00065_都市開発後進国ニッポン_20090720

私は、日本は世界で一番すみやすい国だと思っています。

水はおいしい、空気はキレイ。
官僚は公平で優秀。
夜中に酔っぱらって歩いていても襲われることなく、石を投げればミシュランの星がついたレストランに当たる。

しかしながら、日本の街づくりはまったく出鱈目で、こと都市開発に関していえば、日本は後進国の烙印を押されるのではないかと思います。

まず、日本の各都市にありそうでないのが、「近代的都市」とか「高層ビル建設ラッシュ」。

日本の各都市のど真ん中には、ペンシルビルや小さな二階建てがせせこましく存在しますし、駅前の商業地域も零細商店主が、意地になって路面一等地を死守し、高度化・集積化を峻拒します。
このように地方都市の中心部の土地の零細地主が、小さな土地に固執し、極度に排他的なため、地方の駅前再開発は遅々として進まず、現在は予算不足もあり、無残に頓挫してしまっています。

その結果、郊外の分譲住宅地の方が先に開発が進み、モール等の商業集積地帯が次々とでき、郊外の方がはるかにすみやすい開かれた街になっていきます。
実際、地方に行くと、「地方の駅前のシャッター街」も目につきますが、他方で「郊外にモダンで洗練された街並み」が以外に多く存在することに気づきます。

私には、「地方の駅前のシャッター街」は、商業地域の零細地主の土地への執着と排他性が仇になり、自分で自分のクビを締めた結果であり、自業自得としか思えません。
ある地方都市では、かつて強硬に大型スーパーの出店に反対していたにもかかわらず、今となっては、スーパーが撤退しようとすると「生活できない」と大反対する。「一体、どの口が言う」という感じです。

以上のとおり、主に土地収用がネックになり(さらに言えば、都市中心部の零細地主たちの意識の低さが仇となって)、経済大国と評される日本では、街の中心で高層ビルが建設されるのは非常に稀となってしまい、「建設中の建物」といえば、中途半端なショボいマンションか、僻地の無用な「箱モノ」ばかりという状態になってしまっています。

「街の中心部に近代的なビルができる。それだけで話題になり、ビルに人だかりができる」・・・・こういう後進国と同じ現象が普通にみられるくらい、日本は、都市の近代化とは無縁な国なのです。

日本がここまで都市の近代化が遅れてしまうのは、経済合理性を超越して土地に異常なまでに執着する国民性と関係しているのだと思います。
そして、個人的には、都市空間の有効利用のため、都心の土地については私権を大幅に制約し、「再開発のための土地収用」を柔軟に認めた方がよいのではないかと思っています。

「再開発のための土地収用」は、15年ほど前まで「地上げ」と呼ばれ、日本では随分外聞が悪い行為になってしまいましたが、「地上げ」そのものよりも「公共的意味合いをもつ都市空間を個人の都合で合理的利用を峻拒する零細土地所有者や利用権者の自己中心的な態度」の方がはるかに行動として問題があるのではないでしょうか。

ちなみに、お隣中国は土地が公有制なので、街づくりのし易さは日本の比ではないでしょう。

六本木ヒルズのように市街地再開発事業が成功するような稀な場合はさておき、「ネコの額ほどの土地にしがみついて、私利私欲で、限られた都市空間の利用を妨害する、セコくて排他的な、土地中心部の小地主」がいる限り、日本の都市は20年たっても今のように汚いままかもしれません。
アジアには開発独裁に成功している例が多く、バランス感覚に優れた偉大な指導者が出れば、中国はあっという間に、都市空間の創造において日本を追い抜いてしまうかもしれません。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.023、「ポリスマガジン」誌、2009年7月号(2009年6月20日発売)

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