00259_相続_「法は家庭に入らず」_お金より大切なものを、人はいつ気づくのか

相続というのは、不思議な魔法をかけます。

昨日まで仲良く食卓を囲んでいた家族が、一枚の遺言状をめぐって、まるで別人のように険しい顔をする。

「たかがお金のことで」
と思う人もいるでしょう。

でも実際には、お金そのものより、
「自分だけ軽く扱われた」
という感覚が、人の心を変えてしまうのです。

弁護士に依頼したけれど、途中でやめた——それって「負け」なの?

あるご家族の話をしましょう。

自宅で介護していた母親の相続をめぐって、ある方(ここでは仮にAさんとします)が弁護士に依頼しました。

母親の葬儀後、忌明けもしないのに、兄弟が弁護士を連れてきて、母親の相続の財産分与の話を詰め寄ってきたというのです。

介護期間中のAさんの持ち出しや、Aさんの妻の貢献をまるでなかったかのように、話を押し通す兄弟とその弁護士に、やむなくAさんも弁護士に依頼したということです。

法的には、もう少し粘れば一定の財産を取り戻せる、そういう段階まで話は進んでいました。

でも、Aさんはある日、こう気づきます。

「この金額のために、家族全員が憎しみ合うのは、割に合わない」

ご主人とも話し合い、ふたりの出した結論は
「財産放棄に同意する」
でした。

弁護士から見れば、法的・経済的には明らかに不利な選択です。

着手金も戻ってきません。

では、これは
「負け」
でしょうか?

「法は家庭に入らず」——この諺が教える、もうひとつの論理

日本には
「法は家庭に入らず」
という言葉があります。

法律は、赤の他人同士のトラブルを解決するためのルールです。

契約、証拠、権利と義務——そういう冷たい言葉で人間関係を整理します。

それは必要なことですし、社会の秩序を守るために欠かせません。

でも家族の間には、法律とはまったく別の論理が流れています。

「情宜(じょうぎ)」
という、少し古い言葉があります。

情けと義理、といえばわかりやすいでしょうか。

数字で測れないもの、証拠として出せないもの、でも確かにそこにある、人と人をつなぐ何か。

法律はそこには踏み込めない。

踏み込むべきでもない。

Aさんが選んだのは、法律の論理ではなく、情宜の論理でした。

弁護士の「あと一歩」と、依頼人の「もういい」のあいだ

ここで少し、意地悪な問いを立ててみましょう。

弁護士は
「あと一歩で利益を実現できる段階だった」
と言います。

依頼人は
「やめる」
と言いました。

この二者の判断は、どちらが正しいのでしょうか?

答えは——どちらも正しい、です。

弁護士は、法律と経済の論理で生きています。

「取れるものは取れる状況だ」
というのは、プロとして正しい判断です。

一方で、依頼人は、家族関係という法律の外側にある論理で生きています。

「金銭的利益より、家族の平和のほうが自分には価値がある」
というのも、人間として判断です。

問題は、この2つの論理を同じ秤で量ろうとすることにあります。

弁護士は法律の専門家ですが、その人の家族関係の専門家ではありません。

「法的に損」

「人生で損」
は、まったく別の話なのです。

賢い撤退には、ちゃんと作法がある

Aさんのケースで、もうひとつ注目したいことがあります。

途中辞任に際して、弁護士は
「みなし報酬金は請求しません」
と申し出ました。

一見、当たり前のように見えますが、実は、まったく当たり前ではありません。

「みなし報酬金」
というのは、あと一歩で成果が出る段階まで来ているのに、依頼人の都合で
「やっぱりやめます」
と言われた場合に、本来発生する成功報酬相当額のことを指します。

依頼人の一方的な都合で辞任するなら、弁護士はこれを請求するのが筋です。

ところが、本件の弁護士は
「これまでの経緯を考えれば、みなし報酬金は請求しません」
と、その請求権を、自ら静かにしまい込みました。

つまり——撤退にも、人間関係の作法があるということです。

Aさんは深く感謝の意を伝え、弁護士は依頼人の苦しい胸中を酌んで費用を引いた。

法律の話を、最後は人間の話として、きれいに着地させた。

これこそが、双方が
「情宜」
を持って動いた、お手本のような幕引きです。

これは、双方がきちんと
「情宜」
を持って動いた結果です。

「家族の縁」は、お金で買い直せない_守るべきは、目に見えないもの

最後に、少し視点を変えてみましょう。

私たちはつい、
「目に見えるもの」
「数字に出るもの」
ばかりを大切なものと勘違いします。

通帳の残高、不動産の名義、株式の評価額。

確かに、これらは大切です。

しかし、本当に取り返しのつかないものは、たいてい、数字には出ない側にあります。

正月に集まれる兄弟姉妹がいるかどうか。

親が亡くなった後も、姪や甥と笑って会えるかどうか。

家族の集合写真の真ん中に、空席ができないか。

これらは、後からお金を積んでも、もう買い戻せません。

Aさんが守ったのは、目先の財産ではなく、
「取り返しのつかないものを、失わない権利」
だったのかもしれません。

法律にも、情宜にも、それぞれの出番がある

誤解されがちですが、
「法は家庭に入らず」
というのは、法律を軽く見なさい、という意味では決してありません。

法律には法律の出番があり、情宜には情宜の出番がある。

どちらか一方だけを振り回す人は、たいてい、人生のどこかで派手に躓きます。

両方の道具を、場面ごとに正しく使い分けられる人。

そういう人だけが、最終的に、家族も、財産も、自分の人生も、まるくおさめていけるのだと思います。

「割に合わない」
と、自分の頭で判断できる。

「ここは引きどきだ」
と、自分の足で立ち止まれる。

これは、十分すぎるほど、ひとつの
「勝ち方」
です。

そして、こういう勝ち方ができる人のところには、不思議と、後から本当に大切なものがゆっくりと戻ってきます。

著:畑中鐵丸