00033_「金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!」と意気込む婚活女子が知っておくべき、「金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向」その2:資産家_20181220_20190120

まず、資産家という人種は、たいていケチです。

金持ちは総じてケチですが、資産家は、シビれるくらいケチです(いうまでもありませんが、褒め言葉です。私も稀代のケチですから)。

資産家という人種にとっては、
「カネが減るのが何より苦痛」
という絶対的感受性が神経の隅々まで支配しているようで、みていてすがすがしいくらいの、純粋で、度を超した、別格のケチが多いようです(繰り返しになりますが、最上級の褒め言葉です)。

考えてみれば、当たり前です。

代々の資産家にとっては、
「資産をできるだけ減らさず、次世代に承継すること」
が、絶対的使命であり、生きる目的であり、命をかけて遂行するべきプロジェクトです。

他方で、現在の相続税制度を前提とすれば、
「資産を減らさず、次にバトンタッチするゲーム」
におけるデフォルト設定として、資産は世代をまたぐたびに、きれいに55%ずつ、日本最大の暴力団である課税当局に毟り取られていく。

資産を運用するものの、成長が鈍化し、運用環境が悪化した日本においては、資産から得られる運用益は、まったく足りません。

もちろん、資産家は多額の資産をもっているので、運用収益もそこそこあるでしょうが、
「日本最大の暴力団が、将来相続の際に要求する莫大なみかじめ料」
を事前にしっかりと準備する、というプロジェクトゴールを比較前提として考えると、雀の涙、というよりミジンコのすね毛くらいの僅かなものにしかなりません。

結果、資産家の方は、冬眠したクマのように、でかい図体をもっていながら、極力、動かず、消耗せず、ひたすら、ひたすら、出ていくカネを抑制し、少しでも、多くの資産が減らないようにして、地味に、ひっそりと暮らす、という生き方を実践されます(くどいようですが、褒めてます)。

無論、貸しビル業やマンション経営をして相応に稼ぐことはされますし、キャッシュフローがないわけではないのですが、収入は固定化しているか、減ることはあっても増えることはないですし、将来の相続のことや、これに伴う根源的恐怖心から、派手に使えるようなマインドには傾かないようです。

よく、
「将来、お金持ちのお嫁さんになって、一生幸せになる!」
という野望を抱いて、涙ぐましいまでの婚活を行って、結果、めでたく資産家と巡り合い、見た目や年齢やルックスや離婚歴といった各種ハンデを乗り越えて、砂糖に群がるアリのようなたくさんの競争者との競争に打ち勝ち、資産家のハートをゲッチュし、無事、資産家に嫁いで、夢にまでみた資産家のお嫁さんになる、という野望を実現する女性をおみかけします。

こうやって苦労して嫁いで夢を実現した女性は傍目には幸せそのものにみえますが、時間が経つにつれ、
「資産家」
という
「お金持ち」
の、ナチュラル・ボーン・ケチっぷりに辟易し、節約・倹約生活にひどくくたびれて、消耗してしまわれる方も少なくありません。

いずれにせよ、使命、運命とはいえ、
「承継した資産を減らさない」
という死守すべき目的のため、お金を使わないようにするための涙ぐましいほどの努力は、もはや、求道者の域に達しています。

このような、常人には理解しがたい、哲学的で芸術性の高いケチ。

これが資産家の生態です(何度もいいますが、私は、資産家の生き方をものすごくリスペクトしています)。

資産家の最大の悩みは、将来、資産の世代承継が生じる際に確実に訪れる、
「我が国最大の暴力団からの、最大55%ものみかじめ料徴求行為」
をいかにうまいことやり過ごすか、という点であり、節税対策等のため、税理士、弁護士、コンサルタントといったプロフェッショナルの支援サービスを利用されます。

ところが、支援プロの立場においてもっとも面倒で頭を悩ませるのが、資産家のお仕事を引き受ける際、ギャラの支払いでモメるケースが意外に多いという経験上の現実です。

資産家にとって資産とは、先祖から預かった、命よりも大事なものであり、資産が減るのは、命が減る、寿命が短くなるくらい、不愉快で苦痛を感じさせるものです。

資産やお金が、カタチのあるものや、何か残るものに変わる、というのであれば、まだわかります。

カタチあるものに変わったり、何か具体的に残るものであれば、それが値上がりするかもしれませんし、売れるかもしれません(骨董や不動産は、手垢のついた瞬間半値になりますので、買った瞬間、ゴミやガラクタになるようなものは、値上がりしたり売れたりするケースは少ないのですが)。

ところが、プロフェッショナルの支援サービスなどというシロモノは、カゲもカタチもなく、ネットで調べればなんとか理解できるようなものであり、調達コストはゼロであり、聞いてしまえば済む話です。

「こんなものに、命より大事な財産を削って、手に入れる」
などという行為は、資産家にとっては、
「空気にカネを払うように愚劣で無駄で許しがたいもの」
ということになります。

プロフェッショナルは、サービスの詳細やメカニズムをご案内するフェーズで、特段フィーをいただかずに、要望を聞いたり各種説明をすることもあります。

このような無料サービスの段階でいろいろ知見をしてもらっていると、資産家の脳内では、
「へえ、賢いんだ。すごいんだ。なんでも知ってんだ。こんなことも無料で教えてくれるんだ。賢いアンタからすると、いろいろな難しい問題も、朝飯前のスムージーのように、簡単にさっくりできちゃうんだ。じゃあ、ここまで無料でやってくれるんだったら、その延長で、もうちょっと手間増やして、最後までやってよ。やってくれたら、晩飯おごって、ちょっとお駄賃あげるからさ」
というような話に展開されていくようです。

無論、こんな資産家の脳内の妄想をそのまま受諾すると、プロフェッショナル側は、小遣い銭程度で過酷な任務を負担させられ、大赤字となり、組織が維持できなくなります。

このような両者の思惑における根源的な誤解が解消されないまま、費用処理があいまいな状態でなし崩し的にサービスインして、プロジェクトが進んでしまうと、最後は、
「払え」
「払わん」
という醜悪なトラブルが発生してしまいます。

なお、そこまでシビアなトラブルに至らなくても、費用見積もりの段階で、資産家は、値切って、値切って、値切りたおします。

そりゃ、まあ、そうでしょうね。

だって、
「資産は、命より大事。大事な資産を減らすのは、寿命を縮めるのと同じ。物知りから知識を買うなんて、空気にカネを払うようなもので、できれば、一切払いたくない」
というのが本音なのですから。

結果、
「本来のプロジェクトのキックオフ前に、ギャラの取り決めに多大なエネルギーを費消し、仕事の士気を多いに損ねてしまう」
という悲喜劇が起こります。

無論、値切るのは悪いことではないのですが、プロフェッショナルサービスを値切るのはやや問題です。

私もケチっぷりについては人後に落ちないのですが、例えば、医者などのプロフェッショナルにお世話になる場合、絶対ケチりません。

ケチらないどころか、
「そんな安くていいんですか。もっと払いますから、その分、ちゃんとやってください」
といって、値上げをお願いするくらいです。

なぜなら、プロフェッショナルサービスにおける重大な課題とリスクは、
「完成度や品質について、形も基準も相場も検証方法も存在しない」
という点にあるからです。

すなわち、サービスプロバイダ側(プロフェッショナル側)は、気分一つで、いくらでも、手を抜いたり、適当にお茶を濁したり、頑張ったふりをしてサボったりすることが可能なのです。

もちろん、反対に、プロフェッショナルの気持ちや熱意次第で、いつも以上に情熱的に取り組み、アウトパフォームを期待することもできます。

要するに、プロ側の気分次第でサービスクオリティが大きく変動する。

この点こそが、この種のサービス取引の最大の課題であり、リスクなのです。

命や財産や事業が危険にさらされ、この状況の打開や改善を専門家に委ねざるを得ない状況で、値切って、値切って、値切りたおして、士気を低下させれば、どうなるでしょうか。

そんな状況でも、プロフェッショナルは、いつもと同じように、あるいはいつも以上に情熱を注ぎ込み、アウトパフォームして、見事な成果を出し、事態を打開して、窮地から救ってくれるでしょうか。

それとも、露骨に手を抜かないまでも、切所で踏ん張りが効かず、結果、大惨事につながる危険性が増幅するだけでしょうか。

私は、弁護士として、受任した以上は最善を尽くしますし、不合理に値切られるようであれば、そもそも仕事をお引き受けしませんが、資産家の無茶な値切りが遠因となって、ホニャララスキームがうまく機能せず、その後、支援プロとの間において、血で血を洗う内部ゲバルトに発展した、なんて話を聞くと、
「さもありなん」
と思ってしまいます。

と、最後は、業界事情の愚痴のような話になりましたが、このエピソードも含め、 資産家の生態や思考習性について、いろいろと学んでいただければ幸いです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.136-2、「ポリスマガジン」誌、2018年12月号(2018年12月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.137、「ポリスマガジン」誌、2019年1月号(2010年1月20日発売)

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