夫婦というのは不思議な関係です。
仲がいい間はそれが当たり前すぎて気づかないのですが、いざ
「別れたい」
という話になった瞬間、その関係が突然、ある種のビジネス上の契約に見えてくることがあります。
別居中の知人女性から、こんな相談を受けたことがあります。
夫から離婚調停を申し立てられた。
夫は
「もう終わった関係だ、早く他人になりたい」
と言い張っている。
自分も夫への愛情はとっくに冷めているけれど、これからの生活が心配で、簡単に
「はい、わかりました」
とは言えない。
感情的には今すぐ別れたいけれど、それでいいのだろうか——と。
この話を聞いたとき、私は思いました。
これは、感情の問題じゃないな、と。
「別れたい側」が弱い、という構造
少し冷たい言い方になりますが、離婚というのは突き詰めると
「関係の解消をめぐる交渉」
です。
そして交渉の世界には、普遍的な原則があります。
「早く終わらせたい方が、不利になる」
これはビジネスの交渉でも、不動産の売買でも、まったく同じです。
焦っている側は、条件を譲ってでも早く決着をつけようとする。
その焦りが、相手に見えた瞬間に、交渉の主導権は移ってしまいます。
今回のケースでは、夫が
「早く離婚したい」
と言っている。
要するに、焦っているのは夫の側です。
なぜ夫はそんなに急いでいるのでしょうか。
別居中の夫が感じている「痛み」
日本の法律では、夫婦は別居していても婚姻関係が続く限り、収入の多い方が少ない方の生活費を負担する義務があります。
これを
「婚姻費用」
といいます。
つまり別居中の夫(特に収入が高い場合)は、次のような状態に置かれている、ということです。
・妻と一緒に暮らしてもいない
・食事を作ってもらうわけでもない
・会話もない。
・なのに、毎月、決まった金額が自動的に出ていく
サービスは何も受け取っていないのに、会費だけは引き落とされ続けるサブスクリプション契約——そのイメージが近いかもしれません。
夫が
「早く離婚したい」
と焦る理由は、愛情が冷めたからというより、この毎月の出費を止めたいという経済的な動機が、案外、本音だったりするのです。
であれば、妻側の戦略は自ずと見えてきます。
「急いで別れる必要は、こちらにはない」
夫が
「もうダメだ」
と音を上げて、より有利な条件を提示してくるまで、焦らず、淡々と構えていればいい。
ただし——「相手を見極める」ことが大前提
ここで重要な話をしなければなりません。
上の戦略が有効なのは、相手に
「支払う力」
がある場合に限ります。
もし夫が借金を抱えていたり、収入がほとんどなかったり、お金の管理ができない人だったりした場合、話はまったく逆になります。
どんなに粘っても、相手に資力がなければ、生活費は支払われません。
それどころか、婚姻関係が続く限り、相手の借金トラブルがこちらに波及してくるリスクだってあります。
沈んでいく船に、わざわざ自分を縛り付けているようなものです。
このような相手の場合は、
「損をしても構わない、とにかく一刻も早く関係を切る」
ことが、長期的に見れば圧倒的に合理的な選択です。
「宝船」か「泥舟」か——それだけを見る
要するに、
「離婚を急ぐべきか、粘るべきか」
の答えは、相手の経済的な実態だけで決まります。
感情は、関係ない。
好きか嫌いかも、関係ない。
相手が
「宝船」(収入があり、資産がある)
なら、しがみつく。
相手が
「泥舟」(借金、低収入、浪費)
なら、即座に離れる。
それだけです。
「別れさせてあげる」という発想
少し視点を変えてみましょう。
あなたが離婚届にハンコを押す、その行為は何でしょうか。
それは、相手に
「自由」
を渡すことです。
新しい人生を始める許可証を、あなたが渡してあげることです。
相手がその自由を強く望んでいるなら、それはあなたの手の中にある、非常に価値のあるものです。
タダで渡す必要はありません。
適切な対価と引き換えに、渡せばいい。
逆に、相手がすでに経済的に沈んでいるなら、その
「自由」
はむしろ、あなた自身を縛る鎖かもしれません。
その場合は、自分のために使う
「緊急脱出ボタン」
として、迷わず押す。
離婚、というと、どうしても感情の話になりがちです。
愛情とか、裏切りとか、後悔とか。
でも、人生の重大局面では、感情とは少し距離を置いて、
「自分にとって何が本当に有利か」
を静かに考える時間を持つことが、結果として自分を守ることになるのだと思います。
焦りは、感情の中でいちばん高くつきます。
これは、離婚に限らず、人生のあらゆる場面で通用する話です。
著:畑中鐵丸