が苛酷でクレイジーであることも事実です。

とはいえ、冒頭に書きましたとおり、
「個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方」向け
のリテラシーとしては、
「常識」
という
「陳腐な偏見の集積」
は有害だ、という当たり前の事実を指摘しているだけです。

なぜ、
「大したこと」
を成し遂げようとしたり、
「大したこと」
に関わろうとすると
「常識」
という
「陳腐な偏見の集積」
が有害になるか、というと、
「大したことを成し遂げる」
あるいは
「大きなプロジェクトの成功」
という事態は、例外事象であり異常現象だからです。

大きなビジネスや新規のプロジェクトは、フツーのことをフツーにやっていては成功などしません。

トラブルや想定外の連続の事柄が次々生じます。

大きな事業や新規の事業を、地方公務員やフツーのサラリーマンやごく平均的な小学校の教師に、彼らの常識に従って、ごく常識的で穏当な方法に取り扱わせたら、どうなるか、想像してください。大成功するでしょうか、悲惨な失敗をみることになるでしょうか?

大きな事業や新規の事業といった例外事象の対処には、常識や良識は通用しません。

アップルやグーグルやアマゾンの新しい社長が、ビジネス経験も投資経験もない、
「公立小学校の万年ヒラ教師」
が指名されたら、これらの企業の株価は上がるでしょうか、暴落するでしょうか?

1ついえることは、アップルがそのような社長人事を強行する事態になったら、少なくとも、私は、二度とアップル製品もアップル社の株も買いません。そのことだけは断言できます。

畑中鐵丸は、部下に対して、いつもいいます。

「世間で評価される仕事というのは、あらゆる形式やモラルを排して遂行されているものだ」
と。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.153-2、「ポリスマガジン」誌、2020年5月号(2020年4月20日発売)

00097_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」25_(11)労働者ではなく、「アーティスト」になりましょう_20200520

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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「労働者」
という属性ないし身分をもつ人種は、自分の能力や将来に自信がなく、明日がないので余裕がなくがむしゃらにがんばってしまいます。

他方、
「アーティスト」
という属性ないし身分をもつ人種は、自分の能力や将来に自信をもっており、余裕があるので、
「お客様」
の顔をよくみながら、それに適合したものを提供できます。

「労働者」
は努力の量をアピールしますが、
「アーティスト」
は、結果の質、売れたか売れないか、作品を買ってくれる人が気に入ってくれたか気に入らなかったのか、を意識します。

皆さん、
「努力の量をアピールする」
なんて浅ましいことやっていませんか?

涼しい顔して、
「お客様」(企業の役職員にとっては、「上司」や「経営者」は、給料を払ってくれるという意味で最も大事な「お客様」です)
の喜ぶ顔をみて、ほっといても、相手が褒めて、次の仕事をどんどん頼んでくる
「アーティスト」
になりましょう。

無様な
「労働者」
で終わるか、カッコいい
「アーティスト」
になるかは、その人の気持ちや心構え1つです。

サラリーマンであれ、
地方公務員であれ、
小学校の教員であれ、
スーパーのレジ打ちであれ、
専業主婦であれ、
「営みを提供するカウンターパートとしての『お客様』を意識して、『お客様』の顔をよくみながら、それに適合したものを提供し、結果の質、売れたか売れないか、作品やサービスを買ったり受け取ったりしてくれる『お客様』が、自分の作品やサービスを気に入ってくれたか気に入らなかったのか、を意識しながら、日々の仕事や営みを行う」
という意識、いわば
「プロ意識」
をもって、目先の客に対してプロとして責任を以て誇りを以て奉仕した瞬間、その人は、立場や身分を問わず、
「アーティスト」
になります。

そんなカッコいい、
「アーティスト」
を目指してください。

そのためには、インスピレーションを鍛えてください。

昔、アメリカに、トーマス・アルバ・エジソンという男がいました。

引きこもりの社会不適合者で、最終学歴は小学校中退で、著作権侵害を平然と行い、
「虚偽の比較広告をした挙句ライバル企業に敗北した経歴」
をもち、訴訟マニアの嫌われ者で、電気椅子を開発して刑務所に売り歩いた、ということで有名な、いわくつきの人物です。

彼は、こういう名言を残しています。

「天才とは99パーセントの汗と1パーセントのインスピレーションである」

知的水準に問題のある教育関係者の中には、彼の言葉を誤読し、
「かのエジソンもいうとおり、努力は貴いんだ。苦労は大事なんだ。だから人間は、努力しなくてはならないんだ」
と、何も知らない純粋無垢な生徒に誤った考えを植え付ける洗脳をしている方もいらっしゃるようです。

これは予断と偏見に満ちた、愚劣な誤解ではないでしょうか。

エジソンが本当にいいたかったのは、こういうことであろう、と思います。

「霊感を欠如した奴は、どんなに努力したところで、物事をうまく成し遂げることはできない」

「辛酸をなめ尽くし、教育関係者が真の姿を知ったらドン引きするくらいの曲者であったたエジソン」
らしい、ひねていながら、現実的で、教育的な価値がびた1ミリも含まれていない名言です。

「努力」
をする前に、霊感を鍛え、正しくて明確な目的を設定し、努力の方向性を誤らないようにしたいものです。

では、どうやって
「霊感」
を鍛え、霊感あふれる
「アーティスト」
に近づけるのか。

霊感を鍛えるのは、霊感に優れた人間の近くにいて、成功体験を共有することが大事です。

負け犬とつるんでも、霊感は、ただただ、衰えるだけです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.153-1、「ポリスマガジン」誌、2020年5月号(2020年4月20日発売)

00096_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」24_(10)「働くこと」「仕事をすること」の意味と本質を理解しましょう_20200420

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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「働く」
「仕事をする」
ということは、誰かをクライアントとして、サービスや能力を提供することです。

その際、サービス・スペックや展開能力水準を、
「自分の保有値」
ではなく、
「マーケットの水準」
に合わせるようにしなければなりません。

こんな話があります。

ある法律事務所に、意気軒昂といった趣の、新人弁護士が入ってきました。

立派な大学を出て、立派なロースクールを出て(※予備試験には合格しなかったようです)、若く、情熱的で、やる気に満ち、一流の弁護士を目指し、どんな苦難にも耐える、というようなことを言っていたそうです。

所長弁護士が、新人弁護士氏に、ある事件を担当させ、準備書面(裁判所に提出する書面)を書かしたところ、過酷な想定がされておらず、突っ込みどころ満載でしたので、
「相手方の攻撃に備えて、言質を取られないように、表現を再考せよ」
と事細かに、かつ丁寧に、何度も起案に赤字を入れて指導しました。

所長弁護士の指導に対して、新人弁護士氏は、
「先生、細かすぎます。相手がそんな嫌らしいところを突っ込んでくるはずはない。そんなところまで考えてやっていると、時間がかかってしょうがないし、負荷がかかる」
と相当な抵抗しました。

しかし、所長弁護士は、
「我々弁護士は、クライアントに対して善管注意義務はもちろん、倫理としても、全身全霊を以て全力を尽くすことが求められているわけだし、第一、手抜きをするのは、私の流儀ではない。それに、疎漏が判明していてこれを放置するのも寝覚めが悪い。お願いだから、指摘されたところはきっちり直してください」
となだめすかしつつ、最後は半ばお願いしつつ、懇切丁寧に教え諭しました。

新人弁護士氏は、ブツブツ言っていたものの、しぶしぶアップグレードに応じました。

結果は、想定していた攻撃はすべて現実のものとなり、所長弁護士の指導箇所が奏功し、事無きを得ました。

所長弁護士は、新人弁護士氏が、的確な指導に感謝をし、今回、発見・特定・処理できなかった課題の対処法を学んだことから、今後、成長のための自助努力を重ねることを決意してくれるだろう、と思っていました。

ところが、案に相違して、新人弁護士氏は、「こんなに細かいところまで毎回フォローするなんて無理です。毎回、毎回こんなことを要求されても困ります」と目に涙を浮かび始めました。

困った所長弁護士は、新人弁護士氏にやさしく応じます。

「わかった、わかった。それなら、相手の弁護士や裁判所のところに行って、『私は一年目の、何もわからない、経験のない、やる気もない弁護士なので、私の能力ややる気に併せて、私でもそれなりに結果が出せるよう、手加減してください。』と、丁寧に頼んで来たらどうかな?渡る世間は鬼ばかりじゃないよ。きっと、君の真摯な想いが通じて、相手方弁護士も、『わかった。君の能力に合わせて、手加減してあげよう』というやさしく対応してくれるだろう。裁判所も『多少のことは目をつぶって、勝たせてあげよう』と言ってくれるかもしれない」
と提案しました。

そうしたら、今度は、新人弁護士氏は、顔を真っ赤にして怒りの涙を浮かべはじめました。

所長弁護士は、ジェントルに、エレガントに、真摯に、新人弁護士氏のためを思って、「どうやれば新人弁護士氏の思う通りの結果が出るか」を考えて提案したのですが、指導したこと以上に、何か怒らせてしまったようです。

真実は、人を傷つけます。

真実が正確であればあるほど、真実を聞いた方が傷つきます。

悪いのは、新人弁護士氏ではありません。

また、ウソをつかず、真実を正確に、正直に、伝えた所長弁護士も悪くありません。

おそらく、悪いのは、
「新人弁護士氏が、何もわからない、経験のない、細かい指導に対応するだけの忍耐力にも乏しい弁護士であるにもかかわらず、相手の弁護士が、新人弁護士氏にあわせて手加減してくれない。それどころか、新人弁護士氏が少しでも隙(すき)をみせれば、敏捷な猛禽類のように襲いかかってくる」という真実の方
なんでしょう。

新人弁護士氏は、その後すぐに事務所を辞めたようです。

新人弁護士氏にも、所長弁護士にも問題がなかったのでしょうが、「何もわからない、経験のない、細かい指導に対応するだけの忍耐力にも乏しい弁護士」に手加減してくれない、やさしくない、相手方弁護士やリーガルサービスマーケットや裁判所という戦場の方が悪かったのでしょう。

「マーケットがタフすぎる。戦場が厳しすぎる。ダメな自分の能力にあわせて、ダメな自分でも勝てる、もっとラクな環境にしてくれ」という要求は、残念ながら通りません。

そういうことを要求する者の方が、マーケットや戦場から退場するほかありません。

オーナー企業に勤務する役職員にとってのマーケット(顧客・市場)は、オーナー社長です。

皆さんは、「オーナー社長の知性・経験・思考・完成度合いを要求水準とする『市場』」において、オーナー社長をクライアントとして、サービスを提供している事業者である株式会社なのです。

オーナー企業においてはオーナー社長の頭脳と感性を代替することが、皆さんの仕事です。

ちなみに、創業をしたオーナー社長は、皆、努力家で、勉強や考えることが大好きで、四六時中最適化のための検証やアングルチェンジを怠らず、ときに、ゲーム条件だけでなく、ゴールすら変えてしまいます。うまくいかないときにも、回避策の4つや5つ、すぐひねり出します。

そういうオーナー社長の足を引っ張らず、給料以上のパフォーマンスを出して、役に立たなければならない。

オーナー企業に勤務する方は、そういうタフなマーケットに挑戦している、という自覚と恐怖心をもち、正しくマーケットに奉仕してください。

「マーケットやスポンサーに背を向けたら、生きていけない。礼儀知らずは、路頭に迷って野たれ死ぬ」

これは、世の中で最も重要な真実の一つです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.152-2、「ポリスマガジン」誌、2020年4月号(2020年3月20日発売)

00095_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」23_(9)「力」を持ちましょう_20200420

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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ニコロ・マキャベリという、ルネサンス期のイタリアにいた、ノンキャリ役人だったさえないオッサンがこんなことを言っています。

「武器なき預言者は破滅する」
と。

割とイカすことをぬかしてくれてます。

畑中鐵丸も部下に対して、
「力がなければ正義は寝言だ」
とよく言います。

「力」
を身につけましょう。

お金はもちろん力です。

情報もコネクションも力です。

「陳腐な情報や、コモディティ的な知識ではなく、人生をうまいこと渡り切るための、経験に基づくホンモノの智慧」
も力です。

身につけるべきは、ホンモノの
「力」
です。

常識や固定観念から解き放たれて、正しい情報を選び、正しく判断でき、組むべき相手を間違えず、時間を大切に、目的優先・世間体軽視の姿勢で、徹底して合理的に行動する、そんな
「力」
を、です。

「力」
を身につければ、
「正義」
とやらは、後から、黙って、卑屈に、ノコノコと、ついてきます。

「正義」
などという代物は、
「力」
のヒモか愛人か奴隷のようなもので、カネとか暴力には簡単に屈します。

ペンは、剣より強し。されど、広告主や電通には勝てません。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.152-1、「ポリスマガジン」誌、2020年4月号(2020年3月20日発売)

00094_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」22_(8)常に、あらゆる点で、余裕・冗長性をもつこと_20200320

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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前稿において、時間はカネより健康より命より大切であり、時間こそを大切にすべき、というお話をさせていただきました

1 「カネより命より大事な時間」を大切に、全てにおいて効率よく、無駄なく、スピード感を以て、急ぐべき。急ぐべきだが、焦るのはダメ

もちろん、
「時は金なり」
「時は命なり」
であり、無駄なことや、無意味なこと、
「好きでも得意でもなく、やったところで大した効果は得られず、ただただ、辛いだけで、他にやるべきことが多いのに、誰かに強制されたり命令されたり、場の雰囲気にのまれて、どうでもいい弱点克服のために膨大な時間を費やすこと」
など、時間を無駄に、非効率に使うことはすべきではありません。

だからといって、焦ってはいけません。

急いでもいいが、焦ってはダメです。

理由は簡単。

2 焦ると、どんな賢者であってもアホに成り下がる

焦ると、人間、確実にバカになるからです。

ノーベル賞を取った科学者であろうが、オックスフォードやハーバードや東大の教授であろうが、どんなに知性がある人間でも、火事や地震や津波や噴火にいきなり遭遇して、一刻も早く逃げないと死ぬかもしれない状況に陥ったら、絶対、冷静に行動できません。

引き戸を押し続けたり、出口と反対方向に逃げたり、人混みに突っ込んでいって将棋倒しになったり、逃げる方向を間違えたり、と、バカなこと、愚かなこと、間違っていること、理解できないことをやらかします。

3 「環境の力」>「意思の力」

人間の行動に最も影響を与えるのは、意思や知性ではなく、環境や状況です。

知性の力や、意思の力は、冷静に対処し得る環境があってこそ発揮できます。

よく
「意思の力」
「精神力」
などといいますが、
「意思の力」

「環境の力(状況から発生する構造的な因果性)」
に絶対勝てません。

どれほど意思の力や精神力があっても、竹槍を使ってB29型爆撃機を撃ち落とすことは不可能です。
「15センチ対空砲の装備」
という環境があって、初めてB29と戦えるのです。

「腹が減っては戦はできぬ」
とはよく言ったものです。

凄まじいまでの強靭な意思の力や精神力があっても、兵糧なしでインパールに至るティディム街道を踏破できません。

4 アホにならないために、常に、余裕と冗長性を保持するべし

その意味では、知的でいられる、冷静でいられる、バカなことをしでかさないように、常に余裕をもって生きられるよう、自分を取り巻く状況や環境の選択や構築にもっと気を使うべきです。

冷静さを失わないようにして、物事を俯瞰し、自分を客観視し、選択肢を豊富にもち、時間的冗長性をもって、納得いくように自分や状況を制御しながら、判断し、実行してみて、ダメならあきらめて、またゲーム・チェンジして・・・、と生きていくと、たいていの物事はうまくいきますし、悲惨なことにはなりません。

5 「金持ち喧嘩せず」の「金持ち」意味は、「余裕と冗長性と選択の幅の広さの象徴」であるカネを豊富に持つ、ということ

俗に、
「金持ちケンカせず」
といいます。

カネをもっている人間には、選択肢が豊富に集まりますし、
「時間をなくせばどんなにカネを積んでも戻ってこないが、カネをなくしても時間があればカネを作れる」
といいますが、カネさえあれば、少しであれば時間を買うことすらできます。

札幌から福岡に行くのに、新幹線よりヘリコプターで、ヘリコプターより戦闘機で、戦闘機よりロケットで行けば、カネはかかりますが、時間が短縮されます。

東大に行くために何年間も費やさなくても、東大卒程度の人間であれば、年間数千万円程度のお金で、雇って、顎でこき使うこともできますので、秘書か執事として近侍させれば、済む話です。

だいたい、カネがあると気持ちに余裕ができ、焦る必要がなくなります。

6 「貧乏人が持ち慣れないカネをもつと、全てをなくして、最後は路頭に迷う羽目になる」に至る具体的プロセス

突然、5億円が手に入ったら、どうしますか?

欲望を全面的に解放し、いままでできなかった贅沢や我慢していたことを心ゆくまで楽しみますか?

そうすると、お金が減ります。

お金が経ると、余裕をなくします。

そうして、焦ります。

焦ったら、途端にバカになります。

アホになります。

いきなりカネを増やそうとして、取り返そうとして、危険な賭けに出ます。

そして、全てをなくします。

さらに焦ります。

もう制御が効きません。

ついには、自分がそれまでもっていた財産を全てつぎ込んで、一発逆転を狙った大博打を打ちます。

でも、焦っているし、冷静さを失っていますし、バカな自分が、いつもよりも18倍くらいバカになっている。

焦っているバカを騙すほど簡単なものはありません。

詐欺師やペテン師が、生肉に群がるハイエナの集団のように、黒山の人だかりとなって、近づきます。

それで、全てをなくします。

俗に、
「貧乏人が持ち慣れないカネをもつと、全てをなくして、最後は路頭に迷う羽目になる」
といいますが、たいていは、このような展開です。

7 冗長性の象徴としての「カネ」の力持っているだけで冷静さと知性を向上・改善させてくれる「カネ」の力

では、いきなり、5億円手に入ったら、どうするのが賢いのか?

使わないのです。持っておくのです。

5億円の値打ちは、使って贅沢することだけではありません。

もっているだけで、預金として寝かせているだけで、気持ちに余裕ができ、焦る必要がなくなり、いつもより、ゆったりと、冷静に物事を考えることができるようになることです。

感覚値でいうと、偏差値が15から25くらい向上・改善します。

偏差値55が偏差値80になるわけですから、平均的なサラリーマンの脳が、東大卒財務省のキャリア官僚の脳にまでアップグレードされるわけです。

冷静になれると、
「お金を増やす話と、詐欺やペテンの話との違い」
を、きちんと見分けられるようになり、ゆっくり、じっくり、確実に、カネを減らすリスクやトラブルを避けて、安全・安心に増やす行動を取ることができます。

もっというと、今の日本のように、実質デフレの世の中では、何もせず、お金をもっている、ただそれだけで、どんどんお金の価値が増えていく(モノの価値が下がっていく)わけです。

預金しているだけで、知らない間にどんどん補助金がついてくるようなものです。

「何もせず、使わず、ただ預金するだけ」
という
「デフレ下における最強の投資戦略」
を採用してもいいわけです。

余裕をもち、冷静さを維持すれば、そんな怜悧な考えすらできるようになる。

お金というのは、使わず、持っておき、寝かせておき、ときどき眺めてニンマリする。

これが、お金の本当の力であり、お金の使い方です。

自由と安らぎをもたらし、心にゆとりと平安を抱かせてくれる精神安定剤。

お金の意味と価値の根源は、こんなところにあり、金持ちほど、こういうカネの力と意味を知っています。

8 戦略資源としての「カネ」の意味と使い方

「金持ちケンカせず」
の話に戻ります。

カネをもっている人間の最大の強みは、
「カネで解決可能な選択肢」を複数掌握できることです。

「地獄の沙汰も金次第」
との諺どおり、この世に存在する
「解決可能な選択肢」
は、ほとんどカネさえあれば買えます。

例えば、宇宙飛行士になるだけの知性や体力や精神力がなくても、カネを積んで、自分でロケットを飛ばして、そこに乗り込めば、
「知性もなく、健康でもなく、メンタルもいまいちな大金持ち」
だって、宇宙に行くことができます。

カネは、知性や体力や精神性すら、調達ないし補完することのできる、便利な道具なのです。

9 金持ちは、貧しい方が焦って急いで動いて自滅するのを待つだけでいい。だから、喧嘩しなくても勝てる

他方、貧しい方は、時間も余裕も選択肢もないので、焦って、動いて自滅するのです。

だから、金持ちは、ケンカなどしなくても、焦って動いて失敗する貧しい方の自滅を待つだけでいいのであり、ケンカする必要がないのです。

これが私の理解する
「金持ちケンカせず」
の意味です。

なお、貧しい方も、知恵と時間を有効に活用することで、ごく稀に、金持ちを打ち負かすことができます。

貧しい方は、知恵を絞り出し、時間をひねり出し、一見強大な金持ちを倒してください。

貧乏は、決してハンデではありません。不便を克服した者が、便利に頼って安穏として過ごした者を倒した例は、歴史上、それこそ、ゴマンとあります。

とはいえ、
「知恵のないフツーの貧しい方が、頭のいい金持ちに刃向かって、フツーにコテンパンにやられた例」
は、さらに5万倍以上あることにも注意してください。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.151、「ポリスマガジン」誌、2020年3月号(2020年2月20日発売)

00093_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」21_(7)カネより、健康より、命より、大事なものは「時間」_20200120

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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1 カネより、健康より、命より、大事なものは「時間」

生きる上で、時間を最も大切にすべきです。

カネより、命より、健康より、大事なのは時間です。

世の中、最も大事な資源は時間です。

2 進行した癌は治療できない。カネとエネルギーを使ってやっているのはただの「延命」。ただ、それでも、「時間稼ぎ」は尊い、貴重な営み。

癌が一定程度進行した場合、医者がやっている
「治療」
と称する営みのほとんどは、ただの時間稼ぎです。

進行したガンに対して医者がやっていることは、死ぬまでの時間を、1年を2年に、2年を4年にしているだけなのです。

いってみれば、
「進行したガンについて、往生際悪く、ジタバタする営み」
です。

このような
「時間稼ぎ」
「引き伸ばし」
をガンの治療と呼称するようです。

一定程度進行したガンは、ほぼ治りません。

絶対死にます。

絶対です。

例外はありません。

カネとエネルギーと高度な医療技術をかけて、進行したガンに対して医者がやっていることは、死ぬまでの時間を先延ばしするための努力です。

では、これって無駄で無益で愚かな営みなのでしょうか?

いえいえ。

非常に、重要で、価値と意義がある、尊い営みです。

何故か。

時間を得られるからです。

死ぬまでの時間を1日でも、1時間でも伸ばせるからです。

逆にいえば、そのくらい、時間は貴重なのです。

3 「人生=時間」であり「時間を失う=人生を失う」

時間というのは、人生そのものです。

「時間を失う」
ということは
「人生を失うこと」
と同義です。

懲役10年とか20年とか無期懲役刑といった
「人間から時間を奪い、国家権力が時間をコントロールする刑罰措置」
があります。

死刑判決を受けると人生を奪われますが、その次に奪われるものは、時間です。

懲役刑が設定構築された背景というのは、犯罪に対する刑罰を想定するにあたって、人生に準じて、
「人生を奪うのに匹敵する貴重なもの」
を奪うペナルティ、あるいは
「人生そのもの全部を奪うほどではないにしても、人生を一部切り取って奪い去る」
ペナルティとして、犯罪者に苦痛を与えようしたものとして考え出されたものと推測されます。

このような刑罰制度の仕組みを考えれば、時間を奪われることが人生を奪われるに匹敵するほど、人間に重篤なダメージに与える、ということを端的に表しています。

すなわち、時間は人生そのものといえるほど重要な価値と意義を有するのです。

4 「カネで時間を売る労働契約」は「カネで人生を売る契約」を意味する

話は変わりますが、最近、残業代未払いについて、多くの事件が裁判所に係属しています。

ほとんどすべての残業代未払事件において、裁判所は、厳しい態度で企業に向き合い、企業の言い分に一切耳を貸さず、過酷なまでの厳格さで企業に対して、労働者への未払残業代の支払清算要求をします。

企業としては
「ちょこっと残業してもらうくらいいいじゃん。そんなにガタガタいうなよ。こっちも労働者の面倒みてんだから、お互い様じゃん」
という考え方をもっているようです。

しかし、このような考え方は、
「人生における時間というものの意義や重要性について、狂った感受性の下、致命的な誤解をしている」
といわざるを得ません。

労働契約は、
「誰にも等しく与えられ、誰からも等しく奪われる、この世でもっとも貴重な、『時間』という資源」
を、労働者からカネを払って買い上げるという取引です。

時間とは人生そのものであり、労働契約は、労働者からすると、
「企業に時間を切り売りする」
すなわち
「企業に人生を切り売りする」
という性格をもちます。

このような取引対象の決定的重要性から、労働契約という、
「『労働者の人生』を時間単位で切り売りされたものを、企業が、自らの金儲けを手伝わせるために買い上げる取引」
は、厳格な取引ルールによって規制すべき、というのが労働法の本質的要求なのです。

残業問題は、
「サービス(残業)だし、お互い様なんだから、ちょっとくらい、いいじゃん」
と軽く扱っていいものではなく、行政当局も、司法当局も、裁判所も、
「厳格な時間計算ルールや適用例外についての取扱い」
について徹頭徹尾企業に厳しい解釈を行い、一致団結して、労働者に寄り添って保護救済しようとするのです。

5 「カネがあっても時間は買えない」が「時間さえあればカネは作れる」

カネがあっても時間は買えませんが、時間さえあればカネを作れますし、やろうと思えばなんでもできます。

時間の価値に気づきましょう。

くだらないこと、無駄なこと、どうでもいいことに費やす時間をなくしましょう。

6 千里の道はジェット機で

千里の道を、一歩一歩、歩いていませんか?

知人弁護士が言った言葉ですが、
「千里の道はジェット機で」(制作/著作:井藤公量弁護士)
行くべきです。

とはいえ、どこぞの奥地で文明から隔絶した社会で生活するような方は、千里の道を歩くことしかできません。

ジェット機の存在を知らないからです。

ジェット機という交通手段の存在や、チケット購入方法や搭乗方法を知らないと、ジェット機には乗れない。

人生においても、
「ジェット機」
のような方法論や選択肢があるにもかかわらず、これを知ることなく、知ろうともせず、興味も関心もなく
「ボーっと生きて」
しまっていて、バカみたいに、一歩一歩歩いている、というような状況に陥る場合があります。

「そんな方法があったんだ」
「なんだそうすりゃよかったじゃん」
「若いときにもっと勉強しとくんだった。なんでこんなに無知でバカだったのか」
と、
「ジェット機」
の存在を後から知って、悔しい思いをする。

そんな状況や場面ですが、皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか。

7 時間を大切にする生き方は、知性が必要であり、脳に負荷がかかる

「千里の道はジェット機で」
とはいうものの、
「時間を節約し、人生を実りあるものにする、効率的な方法の模索・発見と選択」
には、特に、知的に苦しく、脳に負荷がかかることがあります。

「効率的な方法の模索・発見と選択」
という営みにおいて、知的・精神的ストレスやプレッシャーをエネルギーに転換し、効率的な方法を探し出し、ブレークスルー(課題突破)する。

この種の頭脳・精神面における負荷は、成功体験と相まって、人生に心地よい刺激をもたらし、健康に良い影響を与え、若々しさをもたらします。

「ボーっと生きている」
と、愚かになり、老け、病気になり、早死します。

絶えず時間を効率的に使い、百里の道も、千里の道も、ジェット機でぶっ飛ばし、スマートに、スピーディーに、ソフィスティケートされた人生を歩みましょう。

8 「効率的な生き方のために必要な知性=思考の柔軟性、経験の開放性、新奇探索性、謙虚な自己評価

そのために、柔軟な思考と、経験の開放性と新規探索性をもち、知ったかぶりをせず、謙虚にたゆまぬ知的努力をして、キビキビとスマートに、スピーディーに生きていきましょう。

とはいえ、努力やガンバリといっても、無駄なことや無意味なこと、無益なことや無理なことに、時間やエネルギーを費やしても、それこそ
「時間の無駄」
であり、
「人生の無駄」
です。

すなわち、
「無駄な努力」、
「不効率な努力」、
「無益な営み」、
「絶対的に無理で不可能とわかっていることに挑戦すること」
にはまったく価値がありませんし、時間の無駄、人生の無駄です。

 苦手なことや不得意なことはとっととあきらめ、自らの強みを知り、自分の強みを活かすべき

「自分に合わない、自分が好きでもなく、得意でもなく、誰も評価してくれない、まったくの無意味で無価値な営み」
を延々と続けることは、無駄で愚かな人生です。

「まったく不可能なこと、絶対できないこと」
に努力しても、絶対結果が出ませんし、一瞬たりとも関わるべき、試みるべきではありません。

また、
「一瞬であれば、ちょっとできそう」
なことであっても、
「好きでもなく、得意なことでもない」
ことについては、これも関わるべき、試みるべきではありません。

「好きでもなく、得意なことでもないこと」
は、
「少しであればできそう」
といっても、持続可能性が保てません。

長続きしません。

そうすると、下りのエスカレーターを登るのと同様、そのうち、嫌になり、続かなくなり、やらなくなり、完全にやめます。

経営思想家ドラッカーは、
「強みの上に築け(Build on strength)」
「得ての上に自らを築け(Build on your own strength)」
といいました。

人間は強みを知り、強みを活かすべきです。

弱みや苦手なんてほっておくべきです。

弱みや苦手があっても、強みがあれば、認められますし、生きていけます。

そうすれば、弱みや苦手は、
「短所」

「欠点」

「偏り」
ではなく、
「個性」
として受け入れてもらえます。

弱みを克服している間に一生が終わってしまいます。

弱みを克服するだけで終えてしまう一生ほど、無駄で、無意味なものはありません。

それこそ、
「千里の道はジェット機で」
ではありませんが、弱いところ、苦手なところ、どうでもいいことは、カネやコネを使って外部から調達すればいいのです。

10 どうやったら、自らの強みを知り、自分の強みを活かして、貴重な時間を無駄にしない人生を送れるか

では、何が
「強み」
なのでしょうか?

どうやったら
「強み」
をみつけられるのでしょうか?

実はこれがなかなか難しい。

「小学生で強みを理解できてその後世間に評価される人間」
もいれば、
「60歳になっても自分探しをしたり、強みがわからず、引きこもって、社会参加をせず、鬱屈した人生を送る人間」
もいる。

「自分の強み」
はなかなか理解できない。

なぜなら、自分の強みとするところは、自分では普通であり、日常であり、価値があることに気づかないからです。

他方で、弱みは、よくみえます。  

劣等感を刺激し、他人の目を過剰に意識するからです。

そして、たいていの方は、弱みを過剰なまでに意識し、そこを目立たなくするため、人生をかけて無くそうとし、無駄で無理な努力を重ね、時間を、人生を丸ごと費消してします。

ここに身長180センチの女子高校生がいるとします。

彼女が、高い身長を弱みやコンプレックスと考えて、何とか解消しようとしたとしましょう。

そんな時間の使い方やそんな人生は、正しく、意義があるでしょうか?

背を低くする薬や手術を探して奔走するのは、賢明で、有益な時間の使い方、人生の過ごし方でしょうか?

「高い身長を弱みやコンプレックスと考えて、これを解消しようと、背を低くする薬や手術を探して奔走する人生」
ほど、無駄で、無理で、馬鹿げたものはありません。

そんな方法はまず存在しないし、みつからないでしょうし、あるにしても、おそらく致命的な犠牲や代償とセットになる危険なもののはずです。

そんなくだらないことにエネルギーを注ぎ込むなら、高い身長を
「強み」
と捉えて、パリコレモデルや、宝塚の男役や、バレーやバスケットの選手を目指すべきです。

弱みを解消するために時間を費消するより、強みを活かすために時間と努力を重ねる方が、はるかに有益で実りある人生を送れます。

11 まとめ

正しく物事の本質をみぬく知性を身につけ、明確な目的を持ち、とっとと課題の発見・特定を行い、当該課題を処理するための合理的な選択肢を抽出し、
「千里の道をジェット機で行く」
ような最も効率的な選択肢を選択し、
「目的優先、世間体軽視、常識無視」
の姿勢で、誰よりも、スピーディーに、スマートに結果を出す。

そして、余った時間で、実りある人生を大いに楽しみましょう。

これこそが、意義と価値ある時間の使い方であり、人生の過ごし方です。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.149、「ポリスマガジン」誌、2020年1月号(2021年12月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.150、「ポリスマガジン」誌、2020年2月号(2020年1月20日発売)