00092_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」20_(6)「目的の発見・特定・明確化」の次に大事なことは、「課題や障害の発見・特定・明確化」_20191220

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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仕事でも、勉強でも、試験でも、結婚でも、出産でも、育児でも、ビジネスでも、裁判でも、手術でも、治療でも何でもいいのですが、
「一定の達成目標が存在し、これが達成できるかどうか不明の状態において、目標を達成するための営み」
というものが観念できると思います。

ここでは、このような
「結果が蓋然性によって左右される、ゲーム性ある営み」
のことを、
「プロジェクト」
という形で定義します(別の正確な定義があるかもしれませんが、ここではこの定義を前提に話を進めます)。

プロジェクトにおいても、人生においても、国家運営においてすら、もっとも大事なことは、すでに申し上げたとおり、もちろん、明確で現実的で具体的なゴールの設定です。

ゴールの設定もなしに、あるいはゴールが曖昧で不明確なまま、プロジェクトだけが突っ走った場合の、悲惨な結末というのは、大日本帝国軍の太平洋戦争での惨敗等を含め、さんざんお話をしてきました。

というか、ゴールのはっきりしないプロジェクトは、そもそも
「プロジェクト」
とはいえず、実際は、
「プロジェクト」
という名の
「暇つぶし」
「空回り」
「道楽」
というべき営みです。

では、ゴールがはっきりくっきり見えた後、すなわち、
「プロジェクト」
がきちんと成立した後、
「次に何が重要か」
というと、いきなり走り出したり、何かをおっぱじめたり着手したり取り掛かったりすることではありません。

プロジェクトを進める上でもっとも大事なことは、課題の発見・抽出・特定です。

ここで発見・抽出・特定するべき課題は、もれなく抜けなくすべての課題を意味しますし、大小含め、多ければ多いほど吉兆(よいきざし)といえます。

「病気の治療」
というプロジェクトを考えてみましょう。

病気に関わる多くの医者(外科医を除く)がやっているのは、病気を治すことではありません。

病気を治すのは、薬であり、薬剤師です。

医者がやっているのは、病気を発見し、特定する作業です。

患者が高熱を発している。

これに対して医者がまずやるべきは、効きそうな薬を適当に、手当り次第に投薬することではありません。

当該高熱が、風邪によるものなのか、エボラ出血熱なのか、インフルエンザなのか。

インフルエンザとして、何型か、ということを、具体的に発見・抽出・特定することが何よりの先決課題です。

そして、
「病気を治すわけでもなく,病気を発見特定する程度のことしかできない医者」

「実際病気を治す薬剤師」
より大きな顔をしていることからも理解できますが、課題を発見・抽出・特定するのは、実は、課題を処理するよりも、非常に重要で高度で知的でリスペクトされるべき業務なのです。

課題が具体的かつ明確に見えていれば、プロジェクト成功は間近です。

逆に、大きなプロジェクトに取り掛かっていても、
「特に、課題らしき課題は見当たらない」
という状況は必ず失敗に終わります。

大阪の商人の世界では、こんなことをよくいいます。

「ええ話ほど邪魔が入りやすい」

シンプルな言葉ですが、これほどビジネスの危機管理を端的に言い表したものはありません。

大きい話、儲かる話、美味しい話には、必ずといっていいほど課題やトラブルがつきもので、一見、課題やトラブルがなさそうでも、誰かに足を引っ張られたり、誰かに邪魔されたり、思わぬ障害が見つかって対処困難な状況に陥ったり、身内に足を引っ張られたり、と想定もしていない妨害や障害が立ちはだかります。

実際、大きなビジネスプロジェクトを進める場合、しっかりとしたチームがまず着手するのは、企業法務・ビジネス法務を交えた、
「ネガティブ」なブレーン・ストーミング
で、リスク検証であったり、
「ビジネスのストレス・テスト」
です。

邪魔や障害となるのは、何も商売敵だけとは限りません。

信頼して取引をはじめた取引相手が、爪を伸ばして些細な契約書の穴をつついてモメたりゴネたりしはじめることもあります。

法律や規制官庁や公取委がケチをつける場合もあります。

また、新しい商品やサービスを客が腐す、マスコミがバッシングする、最近では、ネットやSNSで炎上して、売れ行きが止まる、ということもあるでしょう。

さらには、身内の役員や従業員が漏れ抜けチョンボをやらかしたりする。

加えて、企業を裏切り、ネットで暴露する、他社に引き抜かれる、また、退職して同じ商売を始めて商売敵となる、ということもあるかも知れません。

いずれのリスクも、すでに存在するものは早期に具体的に特定しておくことが大切です。

いまだにリスクとして具現化していないものであっても、萌芽段階や予備・未遂段階において
「些細な兆しからイマジネーションを駆使して早く見つけること」
は、
「事業を前に進めること」そのもの
と同じくらい、あるいはそれ以上に重要です。

「早期に発見され、抽出され、特定され、具体化されたリスク」
は、もはやリスクではありません。

リスクや課題は、早く、小さいうちに発見できれば、必ずといっていいほど、潰せます。

「完全に潰せないし完全に無くせないリスク」
であっても小さくできますし、小さいリスクは制御ができます。

しかも、早ければ早いほど、リスクや課題に対処するコストや時間やエネルギーは小さいもので事足ります。

取引のリスクなどその最たるものです。

取引に関するリスクについては発見さえできれば、あとは、契約書上において、当該リスクに対処する方法を文書として記述し、これを契約書に上書きさえしてしまえば、リスクは一瞬でなくなります。

あるいは、不可避の規制リスクがあっても、ビジネスモデルを変更(法的三段論法において、小前提を変更して、大前提の適用射程から逃れる手法)ことで、いくらでもリスクの発現を防げます。

さらにいえば、どうしてもリスクを消せなければ、最悪、取引そのものをやめてしまえば、リスクから完全に逃れられます(逆に、同じく大阪商人の「意地商いは身の破滅」という処世訓のとおり、サンクコスト〔埋没費用〕を忌避し、リスクを過小評価し、冒険的な取引を推進してしまうと、必ず大失敗してしまうこともあります)。

そして、これらの対応は、すべて、リスクなり課題が、発見、抽出、特定、具体化されていることが大前提です。

「見えない敵は討てない」
との戦術格言のとおり、制御対象がはっきりしないリスクなり課題は、対処・制御しようがありません。

成功の確率は、事前に発見・特定できた課題の数と種類に、見事に比例します。

成功したかったら、とにかく、なるべく多くの課題を、具体的に特定する形で見つけていきましょう。

課題が多く見つかったら、課題の多さを嘆くのではなく、成功までの道のりの近さを喜ぶべきです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.148、「ポリスマガジン」誌、2019年12月号(2019年11月20日発売)

00091_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」19_(5)何事も目的をはっきりさせるべし(xv・小括)_畑中鐵丸流「楽しい人生」を送り切った後の死に方_20191120

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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企業や国家運営は言うに及ばず仕事の上でも、私生活においても、処世全般においても、物事の目的を明確にすることは重要です。

そして、
「人生」
という、この世のすべての方にとって
「もっとも、重大で重要なプロジェクト」
についても、当然、目的をはっきりさせるべき、という話をさせていただきました。

私個人としても、人生を送る上での目的というものをはっきり、くっきり、明確に堅持しています。

いえ、そんなに、気色ばんで、眦決して吠えるほど、志の高いものではありません。

私の人生において、究極の目的は、
「人生を楽しむこと」
です。

では
「楽しい人生」
とはなんぞや、その定義はどうなっているんだ、という具体論をお話ししております。

無論、生きる目的は、ひとそれぞれで、いろいろ異論はあるでしょうが、知性と教養と思考力をフル回転してたどり着いた、普遍的で、みなさんにも納得できるような形で整理した、私なりの
「楽しい人生」
の定義を紹介しております。

私の定義する「楽しい人生」については、
自由であること(その1)
美容と健康を保てること(その2)
財産があること(その3)
尊厳があること(その4)
刺激があること(その5)
及び
自分のコピーを増やすこと(その6)
のすべてが内包されるべき要素として必須です。

すなわち、自由であること(「楽しい人生」の内包要素その1)や、健康であること(「楽しい人生」の内包要素その2)カネをもっていること(「楽しい人生」の内包要素その3)ナメられない程度の評価基盤、すなわち、尊厳をもっていること(「楽しい人生」の内包要素その4)刺激があること(「楽しい人生」の内包要素その5)自分を実現し、自分を理解し共感し、自分のことを忘れず、埋もれさせることなく、自分の思いを共有し伝播してくれる弟子やコピーを増やすこと(「楽しい人生」の内包要素その6)が、「楽しい人生」であり、私の人生における唯一無二の目的です。

そして、「楽しい人生」を送って、送って、送りきって、何の悔いも迷いもなく死ぬことができると、天国にコネができます。

この世の去り際、笑顔で人生を終えたときに、天使がやってきて、楽しいところに連れていってくれて、死後も楽しく過ごせる。

私個人としては、そんな風に思っています。

これに関連して、私の死生観についてお話しておきたいと思います。

葉隠には「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉があるそうです。

私としては、この言葉を死を美化したものではなく、
「いつ死んでもいいように、悔いのない人生を生きろ」
というメッセージと捉えています。

とはいえ、死んだときのことをイメージしたり、想定しておくことは大変重要です。

別に、死を望んでいるとか、自殺願望があるとか、病んでいるとか、この世をはかなんでいるとか、そんな消極的で後ろ向きの話ではなく、
「『出口戦略』として、人生の戦略設計上、即物的かつ功利的な意味において、この上なく重要である」
というロジカルで現実的な話として重要性がある、という意味です。

私の死生観ですが、
「死ぬこと自体は、全く、全然、ビタ一ミリ怖くないが、イタいのだけはマジ勘弁」
というものです。

死ぬことは全然望んでいませんし、むしろ、元気に長生きすることをリアルに想像し、希望しています。

私の人生設計において、満100歳の誕生日に、自分への誕プレ(誕生日のプレゼント)として、漆黒のランボルギーニを買って、老人用オムツの上から、アルマーニのスーパータイトな黒の革のつなぎを着用し、身バレしないように老眼鏡入のサングラスをかけて、夜な夜な繁華街をドライブして安全見回りをして、警備業の免許を取るなど法に触れないように武装した上で、反撃されても勝てそうな「悪」をみつけたら成敗する、というボランティア活動する、ということがすでに具体的に盛り込まれています。

そして、死ぬのは、「満120歳の誕生日に、生涯二回目となる、30歳への若返り手術をしているとき、全身麻酔がされ、完全にラリった後、麻酔の過剰投与か手術ミスといった医療過誤が原因で、絶対、絶対、絶対に痛くなく、安らかに死ぬ」と決めています。

もちろん、「間違って手術に成功」した場合、あとさらに70年くらい生きるかもしれません。

そのときは、自分より年下に対して、「人生の圧倒的パイセン」として、これ見よがしの上から目線で、エラそうに接し、未熟ぶりをディスりまくって、地位と権力と老害を振り回してやるつもりです。

「全身麻酔後、完全にラリって、意識がブッ飛んで、絶対痛くない」状況でくたばる際、クライアントや悪の手から救ったか弱き被害者や老若男女のあらゆる世代のファンが全国からかけつけ、すすり泣かれて、安らかに笑顔で旅立つでしょう。

お墓は、東京都内の一等地、と決めています。

東京都内のど真ん中に住み、普段「外堀」から出ない生活を送っているメトロポリタンの私としては、都内主要三区(千代田区、中央区及び港区)の外の「人外魔境」には、大事な骨を埋めてほしくない。

それよりも何よりも、健康で愉快で楽しい思いができる限り、徹底的に生きることに執着し、この世にへばりつきたいと思っています。

このように、「人生を楽しむ」という明確な目的をはっきりともち、しかも、「何時、どのように死んでいくか」という出口戦略まで明確にもっていることで、私の人生は台風一過の青空のように、クリアで明快です。

もちろん、目的を達成するためには、乗り越えるべき課題や苦労が出てきたり、邪魔が入ったり、足を引っ張られたり、さらには、目標未達で終わるかも知れません。

とはいえ、(志が低く、卑近で、聞こえが悪いとかいわれるかもしれませんが)現実性と達成可能性があり、達成することがワクワクするような、はっきりとした目的があるせいか、人生に苦労や負荷はありますが、迷いはあまりありません。

ということで、ボーッと生きてしまわないためにも、何事も、特に、人生については、目的やゴールイメージをはっきり、くっきり、具体的にもつこと、がかなり大事です。

人生とか死生観とかかなり遠大な方向で、脱線してしまいましたが、本稿の目的は、冒頭申し上げたとおり、「個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、『お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々』へのリテラシー啓蒙として、処世のための『正しい非常識』」です。

次稿以降ら、本論に回帰し、卑近な処世術を述べていきたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.147、「ポリスマガジン」誌、2019年11月号(2019年10月20日発売)

00090_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」18_(5)何事も目的をはっきりさせるべし(xⅳ)_畑中鐵丸流「楽しい人生」を送るための「各内包要素の衝突調整法」_20191020

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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企業や国家運営は言うに及ばず仕事の上でも、私生活においても、処世全般においても、物事の目的を明確にすることは重要です

そして、「人生」という、この世のすべての方にとって「もっとも、重大で重要なプロジェクト」についても、当然、目的をはっきりさせるべき、という話をさせていただきました。

私個人としても、人生を送る上での目的というものをはっきり、くっきり、明確に堅持しています。

いえ、そんなに、気色ばんで、眦決して吠えるほど、志の高いものではありません。

私の人生において、究極の目的は、「人生を楽しむこと」です。

では「楽しい人生」とはなんぞや、その定義はどうなっているんだ、という具体論をお話ししております。

無論、生きる目的は、ひとそれぞれで、いろいろ異論はあるでしょうが、知性と教養と思考力をフル回転してたどり着いた、普遍的で、みなさんにも納得できるような形で整理した、私なりの「楽しい人生」の定義を紹介しております。

私の定義する「楽しい人生」については、自由であること(その1)美容と健康を保てること(その2)財産があること(その3)尊厳があること(その4)刺激があること(その5)及び自分のコピーを増やすこと(その6)の全てが内包されるべき要素として必須です。

すなわち、自由であること(「楽しい人生」の内包要素その1)や、健康であること(「楽しい人生」の内包要素その2)カネをもっていること(「楽しい人生」の内包要素その3)ナメられない程度の評価基盤、すなわち、尊厳をもっていること(「楽しい人生」の内包要素その4)刺激があること(「楽しい人生」の内包要素その5)自分を実現し、自分を理解し共感し、自分のことを忘れず、埋もれさせることなく、自分の思いを共有し伝播してくれる弟子やコピーを増やすこと(「楽しい人生」の内包要素その6)が、「楽しい人生」であり、私の人生における唯一無二の目的です。

ここで、「内包要素その1」から「内包要素その6」までの各要素間で衝突した場合の調整法です。

すなわち、「内包要素その1」から「内包要素その6」の各要素は、ときに、トレードオフ(あっちを立てれば、こっちは立たず)の関係に立つことがあります。

眦を決して、不眠不休で、ストレスを抱えながら、お金ばかり追いかけていると、美容と健康を害します。

また、どんなにお金があっても、若さや美容や尊厳やカッコよさは買えません。

「アルマーニを着ているものの、見るからに不健康で、不摂生丸出しの大企業の経営者や政治家」と、「ユニクロを着たエグザイル」、どっちがカッコいいですか?

カネや地位のために、人を裏切ったり、嘘をついたり、騙したりするのも、精神衛生上よくありません。

他人に嘘をつくのはまだましです。

カネや地位のために、自分に嘘をつき、自分を欺き、自分を騙し、自分への違和感や嫌悪感を抱えながら生きると、精神的健康を害します。

精神的健康を害すると、体内に悪質なストレスがたまり、血がドロドロになって、代謝が不活発になり、三ヶ月に一歳年をとり、がん細胞が増殖し、美容・健康を害しはじめ、肌が荒れ、終には悪相になります。

政治家や犯罪者が、みな同じような顔をして、同じように不健康で、同じように良い死に方をしないのは、そういう理由です。

要するに、バランスや優劣格付けが大事なんです。

カネをあきらめても信用を維持した方が、尊厳維持や精神衛生上望ましい場合があります。

カネなど失ってもいくらでも取り返せますが、美容と健康を一旦失うと、カネをかけても取り戻すのは不可能です。

トレードオフ関係においてバランスを取ったり、取捨選択が必要な場合があるとはいえ、私としては、「楽しい人生を送る」という人生の目的が明確であり、また、「楽しい人生」を構成する各要素の序列・優劣もはっきりしているせいか、努力の方向性を喪失したり、悩むことも少ないですし、概ね、各要素が実現され、ほどほどに楽しい人生が送れています。

目的が不明確なもののために、貴重な時間や労力を捧げるほど、無駄でつらいことはありません。

「人生を楽しむこと」。

簡単に聞こえるかもしれませんが、この目的を実現するには、時間も労力も知恵もスキルも必要です。

私は、全人生・全精力をかけ、それこそ、死に物狂いで「人生を楽し」んでいます。

楽しい人生を送ると、天国にコネができます。

この世の去り際、笑顔で人生を終えたときに、天使がやってきて、楽しいところに連れていってくれて、死後も楽しく過ごせる。私は勝手にそう思っています。

現世と来世のために、私は、一生懸命、それこそ必死の思いで、人生を楽しんでいます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.146-2、「ポリスマガジン」誌、2019年10月号(2019年9月20日発売)

00089_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」17_(5)何事も目的をはっきりさせるべし(ⅻi)_畑中鐵丸流「楽しい人生」を送るための「態度や行動の選択決定の方法論」_20191020

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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企業や国家運営は言うに及ばず仕事の上でも、私生活においても、処世全般においても、物事の目的を明確にすることは重要です

そして、
「人生」
という、この世のすべての方にとって
「もっとも、重大で重要なプロジェクト」
についても、当然、目的をはっきりさせるべき、という話をさせていただきました。

私個人としても、人生を送る上での目的というものをはっきり、くっきり、明確に堅持しています。

いえ、そんなに、気色ばんで、眦決して吠えるほど、志の高いものではありません。

私の人生において、究極の目的は、
「人生を楽しむこと」
です。

では
「楽しい人生」
とはなんぞや、その定義はどうなっているんだ、という具体論をお話ししております。

無論、生きる目的は、ひとそれぞれで、いろいろ異論はあるでしょうが、知性と教養と思考力をフル回転してたどり着いた、普遍的で、みなさんにも納得できるような形で整理した、私なりの
「楽しい人生」
の定義を紹介しております。

私の定義する
「楽しい人生」
については、自由であること(その1)美容と健康を保てること(その2)財産があること(その3)尊厳があること(その4)刺激があること(その5)、及び自分のコピーを増やすこと(その6)の全てが内包されるべき要素として必須です。

すなわち、自由であること(「楽しい人生」の内包要素その1)や、健康であること(「楽しい人生」の内包要素その2)カネをもっていること(「楽しい人生」の内包要素その3)ナメられない程度の評価基盤、すなわち、尊厳をもっていること(「楽しい人生」の内包要素その4)刺激があること(「楽しい人生」の内包要素その5)自分を実現し、自分を理解し共感し、自分のことを忘れず、埋もれさせることなく、自分の思いを共有し伝播してくれる弟子やコピーを増やすこと(「楽しい人生」の内包要素その6)が、
「楽しい人生」
であり、私の人生における唯一無二の目的です。

もちろん、これはあくまで私個人の意見です。

世の中には、
「(1)窮屈でまったく自由がなく、(2)心身ともに不健康あるいは体も心も病んだ状態で、(3)財産も収入もなく、(4)尊厳がなく他者から粗略に扱われ、(5)退屈極まりなく、(6)自分の思考や存在を記憶し、承継してくれる子孫や弟子やファンもなく、誰にも記憶されず、誰にも影響を与えることなく、『こんなヤツ、いてもいなくても同じ』といったような状況で、忘れ去られた存在として死んでいく、という状態」
を受け入れ、あるいは、
「そんな状態の人生でも構わない」
と、おっしゃる方もいるかもしれません。

あるいは、人生の選択において、以上のような状態に陥る選択を好んでされる方もいるかもしれません。

そのような人生や、選択を否定するわけではありませんが、私個人としては、
「(1)窮屈でまったく自由がなく、(2)心身ともに不健康あるいは体も心も病んだ状態で、(3)財産も収入もなく、(4)尊厳がなく他者から粗略に扱われ、(5)退屈極まりなく、(6)自分の思考や存在を記憶し、承継してくれる子孫や弟子やファンもなく、誰にも記憶されず、誰にも影響を与えることなく、『こんなヤツ、いてもいなくても同じ』といったような状況で、忘れ去られた存在として死んでいく、という状態」
は死にたいくらい耐え難いと考えます。

また、もし、ある選択決定の場面に遭遇したときは、
「楽しい人生が過ごせるか」
すなわち、
「(1)から(6)の各構成要素において、どのような帰結が想定されるか」
をイメージしながら、行動ないし態度を選択決定するようにしてきました。

例えば、
「入学試験や資格試験という選択決定」
の場面で、
「そもそも受験をするかそんなもの見向きもせず避けて通るか」
「受験するにしてもどのランクやレベルの対象を選択するか」
という選択決定の場面に遭遇したとします。

そのとき、
「どの選択をした方が、『楽しい人生、すなわち、(1)より自由を味わえ、(2)心身ともに健康を保て、(3)財産や収入が増え、(4)尊厳が確保でき、(5)刺激があり、(6)自分を実現し、『実現した自己人格を記憶し、承継してくれる子孫や弟子やファン』の拡大増殖に貢献する、という人生』の構築に貢献するか」
ということを考えながら行動や態度を選択してきました。

その結果、今までのところ、ある程度楽しい人生を送れているような気がしています。

ところで、こうやって人生の岐路においていろいろな選択決定をしていきますと、
「楽しい人生」
を送るための、態度や行動の選択決定の方法論ともいうべきものが浮かびあがってきます。

それは、
「迷ったら、苦しい方、負荷のある方を選択せよ」
という哲学です。

これは、ある著名経営者の名言ですが、まさしく至言ともいうべきものです。

「楽しい人生を送るという目的達成のためには、迷ったら、楽しくない方、苦しい方、負荷のかかる方、面倒な方、鬱陶しい方を選ぶ」

逆説的ですが、
「楽しい人生」
を送っている方ならどなたでも納得賛同いただける、
「経験上の蓋然性により立証可能な法則」
ともいうべきものだと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.146-1、「ポリスマガジン」誌、2019年10月号(2019年9月20日発売)

00088_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」16_(5)何事も目的をはっきりさせるべし(ⅻ)_畑中鐵丸流「楽しい人生」の定義・その6:自分のコピーを増やすこと_20190920

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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企業や国家運営は言うに及ばず仕事の上でも、私生活においても、処世全般においても、物事の目的を明確にすることは重要です

そして、
「人生」
という、この世のすべての方にとって
「もっとも、重大で重要なプロジェクト」
についても、当然、目的をはっきりさせるべき、という話をさせていただきました。

私個人としても、人生を送る上での目的というものをはっきり、くっきり、明確に堅持しています。

いえ、そんなに、気色ばんで、眦決して吠えるほど、志の高いものではありません。

私の人生において、究極の目的は、
「人生を楽しむこと」
です。

では
「楽しい人生」
とはなんぞや、その定義はどうなっているんだ、という具体論をお話ししております。

無論、生きる目的は、ひとそれぞれで、いろいろ異論はあるでしょうが、知性と教養と思考力をフル回転してたどり着いた、普遍的で、みなさんにも納得できるような形で整理した、私なりの
「楽しい人生」
の定義を紹介しております。

私の定義する
「楽しい人生」
については、自由であること(その1)美容と健康を保てること(その2)財産があること(その3)尊厳があること(その4)刺激があること(その5)に加え、その6として、
「自分のコピーを増やすこと」
も内包すべき要素として必須です。

徹底した個人主義に立ち、自己中心的な考えから、
「自分一人だけ、楽しい人生を送れればいい」
という考え方も、もちろん理解できます。

ですが、地球に生命が誕生した太古の時代から、我々の遺伝子には、
「自分のコピーを増やす」
という根源的な指令が格納されており、そのためか、自分一人だけ排他的に楽しい人生を送っているだけでは、何か、寂しく、つまんなく、違和感を覚えるような気持ちが生じるようです。

実際、私も、この遺伝的に獲得された思考の偏向的習性の影響を受けており、楽しい人生を送るためには、自分一人だけではなく、自分のコピーを増殖し、このコピーにも自分同様に楽しい人生を送らせることで、自分の人生もより豊かになる、という志向を強くもっています。

もちろん、コピーを増やすといって、物理的に生殖活動に勤しみ、子孫を多く作るだけ、とは限りません。

弟子を作り、仲間を作り、自分の思索を書に著し、これを配布し、他者の思考や人生に影響を与えることや、そういった思想内容をカタチにして後代に継承させることを通じて生きた証を残すことも、
「自分のコピーを増やすこと」
につながります。

世の中には、生物学的なコピー量産戦略と生殖本能に忠実にしたがい、婚姻関係に拘泥せず、交尾活動を活発化する方もいます。

しかし、この種の無秩序な
「DNAコピー量産戦略」
は、往々にして、壊滅的なトラブルをひき起こし、結果、人生にとって最も貴重な時間を失わせ、
(1)自由が奪われ、また、このようなトラブルによって心身面での(2)健康を損ね、無駄な(3)カネを費消し、結果、人生から楽しさが奪われるリスクが生じます。

私としては、
「生物学的なコピー量産戦略」
ではなく、思想内容を文字によって具現化し、これを、出版やネットを通じて発信し、生きた証を遺し、思想内容伝播を通じた、
「共通の思考を有する、自分の脳のコピー」を量産する戦略
にこそ、大きな意味と価値を感じ、この上ない楽しい人生を実感します。

このあたりも、ひとそれぞれといったところですが、ご参考まで。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.145-2、「ポリスマガジン」誌、2019年9月号(2019年8月20日発売)

00087_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」15_(5)何事も目的をはっきりさせるべし(ⅺ)_畑中鐵丸流「楽しい人生」の定義・その5:刺激があること_20190920

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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企業や国家運営は言うに及ばず仕事の上でも、私生活においても、処世全般においても、物事の目的を明確にすることは重要です

そして、
「人生」
という、この世のすべての方にとって
「もっとも、重大で重要なプロジェクト」
についても、当然、目的をはっきりさせるべき、という話をさせていただきました。

私個人としても、人生を送る上での目的というものをはっきり、くっきり、明確に堅持しています。

いえ、そんなに、気色ばんで、眦決して吠えるほど、志の高いものではありません。

私の人生において、究極の目的は、
「人生を楽しむこと」
です。

では
「楽しい人生」
とはなんぞや、その定義はどうなっているんだ、という具体論をお話ししております。

無論、生きる目的は、ひとそれぞれで、いろいろ異論はあるでしょうが、知性と教養と思考力をフル回転してたどり着いた、普遍的で、みなさんにも納得できるような形で整理した、私なりの
「楽しい人生」
の定義を紹介しております。

私の定義する
「楽しい人生」
については、自由であること(その1)美容と健康を保てること(その2)財産があること(その3)尊厳があること(その4)に加え、その5として、
「刺激があること」
も内包すべき要素として必須です。

自由で、健康で、カネがあり、そこそこ威張れるアクセサリー的な肩書や地位や経歴だけあっても、
「死ぬほど退屈な人生」
しか送れず、人生楽しめない、という人はいると思います。

古今東西、王族や貴族といった方々は、それこそ、自由で、健康で、カネがあり、これみよがしの評価基盤をもっていますが、彼らは、それだけでは決して満足しません。

彼らは、恋や冒険やギャンブルや決闘や戦争といった、ときに死と隣り合わせになるような危険を内包するような行為を含む、刺激を求めます。

ある小説のリッチな主人公が
「3週間は私の脳には永遠と一緒。常に刺激を与えないと、退屈の病により死滅する」
と述懐していました。

「退屈で死ぬ」
ということはないでしょうが、刺激のない、退屈な人生は、どんなに自由で、健康で、お金や地位・肩書に恵まれても、送っていても楽しくなく、死んでいるような無意味で無価値なものです。

そもそも、人間はカネが好きで、利益追求に敏感です。それに加えて、あるいはそれ以上に、刺激があること、ワクワクすること、面白いことが大好きです。

人間がおぞましいまでに忌避し嫌うのは
「退屈」
です。

楽しいこと、刺激のあること、ワクワクすること、面白いことがあるなら、報酬なしでも、あるいは大金をドブに捨てても、危険なこと、大変なこと、苦労することに挑戦します。

今でも、世界の金持ちは、ロケットを飛ばし、宇宙に行こうとします。

宇宙のビジネスを展開するとか、ロケット技術を応用した開発を商業利用するとか、とってつけたような
「事業目的」
が掲げられていますが、実際のところ、単純に、
「人生を楽しむために、刺激を求める」
という根源的欲求の端的な発現であり、金儲けとかビジネスとかは、後付けだと思います。

行動経済学の理論的基礎を作った進化心理学的知見に鑑みれば、我々の遺伝子レベルにおいて、
「思考の偏向的習性」
として、楽しいこと、刺激のあること、ワクワクすること、面白いことに傾倒する思考や勘定の動きがビルドインされているのだと思います。

旧石器時代に、獣や敵に襲われることを怖がって、退屈に耐え、洞穴にじっと隠れ続けるような偏向のある人間は、片っ端から餓死して、そのような遺伝子はことごとく淘汰されたはずです。

生き残ったのは、退屈を忌避し、安全を無視・軽視し、リスクを取って、武器を手にして、外に出ていきたがるという偏向をもった人間であり、現代に生きる我々人類は、全員、退屈を死ぬほど嫌がり、刺激を求め、変化を求め、愉快でワクワクするような行動を好むという基本スペックを遺伝子レベルで格納しているのです。

ともあれ、
「死と隣り合わせの危険を冒してでも、宇宙に行く」
という激しい刺激ではなくとも、楽しい人生を送るためには、興奮したり、ワクワク・ドキドキできること、新しいもの・感動するもの・素晴らしいものを見たり触れたりできること、世界観が変わること、知らないことを発見したり再認識できたりすること、一流の人と交流し啓発されることは必要だと思います。

どこの国でも、大都市に人口が集中し、周辺の町は無残に廃れます。

これは、刺激を求める人間の本能に根ざします。

様々な人間が集う都市には、常に刺激に満ちています。

また、関係が固定化されるような田舎特有の閉塞感もないため、都市の空気は、人を自由に、活発にします。

そして、都市は、都市に住まう人々に自然と進取の気性を涵養します。

そんな理由からか、
「楽しい人生を送りたい」
と考える私が、住まう街は、現在のところ、東京一択です(もちろん、ひとそれぞれですし、異論はあると思いますが、私個人の意見としては、「生活に刺激を求める」なら、東京が最有力候補になるであろう、と思います)。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.145-1、「ポリスマガジン」誌、2019年9月号(2019年8月20日発売)

00086_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」14_(5)何事も目的をはっきりさせるべし(ⅹ)_畑中鐵丸流「楽しい人生」の定義・その4:尊厳があること_20190820

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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企業や国家運営は言うに及ばず仕事の上でも、私生活においても、処世全般においても、物事の目的を明確にすることは重要です

そして、
「人生」
という、この世のすべての方にとって
「もっとも、重大で重要なプロジェクト」
についても、当然、目的をはっきりさせるべき、という話をさせていただきました。

私個人としても、人生を送る上での目的というものをはっきり、くっきり、明確に堅持しています。

いえ、そんなに、気色ばんで、眦決して吠えるほど、志の高いものではありません。

私の人生において、究極の目的は、
「人生を楽しむこと」
です。

では
「楽しい人生」
とはなんぞや、その定義はどうなっているんだ、という具体論をお話ししております。

無論、生きる目的は、ひとそれぞれで、いろいろ異論はあるでしょうが、知性と教養と思考力をフル回転してたどり着いた、普遍的で、みなさんにも納得できるような形で整理した、私なりの
「楽しい人生」
の定義を紹介しております。

私の定義する
「楽しい人生」
については、自由であること(その1)美容と健康を保てること(その2)財産があること(その3)に加え、その4として、
「尊厳があること」
も内包すべき要素として必須です。

要するに、ナメられないこと、威張れることも、
「楽しい人生」
には不可欠の要素です。

そこそこの社会的地位をもち、他人から一目置かれ、粗略に扱われないこと、劣等感をもたないこと、劣等感をもたずに生きられるだけの評価基盤をもつことが重要になります。

ただ、尊厳をもっているとか、一目置かれるとか、ナメられないといった、評価基盤は、人によって尺度が異なります。

ある人は、
「カネをもっているだけで尊敬に値するので、金持ちはすべからく尊敬に値する」
という言い方をするかもしれません。

ある人は、
「自社が上場して、はじめて社会的に認知されるので、株式を公開する企業のトップであることを尊厳獲得の条件」
と考えるかもしれません。

ある人は、
「学歴や受験偏差値こそがすべてで、東大卒、それも、文一か理三に入らないと、一生恥ずかしい思いをする」
といって受験競争に奔走するかもしれません。

また、
「顔の美醜」
「身長やスタイル」
「立ち居振る舞い」
といった評価もあるかもしれません。

あるいは、
「オリンピックに出場すること」や、
「オリンピアンだけではダメで、メダリストになること」、
さらには、
「ロータリークラブやライオンズクラブにおいて地域のトップになること」や、
「勲章をもらうこと」等
といった形で、実に様々な評価基準があります。

他方で、
「オリンピック選手でもお勉強はイマイチだからたいしたことない」
とか、
「東大出てもしがない勤め人でさほど裕福ではないから尊敬に値しない」
とか、
「株式公開したか何か知らないけど破産歴があったり前科があるのであの人はまったくしょうもない」
とか、尊厳を高める評価もあれば、尊厳を貶める評価もあり、絶対的な基準があるわけでもありません。

私独自の見解でいいますと、
「ある程度は気にしたほうがいいが、あまり気にしすぎるな」
というものです。

世の中に
「尊厳をもっているとか、一目置かれるとか、ナメられないとか」
評価されるための絶対的かつ唯一の基準があるわけではない以上、所詮、相対的なもので、自己満足さえ得られれば十分なはずです。

すなわち、
「一目置かれたい」
「ナメられたくない」
ために、一定の地位獲得のため、ストレスをかかえ、眦を決して東奔西走するなんて、
「楽しい人生」
とはいえません。

当たり前ですが、地位や肩書は、無いより有るに越したことはありません。

ですが、前述のとおり、
「尊厳をもっているとか、一目置かれるとか、ナメられない」
といった評価をされるための
「絶対的かつ唯一の基準」
があるわけではないわけですから、こんなものマニアックコレクターのように、収集し出したらキリがありません。

もちろん、何かに一生懸命取り組んで、きちんと結果が出せ、特定の肩書や地位として結実し、そうしているうちに、別のことに興味をもちはじめ、やはりのめり込んでいった結果、また、別の肩書や地位が獲得でき、という形で、
「楽しい人生」
を送る過程で、結果として地位や肩書がくっついてきたということはあるでしょう。

ですが、
「たかが肩書や地位」
を獲得するために、究極かつ絶対的かつ唯一無二の目的である
「楽しい人生」
を放棄して、ストレスを抱え、狂奔狂騒し、大切に使うべき、お金やエネルギーや時間や機会を喪失するなんて、あまりに寂しい人生です。

私個人については、知的好奇心が強かったため、学問で身を立てることを志し、比較的好きで得意な勉強に没頭する機会と環境に恵まれ、東大文一に現役で入学し、在学中に司法試験に最終合格して、若くして法曹資格を得て、二十代から
「先生」呼ばわり
される僥倖に恵まれ、もうお腹いっぱい、十分です。

ところが、同じように若いころから弁護士をやっている方々の中には、
「会計士になりたい」、
「起業したい」、
さらには「起業した会社を上場させたい」、
「学者になりたい」、
「教授になりたい」、
「小説家になりたい」、
「政治家になりたい」、
「勲章がほしい」と、
いろいろな肩書を得るために、余裕のない生活を送り、無理をしてストレスが蓄積し、不健康になって、そのうち病気になったり、早死したりする方もいます。

もちろん、やりたいことや別の興味が湧いてきて、本人も人生を楽しむために納得して、別のことを始めて、嬉々としてのめり込んでいて、しかも得意でサマになっているのならいいのですが、
「一目置かれたい」
「ナメられたくない」
に、地位や肩書獲得が自己目的化しているとしか思えない方もいます。

こういう方をみていますと、やはり、人生、
「楽しい人生を送る」
という明確な目的意識と、
「地位や肩書など、楽しい人生を送るために、粗略に扱われることを防ぐ、ちょっとしたアクセサリー程度」
という手段としての価値序列をはっきりしておくべきだな、と再認識させられます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.144、「ポリスマガジン」誌、2019年8月号(2019年7月20日発売)

00085_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」13_(4)何事も目的をはっきりさせるべし(ⅴ_ⅸ)_畑中鐵丸流「楽しい人生」の定義・その3:財産があること_20181220_20190720

財産があること_(A)概説

財産があること_(B)「お金の本質的意義と価値と効用」1つ目:「お金があると、自分が自由になれる」

財産があること_(C)「お金の本質的意義と価値と効用」2つ目:「お金があると、自分も救えるほか、他人も救えるし、突き詰めると、神になった気分さえ味わえる」

財産があること_(D)「お金の本質的意義と価値と効用」3つ目:「お金」の正体

財産があること_(E)「お金の本質的意義と価値と効用」4つ目:各種「お金持ち」の類型別生態から学ぶ「お金」の意味と本質

財産があること_(F)「お金の本質的意義と価値と効用」5つ目:「お金」で人生を狂わせないためのバランスのとり方

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.134、「ポリスマガジン」誌、2018年10月号(2018年9月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.135、「ポリスマガジン」誌、2018年11月号(2018年10月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.136、「ポリスマガジン」誌、2018年12月号(2018年11月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.137、「ポリスマガジン」誌、2019年1月号(2018年12月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.138、「ポリスマガジン」誌、2019年2月号(2019年1月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.139、「ポリスマガジン」誌、2019年3月号(2019年2月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.140、「ポリスマガジン」誌、2019年4月号(2019年3月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.141、「ポリスマガジン」誌、2019年5月号(2019年4月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.142、「ポリスマガジン」誌、2019年6月号(2019年5月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.143、「ポリスマガジン」誌、2019年7月号(2019年6月20日発売)

00084_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」12_(4)何事も目的をはっきりさせるべし(ⅸ)_畑中鐵丸流「楽しい人生」の定義・その3:財産があること_(F)「お金の本質的意義と価値と効用」5つ目:「お金」で人生を狂わせないためのバランスのとり方_20190620_20190720

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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企業や国家運営は言うに及ばず仕事の上でも、私生活においても、処世全般においても、物事の目的を明確にすることは重要です

そして、
「人生」
という、この世のすべての方にとって
「もっとも、重大で重要なプロジェクト」
についても、当然、目的をはっきりさせるべき、という話をさせていただきました。

私個人としても、人生を送る上での目的というものをはっきり、くっきり、明確に堅持しています。

いえ、そんなに、気色ばんで、眦決して吠えるほど、志の高いものではありません。

私の人生において、究極の目的は、
「人生を楽しむこと」
です。

では
「楽しい人生」
とはなんぞや、その定義はどうなっているんだ、という具体論をお話ししております。

無論、生きる目的は、ひとそれぞれで、いろいろ異論はあるでしょうが、知性と教養と思考力をフル回転してたどり着いた、普遍的で、みなさんにも納得できるような形で整理した、私なりの
「楽しい人生」
の定義を紹介しております。

私の定義する
「楽しい人生」
については、自由であること(その1)美容と健康を保てること(その2)に加え、その3として、
「財産があること」
も内包すべき要素として必須です。

私の定義する
「楽しい人生」
の内包要素として、その3、
「財産があること」
を挙げました。

ところで、
「財産形成」
というミッションデザインについては、
「楽しい人生のための他の構成要素である、自由や、美容・健康」
と衝突しやすい、あるいは時に人生そのものを狂わしかねない危険がある
ため、前提として弁えておくべき、
「お金の本質的意義と価値と効用」
について、お話ししておりますが、ここで、
「様々な価値と衝突を起こす反面、強力な魅力と魔力を持つお金」
に人生を狂わされないための、向き合い方、バランスのとり方を考えてみます。

1 もちろん、カネはたくさんあった方が幸せ

楽しい人生には財産が必要です。

これは誰しも異論がないところです。

贅沢ができ、うまいメシを食い、うまい酒を飲み、好きなときに好きなことを好きなだけでき、不安や心配事があっても
「お金」
というオールマイティーな不安解消ツールを使って大抵の悩みを一気に吹き出すことができ、結果、憂いなき人生を送ることができる。

カネがあれば、自分を自由にし、解放することが簡単にできます。

カネがあれば、自分の悩みだけでなく、他人の悩みも解決できますし、他人を隷属状態が救い出せ、自由にしてあげることができます。

さらに、実際使わなくても、お金をたくさんもっているだけで、崇拝ともいうべき目で、他人から認知してもらえます。

お金は、単なる記号であり道具に過ぎませんが、
「マネー」
という
「共同幻想における価値空間」
においては、端的かつ直接的な価値表象道具であり、カネがあれば、自由になれ、自分や他者の悩みを解消し、他者を隷属から救え、崇拝もされます。

「マネー」
という
「資本主義時代になって登場した、宗教に変わる、新たな共同幻想における価値空間」
において、単純な方法としてルール化された取り決めが、「カネ」という価値表章道具をたくさん集めることが、当該
「価値空間」
もおいて、神になる(あるいは神に近づく)、となっているのです。

神を目指さぬ人間はいません。

人間誰しも、自ら神になりたいですし、それが無理でも神に近づきたいものです。

神様になったり、神様に近いところにいたら、人生、絶対楽しいはずです。

ですから、
「資本主義」
という近代以降に形成された
「新たな普遍宗教」
すなわち
「共同幻想における価値空間」
に属する限り、楽しい人生を送るためには、
「カネができるだけたくさんあった方がいい」
ということになるのです。

2 「カネが多ければ多い方がいい」という話は普遍的なものではなく、当てはまるのは「「資本主義『教』という共同幻想における価値空間」においてのみ

「カネができるだけたくさんあった方がいい」
とはいうものの、
「資本主義『教』という共同幻想における価値空間に属する限り」
という限定ないし留保が付されていることも、併せてご留意ください。

すなわち、
「資本主義『教』という共同幻想における価値空間」
から離れれば、カネがたくさんあっても
「楽しい人生かどうか」
とは直接の因果関係をもたないことにもなります(相関関係はあるかもしれませんが、ダイレクトな因果関係がある、とまでは言い切れません)。

「資本主義『教』という共同幻想における価値空間」
から離れれば、カネは、単なる記号であり、道具に過ぎません。

日本円の紙幣でいえば、JASDAQに上場している某株式会社(日本銀行は、証券コード8301で、東証一部でも二部でもなく、新興市場であるJASDAQに株券上場している一民間会社です)が発行している手形の如き紙片であり、
「日本及び世界中の人が、この『JASDAQに上場している某株式会社が発行している手形の如き紙片』に一定の価値(90ドルなり77ユーロなり65ポンドなり)があるはずだ」
という共同幻想を抱くことで成立している価値空間における、価値表章道具に過ぎません。

もちろん、絶対的・普遍的なものではなく、相対的で儚げで朧げなものです。

こんな事を言うと、
「キャッシュ・イズ・キング」
「カネはオールマイティ」
「カネこそすべて」
といった声が聞こえてきそうです。

確かに、日本は、通貨の価値が安定し、というより、長年デフレが続き、通貨の価値はほっといても、ぐんぐん上がります。

デフレということは、モノの価値がどんどん下がるわけであって、通貨をもっているだけで、毎年デフレ率相当の補助金をもらっているようなものです。

「銀行に預けても金利がつかない」
「運用難」
とかいわれますが、デフレなのですから、カネを使わず寝かしておけば、それだけで、
「デフレ率相当の補助金」
をもらえるようなものなわけですから、何もせず、使わず、預けて、ほっておくことが、最高の運用となります。

ただ、こんな話は、日本という特定の国の、平成という特定の時代に限定された話かもしれません。

令和2年の現代、コロナ騒動もあって、金融政策においては、各国狂ったように、金融緩和をし、輪転機を回して、お札を刷って刷って刷りまくっています。

また、財政政策においても、それまで
「狂気の社会実験」
とまでいわれた景気対策としての
「ヘリコプター・マネー政策(ヘリマネ)」
が、コロナ対策との美名の下に、強行されています。

ひょっとしたら、インフレなのかスタグフレーションなのか、そのうち、カネの価値が激減しはじめるかもしれません。

実際、コロナ禍で実体経済がどん底にもかかわらず、株価も金も仮想通貨もぐんぐん上がっています。

何を言いたいか、といいますと、カネといっても、永遠の価値と輝きをもつものではなく、
「特定の時代の、特定の地域の、特定の経済状況において形成される、共同幻想における価値空間」
における単なる記号であり、道具に過ぎず、その価値は、相対的で、儚げで、朧げで、たくさんもっていても、いつの間にか、知らない間に、本源的価値(1万円札という凝った印刷のされた特殊な紙切れの製造原価は24円だそうです)まで目減りする、そんな程度のものなのです。

3 カネを増やそうとすると、大変なストレスと不安と悩みが生じる

加えて、「金持ちの生態や思考習性の観察」でみてきましたとおり、カネをためたり増やしたりするためには、親からカネを引き継いだ方も、自分でカネを増やしてきた方も、大変なストレスと不安と悩みを抱えています。

いえ、
「お金」
は、
「楽観的で楽天的な方」
のところには寄り付かず、
「諸事慎重で、悲観的で、用心深く、疑り深く、自分の思考にストレステストをかけながら、緊張感をもって生きているタイプの方」
のところに集まる、という習性をもっています。

そして、経験上の蓋然性として「諸事慎重で、悲観的で、用心深く、疑り深く、自分の思考にストレステストをかけながら、緊張感をもって生きているタイプの方」というのは、精神的な自由が乏しく、心身ともに不健康であり、その人生は、退屈でつまらない場合が多いように考えられます。

4 楽しい人生か? カネか?

ところで、何のために、カネがたくさん必要なんでしたっけ?

笑いがとまらない、楽しい人生を送るのが、目的だったはずです。

別に、
「資本主義『教』という共同幻想における価値空間」
において、テッペン取って、神になること、神に近づくことが目的、というわけではなかったはずです。

「楽しい人生を送るために、カネをたくさん増やそうとして、ストレスで死にたくなるくらい辛い人生を送る」
なんて、愚の骨頂です。

しかし、
「カネをたくさん増やそうとして、ストレスで死にたくなるくらい辛い人生」
を送り、精神的健康を害し、体内に悪質なストレス溜め込み、血がどろどろになり、皺が増え、肌が乾燥し、髪の毛が抜け、悪相になり、代謝が不活発になり、3ヶ月に1歳年を取って老化が加速し、免疫低下し、体内でがん細胞が増殖する、という
「楽しくない人生」
を送っている、お金持ちの方は結構いらっしゃいます。

「じゃあ、どうすればいいの?」
という声が聞こえてきそうですが、私個人としては、バランスを取ることが大事だと思います。

「バランスが大事」
「バランスを取れ」
といわれたものの、
「それだけじゃ、やり方、考え方がわからん」
「抽象的にはわかるが、具体的にはどないすんねん」
という話になろうかと思います。

5 カネで人生をつまんなくしたり、人生を破滅させないための、「カネと人生とのバランスのとり方としての哲学・価値観・教養力

話はガラリと変わりますが
「オフショアバランシング戦略」
というものがあります。

ざっくりいいますと、これは、地政学において、自国の安全保障のために直接出張って脅威を取り除くようなことをせず、
「高みの見物」
を決め込みつつ、自国外で安全保障上、脅威を生じそうな地域があれば、地域で対立する連中を後方で支援したり足を引っ張ったりして均衡を図り、脅威を軽減し、安全保障上の実を上げる、という戦略をいいます。

要するに、手を汚さず、混乱に巻き込まれないために、
「高みの見物」
を決め込みつつ、バランスを図る、という超然・超俗的な価値観・高踏的な思考によって、本来の目的を、最低限の犠牲で達成する、という方法論です。

私は、このような
「高みの見物」
を決め込みつつ、バランスを図る、という超然・超俗的な価値観・高踏的な思考こそが、
「カネを増やす」

「自由で健康的に生きる」
という対立価値調整には役に立つ、と考えています。

具体的には、
「高みの見物」
ができるよう、状況俯瞰できる視点をもつことが大切です。

「資本主義『教』という共同幻想における価値空間」
にどっぷり浸かった
「資本主義『教』」
の狂信者や原理主義者とは一線を画さなければなりません。

そのためには、
資本主義「教」
という、特異で異常な
「価値空間」
から離脱するような思考冒険、認知飛躍を行えるような知的スキルを涵養することが必要になってきます。

具体的には、想像性が刺激されるいい本を読み、思考を柔軟にし、いろいろな見方や考え方を体得し、価値相対的な視点をもっておく、ということです。

「視野の狭いアホになって、状況俯瞰できず、近視眼的に混乱してしまい、そのまま一生を送る」
現代資本主義社会には、年齢、地域、性別、社会的地位に関係なく、そんな方が実に多くいらっしゃいます。

そうならないためには、外向性をもち、情緒を安定させ、思考の柔軟性や経験の開放性や新規探索性を常にもつようにすることが重要になるのです。

具体的な方法としては、たくさん本を読んで、知性と教養ある人間と交流し、視野を高め、広げ、想像力を豊かにすることが重要なのです。

もちろん、
「俗世と縁を切って、霞を食って生きろ」
などと非現実的なことをいうつもりはありません。

我々が帰属せざるを得ない
「資本主義『教』という共同幻想における価値空間」
において生き抜くためには、
「カネを増やす」
という営みとは無縁ではいられません。

ですが、そのような営みを行う際にも、
「カネをたくさん増やそうとして、ストレスで死にたくなるくらい辛い人生」
を送ることのないよう、きちんとした価値観、哲学をもっておくべきです。

6 「いくら儲けるか」ではなく、「何をして、どうやって儲けるか」

私として
「カネを増やす」
上でもっている基準は、金儲けをする際には、
「いくら儲けるか」
より、
「何をして、どのように儲けるか」
をしっかりと考えるべきだ、というものです。

すなわち、通常の合理的思考と真逆な思考手順とはなりますが、
「金儲け」
については、
「目的ではなく手段や方法を最優先に考える」
ということが重要です。

その際、重要なのは、
「何をして、どのように儲けるか」
という方法選択の場面において、

(1)好きなことで、
(2)得意なことで、
(3)経済的に成り立つこと、

という順番で要件充足を検証して選択決定していくべき、と考えます。

(1)好きなこと

「カネを増やす」
「カネを儲ける」
という営みは、短期間で終わる話ではなく、生きていく限り、延々と続くものです。

したがって、まず考えるべきは、一過性的な実現可能性ではなく、サステナビリティ(持続可能性)です。

好きなことでないと、たとえ一過性的に実現できたとしても、長続きしません。

(2)得意なこと

次に、得意なことでないと、そのうち、嫌になります。

もちろん、下手くそでも意地になって延々しがみついて続ける、ということをする方もいますが、自分は良くても、周りが迷惑します。

さらにいうと、見ていて痛々しいですし、誰からも協力を得られず、見下され、無視されます。

経営学の神様、ドラッカーも、
「強みの上に築け(Build on strength)」
「得ての上に自らを築け(Build on your own strength)」
といっています。

人間は強みを知り、強みを活かすべきです。

弱みを克服している間に一生が終わってしまいます。

弱みを克服するだけで終えてしまう一生ほど、無駄で、無意味なものはありません。

(3)経済的に成り立つこと

最後に、経済的に成り立つことも重要です。

好きなことで、得意なことがみつかっても、それが、1円にもならない、あるいは、続ければ続けるほど持ち出しが増える、というのでは経済的な人生を破壊しますし、趣味や道楽としてやるのは別として、生業としては、むしろ一切やらない方がましです。

7 「知性や教養がなく、価値観や哲学も未確立の、無知無学な大学生」は就活でも愚かな選択をする

大学生が就活する際、ほとんどの学生は、この、

(1)好きなことで、
(2)得意なことで、
(3)経済的に成り立つこと、

という本来的思考手順で就職先を選ばず、
「あまり苦労せず、カネをたくさん増やして、オイシイ思いがしたい」
という基準で、東証一部に上々する大企業に殺到します。

その前提として、たいていの学生は、せっかく大学に入ったのに、
「たくさん本を読んで、知性と教養ある人間と交流し、視野を高め、広げ、想像力を豊かにすること」
をせず、哲学も価値観はおろか、その構築前提としての視野・見識も広がらない状態で、近視眼的に日々無益な活動に終始します。

結果、
「ストレスで死にたくなるくらい辛い人生」
を送り、精神的健康を害し、体内に悪質なストレスを溜め込み、血がどろどろになり、皺が増え、肌が乾燥し、髪の毛が抜け、悪相になり、代謝が不活発になり、3ヶ月に1歳年を取って老化が加速し、免疫低下し、体内でがん細胞が増殖する、という
「楽しくない人生」
を送ってしまい、非常な後悔をするケースが出てきます。

いずれにせよ、お金と心身の健康のバランスを取り、楽しい人生を送るためには、知性と教養と想像力を豊かにし、確固たる哲学・価値観をもち、
(1)好きなことで、
(2)得意なことで、
(3)経済的に成り立つこと、
を明確に選び出せる自己基準を確立させることが非常に重要になるのです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.142、「ポリスマガジン」誌、2019年6月号(2019年5月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.143、「ポリスマガジン」誌、2019年7月号(2019年6月20日発売)

00083_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」11_(4)何事も目的をはっきりさせるべし(ⅷ)_畑中鐵丸流「楽しい人生」の定義・その3:財産があること_(E)「お金の本質的意義と価値と効用」4つ目:各種「お金持ち」の類型別生態から学ぶ「お金」の意味と本質_20181220_20190520

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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企業や国家運営は言うに及ばず仕事の上でも、私生活においても、処世全般においても、物事の目的を明確にすることは重要です

そして、
「人生」
という、この世のすべての方にとって
「もっとも、重大で重要なプロジェクト」
についても、当然、目的をはっきりさせるべき、という話をさせていただきました。

私個人としても、人生を送る上での目的というものをはっきり、くっきり、明確に堅持しています。

いえ、そんなに、気色ばんで、眦決して吠えるほど、志の高いものではありません。

私の人生において、究極の目的は、
「人生を楽しむこと」
です。

では
「楽しい人生」
とはなんぞや、その定義はどうなっているんだ、という具体論をお話ししております。

無論、生きる目的は、ひとそれぞれで、いろいろ異論はあるでしょうが、知性と教養と思考力をフル回転してたどり着いた、普遍的で、みなさんにも納得できるような形で整理した、私なりの
「楽しい人生」
の定義を紹介しております。

私の定義する
「楽しい人生」
については、自由であること(その1)美容と健康を保てること(その2)に加え、その3として、
「財産があること」
も内包すべき要素として必須です。

私の定義する
「楽しい人生」
の内包要素として、その3、
「財産があること」
を挙げました。

ところで、
「財産形成」
というミッションデザインについては、
「楽しい人生のための他の構成要素である、自由や、美容・健康」
と衝突しやすい、あるいは時に人生そのものを狂わしかねない危険がある
ため、前提として弁えておくべき、
「お金の本質的意義と価値と効用」
について、お話ししております。

「お金の本質的意義と価値と効用」
の1つ目としては、自分を救え、解放できること。

すなわち、贅沢ができ、うまいメシを食い、うまい酒を飲み、好きなときに好きなことを好きなだけできる、そんな財力をもつこと、あるいは、そんな贅沢をしなくても、ただただ、いつでも使えるお金が豊富にあるだけで、お金を持っている人間は、人生の苦悩の最も大きな部分を占める
「カネの悩み」
から解放され、自由に生きられるますし、それは、楽しい人生を送る上で重要な前提になります。

「お金の本質的意義と価値と効用」の2つ目としては、他者を救え、解放でき、遂には神に近づけること。

すなわち、
「救うべきで、かつ救う価値のある他者」
に、強力で即効性のある救いの手を差し伸べて、救って差し上げる、という
「神業」
をなすにも、お金は強力なツールになりますし、神として振る舞えれば、人生はさらに楽しくなります。

だから、お金は、楽しい人生のための重要なツールとして、必要になってきますし、カネを稼ぎ、カネを貯めることは、楽しい人生を送るためには、大いに推奨されるところです。

とはいえ、財産をしこたま貯め込むだけで、全く使えない、というのも味気ない、というか人生を楽しんでいる、とはいえません。

ここで、大きな魔力ともいうべき力をもつ
「お金」
の意義と本質を具体的に考えてみたいのですが、
「お金の意義と本質」
を具体的に考える上では、まずは、お金をたくさんもっている方々、すなわち、お金持ちが、お金とどう向き合って、どう付き合っているか、を考えることがヒントになりそうです。

このように、
「お金持ちの生態」
を深掘りしてみることで、
「お金の意義や本質」
を具体的に探ってみたいと思います。

弁護士稼業をやっていますと、たくさんの金持ちに出会いますが、金持ちといっても、その生態は様々です。

ここで、私個人の経験上の蓋然性を基礎に形成・獲得した、
「『金持ち』という生き物の種別に対応した、生態観察結果(といっても、主観的で、偏見に満ちたものである可能性はあります)」
を披瀝し、様々なタイプの
「お金持ち」の視点
を通して、
「お金の意義や本質」
の具体的バリエーションをみていきたいと存じます。

弁護士をやっていますと、たくさんのお金持ちの方に出会いますが、一言に
「お金持ち」
といっても、その特徴・生態・習性・思考上の偏向等は様々です。

ただ、1ついえることは、どのタイプの
「金持ち」
も、一般大衆とはまったく異なった思想・価値観・美意識・感受性・経済感覚を持っている、ということです。

具体的には、「金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!」と意気込む婚活女子が知っておくべき、「金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向」その1:「お金持ち」の種別に書いておりますとおり、

(A)資産家
(B)オーナー企業創業者
(C)オーナー企業後継者(2代目以降)
(D)投資家
(E)財産形成に成功したプロフェッショナル(士業の成功者やオーナーシェフや開業医や芸能人や出世したサラリーマン重役等)

に整理されると考えられます。

(A)資産家という人種が考える「お金の意義や本質」は、「『金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!』と意気込む婚活女子が知っておくべき、『金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向』その2:資産家」
に記載しておりますとおりです。

すなわち、(A)資産家という人種にとっての
「お金」
とは、
「承継した資産を減らさない」
という死んでも達成する使命のため、
「資産の世代承継が生じる際に確実に訪れる『国税当局という我が国最大の暴力団からの最大55%ものみかじめ料徴求行為』」
に備えて、ケチって、ケチって、ケチり倒して確保しておくべきモノ、という意味をもちます。

(B)オーナー企業創業者という人種が考える
「お金の意義や本質」
は、
「『金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!』と意気込む婚活女子が知っておくべき、『金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向』その3:オーナー系企業の創業者」
に記載しておりますとおりです。

すなわち、(B)オーナー企業創業者という人種にとっての
「お金」
とは、勝負すべきときに使う
「武器や弾薬や兵糧」
を購入するため、あるいは、
「自己を差別化して、承認欲求を充足するためのアイテム(威信財)」
を購入するため、用いるべき
「戦略的資源」
としての意味をもちます。

(C)オーナー企業後継者(二代目以降)という人種が考える
「お金の意義や本質」
は、
「『金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!』と意気込む婚活女子が知っておくべき、『金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向』その4:オーナー系企業の後継者(二代目以降)」
に記載しておりますとおりです。

すなわち、(C)オーナー企業後継者(二代目以降)という人種にとっての
「お金」
とは、承継した企業が順調に成長している限り、放っておいても勝手に自律的に生まれてくるものであり、(A)資産家のような求道者のようなケチということでもなく、(B)オーナー企業創業者のような戦略的資源として使うわけでもなく、ドライに、クールに、上手な距離感をもって、上手に付き合っておくべき、
「便利な道具」
としての意味をもちます。

(D)投資家という人種が考える
「お金の意義や本質」は、
「『金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!』と意気込む婚活女子が知っておくべき、『金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向』その5:投資家」
に記載しておりますとおりです。

すなわち、(D)投資家という人種にとっての
「お金」
とは、
「お金を運用することによって、それ自体が、価値を創造し、自己増殖させることができる」
という機能をもったものであり、
「メーカーにおける工場」
と同じ意味と価値を担うのであり、
「一定の方向付けを与えれば、自己増殖的に価値を生産してくれ、大切な商売道具」
としての意味をもちます。

(E)財産形成に成功したプロフェッショナル(士業の成功者やオーナーシェフや開業医や芸能人や出世したサラリーマン重役等)という人種が考える
「お金の意義や本質」
は、
「『金持ちと結婚して絶対幸せになってやる!』と意気込む婚活女子が知っておくべき、『金持ちの分類・特徴・生態・習性・偏向』その6:財産形成に成功したプロフェッショナル(士業の成功者やオーナーシェフや開業医や芸能人や出世したサラリーマン重役等)・完」
に記載しておりますとおりです。

すなわち、(E)財産形成に成功したプロフェッショナル(士業の成功者やオーナーシェフや開業医や芸能人や出世したサラリーマン重役等)という人種にとっての
「お金」
とは、
「宵越しの銭は持たない」
といった感じで、人生を謳歌するために刹那的に使ったり、
「最も重要な資本」
である体を整備するため健康維持管理のために使ったり、気晴らしや趣味や贅沢をして
「労働意欲を再生産する」
という大切な投資を行うための、便利な道具としての意味をもちます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.136、「ポリスマガジン」誌、2018年12月号(2018年11月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.137、「ポリスマガジン」誌、2019年1月号(2018年12月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.138、「ポリスマガジン」誌、2019年2月号(2019年1月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.139、「ポリスマガジン」誌、2019年3月号(2019年2月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.140、「ポリスマガジン」誌、2019年4月号(2019年3月20日発売)
初出:『筆鋒鋭利』No.141、「ポリスマガジン」誌、2019年5月号(2019年4月20日発売)