実務家の修羅場:「善意」が舐められた
「知識と善意」
でクライアントの危機を救ったプロフェッショナルが、組織の都合や損得勘定によって
「非礼極まりないコストカット」
を提示される――。
そんな修羅場に直面したことは、ありませんか。
そのようなときに必要なのは、感情論ではありません。
徹底した実務論です。
私がかつて経験したことをお話ししましょう。
ある企業が、事業存続に関わる緊急危機に陥った時、私は、経営者との強い信頼関係を前提に、非常時対応を提供しました。
本来であれば破格の報酬が発生すべきところ、善意と義理で大幅にディスカウントし、休日返上・徹夜で緊急の文案作成に即応しました。
弁護士として、まさに命がけの“火消し”のような役割を果たしたのです。
その後、目先の危機が沈静化したと見るや、その企業グループの財務・会計顧問――金銭管理やコスト調整を担い、経営層にも影響力を持つその専門家――が、突如登場し、信義則に反する提案をしてきました。
“弁護士”の超人的な努力を
「終わったコスト」
として計算尺に乗せ、
「もう片付いた」
「費用はカットできる」
といった主張を展開し、一方的で形式的な
「費用抑制」
を言い渡したのです。
(経営者の代理として登場した会計顧問は)あたかも当然かのように、私の連日にわたる非常時対応については、評価もなければ謝意もありませんでした。
それは、たとえるなら――火を消した直後の消防士に向かって、
「火はもう消えたのだから、ギャラは削ってもいいよね」
と言い放つようなものです。
実際、危機は“片付いて”などいませんでした。
私の予見どおり、子会社関連での新たな事案が次々と噴出。
再び火の手が上がったとき、その会計顧問は姿を現さず、代わって経営者本人と子会社の社長から、
「ぜひ引き続きご対応をお願いします」
という救援の要請が舞い込んできたのでした・・・。
プロが取るべき「3つの判断」の基準
信義の不履行や構造的な裏切りに直面したとき、私たちプロフェッショナルは、どう対応すべきでしょうか。
悔しさや憤りで自らを消耗させるのではなく、その感情を戦略へと転換することができます。
場合によっては撤退するケースもあるでしょうが、怒りを交渉条件に置き換え、信頼の修復、または再設計を図る選択肢がある、ということです。
その際、私が基準としているのが、次に紹介する
「3つの判断」
です。
第1の判断:感情を「機能不全コスト」として精算する
感情は放置してはいけません。
怒りは、
「チームの機能不全コスト」
として認識し、それを書面で可視化できる条件として整理し、再契約や再関与の要件に明確に組み込むのです。
そうすることで、感情は“構造”に昇華し、
「怒りの処理」
が
「再構築の条件交渉」
へと変わります。
さて、私は、経営者に対し、次のように書面で伝えました。
「流石のお人好しの私でも、会計顧問の態度には笑って受け流せず、滅多に怒らない私にしてはめずらしく、怒りの感情が邪魔して、仕事が前に進みません」
これは、単なる愚痴ではありません。
「仕事が前に進まない」
という事態は、
「プロフェッショナルの機能不全」
であり、危機なのです。
思考の停止は、対応の遅れと判断ミスを招き、結果としてサービス品質が低下します。
その影響は、最終的にクライアントの実損として現れます。
会計顧問が破壊したのは、危機時における弁護士の“即応力”という
「信頼という名の最上級インフラ」
でした。
このインフラの再起動には、クライアント企業の経営者による、最低限の敬意を示す具体的な行動が求められます。
(1)謝罪と関係性の再定義
当該企業は、会計顧問に
「私の短絡的な行動が、チームの緊急対応機能を停止させた」
という事実を認めさせ、私に対して正式に謝罪させることが、最低限の誠意といえます。
これは、単なるケジメではありません。
プロの仕事に対する敬意の最低ラインです。
もしこの謝罪がなされなければ、今後、私は、経営者本人を
「その程度の人物」
と見なすだけでなく、従来のような義理や配慮に基づくハイサービスは一切停止し、契約書上に記載された最小限の対応(たとえば口頭助言)に切り替えることになります。
(2)過去の「善意による立替え対応」の精算
この件においては、他の専門家(協力弁護士)に急ぎ依頼した案件も含まれていました。
クライアント企業が、会計顧問の短慮な判断を鵜呑みにして支払いを止めた結果、私自身の人間的信用を毀損する事態となりました。
そこで、私は、当該企業に対し、所定の支払確約文書を正式に提出するよう求めました。
これは、過去の善意を単なる“サービス”で終わらせないための、実務上の
「筋」
というものです。
第2の判断:「将来の裏切りリスク」は「確実な先入金(担保)」でヘッジする
また、私は、経営者に、書面で次のようにも伝えました。
「結局、『休日返上・徹夜で対応しても、最後は会計顧問が出てきて不義理をされる』という事態が、また繰り返されるだけです」
これは、憶測ではありません。
過去の事実に基づいた、れっきとした“展開予測”です。
この会計顧問の意思決定パターンは明快です。
「危機時の対応には一時的に同意するが、沈静化すれば、プロの努力は“余剰コスト”と見なす」
この行動原理が過去に何度も繰り返されてきた以上、私が次にとるべき対応も明快です。
時間との闘いの業務が続くことが予想されるなか、緊急対応費用と難関事案対応費用の担保として、弁護士法人宛に●●万円の支払いを要求しました。
これは、金額の問題ではありません。
信用の再構築に必要な、最低限の“構造的条件”なのです。
先入金がなければ、私は動きません。
なぜなら、
「もはや、あなたの口約束や謝罪には、私のペン一本の価値すら担保する信用力がない」
という、状況だっただからです。
「後払い」
という仕組みは、信頼を前提としています。
その仕組みは
「信頼が成立している場合にだけ、機能するシステム」
です。
一度でも不義理があったのであれば、そのシステムは破綻しているのですから、信頼を前提とする支払条件も、見直す必要があります。
・構造を変える
・リスクは、担保によってヘッジする
それが、プロフェッショナルの取るべき態度です。
緊急対応を求めるのであれば、相応の担保を積む――それが、ビジネスの鉄則です。
第3の判断:「信頼関係」を“即応性の設計思想”として捉え直す
危機対応において、我々プロフェッショナルが通常を超える力を発揮できるのは、契約書だけでは説明できない、
「信頼という設計思想」
が共有されているときです。
そこでは、
「契約で定めた以上のことを、必要なら即座にやる」
ということが、暗黙の前提になっています。
この信頼があるからこそ、
「休日返上」
「徹夜対応」
といった極限パフォーマンスが自然に発動されるのです。
裏を返せば、その信頼を破壊した瞬間、危機対応のエンジンは止まり、
「即応性」
は消えます。
今回、会計顧問はそれを理解せず、目先のコスト削減のために、信頼という無形資産を切り捨てました。
信頼関係は、情緒や個人感情で築かれるものではありません。
信頼を失った組織は、感情論では再起動できません。
それは
「人間関係における感情の問題(単なる非礼の問題)」
ではなく、
「業務インフラの故障(組織機能の設計ミスの問題)」
だからです。
要するに、組織間における信頼関係とは、合理的な設計と合意に基づいて初めて再構築できるインフラです。
当該企業にとって必要なのは、具体的には、
・「チーム再設計の意志がある」を示す明確な態度であり、
・信頼の回復を前提とした契約条件の見直しであり、
・プロの能力を軽視した判断に対する明確な謝意だったのです。
プロとしての鉄則:感情を「契約」と「行動」に変換すること
恩を仇で返されたと感じたとき、感傷に浸ってはいけません。
怒りを抱えて黙っていても、状況は何ひとつ改善されません。
プロフェッショナルである以上、必要なのは感傷ではなく、再設計です。
・怒りを契約条件に変える
・不信感を担保に置き換える
・「プロの価値と矜持」を、相手に再認識させる行動に出る
要するに、信頼が損なわれたなら、感情ではなく契約で応じるのです。
それが、プロとしての矜持であり、仕返しではなく
「仕切り直し」
です。
補論:プロフェッショナルの最終手段――「不義理を教材に変える知の戦略」
最後に。
ここまで紹介した判断は、ドライなビジネス論によって、プロフェッショナルとしての機能と尊厳を守るためのものです。
しかし、もしあなたが“知の探求者”であるなら、もう一段階、進化した対応があります。
それは――
不義理な相手の行動そのものを、最高の教材に昇華させる、というものです。
たとえば、私のかつての経験を、つぎのように切り取ることもできます。
「短期コスト思考が、組織の信頼インフラを破壊し、危機管理能力を損なった事例」
「会計的視点による判断が、法務的リスク対応体制に与えた構造的影響」
この顛末を匿名化し、構造化し、セミナーや研修・記事・コンテンツに落とし込む。
そうすれば、相手の不義理は、あなたの知的資産になります。
そしてそれこそが、人間的信用の損失を、知的信用で上書きする、最もエレガントかつ破壊力のある“カウンターリリース”になるのかもしれません。
もちろん、これをやるには、怒りを超越した精神的タフネスが求められる、ということですが。
著:畑中鐵丸