00194_チエのマネジメント(14)_20150120

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)」の14回目です。

立法・司法・行政という国家三権とその機能分担(三権分立)の話に広がりましたが、前回あたりから、話が無事に、知的財産権、いわゆる
「チザイ」
へと戻ってまいりました。

前回
「審査官をウマく丸め込み登録はしたものの、新規性、進歩性等の要件に問題があるエエ加減な特許権」
をブンブン振り回して、鼻息荒くライバル企業に差止・損害賠償訴訟を提起すると、カウンターパンチをくらうような形で裁判所から突然
「特許無効」
と宣言され、最後に泣きを見る、という事例が出てくるようになった、との前置きをさせていただきましたが、今回は、この事件のお話をさせていただきます。

(20)枝豆特許をめぐる冷食業界の仁義なき抗争

1998年、日本水産(ニッスイ)は、冷凍の塩味茹枝豆に関する特許を取得しました。

特許といっても、製法や材料や味や保存期間等の画期的技術についてではなく、枝豆の塩分濃度や解凍後の枝豆の硬さなど、性質や機能を数値で表現したものに特許権が与えられたものでした。

ニッスイは、特許取得後、同じく冷凍塩味茹枝豆を販売しているニチロ、ニチレイ、マルハなどに特許使用料を要求する交渉を開始しましたが、各社はこれに猛反発。

2002年2月にニチロが特許庁にニッスイの特許の無効審判請求をしたことから、ニッスイ側は、この対抗措置として、自社の特許権を侵害したとして、ニチロの冷凍塩味茹枝豆の販売差止などを求めて、東京地裁に提訴しました。

結果は、東京地裁が
「ニッスイの特許技術に進歩性はない」
と判断し、ニッスイ側の完全敗訴となりました。

ニッスイ側は、控訴も断念し、ここに冷凍塩味茹枝豆の特許をめぐる冷凍食品業界の仁義なき抗争が終結しました。

特許が成立するのは、それまで冷凍食品業界においてまったくなかったような高度な発明で、かつ従来技術からは思いもつかないような進歩的な発明でなければなりません。

人間の
「食」
に対する意識は結構保守的で、変わった食品や変わった製法の食品を敬遠する向きも多く、その意味で、一般に
「食品業界では特許が成立しにくい」
などと言われます。

というか、仮に
「見た目はカレーで、味はイチゴのデザート」
なんて食べ物があったとしますと、この食べ物は、斬新であり、進歩的なもので、ひょっとしたら特許が取れるような発明かもしれませんが、そんなグロテスクな食べ物、日本人のほとんどはあっても食べたいとは思わないでしょう。

そして、事件になったニッスイの特許は、そんな革命的なものというわけではなく、前述のとおり、フツーの食べ物に関する、ちょっと便利な技術に関するものでした。

すなわちニッスイに特許権があり、特許庁長官発行のお免状があるからといっても、
「下駄をはかせてもらい、インチキで取得した『なんちゃって特許』とも言うべき代物」
にすぎないというのが実体であり、ニチロもその
「なんちゃって」
ぶりはきっちりお見通しでした。

にもかかわらず、ニッスイは、そんな、武器にもならない
「おもちゃのチャンバラ道具」
のような権利を使って、
「喧嘩上等」
と言わんばかりに強気になってしまい、訴訟提起をしちゃったところが、運の尽きだったようです。

結局、ニチロから無効審判請求の申立てや、特許法104条の3の抗弁(キルビー抗弁)といった、ガチのカウンターパンチが繰り出され、
「特許庁、すなわち行政という奉行所(権力機関)」
とは別の、
「裁判所、すなわち司法府という別の奉行所(権力機関)」
によって、鵜の目鷹の目で徹底的に調べ上げられ、あっけなく
「その方が有しておる権利とやらは、まがい物の、なんちゃって権利であり、無効なり! そのような権利を振り回すその方の振る舞いこそが不逞千万である!」
と宣言させられたのです。

裁判で負けたら、販売差止に失敗するだけではありません。

もし、ニッスイが、この特許を製造委託先や他社に使用許諾(ライセンス)して、特許使用料(ロイヤルティ)でも取っていようものなら、今度はライセンスしている会社からも
「ガセ特許をネタに高いロイヤルティをふんだくりやがって、この野郎!特許が無効になった以上、これまでインチキで払わされたロイヤルティを全部返せ!」
ということを言われる可能性もあります。

ニッスイも、三権分立をきっちり理解して、
「特許庁、すなわち行政府という権力機関によって、お情け半分で特別に認めてもらった権利が、裁判所という冷厳な別の権力機関でばっさり否定されるかもしれない」
という保守的な前提認識をもち、物騒な展開にせず、大人の話し合いで、なるべく早く双方にとって体面が保てる幕引きをし、
「なんちゃって特許」
が化けの皮を剥がされないようにすれば、よかったのかもしれません。

こうやってみると、
「特許権という、三権分立制度の間に漂う権利を扱う際には、日本の国家制度を本質から理解しておく必要がある」
ということにつながることが理解いただけると思います。

このような
「三権分立制度の間に漂う権利や法律関係」
は、チザイにとどまりません。

税務争訟関係(税務当局と裁判所)、金融商品取引法事件(金融庁、証券取引所、証券取引等監視委員会と裁判所)、独禁法事件(公正取引委員会と裁判所)などなど、ビジネスと法律が交錯する多くの分野で、行政と司法が顔を出します。

無論、多くの場合、結論だけでみると司法判断と行政判断には一致がみられます。つぶさに観察すると、権利や法律関係の扱い方やアングルが相当異なることがわかりますし、
「同じ日 本の権力機関だから、一緒だ」
という安易な考えは早計といえます。

「チザイ」
の扱い方のお話に際して、長々と三権分立の話をさせていただいたのは、こういう背景からなのです。

これまで
「チザイ」
として、特許や著作権や意匠権といった正式な権利となるものを見てまいりました。

もちろん、一般に
「チザイ」
と言えば、これら正式な権利となるようなものが代表選手ですが、ビジネスの世界においては、これらとは別に、
「正式な権利」
にはならない
「企業秘密」
という知的財産領域があります。

そして、現実には、この
「企業秘密」
と言われるものの方が、ボリュームとしても膨大であり、かつ、企業にとって重要性を有しています。

次回は、この
「企業秘密」
のお話をさせていただききたいと思います。

連載が長くなっておりますが、もうしばらくお付き合いください。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.089、「ポリスマガジン」誌、2015年1月号(2014年12月20日発売)

00193_チエのマネジメント(13)_20141220

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の13回目です。

話は
「チザイ」、
すなわち知的財産権の話から、立法・司法・行政という国家三権とその機能分担(三権分立)の話に広がっておりますが、今回から、話をチザイに戻してまいります。

前回、法律は、
「サイエンス」
ではなく、
「イデオロギー」
であって、この
「イデオロギー」
たる法律を解釈運用するのは、
「上司もなく、やりたい放題」
が憲法で保障されている、いわば
「独裁者」
たる裁判官であり、
「真理探求に謙虚な姿勢の科学者が、サイエンスを扱う」
のとは180度異なる、
「独裁者がイデオロギーを、自由気ままに振りまわす」
というのが司法という権力の実体である、などと解説してまいりました。

そして、司法権力がこれだけの強力な独裁権力ですから、他の国家主権である行政権と摩擦を起こすのは、当然の成り行きといえますが、現実に、チザイの世界では、司法と行政が、世間の目を気にせず、衆人環視の状況で、大喧嘩をすることがあります。

今回は、この話をさせていただきます。

(19)チザイにおける行政VS司法

企業の事件の報道を見ていますと、例えば、こういうニュースに接することがあります。

「2005年2月26日、東京地方裁判所は、特許権侵害訴訟において、日本水産の冷凍塩味茹枝豆特許(塩味茹枝豆の冷凍品及びその包装品の特許)を無効と判断し、日本水産の特許権に基づく損害賠償等の請求を権利濫用として許されないとして棄却」

「2005年11月11日、知財高裁において、日本合成化学工業のパラメーター特許が無効と判断される」

一見すると、ありきたりのニュースとして見過ごしてしまいそうですが、考えてみれば、かなり異常な事態です。

ニュースでは、
「裁判所から、権利を濫用したとか、無効だとか非難された」
とされていますが、当事者である日本水産にせよ、日本合成化学工業にせよ、別に、何の根拠もなし、無茶な因縁をつけたわけではありません。

彼らは、多大な時間とエネルギーを負担して、特許出願し、さらに、出願してからも、特許庁から
「あっちを直せ」
「この出っ張りを引っ込めろ」
とかいろいろ指導を受けた挙句、晴れて、特許権登録を受け、特許庁から
「特許権者」
としてお墨付きを受けた、国家公認の権利者だったのです。

特許権が登録されれば、見るからにおごそかな特許庁長官発行の
「特許証」
という、鳳凰が縁取られた、合格証書のようなものが発行されます。

このような状況にあって、
「自分の権利がマボロシである可能性もあるから、疑え」
と言われても、そりゃ、絶対、無理ってもんです。

日本水産も、日本合成化学工業も、
「特許庁」
という、
「国家行政を担う、立派な奉行所」
のお墨付きを得て、権利者として振舞っていただけです。

そうしたところ、あるとき、この
「厳かなお墨付き」
たる特許権を
「そんなもの、屁のつっぱりにもなるか」
と言わんばかりに、公然とコケにする不逞の輩が現れたのです。

不逞の輩と権利者との揉め事は、
「裁判所」
という別の奉行所が取り扱うことになっています。

奉行所が違ったといえども、同じ日本という国の、同じ国家機関。

「まるで話が通じないわけはない、ということはなかろう」
と思って、裁きを待っていたところ、この
「裁判所」
という奉行所は、
「そちのもっている権利とやらはインチキじゃ。そのようなインチキな権利を振り回す、そちこそが、不逞の輩なり」
と、逆に怒られた。そんな無茶苦茶な話が、前述のニュースです。

なぜ、こんなことが起きてしまうのか。

それは、三権分立制度の陥穽としか言いようがありません。

国家は1つですが、権力作用は、全く別。

しかも、裁判所は、
「サイエンス」
ではない
「イデオロギー」
たる法律を解釈運用する、
「上司もなく、やりたい放題」
が憲法で保障されている、いわば
「独裁者」
であり、国会が作った法律すらぶっ飛ばすパワーを持っているくらい強力な独裁者です。

他の国家主権である行政権に属する特許庁が一介の私人に発行したお免状の1つをビリビリ破ることくらい、朝飯前のバナナヨーグルトです。

とはいえ、その昔、
「裁判所は文系の人間で、科学技術のことはよくわからないから、特許権が有効とか無効とかそういう小難しいことは、技術に明るい特許庁の方々に任せ、基本的に特許庁の判断を尊重しよう」
というシキタリがありました。

ところが、あるとき、公知技術を組み合わせただけの明らかに無効な特許を、うまく登録に持ち込んだ輩が登場し、彼が、このインチキ特許を使って、差止や損害賠償請求を行うという事件が起きました。

その際、最高裁は、前記シキタリを破り、
「差止や損害賠償請求が求められた際、裁判所が当該特許の有効・無効を判断し、たとえ技術に明るい特許庁の審査官がお墨付きを与えた特許権であっても、無効と断じてもいい」
と宣言しました。

そして、このような最高裁の取扱は、特許法改正により明文化されました。

このような事情があるため、前述のニュースのように、
「審査官をウマく丸め込み登録はしたものの、新規性、進歩性等の要件に問題があるエエ加減な特許権」
をブンブン振り回して、鼻息荒くライバル企業に差止・損害賠償訴訟を提起すると、カウンターパンチをくらうような形で裁判所から突然
「特許無効」
と宣言され、最後に泣きを見る、という事例が出てくるようになったのです。

前回まで、長々と、国家三権の本質的特徴、という遠大なテーマを論じてまいりましたが、チザイとの関係については、このような話となってつながってくるんです。

次回以降も、この、実にややこしい、チザイの特徴と取り扱い方法を解説していきたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.088、「ポリスマガジン」誌、2014年12月号(2014年11月20日発売)

00192_チエのマネジメント(12)_20141120

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の12回目です。

話は
「チザイ」、
すなわち知的財産権の話から、立法・司法・行政という国家三権とその機能分担(三権分立)の話に広がっておりますが、今回、さらに、この脱線話を掘り下げていきます。

前回
「裁判官は自分の良心と自身の憲法解釈・法律解釈に基づき、気に食わない法律を違憲無効と判断したり、憲法に反するおかしな法律制度を維持する」
ということがありうる、ということをお話しましたが、今回は、具体的な事例に基づいて詳しくお話しいたします。

(18)上司もなく、やりたい放題の裁判官(承前)

確かに、憲法76条3項には
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」
とありますし、裁判官が、その職務権限を行使するにあたっては、外部の権力や裁判所内部の上級者からの指示には一切拘束される必要がない、と憲法で保障されていることはわかります。

とはいえ、
「裁判官は自分の良心と自身の憲法解釈・法律解釈に基づき、気に食わない法律を違憲無効と判断したり、憲法に反するおかしな法律制度を維持する」
ということがありうる、とまで言ったりすると、
「カタくてマジメそうな裁判所がそんないい加減なことをしないでしょう」
という声が聞こえてきそうです。

しかしながら、日本の最高裁は、民主主義について非常識ともいえる判断を長年敢行し続けています。

例を用いてお話しします。

東京都内の私立小学校で学級委員を決める際、クラスの担任が、
「港区と千代田区から通っている生徒に5票与え、中央区と渋谷区から通っている生徒には3票、足立区と台東区に通っている生徒には2票、川崎市から通っている生徒に1票という形で付与する」
と発表し、生徒の住所地によって票数を露骨に差別したとします。

もし、実際こういう非民主的な教育運営している教師がいたら、気でも狂ったのではないかと思われ、即座にクビを切られるでしょう。

しかしながら国政レベルにおいては、このような
「気でも狂ったか」
と思われる行為が平然と行われ、最高裁もこれを変えようとはしません。

すなわち、国会議員を選ぶ選挙においては、投票価値が平等ではなく、鳥取県や島根県の方々は5票与えられる反面、東京都民や神奈川県民には1票しか与えられない、という異常な状況が長年続いております。

このような
「『多数決』ならぬ『少数決』による、非民主的な国民代表選出制度」
の違憲無効性が最高裁で度々審理されていますが、
「素性も選任プロセスもよくわからない最高裁の15人の老人たちの思想・良心」
に照らせば、このような制度も
「違憲ではない」
とされ、投票価値の不平等は延々と放置され続けているのです。

小学生の学級委員の選出ですら許されない非民主的蛮行が、国政レベルで平然と行われ、かつ最高裁に聞いても
「別に問題ない。これがワシらの良心じゃ。黙ってしたがっておれ」
という態度が貫かれるのです。

以上のとおり、裁判官は、日本国における最高・最強の権力を保持しながら、誰の指図を受けることなく、自由気ままに、個性を発揮することが憲法によって保障されており、この点において、個性の発揮が極限まで否定される行政官僚とはまったく異なるのです。

無論、最近では、投票格差の問題を是正するため立ち上がった弁護士グループの尽力で、ようやく、この問題が改善される動きが芽生えつつあります。

しかしながら、気が遠くなるような時間と多大なエネルギーと莫大なコスト(関わっている弁護士は手弁当参加であり、実費等もカンパで賄われているようです)をかけ、耳が痛くなるほど連呼しないと、「少数決ではなく、多数決こそが民主主義」という、小学生でも理解できる単純な理屈を実現してくれない。

これが、
「法の番人」
の実体です。

刑事事件や重大な憲法問題ですら、
「上司もなく、やりたい放題」
が憲法で保障されているのをいいことにありえない異常を何十年単位で放置するわけですから、そこらへんの民事事件の扱いなど、推して知るべしです。

法律というと、
社会「科学」
と分類されてはいるものの、単なる制度や取決めに過ぎず、集団的自衛権の議論の迷走ぶりをみてもわかるとおり、立場や時代や解釈者によってどのようにも使われます。

その意味では、法律は、
「サイエンス」
ではなく、
「イデオロギー」
なのです。

しかも、
「イデオロギー」
たる法律を解釈運用するのは、
「上司もなく、やりたい放題」
が憲法で保障されている、いわば
「独裁者」
たる裁判官。

「真理探求に謙虚な姿勢の科学者が、サイエンスを扱う」
のとは180度異なる、
「独裁者がイデオロギーを、自由気ままに振りまわす」
というのが司法という権力の実体です。

司法権力がこれだけの強力な独裁権力ですから、他の国家主権である行政権と摩擦を起こしたり、大喧嘩をするのは、当然の成り行きといえます。

以上のように、国家三権の本質的特徴を十分見てまいりましたので、次回以降、徐々に、話をチザイに戻してまいりたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.087、「ポリスマガジン」誌、2014年11月号(2014年10月20日発売)

00191_チエのマネジメント(11)_20141020

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の11回目です。

話は
「チザイ」、
すなわち知的財産権の話から、立法・司法・行政という国家三権とその機能分担(三権分立)の話に広がり(脱線し)、これがひどくなる一方ですが、あえて空気を読まず、脱線話を続けたいと思います。

前回は、法を執行する二つの国家機関である裁判所と行政機関(いずれも極めて似通った存在ですが)を比較しながら、お話を申し上げましたが、今回、さらに、この話を掘り下げていきます。

(17)違憲立法審査権が通常裁判所に帰属するという意味

前回
「日本は、イギリスやアメリカと同様、通常裁判所に違憲立法審査権を付与しています。このような意味において、裁判所は、通常司法権のほか、『違憲立法審査権という、立法権力や行政権力も凌駕するもっとも強力な国家権力』を保持しており、わが国において『最強の権力集団』ということができるのです」
と言いましたが、これはよく考えてみると、相当特異なシステムといえます。

くだらない民事の揉め事や離婚の話、窃盗や詐欺など刑事事件の面倒をみている国家機関が、国会の立法権限や行政官庁の法執行をぶっ飛ばすようなラディカルな事件を裁いてしまう、ということですから、ある意味無茶苦茶なシステムです。

実際、例えば、東京地裁の例でいうと、民事1部から3部および38部は行政部と呼ばれ、日本国が被告となるような行政事件や立法に絡む事件を専門的・集中的に審理するのですが、当該部においても通常事件も割り当てられますので、
「午前中は、国土交通大臣を被告とする国家賠償請求事件、午後は貸金と契約違反と近隣紛争」
なんて形で、
「国を揺るがすような大事件」

「犬も食わない、ネコもまたぐような民事の揉め事」
が同じ裁判官によって同じ法廷で裁かれていることがあるのです。

いずれにせよ、裁判所が日本国の中でもっとも強力な権力を有することは明らかであり、裁判所の前では、首相だろうが、大臣だろうが、民事トラブルの当事者や泥棒や詐欺師と同様、等しく裁判官にひれ伏し、そのご託宣を仰がなければならないのです。

(18)上司もなく、やりたい放題の裁判官

行政官は、
「法律による行政」
「絶対的上命下服」
の2つの原理で厳しく規律されています。

行政官が仕事に個性を発揮するということは、法律の軽視や指揮命令の混乱につながるため、厳しく禁じられ、ひたすら個性を埋没させ、私情を排して公正・公平な法を実現します。

行政官以上に強大な権力を振るう裁判官は、行政官僚と同様あるいはそれ以上の規律に服すると思うのが素直で自然ですし、
「裁判官は、さぞ規律がしっかりしており、何から何までルールで雁字搦めにされ、個性の発揮は忌避され、人間性が否定された機械のような仕事が求められるのであろう」
というのが一般の方の印象だと思われます。

前回
「行政官と裁判官は、バックグラウンドも出身大学も試験科目も酷似している」
などといいましたが、この点からも、裁判官と行政官の仕事の哲学やスタイルが同じと考えるのが自然です。

しかし、事情はまったく逆で、裁判官は、上司もおらず、個性と私情を発揮して、差し詰め
「やりたい放題」
といったところなのです。

しかも、この
「裁判官が、個性の赴くまま、やりたい放題で仕事してもいい」
という業務指針は、憲法に明記されているのです。

憲法76条3項をみると、
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」とあります。

裁判官が、その職務権限を行使するにあたっては、外部の権力や裁判所内部の上級者からの指示には一切拘束される必要がない、と憲法で保障されているのです。

例えば、行政官が、
「この法律は、私の良心や憲法解釈に反するので、個人の判断として執行をしません」
とすると大問題となります。

ところが、裁判官は自分の良心と自身の憲法解釈・法律解釈に基づき、気に食わない法律を違憲無効と判断したり、憲法に反するおかしな法律制度を維持したりすることができるのです。

こういう言い方をすると、
「カタくてマジメそうな裁判所がそんないい加減なことをしないでしょう」
という声が聞こえてきそうですが、日本の最高裁は、民主主義について非常識ともいえる判断を長年敢行し続けています。

次回は、この
「裁判官は自分の良心と自身の憲法解釈・法律解釈に基づき、気に食わない法律を違憲無効と判断したり、憲法に反するおかしな法律制度を維持する」
という例を、具体的にお話しいたします。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.086、「ポリスマガジン」誌、2014年10月号(2014年9月20日発売)

00190_チエのマネジメント(10)_20140920

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の10回目です。

話は
「チザイ」、
すなわち知的財産権の話から、立法・司法・行政という国家三権とその機能分担(三権分立)の話に広がり(脱線し)、これがひどくなる一方ですが、あえて空気を読まず、脱線話を続けたいと思います。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

(15)役所(行政機関)と裁判所との違い

前回まで、国家三権のうち、国会と行政機関との違いを中心に見てまいりました。

では、同じ法を執行・運用する役所として、役所(行政機関)と裁判所との違いはどうでしょうか。

個性あふれる国会議員の集団とは異なり、
「地味なスーツを着て、眼鏡をかけてて、知的で神経質そうで、あまりパっとしない、無個性なエリート」
の集団として共通する役所と裁判所ですが、似ているからといって、同じというわけではありません。

たしかに、裁判官登用試験である司法試験も、行政官僚登用試験である国家公務員一種法律職の試験も、試験内容としては似通っています。

裁判官の世界でも行政官僚の世界でも東大法学部卒が圧倒的にハバを利かせておりますし、裁判所でも財務省や総務省でも、石を投げれば、たいてい東大卒に当たります。

おそらく、東大卒の人口密度は、千代田区霞が関界隈が日本でもダントツ1位でしょう。

最終的に受けた試験(司法試験と公務員試験)の科目の数や種類が微妙に異なるとはいえ、役人も裁判官も、18歳から22歳まで駒場(東大生は1・2年生をここで過ごす)と本郷(東大生は3・4年生をここで過ごす)で地味な生活を送ってきたものどうし、外見や思考やライフスタイルの面において、非常に似ています。

これほど似通っている
「役所」

「裁判所」
ですが、実際は、両機関はかなり異質です。

さらに言えば、
「役所」

「裁判所」
とが、衆人環視の下、大喧嘩をしたりすることだってあります。

ここから先は、次回以降にお話しいたします。

身近な存在でありながら、どういう活動をしているかよくわからない国家機関である裁判所について連載で解説させていただいています。

前回は、
「国会議員」

「行政官・裁判官」
とを対比する形で議論させていただき、日本という国家を運営しているのが実は霞が関の行政官僚である、という実体を述べさせていただきました。

すなわち、日本という国は、建前でこそ民主国家として
「マジョリティが投票で選んだお調子者や目立ちたがり屋」
が主権者代表として運営するなどと危なかっしいことをいいつつ、その実体は、完全な官僚国家であり、
「小さいころから地味な努力を怠らない、優秀で責任感のある試験エリートたち」
により堅実に運営されているのです。

ところで、日本国家の運営を託された文系試験エリートの二大巨頭である
「行政官」

「裁判官」
ですが、前回述べたとおり彼らは実に近似した存在ですが、実は、まったく違った理念と見識で活動しているのです。

(17)最強の国家権力を保持する裁判所

国家権力の中でもっとも強力な権限は何でしょうか。

法律を作ることや、法律を執行することでしょうか。

こういう問いに対しては、
「主権在民の理念から、主権者代表である国会が有する立法権力が日本国においてもっとも強大な権力である」
という答えが返ってきそうです。

しかしながら、国会の立法といえども憲法に反する内容が定められる可能性も否定できません。

他方、現日本国憲法は、法律に対する優位と最高法規性を宣言しておりますので、憲法に反する法律や行政行為は無効と宣言されるべき必要が存在します。

このように、法律を作る権限(国会が有する立法権力)や法律を執行する権限(内閣を頂点とする行政官庁が有する行政権力)の上に、当該立法や法執行を憲法に照らして審査し、無効と宣言する
「上位の権力」
が想定されるのです。

この権力は、
「違憲立法審査権」
と呼ばれる権力ですが、立憲国家においては、国家運営におけるもっとも強力な権限であると認識されています。

この違憲立法審査権を、どのような国家機関に所属させるかについては一義的なものではなく、各国各様のモデルがあります。

フランスやドイツのように、一般の裁判所とはまったく別系統の
「特別の裁判所」
を創設し、当該特別裁判所に違憲審査を行わせるようなシステムもあります。

日本は、イギリスやアメリカと同様、通常裁判所に違憲立法審査権を付与しています。

このような意味において、裁判所は、通常司法権のほか、
「違憲立法審査権という、立法権力や行政権力も凌駕するもっとも強力な国家権力」
を保持しており、わが国において
「最強の権力集団」
ということができるのです。

以上、法を執行する2つの国家機関である裁判所と行政機関(いずれも極めて似通った存在ですが)を比較しながら、お話を申し上げました。

次回は、さらに、この話を掘り下げていきます。

次回もまだまだ脱線が続きますが、しばらく、この壮大な話にお付き合い下さい。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.085、「ポリスマガジン」誌、2014年9月号(2014年8月20日発売)

00189_チエのマネジメント(9)_20140820

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の9回目です。

話は
「チザイ」、
すなわち知的財産権の話から、立法・司法・行政という国家三権とその機能分担(三権分立)の話に広がり(脱線し)、これがひどくなる一方ですが、いずれ、チザイ話に戻ってまいれると思いますので、引き続き脱線を続けたいと思います。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

(13)「”立法機関”である”国会”」が立法すると、椿事として、ニュースになる

前回、言ってみれば、役所(行政機関)が料理(立法)のプロで、国会は
「出された料理のケチをつけることはできるが、自分では目玉焼きひとつ焼けない、料理評論家集団」
である、と申し上げました。

ところが、ケチはつけるが自分たちではほとんど法律など作らない国会議員のセンセイ方が、何を血迷ったか、夜の会合をキャンセルして、自ら法律を作ってしまう場合があります。

これは
「議員立法」
と呼ばれるものですが、国会議員が自分たちで法律を作ると、それだけでニュースになるくらい椿事なのです。

むろん、その出来具合はお世辞にもいいとは言えず、立法のテーマも、
「国家の効率的運営による国益の向上を目指した、後世に残るすばらしい法律」
は少なく、
「○○族と呼ばれる議員センセイが、特定の業界の利益の向上と結びつくような法律」
だったり、
「選挙の際、専業主婦やサラリーマンに手柄としてアピールしやすい法律」
といったものです。

議員立法で有名なのは、故田中角栄先生です。

彼が作った法案の多くは、道路、建設、開発あるいはこれらの財源措置や特殊法人に関するものでした。

特に、民主党政権の際に問題になった
「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」
も角栄先生の議員立法として成立したものですが、要するに
「都会のサラリーマンがガソリン購入の際に支払う税金を、田舎の道路工事のためにばらまく」
というものであり、建設業界と地元のゼネコンを利するという目的においては、非常に分かりやすい代物でした。

(14)この国を動かすのは国会ではなく役所(行政機関)

話を元に戻しますと、立法のプロとして、法律を作っているのは、
「お笑い芸人、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋、あるいは現在拘置所にいる刑事被告人といった様々な職種で構成される国会議員のセンセイ方」
ではなく、東大を卒業し、難しい試験に合格した、優秀な頭脳をもつ役所(行政機関)なのです。

つまり、中央官庁に務める高級官僚は、
「自分たちが使いやすいような法律を自分たちが作り、作った法律を自分たちが使う」
というわけです。

駒場の東大キャンパスに行くと、青雲の志を抱いて地方から浪人して東京大学文科一類に入学した青年が、
「僕は、キャリア官僚になって、日本を動かすんだ!」
という夢を語る場面に出くわします。

確かに、
「自分たちが使う法律を自分たちで作る」
わけですから、
「日本という国家を動かしているのは、国会議員などという有象無象の輩ではなく、キャリア官僚という高学歴のエリート集団である」
という認識は、全く間違っていません。

以上、立法権力を振るうとされる国家機関である国会の実体について、行政機関との比較においてお話しましたが、次回も、この話を続けてまいります。

知財からずいぶん脱線が続いており、さらに、次回も脱線が続きますが、しばらく、この壮大な話にお付き合い下さい。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.084、「ポリスマガジン」誌、2014年8月号(2014年7月20日発売)

00188_チエのマネジメント(8)_20140720

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)」の8回目です。

話は
「チザイ」、
すなわち知的財産権の話から、立法・司法・行政という国家三権とその機能分担(三権分立)の話に広がって(脱線して)おりますが、引き続き脱線を続けたいと思います。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

今回は、国家三権、すなわち、立法権力、行政権力及び司法権力を付託された各組織が、それぞれ具体的にどういう特徴をもって運営され、国家意思を具体的に実現しているか、について具体的に解説してまいります。

(11)「国会」と「お役所(行政機関)」「裁判所」との違い

立法権力、行政権力及び司法権力を付託された
「国会」
「行政官庁」
「裁判所」
という3種の国家機関の特徴を比較する形で解説してまいりますが、まず言えることは、国会と他の2機関には顕著な違いが存在する、という点です。

国会議員は選挙で選ばれますが、一定の年齢制限以外、試験もなければ能力の評価検証もありません。

学歴不問、経歴不問、能力不問、試験無し。

自分の名前が書ける程度の学があり、選挙に通りさえすれば、基本的に誰でもなれます。

お笑い芸人、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋でもOK。

拘置所の中からだって立候補可能です。

他方、行政官僚や裁判官となると、そんなわけにはまいりません。

ハードな勉強をして、小難しい試験に合格しなければなりません。

また、行政官僚や裁判官の場合、職を得てからも、一部の国会議員のように、料亭で無駄話をしたり、銀座のクラブで駄法螺を吹いているヒマはなく、目の前の大量の事務を、地味で堅実に効率よく裁いていく必要がありますし、そうでもしないと出世もおぼつきません。

国会議員が際立った個性派ぞろいであるため(言い方をかえれば「有象無象(うぞうむぞう)」であるため)、同じく国家運営の一翼を担う立場でありながら、行政官僚も裁判官も
「地味で、個性のないエリートで、似たような連中」
としてくくられてしまうのです。

そういうこともあって、一般国民の認識においても
「裁判官も行政官僚も同じじゃん」
と思われており、実際、霞ヶ関に多数いるお役人を、裁判官と行政官僚に区別するのは、至難の業です。

国会議員・役人・判事を並べてみて、
「ゴルフ焼けしてて、脂ぎってて、声がデカくて、スーツよりも作業服が似合いそうなガタイで、オシの強そうなオッサン」1人
と、
「地味なスーツを着て、眼鏡をかけてて、知的で神経質そうで、あまりパっとしないオジサマ」2人
がいれば、前者が国会議員で、後者が裁判官・行政官のいずれかであろう、という推定が働きますが、この推定はほぼ100%当たっています。

そのくらい、
「国会議員」
とそれ以外の
「裁判官・行政官」
は見た目だけで簡単に区別することが可能なのです。

他方で、
「地味なスーツを着て、眼鏡をかけてて、知的で神経質そうで、あまりパっとしないオジサマ」2人
を並べて、どちらが裁判官でどちらが財務官僚か、と言われても、区別するのはほぼ不可能です。

(12)立法をするのは「国会」ではなく「行政機関」

読者のみなさんは、小学校で
「国会は法律を作るところ」
「役所(行政機関)は、国会で作った法律を運用するところ」
ということを習ったと思いますが、これは、建前はともかく、実体としては明らかな間違いです。

「『お笑い芸人、ニュースキャスター、土建屋、ブローカー、成金、地上げ屋、あるいは現在拘置所にいる刑事被告人の方』といった様々なバックグランドを有する国会議員のセンセイ方に、難解で技術的な法律の文章を作ることができるか」
というと、普通に考えて無理であることは明らかです。

もちろん、国会議員の中には元キャリア官僚という方もいらっしゃり、そういう方が本気を出せば法律ぐらい書き上げられるということもあるでしょう。

しかし、国会議員のセンセイには、
「地元の有権者の陳情を受けて、橋や道路を作ったり、各種違反の措置軽減や就職口斡旋する」
あるいは
「料亭やクラブに行って派閥人事を処理する」
といった重要な仕事があるので、
「机の上に齧りつき、関係法令集と格闘しながら徹夜で法案を作成する」
という地味で面倒でクラダナイことはなさいません。

じゃあ、
「国会議員が作らないのであれば、一体、法律は、誰が作っているんだ?」
というと、
「役所(行政機関)が法律を作っている」
というのが答えになります。

国会は、法律を作るところではなく、役所(行政機関)が作ってきた法律を
「ここはいい」
「ここはダメだ」
といってケチをつけるところなのです。

言ってみれば、役所(行政機関)が料理(立法)のプロで、国会は
「出された料理のケチをつけることはできるが、自分では目玉焼きひとつ焼けない、料理評論家集団」
と言った方が正確です。

以上、今回は、立法権力を振るう国家機関である国会の実体についてお話しましたが、次回も、この話を続けてまいります。

知財からずいぶん脱線が続いていますが、最終的には、知財における行政と司法の軋轢問題に帰着させる予定ですので、しばらく、この壮大な話にお付き合いください。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.083、「ポリスマガジン」誌、2014年7月号(2014年6月20日発売)

00187_チエのマネジメント(7)_20140620

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の7回目です。

前回から、話は
「チザイ」、
すなわち知的財産権の話から、立法・司法・行政という国家三権とその機能分担(三権分立)の話に広がって(脱線して)おります。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

(9)実は不効率で無駄が多い三権分立(承前)

前回、三権が一体のものとして運営されていた江戸時代の状況を例に挙げ、
「当時の江戸幕府側からみると、『国家運営機能を無理矢理3つに分割し、それぞれ別の指揮命令系統で動かす』現代の三権分立システムは、実に無駄で非効率に映るのではないか」、
と疑問を投げかけたところで終わりました。

三権分立に慣れ親しんだ現代の私達からみると、権力を集中した形で振りかざす江戸幕府の国家運営は野蛮に見えるかもしれませんが、江戸幕府が三権分立を採用しなかったのは、
「国家運営を統一的・効率的に行い、無駄を省く」
という自然かつ合理的な感覚によるもので、決して
「バカで時代遅れの超権力志向だったから」
ではありません。

例えば、時代劇等で出てくる
「奉行所」
は、刑事警察と公安警察と治安維持のための武装部隊と検察庁と裁判所をミックスしたようなところでした。

遠山の金さんなどを見たらおわかりかと思いますが、奉行という高級官僚は、司法警察官と検察官と裁判官を兼ねておりましたので、自分で調べ、自分で体験したことを判断の基礎にして、犯罪事実を認定し、刑罰を定めていました。

こういう制度の下では、裁判官は、気になったら自らとことん取り調べができますし、その取調べの結果に基づき絶対的な自信をもって事実認定ができますので、今の日本の裁判よりもはるかに緻密な司法を実現していたのかもしれません。

もし、遠山の金さんがタイムトラベルして、今の日本の刑事司法を見たとすると「警察署に検察庁に裁判所と指揮系統の異なる多数の役所を無秩序に作り出した挙句、一つの奉行所でできることを、無駄で非効率な形で分掌させる、信じがたい税金の無駄遣いをしている」と映るかもしれません。

(10)三権集中(三権未分離)から三権分立へ

このように、三権集中に比べ、無駄で非効率極まりない三権分立システムですが、ご存知のとおりイギリスで始まりモンテスキューが理論化しフランス・アメリカで採用され、その後全世界に広がっていきました。

世界的に広がったとはいえ、人類が文明社会を作り社会運営を行ってきた永きにわたる歴史からすると、
「三権を分離して、別ラインで運用する」
という国家運営システムは、歴史的にはまだまだ日が浅いものといえます。

では、なぜ三権集中(あるいは不分離)ではなく、
「三権分立」
という一見面倒で非効率な国家運営方法が主流になったのでしょうか。

確かに、三権を集中させた方が国家運営効率は高まりますし、英明なリーダーの下では国家は大いに発展を遂げます。

しかし、反面、ルイ16世やヒトラーのように、集中した国家運営権を使って、やりすぎてしまう奴も出てきたりするのです。

時速200キロメートルで走っているポルシェがいきなりブレーキを踏むと大事故を起こすのと同様、国家運営効率が極限にまで高まった状態で三権全てを掌握するリーダーが大失敗をやらかした場合、その影響は計り知れず、革命が起こるなどして社会が崩壊してしまい、国家インフラがズタズタになってしまいます。

こういう負の経験をふまえつつ、人類は
「効率性をある程度犠牲にしても、三権を分離して、それぞれを別の指揮命令系統下におき、相互にいがみ合いをさせながら、活発な議論の下慎重に国家運営させていった方が、大チョンボが起こりにくく、国家なり社会体制としては長続きし、国民としてもハッピーになるはず」
という認識を有するに至ったのだと思います。

ということで、現代の日本も、
「多数決で選ぶ国会議員」
「公務員試験で選抜する行政官僚」
「司法試験で選ぶ裁判官」
という3つのタイプの国家運営キャリアを設け、
「法律を作ることを国会議員が構成する国会に担わせ、法律を運用して税金を集めたり使ったりするのを総理大臣指揮下の霞ヶ関行政官僚団に任せ、法律の解釈と揉め事の解決は裁判官で構成する裁判所に任せる」
という三権分立システムを採用するようになったのです。

次回以降、これら3つの国家権力を担う国会議員や行政官僚、そして裁判官たちの実像に迫りつつ、国家三権が、それぞれどういう特徴をもって運営されているか、という壮大な脱線話を続けたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.082、「ポリスマガジン」誌、2014年6月号(2014年5月20日発売)

00186_チエのマネジメント(6)_20140520

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の6回目です。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

「チザイ」
の代表選手である特許を例にお話しさせていただいておりますが、この特許という権利は、特許庁(行政庁)のほか、裁判所(司法府)でも取り扱われます。

この2つの国家機関の判断がいつも同じであればいいのですが、判断が別れる場合があり、もともと面倒くさい知的財産マネジメントをさらに大きな混乱に陥れています。

この混乱の実体をきちんと把握いただくため、また、企業としても、国家機関とお付き合いする上では、国家機関、すなわち、司法機関、行政機関、さらには立法機関という3つの国家機関それぞれについて、組織の目的・役割・特徴をきちんと認識していただくため、今回から、行政と司法、さらには立法の役割、という少し大きな国家システムの話をいたします。やや壮大な話になりますが、こちらもこの場を借りて解説させていただきます。

(8)「裁判官」も「検察官」も「霞が関の官僚」も、言ってみりゃ、皆同じ?

皆さんは、テレビの裁判報道等で、法廷の壇上で不景気で陰気な顔して、妙なマントっぽいものを羽織ったおじさんやおばさん(これが裁判官です)が出てきたりするのを見られたことがあるかと思います。

また、大きな政治疑獄や経済事件で東京地検特捜部が強制捜査を開始する際、スーツを着た集団が颯爽と政治家の事務所や大企業のビルに入っていく様子(強制捜査の際、ダンボールをもって突入しているのは、検察官ではなく、検察事務官ですが)が報道されるのも見られたこともあるでしょう。

このように、裁判官とか検察官といった存在は一応社会的に認知されているのですが、世間の認識の中では
「裁判官だか検察官だか知らないが、言ってみりゃ、どっちも、東大出てて、司法試験合格していて、地味なスーツを着て霞ヶ関で働いていて、小難しい顔して法律や事件の関係のことで働いてる人で、同じようなもんでしょ」
と思われているようで、両者を正確に区別できる方はそう多くはいらっしゃらないような気がします。

さらに言えば、裁判官も検察官も中央省庁に勤める行政官僚すらも、世間一般の認識においては
「法律に関して、何か難しそうなことやってる公務員」
という括りで一緒くたにされており、その違いがあまり意識されていないような気がします。

この現象は、世間一般に限りません。

不動産登記簿謄本を入手するために法務局にしょっちゅう出入りされているプロの不動産業者ですら、裁判所と行政機関との違いにあまり頓着されない方が結構いらっしゃいます。

実際、
「裁判所って、あれでしょ、ほら、九段のところにある登記簿謄本とかもらうところでしょ」
なんて調子で、東京法務局と東京地方裁判所をごっちゃにしておられる不動産業者の方を見かけたりします。

脱税や強引な節税のかどで刑事告発されたご経験をおもちの方などにおいても、税務調査官も国税不服審判官も検察官も裁判官も
「同じような地味な人」
という括りでしか認識しておられず、事件の過程で次々と登場するスーツを着たエラそうな公務員相互間の区別がつかない、という方も少なからずいらっしゃいます。

たしかに、裁判官も検察官も税務調査官も財務官僚も法務局登記官も、雑なイメージだけで語れば
「眼鏡かけてて、勉強できて、スポーツ音痴で、東大出てて、一緒に食事してもツマンナそうな、やたらと細かい、地味な役人」
として一緒くたにされてしまいますし、これら五者の外形上の区別は困難です。

しかし、裁判官とそれ以外(行政官)というのは、まったく違う運営理念を持つ組織で働いており、生態も思考も行動様式においても、顕著な違いが存在するのです。

そして、行政と司法の機能上の差異、さらには立法活動との違いをきちんと理解するためには、裁判官と行政官という「似て非なる」両存在の違いをきちんと理解する必要がありますし、そのためには三権分立の話をしなければなりません。

(9)実は不効率で無駄が多い三権分立

読者の皆さんは、小学校の社会の授業で、
「三権分立」
という概念を習ったことがあると思います。

こういうと
「あー、知ってるよ。立法権、行政権、司法権ね。そうそう、国会、内閣、裁判所。それそれ。そんなの常識じゃん」
という答えが返ってきそうです。

しかし、三権分立というシステムは、長い人類の歴史からみると非常識かつ不効率なものであり、
「新規で特異な国家運営技術」
と位置づけられます。

前述のように、現代の日本社会に暮らしているわれわれは、三権分立による国家運営は当たり前のように思っていますが、つい200年前までは、三権は明瞭に分離させられることなく、江戸幕府という単一機関が立法権も行政権も司法権も独占して保持し、統一的な指揮系統の下にこれらを運用していました。

すなわち、江戸時代においては、江戸幕府を代表する将軍が
「御法度」
等の法律を作り、その名において徴税や治安維持や公共工事といった行政活動を行うとともに、民事の揉め事の解決や刑事裁判は将軍指揮下の奉行所において行われていました。

国家の運営の責を担う幕府側からみると、現代日本で採用されている三権分立システム、すなわち
「国家運営機能を無理矢理3つに分割し、それぞれ別の指揮命令系統で動かす」
などという代物は無駄の極みであり、ほとんど狂気の沙汰に映るのではないでしょうか。

以上のとおり、我が国の法運用システム一般についての壮大な話に脱線しておりますが、次回以降も、この点のお話を続けてまいりたいと思います。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.081、「ポリスマガジン」誌、2014年5月号(2014年4月20日発売)

00185_チエのマネジメント(5)_20140420

連載シリーズ
「仕事のお作法」

「お仕事・各論編」、
「チエ」
すなわち、情報、技術、ブランドといったソフト資産全般の経営資源マネジメント(知的財産マネジメント)の5回目です。

6 チエのマネジメント(知的財産マネジメント)に関わるお仕事の作法

 前回
「チザイ」
の代表選手である特許について、特許庁(行政庁)で散々冷たい目でこき下ろされて晴れてようやく特許権になったと思ったら、裁判所(司法府)ではさらに無茶苦茶な取り扱われ方をされており、
「知的財産を重視する国家戦略」
というお題目などまるで無視されている、ということをお話しました。

(6)ニッスイ事件

ここで、
「『審査官をウマく丸め込み登録はしたものの、新規性、進歩性等の要件に問題があるエエ加減な特許権』をブンブン振り回して、鼻息荒くライバル企業に差止・損害賠償訴訟を提起すると、カウンターパンチを食らうような形で裁判所から突然『特許無効』と宣言され、最後に泣きを見た、という事例」
についてお話します。

1998年、日本水産(ニッスイ)は、冷凍の塩味茹枝豆に関する特許を取得しました。

特許といっても、製法や材料や味や保存期間等の画期的技術についてではなく、枝豆の塩分濃度や解凍後の枝豆の硬さなど、性質や機能を数値で表現したものに特許権が与えられたものでした。

ニッスイは、特許取得後、同じく冷凍塩味茹枝豆を販売しているニチロ、ニチレイ、マルハなどに特許使用料を要求する交渉を開始しましたが、各社はこれに猛反発します。

2002年2月にニチロが特許庁にニッスイの特許の無効審判請求をしました。

要するに、ニチロとしては、
「ニッスイが、取得した、と騒いでいる特許は、何ら画期的な発明ではなく、特許要件を満たさないものだから、そんなものは無効だ」
と特許庁に訴えたわけです。

特許無効審判は
「せっかく苦労して東大に合格したのに、いきなり合格が取り消されるくらいションボリする話」
です。

苦労して取得した特許権をそんな風にケナされてニッスイ側としても黙っているわけにはまいりません。

ニッスイ側は、この対抗措置として、自社の特許権を侵害したとして、ニチロの冷凍塩味茹枝豆の販売差止などを求めて、東京地裁に提訴しました。

しかしながら、結果は、東京地裁が
「ニッスイの特許技術に進歩性はない」
と判断し、ニッスイ側の完全敗訴となりました。

ニッスイ側は、控訴も断念し、ここに冷凍塩味茹枝豆の特許をめぐる冷凍食品業界の仁義なき抗争が終結しました。

(7)“なんちゃって”特許

特許が成立するのは、それまで冷凍食品業界においてまったくなかったような高度な発明で、かつ従来技術からは思いもつかないような進歩的な発明でなければなりません。

人間の食に対する意識は結構保守的で、変わった食品や変わった製法の食品を敬遠する向きも多く、その意味で、一般に
「食品業界では特許が成立しにくい」
などと言われます。

特許権があるからといっても、裁判所からみたら、ニッスイの特許権は
「下駄をはかせてもらい、インチキで取得した『“なんちゃって”特許』とも言うべき代物」
です。

こんな
「“なんちゃって”特許」
で、強気に訴訟提起したら最後、ニチロから無効審判請求の申立てや、特許法104条の3の抗弁(キルビー抗弁)が出され、鵜の目鷹の目で徹底的に調べ上げられ、たちまち無効とさせられる危険が生じる、というわけです。

裁判で負けたら、販売差止に失敗するだけではなく、今度はライセンスしている他の食品会社からも
「ガセ特許をネタに高いロイヤルティをふんだくりやがって、特許が無効になった以上、これまでインチキで払わされたロイヤルティを全部返せ」
ということを言われる可能性もあります。

ですので、ニッスイとしては、あまり物騒な展開にせず、なるべく早く大人の話し合いで、双方にとって体面が保てる幕引きをし、
「“なんちゃって”特許」
が化けの皮を剥がされないようにすべきであった、といえますね。

ニッスイ事件の解説としては以上のとおりですが、次回以降、行政と司法の役割、という少し大きな国家システムの話をいたします。

といいますのは、チザイをよく理解するには、特許庁(行政府)と裁判所(司法府)との役割の違いを理解しておかないと本質が理解できませんし、ビジネスを行う上では、このような我が国の法運用システム一般について基本を抑えておくべきことも必要ですので、やや壮大な話になりますが、こちらもこの場を借りて解説させていただきます。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.080、「ポリスマガジン」誌、2014年4月号(2014年3月20日発売)