00176_カネのマネジメント(2)_20130720

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」
として、ガバナンス、ヒト、モノと続き、今回から、
「カネ」
という経営資源のマネジメント(ファイナンスマネジメント)についてお話をしております。

5 カネのマネジメント(ファイナンス・マネジメント)に関わるお仕事の作法

(3)返さなくてはいけないカネと返さなくてもいいカネ(承前)

企業の資金調達方法として
「一度調達してしまったら、スポンサーに返さなくてもいいお金」
というものがある、と申し上げました。

これが、世の中でよく耳にする
「株式」
という仕組みです。

株式というのは、株式会社という法人のオーナーシップのことをいい、株券とは、このオーナーシップを証明する紙切れのことを言います。

では、株式会社とは、そもそもどういうものなのでしょうか?

ここで、株式会社の仕組みを非常に簡潔に説明します。

(4)究極の無責任法人・株式会社

株式会社は
「法人」
の代表選手ですが、法務局備え置きの登記簿上でしか確認できない幽霊のような存在に過ぎず、お情けで法律上の人格を特別に認めてあげているものです(そもそも「法人」とは、フツーの人間と違い、法律上のフィクションによって人として扱うバーチャル人間のことを言います)。

他方、ご承知のとおり、現代経済社会においては、株式会社は普通の人間様をはるかに凌駕する体格(資産規模)も腕力(収益規模)を有する巨大な存在になってしまっています。

となると、
「こういう巨大な存在のオーナーは、何か問題が起こったら法人に連帯して相当シビアな責任を負うべき」
とも考えられます。

ところが、
「オーナーが多数いても、その中で責任を負担する者が誰もいない」
というのが株式会社というシステムの本質なのです。

企業不祥事等が発覚すると、マスコミ等はこぞって
「企業はきっちり責任を自覚せよ」
「経営者は責任を免れない」
「株主責任を果たすべき」
などと報道します。

しかしながら、株式会社には、法理論上、責任者などまったくおりません。

といいますか、株式会社制度自体が、そもそも、
「誰も責任を取ることなく、好き勝手やりたい放題して、金もうけができ、もうかったら分け前がもらえるオイシイ仕組」
として誕生したものなのです。

すなわち、株式会社制度の本質上、
「会社がヤバいことになったら、オーナーは、一目散に逃げ出せる」
ように設計されているのです。

ここで、株式会社制度に関する学術的に説明を探してみます。

すると、こんな文章に出くわします。

「株式会社とは、社会に散在する大衆資本を結集し、大規模経営をなすことを目的とするものである。かかる目的を達成するためには、多数の者が容易に出資し参加できる体制が必要である。そこで会社法は、株式制度(104条以下)を採用し、出資口を小さくできるようにした。また、出資者の責任を間接有限責任(104条)とし、社員は、債権者と直接対峙せず、また出資の限度でしか責任を負わないようにした。」

なんでしょうかねえ、これは。

まるで外国語ですね。

一般人でもわかるように“翻訳”して解説します。

日本語のセンスに相当難のある方が上記の文章で言いたかったことは、
「デカい商売やるのには、少数の慎重な金持ちをナンパして口説くより、山っ気のある貧乏人の小銭をたくさんかき集めた方が元手が集めやすい。とはいえ、小口の出資しかしない貧乏人に、会社がつぶれた場合の負債まで負わせると、誰もカネを出さない。だから、『会社がぶっつぶれても、出資した連中は出資分をスるだけで、一切責任を負わない』という仕組みにしてやるようにした。これが株式会社だ」
ということです。

「株主は有限責任を負う」
なんてご大層に書いてありますが、法律でいう
「有限責任」
とは社会的には
「無責任」
という意味と同義です。

ちなみに、
「有限会社」

「有限責任組合」
とは、我々の常識でわかる言い方をすれば
「無責任会社」
「無責任組合」
という意味です。

「ホニャララ有限監査法人」
とは、
「監査法人がどんなにありえない不祥事を起こしても、出資した社員の一部は合法的に責任逃れできる法人」
の意味であると理解されます。

要するに、株式会社とは、

「存在は中途半端だわ、体格もデカく、腕力も馬鹿みたいに強いわ、その上、大暴れして迷惑かけても誰一人責任取らないわ」
と、無茶苦茶な存在なのです。

株式会社という法人制度の説明が終わったところで、次回、株式という資金調達の仕組について、詳しくお話させていただきます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.071、「ポリスマガジン」誌、2013年7月号(2013年6月20日発売)