00063_夢も想像力もない受験生に日本の未来は託される_20090220

よく、学校教育の現場で、「子供たちには明るい未来を考えさせよう」「子供にスケールの大きな構想力を身につけさせよ」「豊かな想像力を子供たちに」ということが標語として掲げられたりするのをみかけます。

もちろん、こういう能力を身につけることが有害とまではいいませんが、子供たちには、不確実な未来のことを大雑把に考えることよりも、もっと卑近で大事なことがあります。

子供には、将来宇宙パイロットやプロ野球選手になったときのことを考えるより、明日、明後日の宿題を地味に、きっちり仕上げることに専念させるべきです。

乏しい情報と未熟な社会経験をもとに粗雑な社会構想をする暇があれば、目の前の課題克服にこそ注力すべきです。

もちろん、想像力は大事です。ただ、想像力といっても、根拠のない希望的観測を膨らませる「妄想力」を養っても、社会への不適応者を増やすだけで、却って有害です。子供は「問題文の行間に隠された出題者の真意を読み取る」ための想像力を養うべきですし、また、悲観的な想像力を目一杯働かせて試験当日の様々なリスキーな状況をシミュレーションし、適正な準備と危機対処の一助とするのであれば、想像力の駆使も有用です。

各種受験に成功することにより、格差固定社会において階級上昇のきっかけを掴もうとする野心的な子供たちは、前述のような無内容な教育標語を一切無視し、非現実的で意味のない妄想を排し、受験準備において、黙々と卑近で地味な勉強に終始します。

テレビなどで、11、12才の子供たちが中学受験に真摯に取り組む様子を奇異な目で眺め、「人生、受験勉強だけじゃない」「受験戦争に狂奔する子供たち」「受験勉強以外の幅広いことを学ばないとロクな大人にならない」などと批判的な意見を呈する輩がいます。

資本主義社会における熾烈な自由競争・能率競争の現場においては、「希望的観測と妄想力に満ち、非現実的な思考に陥って、地味な情報収集や緻密な分析を怠る」ような人間が生き残るような余地は一切なく、こういう低劣な人間は、たちまち倒産させられ、あるいは財産を亡くすことを余儀なくされます。

このような淘汰の結果、資本主義社会において上層集団を形成する人種は、「徹底した現実主義者で、モレやヌケが大嫌いな完全主義者で、細かい再確認を怠らないような方々」が多数派を占めることになります。

資本主義社会の淘汰の仕組は、中学受験と同様のシステムで機能しており、「卑近な現実を軽視し、何事も希望的・楽観的に考えることから他人の悪意を見抜けず、モレやヌケが多い人間」はことごとく排除されるようになっています。

現在世界で大活躍する華僑やユダヤ人は、子弟の幼少期において、厳しい現実を察知するための思考力、批判精神、情報戦や経済競争を勝ち抜くためのインテリジェンスや危機対処力を身につけさせると聞きます。

日本における過酷な受験戦争は、「資本主義社会における競争のシミュレーション」としては最適なものであり、この過程を通じて、受験戦争への参加者は知的競争への対処スキル全般を身につけることになります。

「前述のような無意味で無内容な教育標語など無視し、競争社会の過酷な現実を直視し、地道な作業を厭わず、モレやヌケを徹底して排除すべく、前をみず、ひたすら後を振り返る、ソツがない、可愛げのカケラもない子供たち」が増殖する未来は、決して悲観すべきものではありません。 むしろ、日本の産業界が世界的競争を勝ち抜くためには、「現実を直視し、熾烈な知的競争を経験し、危機管理能力に優れた、可愛げのない子供たち」にこそ、未来が託されるべきです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.018、「ポリスマガジン」誌、2009年2月号(2009年1月20日発売)

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