00225_組織を壊すのは、「話した人」ではなく「聞いた人」_情報を握る責任の話

中立を装う人

こんな人、身の回りにいませんか?

表向きは
「私は中立です」
と言いながら、どこにも属さないふりをして、ただ聞き役に徹する人がいます。

判断も立場も示さず、静かにうなずきながら話を受け止めるその姿には、どこか安心感すら漂っているように見えます。

しかし、どういうわけか、その話が漏れているのです。

しかも、いろいろなところで耳に入ってきます。

そして、あとになって気づくのです。

静かに聞いていたその人が、実は話していたのだと。

あちこちで、少しずつ、しかし確かに。

話を流していたのは、ほかでもない、その聞き役の人だったのです。

聞き役に見える人ほど、よく話す、ということがあります。

むしろ
「中立です」
という仮面をかぶることで、多くの人から情報を引き出しやすくなるのです。

実は、こうした聞き方には、名前がついています。

「共感型ヒアリング」
と呼ばれる技法です。

会議後の雑談が“沈黙”を崩すとき

たとえば、こんな場面を思い浮かべてみてください。

ある会議のあと、あくまで“個人的な確認”というかたちで、
「あのときの発言、どういう意味だったんでしょうね」
「いまの方向性って、まだ変わる可能性ありますかねえ?」
そんなふうに話しかけてくる人がいます。

その場では一切、主張も結論も言わないのに、会議後には各方面をまわり、温度感を探っているのです。

本人に悪気はないのかもしれません。

ただ、こうした振る舞いが結果として、
「会議で話された議題について、外では話さない」
という合意を、じわじわと崩してしまうことがあります。

「今はまだ言わない」
という判断も、
「答えを出さない」
という合意も、チームにとっては、れっきとした戦略です。

それが、雑談や“共感”という名のもとに、静かに形を失っていきます。

情報が漏れるというよりも、語らないという構えそのものが、まわりから少しずつ崩されていきます。

感覚としては、じわじわと消されていくのです。

しかも、それが、かたちとしてはまったく表に出てこないのです。

実は、これがいちばんやっかいです。

「聞かれること」がリスクになる

情報漏洩というと、多くの人は
「話す側の問題」
と思いがちです。

しかし、実際には
「聞く側が備えている技術」
こそが、リスクを高めていることも少なくありません。

・相手が“善意で話した”と思える空気をつくる
・相手に「あなたには言ってもいいかも」と思わせる
・本人に言わせたようで、実は質問の設計で誘導していた

こうした聞き方は、営業スキルの応用でもあり、人間関係を円滑に見せかけた“聞き出しテクニック”でもあります。

だからこそ――
沈黙を守る立場にある者としては、
「話すこと」
だけでなく
「聞かれること」
にも、敏感になっておく必要があるのです。

本当の“中立”とは、何も聞かないこと

「私は中立だから、あちこちの話を聞いておく」
そんなふうに言う人がいます。

その人が、意図しているかどうかはさておき、結果的に“情報のハブ”になっていることがあります。

その人のまわりだけ、情報の粒が妙に細かく揃っていくのです。

それは、本当に中立といえるでしょうか。

本当の中立とは、次のように定義できます。

・自分から問いかけないこと
・自分から線を越えないこと
・相手の沈黙も、尊重すること

つまり、“何も聞かない”ことの方が、よほど中立的な姿勢といえます。

会議でしか共有していないはずの話が、漏れてくるとき

また、たとえば、会議でしか共有していないはずの話が、思わぬ人の口から漏れ聞こえてくることがあります。

本来なら、外には出ていないはずの会議の内容が、一部だけ、どこかで言葉を変え、かたちを変えながら、広がっていくのです。

その瞬間、誰もが手を止め、一気に空気が張り詰めたようになります。

「えっ、なぜ部外者に漏れているんですか?」
「誰から聞いたの?」
「誰が話したの?」

ひとつの言葉が、場の空気を変えます。

守られてきた沈黙に疑いが生まれ、情報を握っていた人たちの“立場”が、静かに揺らぎはじめるのです。

信頼関係が壊れるとき、責めを負うのは、必ずしも“話した人”とは限りません。

むしろ、“聞いた人”によって崩されていくことのほうが多いのです。

近づいてくる人との距離を、どう見極めるか

聞き役を装う人が、悪意を持っているとは限りません。

情報を求めてくるのも、その人なりの“善意”や“責任感”によるものかもしれません。

なかには本当に、
「状況を把握したい」
「力になりたい」
と思って動いている人もいるでしょう。

けれども、だからこそ“線引き”が必要です。

・今は話す段階ではない
・自分の口から語る立場にない
・共有にはまだ準備が整っていない

このような判断があるにもかかわらず、“共感”や“信頼関係”を理由に、うっかり語ってしまうことがあります。

しかし、それこそが、最も避けたい事態です。

語らないという判断を貫くには、ただ口をつぐむだけでは足りません。

その判断が、きちんと伝わるかたちで“距離”に表れていなければなりません。

語らないという構えを、誤解なく、かつフラットに示す力が求められます。

「何も言わない」
のではなく、
「今はまだ話す段階ではないと判断しています」
という意思を、きちんと言語化すること。

そして、もうひとつ、大切なことがあります。

近づいてくる人を責めるのではなく、
誰とどのように距離を取るか
――その選択を自分の側で管理するという視点です。

距離を取るのは、冷たさではありません。

むしろ、語らないことで守るべきものがあるからこそ、あえて一線を引く。

それが、“情報を握る者”に求められる、もうひとつの責任なのです。

語らぬという判断が、守っているもの

語らぬ者が守っているのは、情報そのものではありません。

意思決定の主権であり、判断の手綱であり、そして、組織の信頼です。

その沈黙を、誰かの無邪気な共感や、中立の顔をした質問で、壊されてはなりません。

語らぬという選択は、実は深い責任の上に置かれています。

会社の行く末を守る判断であるといっても、決して過言ではありません。

そしてそれは、ひいては、あなた自身の信頼を静かに積み上げているということにもつながるのです。

著:畑中鐵丸

00224_家庭内戦争の設計図_離婚と生活費をめぐる戦略思考のリアル

離婚とは、単なる
「別れ」
ではありません。

それは、感情の綱引きであり、経済の駆け引きであり、そして何より、
「戦略」
がものを言う
「家庭内戦争」
です。

「カネは払いたくない、けれども離婚はしたい」
「生活費は出してほしい、でも別れたくはない」
このように、
「それぞれに、それぞれの理屈があり、それぞれの事情がある」
構図のなかで、利害が複雑に絡み合い、どちらの言い分も一歩も引かない状況では、冷静に戦略と戦術を組み立てる力が求められます。 

事例から見る家庭内のリアル

たとえば、ある事例。

夫は
「離婚する」
「連れ子とも離縁する」
と言い張りながら、
「お金は一銭たりとも払わない」
と主張します。

妻の側は
「愛しているから」
ではなく、
「生活費が必要だから別れられない」
と返してきます。

感情のやりとりに見えて、実はそこにあるのは生活の現実です。

もっと言えば、経済のリアルです。

家庭の構図は、企業の紛争構造と同じ

そこには感情よりも、生活の現実が色濃く見えてきます。

家庭内のこの構図――
ビジネスに置き換えれば、
「解約したい取引先が、過去の請求には応じない」
と言っているようなものです。

相手の言い分をそのまま受け入れるのではなく、まず全体を
「ミエル化」
してみることが大切です。

そのうえで、どう動くかを定めていく。

それが、戦略というものなのです。

戦略の出発点は「環境整理」

まず、
「環境整理」
をすることです。

どんな利害が交差しているのか。

どんな法的・社会的背景があるのか。

そこを丁寧に見極めることが、出発点になります。

そのうえで、
「ゴールは何か」
をはっきりさせておく必要があります。

・金銭なのか
・居場所なのか
・時間なのか
・感情なのか

――それによって、採るべき
「戦略」
が変わってくるのです。

「悲劇のヒロイン戦術」という技術

たとえば、妻側が、離婚を拒否してでも生活費を得たいのであれば、
「悲劇のヒロイン戦術」
が有効かもしれません。

・相手がウソをついているなら、それを暴く
・真実を隠しているなら、それをあぶり出す
・ときに、感情の表現を装いながら、冷静に「ATMはまだ機能している」と知らせる

これらの技術は、実は、企業の訴訟戦略とまったく同じ構造をしています。

家庭の問題を戦略的に語ることに、違和感を持つ人もいるでしょう。

しかしながら、感情だけで戦えるほど、現代の家族関係は単純ではないのです。

争いは形を変えながら続きます。

場合によっては、年単位の時間を費消することすらあるのです。

そのたびに、何を守り、何を捨て、何を得るかを考え直さなくてはなりません。

「家族」
という最小単位の社会に、
「離婚問題」
が浮上したとき、私たちは、戦略と戦術の使い手でなければならないのかもしれません。

著:畑中鐵丸

00223_オーナー社長企業_制度で動かす経営管理の未来像_6つのレイヤーの設計思考

企業を動かすとは、理想と現実のせめぎあいです。

とりわけ、オーナー社長が率いる企業においては、この緊張感はさらに際立ちます。

今回ご紹介するのは、あるオーナー社長企業の、未来型の経営体制構想です。

この体制は、国家の統治構造になぞらえて設計しています。

まず、その全体像を整理してみましょう。

国家になぞらえた、未来型オーナー社長企業の経営構造

1 オーナー社長
 …国家における「天皇」
 (最終ジャッジ、経営哲学=国家理念の発信者)
→ 冷静な経済合理性を担保しながらも、天皇の意志を常に読み取る

2 経営管理・監視機構(社外非常勤で構成されるコミッティー方式)
 …国家の「枢密院(*)」
 (合理性と合法性を冷静に検証する参謀組織)

*旧憲法(大日本帝国憲法)で、国家の大事(機密や政治上の重要な秘密)に関して天皇の諮問にこたえることを主な任務とした合議組織。

3 経営管理機構のサポート部隊
 …枢密院を支える「官僚組織」
 (政策実行の補佐、事務支援、若手育成)
→ 若手を育てつつ、自らもまた哲学を継承する立場として自覚を持つ

4 取締役会
 …国家の「内閣」
 (方針に基づき政策を実行する行政執行機関)
→ 現場との連携を腹に据えて動く

5 執行役員
 …各「省庁」の局長
 (部門ごとの運営・管理責任者)

6 従業員
 …国家公務員・現場実務官
 (具体的な政策実行、現場活動)

このように、国家統治機構をなぞらえながら、それぞれの役割と立ち位置が設計しています。


各階層の間に存在する「見えない壁」

理想とは裏腹に、現実社会では、それぞれの階層のあいだには、
「見えない壁」
が存在します。

「天皇」

「枢密院」
のあいだに。

「枢密院」

「官僚組織」
のあいだに。

「官僚組織」

「内閣」
のあいだに。

「内閣」

「省庁局長」
のあいだに。

そして、
「省庁局長」

「現場実務官」
のあいだに。

各階層のあいだに、意図せざる隔たりが生まれてしまうことがあるのです。

結果として、
「天皇」

「現場実務官」
のあいだには、幾重にも、
「見えない壁」
が生じ、それが企業の発展を阻むことになるのです。

これこそが、企業運営の難しさの正体です。

では、どうすればいいのでしょう。

「見えない壁」を知る

無意識にある
「見えない壁」
を、壊すことはできません。

しかし、乗り越えることはできます。

制度・仕組みさえ整っていれば、誰もが
「見えない壁」
を、意識せずとも乗り越えられることは可能なのです。

それには、まず、
「見えない壁」
を知ることが前提となります。

さらにいえば、
「意思に頼って乗り越えるものではない」
ということを理解することが前提となります。

意思ほど、不確実なものはありません。

「壁の存在を認め、理解できたので、あとは意思のチカラで乗り越えよう」
などと精神論を語っても、現場は動きません。

だからこそ、仕組みを整え、意識せずとも自然に乗り越えられる設計にしておくのです。

「見えない壁」を乗り越える制度や仕組み

■ 枢密院(=経営管理・監視機構)(社外非常勤で構成されるコミッティー方式)

【目的】
・オーナーのジャッジ負荷の軽減

【役割】
・御前会議にて報告と裁可
・参謀会議にて、報告徴求・状況把握、管理上の指示、報告事案の管理・整理、裁可案件の整理
・案件スクリーニング、決裁
・デイリーオペレーションのモニタリング
・計画策定・達成状況管理
・人事評価
・幹部候補OJT育成

【イメージ】
・経営管理事項に関する専門的知見
・私心や欲で判断を歪めない
・業界に対する愛と理解
・オーナー社長を敬愛しオーナー社長の経営哲学を理解

【実務に即した具体例】

1 案件スクリーニング会議の運用ルール化

(1) 会社に持ち込まれた取引案件・投資案件・契約案件などについて、「天皇」の裁可を仰ぐ前にまずは「枢密院」側でのふるい分けを行う
 (ア)金額が大きい案件
 (イ)相手先がリスクのある企業
 (ウ)契約条件に例外が含まれる
 (エ)新規性の高い事業展開を伴う など

(2)ルール化する
 (ア)どんな案件を対象にするのか(例:契約金額500万円以上)
 (イ)誰が出席するのか(例:法務・経理・営業・外部顧問)
 (ウ)どんな観点で確認するのか(例:経済性・法的妥当性・オーナー哲学)
 (エ)何曜日に開催するのか(例:毎週水曜10時〜)

2 一定金額以上の取引案件に対する「3点チェック」制度の導入

(1)経済合理性
(2)法務的妥当性
(3)オーナー哲学への適合性

3 「オーナー専権事項」リストを明文化し、介入しない範囲の明確化

4 社内で起案される文書に「裁可要否」欄を設けることで、判断の前提ラインを揃える

■ 官僚組織(=経営管理・監視機構事務局

【役割】
・参謀本部佐官級の補佐集団としての仕事
・「枢密院」のサポート
・秘書役
・事務全般
・幹部候補として徹底した経営管理技術を身につけ、かつ、「天皇」の経営哲学の伝承者として「天皇」のスピリッツを涵養する

【イメージ】
・イメージ=入社3~5年目で、向上心旺盛で勉強が苦にならない(OJTでのスキルアップのほか、休日等に自己能力開発を積極的に行うほか、ネットワークを広げられる社交性も涵養)
・私心や欲で判断を歪めない
・業界に対する愛と理
・「天皇」を敬愛し「天皇」の経営哲学を理解

【選抜方式】
・履歴書、職務経歴書、日経TESTを受験させスコア提出
・PCスキル検証
・「枢密院」全員の面接によってトライアルし、その後本格稼働

【実務に即した具体例】

1 幹部候補向けの「経営管理勉強会」の定期開催

(1) OJTの補完として、理論と実務の橋渡しとなる研修を毎月実施
    テーマ例
   ・月次経営指標の読み方
   ・社外取締役の視点を体験する模擬案件審査
   ・経営哲学にまつわるケースディスカッション

2 経営哲学の内製教材の整備

(1) 読み物形式で、オーナー社長の経営観をわかりやすく文書化(語録集)
(2) 類型化された失敗事例の収集・編集(「この判断のどこにズレがあったか」解説つき)
(3) 定期更新とバックナンバーのアーカイブ化

3 議事録作成を通じた育成制度の構築

(1) 週次・月次会議に出席し、サマリー・要点抽出力を訓練
(2) 議事メモに対して「枢密院」からのフィードバックを必須とする
(3) 1年後には、判断材料の提示や整理まで担うフェーズへ

4 人材評価項目に「哲学理解度」や「管理補佐の適正」などを定性項目として組み込む

■ 内閣(=取締役会)

【役割】
・組織統治の要として、「枢密院」と「省庁局長」の接続点を担う(「枢密院」と「省庁局長」の“翻訳者”として機能する)
・単なる承認機関にとどまらない
・形式上のマネジメント、実際は現場指揮・統括

【本来の意図】
取締役が現場の声を直接ヒアリングし、それを経営管理・監視機構にフィードバックすることで
・経営管理・監視機構が「取締役も現場の状況を理解してくれている」と感じる
・経営判断に現場感覚が反映されているという納得感が生まれる
・結果として、「執行役員」層の判断や行動に“迷いがなくなる”

【実務に即した具体例】

1 部門横断的な「現場ヒアリング」の定例化

(1) 月1回以上、「内閣」が部門横断で現場リーダーとの対話の場を持つ(=現場温度を把握する)
(2) 課題・懸念・提案などを収集し、現場と取締役会の判断との間に“納得の接点”をつくる
(3) ヒアリング内容は「官僚組織」へ報告し、判断の材料として還流させる

2 「翻訳力」を測る評価制度の導入

(1) 年1回の役員評価に、次のような“接続力”項目を含める。
 (ア) 現場の言葉を経営の文脈に置き換えて伝える力(=「上位層との接続状況」)
 (イ) 経営判断をわかりやすく現場に伝える力(=「現場連携度」)
 (ウ) 双方向の対話を継続する姿勢と頻度

3 情報接続ミーティングの制度化

(1) 月次で「枢密院」と「内閣」メンバーによる接続会議を実施する(=組織階層間の“対話の場”を創出)。
(2) 議論内容を要約・翻訳したレポートを作成する。
(3) そのレポートは「枢密院」側がレビューし、誤解なき意思伝達を確保する。

4 「意思決定プロセス図」を部署ごとに作成し、責任と裁量の境界をミエル化(=議事録と説明責任の強化)

(1) 取締役会議事録において、「何を判断し」「なぜそうしたか」の背景を明記。
(2) その記録が執行側にも配信され、納得感と透明性を担保する。
(3) 会議体の記録が「翻訳の証拠」として機能することで、組織内の信頼が醸成される。

■省庁局長(=執行役員)

【役割】
・計画遂行の責任者として、各部門におけるタスクの設計・推進・育成を統括する実行責任者層
・現場に最も近い立場で、上位の意図と現場の行動を“構造として接続”する役割も担う
・部下育成のハブとなることが求められる

【実務に即した具体例】

1 部門別KPIのレビュー制度

(1) 四半期ごとに、各部門の数値・非数値のKPI(定量・定性)を整理し、達成度を自己点検。
(2) 未達の場合は原因分析と対応策を明記し、取締役会と共有する。
(3) レビュー結果を基に、翌期の戦略・戦術の修正案を策定するプロセスを制度化。

2 「役割分担マップ」の導入と定期更新

(1) 部門内で「誰が」「何を」「どこまで」担っているかをミエル化する(=機能別の責任分担の可視化)。
(2) このマップは月1で更新され、人事異動や担当変更時の引継ぎにも活用する。
(3) 役職名や上下関係ではなく、「果たすべき機能」で分担を設計することが原則(=「役割分担マップ」)。

3 部下育成と日常業務の接続制度

(1) 執行役員が自部門の若手を対象に、毎月1テーマの育成セッションを実施(例:ケーススタディ/業務設計講座)。
(2) 人事評価には、「部下の成長を促すフィードバックの実施回数」や「指導記録」も反映させる。
(3) 育成内容と業務実績を関連づけた「育成ポートフォリオ(育成+業務実績セット)」を作成・共有。

4 改善提案制度と月次共有会

(1) 部門内に「現場からの改善提案制度(小さなアイデアのミエル化)」を整備する。
(2) 提出された提案のうち、実行されたもの・却下されたものを毎月レビューする。
(3) 月末の部門会議で「今月の改善シェア会」を開催し、成功例をチーム内で共有する。

■ 現場実務官(=従業員層

【役割】
・現場の最前線として、業務タスクを実行し、活動を報告し、気づきを発信する存在(現場情報の供給源としての自覚を持つこと)
・“組織の目と耳と手足”として機能することが求められる

【実務に即した具体例】

1 簡易な行動レポートの定着

(1) 日次または週次での作業内容・所感の記録(所定フォーマットで)
(2) 直接の上長だけでなく、一定期間後に枢密院側も確認する
(3) 「業務プロセスのミエル化」として活用

2 イントラでの「気づき共有欄」の運用

(1) 誰でも自由に書き込める「今月の気づき」コーナーをイントラに設置
(2) 優良投稿には簡易な表彰制度(例:食事券、全社メルマガ掲載)
(3) 集まった投稿は月ごとにカテゴリー化・分析され、枢密院へ報告

3 “壁”の吸い上げと共有の仕組み

(1) 月1の階層別ミーティングで「最近感じた“壁”」をテーマに話す場を設定
(2) その内容を部門長→取締役→枢密院へと吸い上げるルートを明文化
(3) 同時に「どう乗り越えたか」も共有し、制度改善への素材とする

意思に頼らず、制度で超える

このように、誰かの意思に頼るのではなく、誰がその場にいても自然に動けるように、制度と仕組みでカタチをつくるのです。

「見えない壁」
を壊すのではなく、越えさせる。

そのために必要なのは、意思ではなく、設計です。

判断の前提を揃えること。
役割の境界をミエル化すること。
現場の声を、声として届くようにすること。

こうした構造があってこそ、腹落ちが生まれ、行動が自分ごとになるのです。

意思に頼らず、制度で越える。

それが、オーナー経営における
「見えない壁」
の正しい乗り越え方であり、組織の未来をひらく、本当の統治構造なのです。

著:畑中鐵丸

00222_語らぬという判断:沈黙と情報を“握る側”の戦略

「それについては、お答えできません」
このひと言が持つ重みは、想像以上に大きいものです。

たとえば、囲碁や将棋の世界では――
あえて打たない
「空白の一手」
が、勝敗を分けることがあります。

・すぐに動かない
・すぐに開示しない
・むしろ“待つこと”で、相手の出方を見極め、全体の流れをコントロールする
・名人ほど、よく黙る
・プロほど、手を見せない

そこにこそ、真の戦略が宿ります。

ビジネスの現場も、これと似ています。

実際、企業経営の現場では、情報を
「どう出すか」
以上に、
「出さない」
という判断が、功を奏すことが少なくありません。

とりわけ、オーナー経営者が関わる意思決定においては、その判断が企業の運命を大きく左右することがあります。

だからこそ、意思決定者(=オーナー経営者)に近しい人間は、何かを問われたとき、その場で答えることが“誠実”とは限らないということを肝に銘じなければなりません。

「今は言わない」

それが、のちのち大きな信頼につながります。

黙ることが、未来を動かす起点になるのです。

このことは、著者が、企業経営の現場で何度も見てきた真実です。

・説明責任という言葉が先に立ち、つい口を開いてしまう
・あるいは、自分の意見を言うことで場を回そうとしてしまう

そこにあるのは“誤った親切”であり、もっともしてはいけない行動です。

なぜなら、情報は一度出てしまえば、もう戻せないからです。

沈黙とは、弱さではありません。

むしろ、状況をコントロールする側がとる“強さの表現”でもあります。

さて、ここからが、本題です。

そもそも、誰が“情報を握る側”に立つのか。

その立ち位置が曖昧なままでは、組織もプロジェクトも、どこかでほころびます。

だからこそ、意思決定者(=オーナー経営者)が
「誰に情報を預けるのか」
をはっきりさせることは、経営を守る土台になるのです。

意思決定者に近しい人間の心得として、情報を預かるというのは、ただ知っているだけでは足りません。

“守る力”と“伝える判断”がそろって、ようやくその役目を任されるのです。

一方で、“情報を持っていない側”の人々は、あの手この手、奥の手まで使って、
「少しでも情報に触れたい」
と寄ってきます。

表向きは相談、雑談、確認というかたちをとりながら――
その本音は、情報を
「引き出す」
ことにあります。

そのときこそ、距離感が試される場面です。

近づいてくる人が悪いのではありません。

・「誰に語らないか」を見極める目を持つこと
・そして、“語らないこと”を誤解なく伝える技術を持つこと

それが、情報を握る者に求められるもう一つの資質です。

情報は力です。

それは“開示して得られる力”ではなく、
“握っている者が持つ力”であることを忘れてはなりません。

「情報を制する者が、戦略を制する」

それは、表に出ている情報だけの話ではありません。

「出さない情報」
「まだ出さない情報」
もまた、戦略の一部です。

むしろ“もっとも戦略的な情報”かもしれないのです。

沈黙には、意味があります。

情報を預かるということは、それ自体がひとつの責任です。

それを軽々しく扱わず、持ちこたえる力があるかどうか。

それが、情報を握る者に求められる第一歩です。

さらにもう一つ。

その立場に立った者には、
「寄ってくる者」
との距離をどう取るか、その判断力も問われます。

誰と距離を置き、誰に語らないか――
その選択の積み重ねが、信頼される沈黙をかたちづくっていくのです。

著:畑中鐵丸

00221_ケーススタディ_ 価値はあるのに、なぜ響かないのか_感性で選ばれる市場で、生き残るということ

<事例/質問>

新商品のローンチを控えており、差別化の戦略に頭を悩ませております。

ターゲットは、わたしと同じ40代女性です。

商品は、季節の変わり目に肌荒れしやすい人に向けた、美容サポート飲料です。

・ベリー系のナチュラルフレーバー
・植物発酵エキスとビタミンを独自配合
・「外からじゃなく、中から肌を整える」がコンセプト
・パッケージは白とピンクを基調に、シンプルで清潔感のあるデザイン

わたし自身、発酵を長く研究してきたこともあり、成分の設計には独自の工夫を盛り込み、かつ専門的な裏づけもあり、これは売れる、と自負していました。

ところが、ローンチ前のテストでは、
・類似商品が多すぎて、違いが伝わりにくい
・技術的な裏付けがあっても、「へぇ、で?」で終わってしまう
このようなフィードバックが数多く寄せられました。

わたしは、自分が女性で、それこそが強みだと思って、今までやってきましたが、女性を相手にする商売って、やっぱり難しいのでしょうか。

難しいのは、女性が相手だからなのか、それともわたしの“伝え方”なのか。

「誰に、何を、どう伝えればいいのか」
「価値はあると思うのに、どうして響かないのか」
今、迷路にはいってしまったような感覚です。

<弁護士畑中鐵丸の回答・アドバイス・指南>

「女性を相手にする商売って、やっぱり難しいのでしょうか」
「難しいのは、女性が相手だからなのか、それともわたしの“伝え方”なのか」
この問いかけは、実に本質を突いています。

それに対する答えは、
「どちらも正しい。そして、どちらも問い続けるしかありません」

もっとも難しい商売とは、感性の鋭い人たちを相手にする商売です。

「美容」
「健康」
「快適さ」
「安心感」
そのすべてに対して、自分の感覚で選び取ろうとする人たち。

たとえば、あなたと同じ40代の女性たち。

たとえば、子どもの肌や健康を気づかう親御さんたち。

この層の消費者は、我慢しませんし、遠慮もしません。

良くなければ、すぐに離れます。

なんとなく、では決して買いません。

「へぇ、で?」
で終わる商品は、そもそも手に取りません。

ブランドの“顔”が曖昧なら、不安に思うのが、この層です。

気に入られなければ、1回で終わり、2回目はありません。

要するに、義理もなければ情もない、欲と感性だけが、すべてを決める市場です。

ここに参入するというのであれば、ただ良い商品を出すだけでは足りません。

「なんとなく参入して、なんとなく誰かに届けばいい」
そんな態度では、1秒で見破られます。

この市場において、伝え方とは“技術”であり、“構造”であり、そして——“覚悟”です。

あなたの商品には、専門的な裏づけも、真摯な思いもあるでしょう。

けれども、それが
「わたしにとって何の意味があるのか」
が見えなければ、この市場にいる消費者には響きません。

違いが伝わらないのは、商品のせいではありません。

伝え方が、まだ定まっていないのです。

伝え方とは、ただの言い回しではありません。

商品そのものの
「立ち位置」
「意味づけ」
を、もう一度ゼロから設計しなおす作業です。

・誰の、どんな悩みを、どの場面で、どう解決するのか。
・どこで競合と違いをつくり、どこで刺さる言葉を見つけるのか。
・どんな言葉で、どんな形で、どんな空気で、伝えるのか。
・それらを、ミエル化し、カタチ化し、言語化し、文書化し、フォーマル化する。
・あらゆる工夫を、誠意と覚悟をもって注ぎ込む。
・伝えるために必要なことを、ひとつずつ、丁寧に組み立てていく。

それが、感性で選ばれる市場で生き残る最低条件です。

それほどの覚悟が、最初から求められています。

あなたの迷いは、決して無駄ではありません。

迷路に見えるそのプロセスにこそ、本当に響く伝え方のヒントが隠れています。

そして、その壁を越えたときにだけ、得られるものがあるのです。

・リピートという信頼
・口コミという影響力
・ブランドという、揺るがない存在感

たった一度の“がっかり”が、もう二度と取り戻せない距離を生む世界です。

だからこそ、たった一度でも心に届いた商品は、長くつかってもらえますし、静かに広がっていきます。

覚悟のない商品は、この市場ではただのノイズです。

覚悟のある商品だけが、静かに、しかし力強く、この感性で選ばれる市場で生き残っていくのです。

著:畑中鐵丸

00220_ただの処分では終わらせない_再教育:経営者に問われる「読みの力」

「反省しない社員を、育てるべきか、切るべきか。」

経営の現場では、こんな問いに直面することは少なくありません。

たとえば今回、ある企業で人事の相談を受けました。

不祥事を起こした社員が2人いました。

社員Aは、深く反省の意を示し、自らの処分を当然のことと受け止めていました。

一方、社員Bは開き直り、仲間内では会社批判を繰り返していたとのことです。

「辞める」
と言いながら、実際には辞めません。

むしろ、会社にとどまりながら、経営を腐すのです。

社員Aと社員B、どちらが悪質か、火を見るより明らかです。

けれども――この2人を、どう処するかは、単なる比較の問題ではありません。

その社員に悪意があるのか、ただ無知なのか。

本当に反省しているのか、それとも芝居(表面だけの反省)なのか。

育てるべきか、切るべきか。

その見極めは、人の問題のようでいて、実は経営者自身の在り方が、もっとも深く問われる瞬間でもあります。

この話を聞いたとき、私はふと思い出しました。

以前、まったく別の経営者が、驚くほど似たようなことを語っていたのです。

「きれいごとでは人は育ちません。誤解や葛藤が渦巻く“泥のような現場”で、どうにか人を信じて育てていくしかないと、日々、肚をくくっています」

現場というのは、いつだって不格好で、どろどろしていて、その時々の感情も、ぶつかり合っています。

表面的に整った美しい処分や、いかにも正しそうな論理だけでは、人は動きません。

だからこそ、判断は、難しいのです。

ここで、将棋の話を少ししましょう。

将棋には、
「捨て駒」
と呼ばれる手があります。

一見、ムダに見える手。

すぐに取られてしまう駒を、あえて打つのです。

熟練の棋士ほど、こう言います。

「すべての駒には意味がある。ムダな駒など一つもない」

たとえば、飛車や角のような派手な駒ばかりを使っていても、勝てるわけではありません。

歩をどう使うか。

香車をいつ温存するか。

見捨てたようで、実は布石だった――そんな一手が、勝敗を分けるのです。

経営も同じです。

開き直っているように見える社員Bが、実は組織の風通しを改善する触媒になることがあります。

一見厄介な存在が、見方を変えれば、“社内の真実”を映す鏡かもしれません。

もちろん、悪意しかない者は、切るしかありません。

けれども、ただの無知や未熟さであれば、それを見極め、あえて打つという
「再教育の一手」
も、経営者には必要です。

たとえば、一見すると、
「あれが処分と言えるか?  上は何を考えているんだ。不公平じゃないか!」
と、見えるような配置換えになるかもしれません。

けれども、実はその部署こそ、本人がもっとも嫌がっている部署だとしたら・・・。

そう、
「それが処分なのか?」
という声の裏で、当の本人には、“根性試し”の場として、最も厳しい任務が課されているのです。

もちろん、本人が何を嫌がっているかを知るには、どれほどその社員のことを見てきたか――そこにかかっています。

これは、再教育以前の問題であり、“調査”が肝です。

社員Bが、そこから這い上がれるのか。

それを、じっくりと見ていくのです。

もちろん、時間はかかります。

表面だけを見て、
「軽すぎる」
「優遇だ」
と批判する社員が出てくるかもしれません。

しかし、それでもなお、そこに仕掛けた“再教育の意図”を信じられるか。

経営者にとって、それこそが勝負どころなのです。

一方で、反省を示している社員Aには、あえて距離を取ります。

遠くから見守りながら、実績と信頼を積ませていきます。

再登用のチャンスを、水面下で静かに準備しておくのです。

もっとも、これも一歩間違えれば、
「なぜ何もしてくれないのか」
と、本人のやる気をそいでしまうこともあります。

周囲からも、
「放置ではないか」
と誤解されるかもしれません。

どちらも、ただの
「許し」
ではありません。

経営者のいっときの感情などではなく、
「信じて試す」
再教育という名の、戦略的な判断なのです。

その意図が、社員に理解されることはほとんどありません。

けれども、だからこそ、誤解をおそれず、孤高を恐れず、決断し、信じ切る姿勢が問われるのです。

将棋と同じく、経営でも、すべての駒(社員)には意味があります。

切ってしまえば、それまでです。

けれども、温存して、見極めて、次の手を打つことで、想像もしなかった展開が開けることがあるのです。

再教育とは、単にチャンスを与えることではありません。

時に厳しい手を打つことも必要です。

けれども、その一手に
「信じる意志」
が宿っていなければ、ただの処分になってしまう。

人を裁くのではなく、導く。

それは、経営者の“読み”が問われる、将棋にも似た営みなのです。

著:畑中鐵丸

00219_“丸投げ”が会社を弱くする─「のみこまれない会社」になるために必要なこと

大手企業の多くが、社内に“法律に詳しい人”──弁護士資格を持つ従業員や、法学部出身のスタッフ──を多数抱えているのを、知っていますか?

特に法務やリスク管理を重視する企業では、法務部門のうち2割以上が有資格者というケースすらあるのです。

また、法学部出身者に限れば、証券会社やメーカーなどで、部門によっては7〜8割を占めることも珍しくありません。

その理由は何だと思いますか。

リスクを避けるためでも、書類をきれいに作るためでもありません。

「判断する力」
「外部の専門家を使いこなす力」
この2つの力を、社内に“持ち続ける”ためです。

そしてこの2つこそ、会社という組織が、外からの攻撃やトラブルに“のみこまれない”ために、どうしても欠かせない力なのです。

「丸投げ」は、信頼ではなく“放棄”である

たとえば、こんな場面を想像してください。

ある会社が、トラブルに直面しました。

急いで外部の弁護士に電話をかけます。

「もう手に負えない。とにかく任せたい。カネは出すから、好きにやってくれ」

一見すると、潔くて、頼り上手な姿勢にも見えるかもしれません。

けれどもこれは、“信頼”ではなく“放棄”です。

何を解決したいのか。

そのために、どんな情報を共有し、どんな判断をしていくべきなのか。

それを決めるのは、弁護士ではありません。

会社自身です。

「法律のことは専門家に聞けばいい」
「うちは顧問弁護士がいるから安心だ」
そうやって考える会社ほど、実は“考えること”を手放し、“動かす力”を外に出してしまっていることが少なくありません。

リフォーム業者に家づくりを丸投げする”ようなもの

たとえるなら、それは“高級なリフォーム業者”に、設計図も出さずに
「全部やってくれ。イメージはお任せで」
と言っているようなものです。

最初の打ち合わせでは、ベテランが顔を出すかもしれません。

けれども、2回目以降は新人や下請けが動き出します。

表には頼れる人が顔を出しても、実際に現場で手を動かすのは、別の誰か─
このような構造は少なくありません。

結果、完成した家は、
「思っていたのと違う」
「どこにカネがかかったのか分からない」
といったものになりがちです。

同じように、弁護士に限らず、外の専門家もまた、設計と段取りがなければ、効果的に動けません。

どんなに腕が良くても、ゴールへのこちらの思いや考えがあってこそ、初めて、外の知恵やスキルが活かされ、成果につながるのです。

しかも、思うような結果が出なかったとしても、誰も責任までは取ってくれません(カネだけは取られますが・・・ね)。

アメリカ企業はなぜ、社内に弁護士を置くのか

アメリカでは、大企業であれ、スタートアップであれ、社内にロースクール経験者や弁護士資格者を“置くのが当たり前”になりつつあります。

なぜでしょう。

それは
「法律の仕事を社内で済ませるため」
ではありません。

目的はただ1つ。
「外部の弁護士と、対等に話をするため」
丸投げを防ぎ、外の専門家を“活かす”──言い換えれば、“使いこなす”ための、知恵の防波堤なのです。

弁護士に限らず、コンサルタントでも、調査会社でも、同じことが言えます。

外部の知恵は、あくまで“使いこなすもの”です。

そして、判断と責任は、どこまでいっても、社内で引き受けなければならないのです(外に委ねることはできないのです)。

だからこそ“使いこなす”のです。

「任せる」には、設計が必要だ

では、どうやって“使いこなす側”になるか。

答えはシンプルです。

・何をしたいのか
・どこをゴールにするのか
・何にどれだけお金を使うのか
・どんな順序で進めるのか
・どうやって進捗を見えるようにするのか

このような
「設計」
を、自分たちの中で考えることです。

最初は荒削りでも構いません。

社内で意見を集め、見えてきたことから順に、ミエル化し、カタチ化し、言語化し、文書化していけばいいのです。

それが、依存ではなく、自立につながります。

動かす力”は、社内にあるべきもの

いま、ビジネスの世界には、
・正解のない判断
・スピードを求められる決断
・リスクと利益のせめぎあい
が日常的にあふれています。

そんな時代に、外部の専門家に
「任せる」
だけでは、乗り切れません。

「どう任せるか」
「なぜそれを任せるのか」
その判断ができるようになること。

つまり、“動かす力”を社内に持つことが、会社の安全保障なのです。

「困ったときは誰かが助けてくれるだろう」
ではなく、
「どうすれば助けられる形にできるか」
を考えられること。

それこそが、トラブルの波に“のみこまれない”ための、最初の一歩なのです。

著:畑中鐵丸

00218_資料の説得力:オーナー視点で提案せよ─資料の本質を変える思考法

なぜあなたの資料は通らないのか?

「出世したい」
「稼ぎたい」
「評価されたい」

ビジネスの世界に生きる以上、そう思うのは自然なことです。

ところが、努力しているのに思うように評価されない。

「なぜアイツの資料は通るのに、自分のは通らないのか?」

そんな疑問を感じたことはないでしょうか。

その違いは、案外シンプルなところにあります。

それは
「オーナーだったらどうするか?」
という視点を、持っているかどうかです。

たとえば、ある投資案件の延長判断について、上司から資料の作成を求められたとしましょう。

あなたは言われた通り、数字を集め、合理性と緊急性をチェックし、既存のフォーマットに沿って記載を進めます。

見込み数字、合理性、緊急性、業界動向・・・。

必要な項目は埋まっているし、ミスもない。表現も丁寧に整えました。

しかし、それだけでは“通らない”のです。

何かが足りません。

そこに1つ、欠けているものがあるのです。

欠けているのは、「主観の入り口」

あなたの作った資料は、単なる通り一遍の
「報告資料」
であり、
「判断を促す資料」
ではないからです。

もちろん、客観性は必要です。

しかし、それだけでは、意思決定者を動かすには足りないのです。

経営判断の現場では、数字があることよりも、
「なぜこの判断が合理的なのか?」
「なぜ今やるべきなのか?」
「自分がこの判断に責任を持つとしたら、何を気にし、どこに懸念を抱くか?」
「どの点を強くアピールし、何を補足したくなるか」
そうした主観の入り口が、資料の中に垣間見えることで、読み手は初めて
「納得」
を感じるのです。

このような
「理屈をひねり出す力」
が試されるのです。

あなたの作った資料に欠けていたもの、それは、
「オーナーだったら、どう判断するか?」
という、主体的な意思です。

つまり、あなた自身が
「この案件のオーナーだったらどう考えるか?」
という、主体的な視点を持っているかどうか。

ここが、上司や意思決定者にとって、判断可能な材料となるのです。

経営判断に関わる資料には、数字の正しさやフォーマットの整合性だけではなく、
「大切な要素」
が必要なのです。

それが、
「この判断に、自分は責任が持てるか」
という視点なのです。

もしあなたが本当にその案件に投資するオーナーだったら、数字だけを見て
「まぁ、いけるでしょう」
などとは、決して言わないでしょう。

良くも悪くも、責任ある立場から、結果に対する覚悟を持って判断材料を見ようとするはずです。

・資料作成を任されている立場であっても、オーナーの目線で考えてみる。
・この案件がうまくいかなかったとき、自分はどう弁明するか。
・あるいは、うまくいったとき、自分はどのように価値を語れるか。
・つまり、人に説明するための理屈をひねり出せるかどうか。

そこにこそ、資料の説得力の差が現れます。

たとえば
「うまくいかなかったとき、どこが最初に責任を問われるか?」
「この仮説、突っ込まれたらどう答えるか?」
「相手の納得ポイントは何か?」
そうしたことを、自分の頭で先回りして想像する力。

それが、
「説得力」
の正体なのです。

本気で考えた跡が信頼になる

もちろん、完璧な予測はできません。

けれど、あなたの資料に、そのオーナー視点の汗がにじんでいるか。

言い換えれば、本気で考えた跡が見えるかどうか。

数字とロジックと意思とが、繰り返し、織り交ぜられている資料。

それが、資料の評価を分ける分水嶺になるのです。

ロジックを重ねては、現実に戻り、また練り直す。

「書く」
ことは、
「考える」
ことの延長です。

だからこそ、
思考と熱量が込められた資料は、必ず人の心を動かします。

「オーナーだったらどうするか?」を癖にせよ

「この資料は誰のためのものか?」
「この判断は誰の責任なのか?」

その原点に立ち戻ることで、あなたの資料はきっと、ひとつ上のステージに進化します。

いま、あなたが書いているその資料に、自分なりの
「覚悟」
を入れてみてください。

「私は、こう考えます」
その一言が、キャリアの歯車を回し始めます。

「オーナーだったら、どうするか?」

これは、何も資料作成に限った話ではありません。

日々の報告、会議の発言、社内の立ち振る舞い――
どんな場面でも、この問いを持ち続ける人が、信頼を集め、チャンスを得て、出世の道を切り拓いていくのです。

著:畑中鐵丸

00217_「価値観のすり合わせ」は金のなる木_考え方のミエル化・カタチ化にいち早く気づくには

「条件は揃った。でも、うまくいかなかった」

そんな案件をいくつも見てきたコンサルタントが語る、ビジネスに必要な
「本当のすり合わせ」
とは──。

成功するコラボと、途中で止まるコラボ。

その分かれ道は、金額でも、スケジュールでもありません。

ビジネスの核心にある
「考え方の翻訳」
について考えてみましょう。

あるコンサルタントの話

長年、企業のブランド戦略や商品開発の支援に携わってきた人物で、製品づくりの
「裏方」
として、無数の企画を動かしてきたと言います。

数年前、彼はひとつの案件を引き受けました。

国内の中堅キッチン家電メーカーと、ヨーロッパのデザイン事務所との間をつなぐという、意欲的なプロジェクトです。

「方向性」がズレたままでは、価値はカタチにならない

依頼の背景には、メーカー側の強い思いがありました。

「日本の製品力を世界市場へ届けたい」
「機能性だけではない、感性をまとったブランドラインを立ち上げたい」

それに対し、紹介されたデザイナーは、生活と情緒を重ねるようなプロダクトで知られる人物でした。

感覚と意味を織り込んだデザインに定評がありました。

両者が出会えば、これまでにない製品が生まれる──そう確信したのでしょう。

コンサルタント氏は、引き合わせの場を整えました。

初期の打ち合わせでは、互いの意図を尊重しようとするやり取りもありました。

過去の事例を紹介し合い、図やコンセプトを出しながら、インスピレーションを探る空気もありました。

会話のなかに潜む「ズレ」

ところが、どうも少しずつ、空気が変わっていったようです。

それは、両者が繰り返し使う
「言葉」
に、あらわれていました。

あの場では、噛み合っているように
「見えた」
のです。

しかし、言葉が互いの
「定義」
をすり抜けていた。

その場では、流れるような会話が交わされていましたが、後日、翻訳のために録音を聞き返すと──
そこには、いかんともしがたい
「すれ違い」
が、はっきりと浮かび上がっていたのです。

デザイナー側はこう語ります。

「家電とは、生活空間の象徴。自己表現の一部として、美しさや情緒を備えていなければならない」

それに対し、メーカー側はこう言います。

「日々の使用が前提の製品に、詩的な要素を求めすぎれば、機能性や価格のバランスが崩れてしまう。ユーザーに選ばれるためには、日常に根差した合理性が必要だ」

両者が見ていたのは、同じ
「商品」
でも、まったく違う役割と位置づけでした。

その違いは、打ち合わせを重ねるほどに、じわじわと浮かび上がってきたといいます。

ある会議では、デザイナーが提示したイメージボードに対し、メーカー側が
「これは使いにくそうに見えてしまう」
と指摘。

別の会議では、メーカーが求めるスペックに対し、デザイナーが
「感性を押し殺してまで応じる必要はあるのか」
と疑問を呈しました。

「資料の読み方ひとつで方向がねじれ、そして、気づけば、それを元に戻すことが難しくなっていた」
コンサルタント氏は、そう振り返っています。

調整役の役割は、言葉を整えるところから始まる

プロジェクトは、結局、立ち消えとなりました。

どちらかが間違っていたわけではありません。

むしろ、両者とも誠実でした。

ただ、最初の段階で、
「考え方のすり合わせ」
ができていなかった。

この一件をきっかけに、コンサルタント氏は、調整役の仕事をこう捉え直すようになったと言います。

「調整役とは、条件を揃える人ではなく、異なる立場の方向性を、通訳してつなぐ存在でなければならない。交渉ではなく、共有。合意ではなく、理解。出会ったあと、相手と組める状態に整えるのが、本来の仕事だったのだと」

「方向性のカタチ化」こそが、金脈の扉を開く

ビジネスの現場では、条件の確認が先に来ることが多くあります。

金額、スケジュール、契約条件。

それは当然、重要な論点です。

とはいえ、それだけで握ってしまうと、あとで問い直さなければならない局面が必ずやってきます。

「なぜ、このプロジェクトをやるのか」
「この取り組みに、どんな意味を込めるのか」

その問いに、最初から
「ミエル化し、言語化し、カタチ化」
しておくこと。

それが、コンサルタントにとって本当の
「準備」
だったのではないか。

予算は重要です。

数字の話から目をそらしてはいけません。

しかし、数字だけでは、価値観までは握れない。

ウィンウィンになるはずの関係が、気づけば、どちらかに
「ロス」
を残して終わっていた。

そうした場面は、決して珍しいものではありません。

だからこそ、プロジェクトのスタート地点でこそ大切なのは、
お互いの方向性を、カタチにして確かめるという営み。

言葉にならないまま進めば、それはいつか、
「齟齬」
となって現れます。

金脈は、最初からそこにあるとは限らない

この2者が、もし方向性のカタチ化に成功していたら──
この国のキッチン家電業界は、ガラリと塗り替えられていた可能性すらあった、ということです。

なぜなら、日本のメーカーが持つ
「技術力」

「実用性」、
そして、欧州のデザイナーが持つ
「感性」

「空間設計の美意識」。

この両輪が、バラバラではなく、一体となって商品に落とし込まれていたなら──
それは単なる高機能家電ではなく、
「住空間の価値を底上げする資産」
として、世界中のユーザーを虜にしていたかもしれません。

高級ワインセラーのように、高級家具のように、キッチン家電が
「空間の主役」
になる世界観。

単価は跳ね上がる。

ブランド価値も再定義される。

「生活家電」
というカテゴリーに、まったく新しい価格帯とターゲット層が生まれていた。

つまり、
「価値観のすり合わせ」
が成れば、
「金のなる木」
に化ける領域だったのです。

ただし、その金脈は、テーブルの上に最初から置かれているわけではありません。

丁寧に掘り起こし、すり合わせ、磨き上げていくプロセスの中で、
はじめて
「ミエル化」
されるのです。

だからこそ、次に同じようなプロジェクトに出会ったとき、
調整役としてすべきことは、ひとつ。

金額のすり合わせでもなければ、スケジュールの調整でもない。

「それぞれが何を金脈だと信じているのか」──
その考え方を、
「ミエル化し、言語化し、カタチ化」
していくこと。

そこまで掘り下げて初めて、交わらなかった関係は、組める関係へと変わるのです。

そしてそれは、単なる
「良い協業」
に終わらず、業界の構造を変えるほどの、新しい市場を生み出す起点になる。

調整役の本当の報酬とは、その未来をつくる最初の
「火種」
を扱う仕事である、ということかもしれません。

著:畑中鐵丸

00216_「赤字でなければOK」では済まない話:費用対効果のミエル化とは何か?

ある企業での話です。

株主総会の場で、社長がこう言いました。

「投資はペンディングで。100万円以上の支払いも、基本ストップ」

これを受けて、現場では新規契約・延長契約が止まってしまいました。

ただ、その後、社長からはこのような発言も出ます。

「いや、でも赤字でなければ、ブランドを維持するためにやってもいいのではないか」

つまり、
「止めろ」
という指示と、
「やってもいいんじゃないか」
という含みが、同時に存在してしまったのです。

これはまさに、
「判断軸」
がぶれている典型です。

現場が困るのも当然です。

では、どうすればいいのでしょうか。

まず、こうしたケースで検討すべきは、支出の
「費用対効果」
をどう捉えるかという点です。

たとえば、ある広告出稿が
「黒字」
だと判断されたとします。

・でも、それは「短期的に」黒字という意味でしょうか?
・それとも「中長期的に」黒字になるという見通しでしょうか?
・あるいは、その効果は「数字として見える」ものだけでしょうか?
・それとも「ブランド価値が高まる」といった定性的なものも含むのでしょうか?
・さらに言えば、その判断を「誰が」「どのタイミングで」下すのでしょうか?

ここに、企業経営における“費用対効果”の落とし穴があります。

たとえば、ある地方都市で、小規模ながら根強い人気を持つパン屋さんがありました。

毎朝、開店前から行列ができるほどの人気ぶりです。

ところがある年、原材料費の高騰と人件費の上昇で、経営が一気に苦しくなりました。

そこで社長は、全支出の見直しを始めました。

まず目をつけたのは、月に20万円かけていた
「地域情報誌への広告費」
でした。

「もう認知されているんだから、広告は一旦止めよう」
そう考え、即断で広告契約を打ち切りました。

するとどうなったと思いますか?

半年後、客足が目に見えて減っていったのです。

それまで広告をきっかけに遠方から来ていたお客様が、別の新しい店に流れてしまっていたのです。

売上は下がり、スタッフの士気も落ち、結局、広告費の20万円を削って節約した以上の損失が出てしまいました。

この例で重要なのは、
「広告費がその月に何人呼んだか」
という短期的な“定量”評価だけではなく、
「店の存在を忘れさせないための継続的なアピール」
「顧客との心理的なつながり」
という、数字には出ないけれど、たしかに効いていた“手応え”が見落とされていたということです。

要するに、“定性”的な効果が見落とされていたのです。

数字に出ない“効き目”を軽んじてはいけません。

経営とは、見える数字と、見えない価値のあいだで揺れ動くものです。

・短期で黒字なら良いのか?
・定量で+なら進めるべきか?

そうではありません。

判断の基準は、
「費用対効果をどの軸で見るのか」
という“合意”の中にしか存在しません。

そして、経営判断に必要なのは、
「数字」
を見る力だけではありません。

数字の意味を読み解き、価値に変えるための
「ミエル化」

「カタチ化」
の視点があってこそ、判断に確かな軸が通ります。

数字だけに頼るか。
感覚や理念も加味するか。

短期で判断するか。
長期で捉えるか。

誰がそのバランスを取るのか。

それが整理されていなければ、現場は動けません。

たとえシミュレーション資料を作ったとしても、その資料の
「使い方」
「位置づけ」
が共有されていなければ、ただの数字の羅列です。

そして、その整理ができるのは経営者しかいません。

判断軸を明文化し、関係者で共有すること。

その作業を
「言語化」
と呼びます。

意思決定の場では、
「判断するタイミング」
「評価する人」
「使う物差し」
がそろってはじめて、数字も、理念も、現場の行動も1つにつながっていきます。

数字と理念のあいだを行ったり来たりしながら、経営者は判断を重ねていくしかないのです。

そのプロセスが、経営のぶれない軸となって、会社を支えることになるのです。

著:畑中鐵丸