00100_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」28_(14)「社会人として仕事をする」という営みは、「学生時代のお勉強」とはまったく違います_20200720

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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「仕事をする際、誰の力も借りず、すなわち、カンニングや代筆やレポート丸写しや替え玉受験といったラクで効率的方法を忌避・嫌悪し、とことん自分の頭で考え、徹頭徹尾、自力でやり遂げることにこだわる」
という人間がいます。

有名大学卒の生真面目な試験秀才タイプの企業人の方に多く見られるのですが、彼ないし彼女はホンモノのアホです。

こういう
「有能なバカ」
「生真面目なアホ」
というタイプの方々の脳みそには、
「責任ある自立した社会人として、『目の前の課題に背を向け、安易に外のプロにカネを払って済ませる』という事自体、無責任で不誠実の極みであり、人として、社会人として、歯を食いしばって何とか頑張るべきではないか」
という根源的に誤った思想偏向が巣食っています。

確かに、学生生活においては、勉強や調べ物や宿題やレポートはすべて自力でやり遂げるべきものであり、
「家庭教師にカネを払って宿題を代わりにやってもらう」
などということは言語道断であり、また、試験でカンニングしたり、替え玉に受験させたりするのは、犯罪行為とされています。

では、立派な社会人としても、同様に、勉強や調べ物や宿題やレポートはすべて自力でやり遂げるべき、ということになるのでしょうか?

社会人が仕事を進める上では、
「『自分たちだけでやり遂げる』ことにこだわり、ロクに知識もない素人が何ヶ月かけてグズグズ議論する」
という方が給料の無駄であり、会社にとって資源と時間と機会を損ねる有害な所為です。

「社会人が仕事を進める場合、カンニングや替え玉受験やレポート代筆等は、むしろ積極的に推奨されるべき行動である」
という点をきちんと理解しておくべきです。

有名大学卒の生真面目な試験秀才タイプの企業人においては
「“仕事”と “お勉強”の違いがわかっておらず、法務リスク管理という純ビジネス課題を学究課題と勘違いし、時間がかかっても自力で調査する」
という無駄で非効率な方向性に向かいがちです。

無論、自力で正しい解決にたどりつければいいのですが、情報や経験の不足から、方向性を誤り、
「時間をかけた挙句、仕切りをミスって、会社に大きな迷惑を被らせる」
という悲惨なチョンボをしでかすことが、結構な割合で発生します。

「デキる社会人」

「優秀で真面目な学生」
とは、まったく異なる存在、というか真逆の存在です。

「デキる学生」
とは、きっちり授業に出て、ノートを取り、出回ってきた他人のノートのコピーや、先輩から引き継いだアンチョコにも依存せず、当然ながら、カンニングもせず、親や家庭教師によるレポートの代筆や丸写しもせず、カンニングや替え玉受験など言語道断、徹頭徹尾自力でオリジナリティと想像力を駆使して、どんなに長い時間がかかろうが、刻苦勉励して、知の高みや真理に到達する、という崇高な営みを真面目に行う求道者のような人間です。

しかし、
「デキる社会人」
は、
「デキる学生」
とは対角線上の位置に存在します。

「デキる社会人」
は、自分の未熟の頭であれこれ想像したり妄想したり
「下手の考え」
を巡らせることを0.5秒で放棄し、とにかく、情報を集めることから始めます。

ネットサーチをしたり、本を読んだりすることもあります。

しかし、そもそも、ビジネスや投資に関する情報で公開されているものは、腹が立つくらい難解にわかりにくくしか書いておらず、理解ができませんし、仮に理解できたとしても誤読・誤解する危険もあり得ます。

さらにいいますと、本やネットの知見がそのまま使えるか、という問題もあります。

世の中、大事なことほど本やネットに載っていませんし、テレビで伝えられませんし、学校や親も教えてくれません。

というか、テレビ番組制作者も学校の教師も親も
「ビジネスや法務の本質」
を知りません。

さらにいえば、テレビで伝えられている内容や、学校の教師や親がいうことは、ビジネスや法務の本質とは真逆の偏見であったりしますし、その常識に従うと裏目に出ます。

ビジネスや投資に関する知見は、
「本に載っていないし、載っていても、行間にわかりにくくしか載っていない情報」
の最たるものです。

ということで、
「デキる社会人」
は、カンニングの名手です。

企業内人脈や仕事の関係人脈に加え、セミナーや各種会合等で知り合って名刺交換をした非公式の有力者や専門家の知人・友人のメールアドレスや携帯電話番号も把握していて、
「知識と経験が豊富で、本に載っていないことをたくさん知っている専門家」
のネットワークを保有しています。

そして、
「デキる社会人」がある課題や障害に遭遇した場合、ネットワークをフル活用して、「ゲームのロジックやゲームのルール、相場観や展開予測、さらに想定される現実的ゴール、ゴールを達成するための『あの手、この手、奥の手、禁じ手、寝技、小技、反則技』」
といった各種非公式情報や、そのような情報や知見をもっている関係者にたどりつきます。

「あたり」
が付けられた(見通しが立った)ところで、事例や公式情報の裏付けも協力者の協力を得て探し出し、
「レポート丸写し」
の形で判断に正確性と根拠の担保を実装させます。

場合によっては、知り合いの外部専門家に、的確な指示を与えて、適切なギャランティ交渉を行い、期限管理・品質管理をして、しかるべき
「代筆」
を外注します。

さらにいえば、自分自身や所属組織のリソースでは手に負えない案件の場合、例えば、弁護士からの警告書や通知書が会社に送達され、裁判外紛争が始まったり、争訟事件に至ることになったりすれば、
「替え玉受験」
よろしく、しかるべきプロを立てて、対処します。

このように、
「デキる社会人」
は、
「カンニング」
「代筆」
「替え玉受験」
に長けた、本質的情報や外部専門家の調達のプロ、という言い方ができます。

このような言い方をすると、
「デキる社会人」

「自分では何もやっていない、『圧倒的に高度な知見や優秀なスキルを保持する外部人材の腰巾着か太鼓持ち』でしかなく、女衒やポン引きと同様、独自の価値がない」
という評価をされてしまい、バカにされ、コケにされる、と危惧されるかもしれません。

しかしながら、仕事で大切なことは、
「自力でやって、自分の功績を誇り、威張ること」
ではなく、
「目の前の課題を、早く、少ない労力でうまいことやって、チャッチャと成果を上げる」
ということに尽きます。

「外部の異世界を自由に渡り歩き、効率的に、最適な資源を調達でき、適材適所を以て課題や障害に対処できるようアレンジし、非連続的変化を演出して事態を打開できる」
というのは、まさしく一種の才能でありスキルです。

外から必要な情報や資源や知見を調達する、というと簡単に聞こえるかもしれませんが、調達した情報や知見や専門家が常に最適とは限りません。

間違った情報、紛いものの知見、デキそうだがまったく無能な専門家やカネがかかっても成果が出ないダメな業者、といったトラップにひっかかる可能性もあります。

・目の前の課題に対処したり、障害を克服したりするために必要な資源を発見特定し、これを調達にこぎつけること
・必要な資源を調達するにしても、迅速かつ適価かつ適正品質での調達を実現すること(調達の要求内容や範囲や条件を厳密に定義して、必要かつ最小限な調達となるよう調達設計することを含む)
・外注するとしても、目的達成まできっちりフォローすること、すなわち外注管理(予算管理、品質管理、納期管理、使い勝手管理)をすること

は、偉大な営みであり、立派な仕事(付加価値の創出)です。

外注するにしても、
「外注先を信じて任せれば、あとは寝て待てばいい」
というものではありません。

外注一般については、
外注「管理」
という営みが絶対必要です。

といいますのは、
「外注先を『信用しない・信頼しない』という前提で管理・制御する」
のが、プロのビジネスマンとしての仕事のあり方だからです。

外注業者や外部の専門家が、調達の要求内容や範囲や条件を正確に把握しているかどうかは不明ですし、仮に把握していても、間違ったレスポンスや貧弱なレスポンス、漏れ抜けだらけの欠陥ありきのもの、さらには過剰な対価やサービスフィーとセットになった過剰な内容のもの、納期にルーズなサービス、使い勝手が悪いサービス等々、信用・信頼できない場合もありますし、そもそも
「適切な信頼関係構築をするために、あえて『信頼しない前提』『ケンカ上等の緊張関係』を維持して接する」
という態度で対向することも必要なのです。

加えて、外注業者や外部専門家から納品・提供される成果物や知見が、使い勝手が悪く、課題対処や障害克服の資源として用いるには、
「帯に短し襷に長し、といった趣の、中途半端な代物」
がほとんどです。

こういう場合、自社や自分で使い勝手がよくなるように、カスタマイズするセンスやスキルも必要になります。

さらにいいますと、外注を実現するために
「予算と資源動員の権限をもっているスポンサーや経営者とうまくコミュニケーションすべきこと」
も必要ですし、
「外注がスムーズに機能するように、平時から予算や資源動員の裁量と権限を実装する」
ための社内政治力も求められます。

このように考えると、
「デキる社会人が、カンニングや代筆依頼やレポート丸写しや替え玉受験を通じて、仕事を成し遂げる」
のは、
「女衒やポン引きのようなバカでもできる安直な外注手配」
ではなく、意味と価値と奥行きのある営み、ということができましょう。

バカもハサミも協力会社も関係部門も取引先も外注業者も外部専門家も、要は、使いようです。

いずれにせよ、社会に出たら
「学生時代の勉強のように、カンニングや替え玉受験なしで、自力でなんとかしなければ」
と考えて無駄なストレスを抱え込むことなく、ビジネス社会で遭遇する課題対処については、
「『課題解決はすべて内製化して自力で行う』というドグマを排して、外注という資源動員上の選択肢を常に保有し、ときに『外部業者や外部専門家をいかに上手に、適価で使いたおすか』ということを活動の本旨として、迅速かつ正しく課題に対処していくこと」
が最も重要なのです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.155、「ポリスマガジン」誌、2020年7月号(2020年6月20日発売)

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