00228_「語らない」という選択を、チームの美学にする_沈黙を文化に変える技術

ある企業の管理職研修で、こんな問いを投げかけたことがあります。

「あなたが沈黙を選んだとき、その沈黙は、チームの誰に伝わっていますか?」

残念ながら、誰にも伝わっていませんでした。

上司として、あるいはプロジェクト責任者として
「これは言わないほうがいい」
と判断した沈黙。

それは自分の中では
「当然」
の判断であったかもしれません。

しかし、他のメンバーはその
「語らなかった理由」
を知らされておらず、そもそもそれが
「沈黙という選択肢」
であるという認識さえ持っていなかったのです。

沈黙というのは、個人の判断だけで守りきれるものではありません。
チーム全体として、
「語らないこと」
の意味や価値を共有していなければ、その沈黙は、むしろ誤解や不信の火種となってしまうのです。

沈黙は「ルール」ではなく「文化」

たとえば、守秘義務や情報管理に関するルールが整っている職場であっても、会議の場ではうっかり本音が出てしまったり、
「これは言っても大丈夫だろう」
と、誰かが軽率に口を滑らせたりすることが後を絶ちません。

なぜ、このようなことが起きるのでしょうか。

ルールはあっても、
「沈黙の文化」
が育っていないからです。

沈黙というのは、条文で明文化できるようなものではありません。

口にしてよい情報、口にすべきでない情報。

その
「間」
にあるのが、
「言わないことの美学」
なのです。

つまり、沈黙とは
「ルール」ではなく「文化」であり、
「守らせるもの」ではなく「自ら守りたくなるもの」
なのです。

この違いは、実はとても大きいです。

語らなかった理由が語らずとも伝わるような組織は、どうやってつくられるのか

結論から言えば、それは
「仕組み」としての“文化”化と、
「ふるまい」としての“美学”化。

この2つの軸で育てていく必要があります。

あるプロジェクトで、上司がある社外情報について一切触れず、黙ったまま方針を変更したというケースがありました。

部下たちは困惑し、現場では
「あの件はどうなったのか」
「なぜ突然変わったのか」
とざわつき始めました。

これは、語らなかったこと自体が問題だったのではありません。

「なぜ語らなかったのか」
が共有されていなかったことが、問題だったのです。

沈黙という判断を、どう
「伝える」
かという矛盾。

そこにこそ、
「語らない美学」
が文化になる余地があるのだと思います。

たとえば次のような言い回しが考えられます。

「いまは話せませんが、しかるべきタイミングでお伝えします」
「ここで語らないという判断は、チームとしての選択です」
「これは、まだ語る段階に達していません」

こうした言葉の背後には、
「沈黙という判断は、信頼にもとづいている」
というメッセージがあります。

その態度を繰り返すことで、やがて
「語らずとも伝わる」
沈黙が育っていくのです。

語らぬこと”は、チームの品格をかたちづくる

沈黙とは、弱さや逃避ではありません。

むしろ、それは強さであり、矜持であり、連帯の証しでもあります。

この話をある読者の方にしたところ、こんな反応をいただきました。

「黙っていると、仕事をしていないように見えるんです」

たしかに、そのように受け取られることもあるでしょう。

しかし、
「黙っている意味」
をチームが理解していない組織であれば、沈黙の中に込められた判断や責任は、誰からも評価されず、埋もれてしまいます。

だからこそ、沈黙の価値は、組織全体で共有しなければなりません。

あの手、この手、奥の手。

沈黙の価値を
「ミエル化」
「カタチ化」
していく工夫が、今まさに求められているのです。

たとえば、議事録に
「語らなかったこと」
を明示する欄を設けてみる。

たとえば、社内メルマガに
「いま語れないこと」
のコーナーをつくってみる。

あるいは、沈黙を貫いたことに対して、静かに称える習慣を根づかせてみる。

「語らなかったことに、意味がある」

そう思える組織には、情報を守る強さと同時に、主権ある判断を静かに貫く“芯”が内側から育っていくのです。

語らないという選択を、“私たち”の選択にするために

語らないというのは、たしかに個人の美学です。

けれども、組織の中においては、それは
「構え」であり、
「姿勢」であり、
ときに
「文化」や「連帯」そのもの
へとつながっていきます。

情報社会のなかで、すぐに語ること、すぐに反応すること、すぐに説明責任を果たすことが、正義のように扱われがちです。

だからこそ、
「あえて語らない」
という判断には、チームとしての確信と、覚悟が求められるのだと思います。

語らなさを恐れず、沈黙に意味を持たせる文化。

それは、ただのルールではありません。

それは、静かにチームを貫く、美意識そのものなのです。

著:畑中鐵丸

00227_情報を引き出す“仕掛け”と、語らない“技術”

「ねぇ、あれってどうなってるの?」
「この話、もう決まってるの?」
「誰が関わってるの?」

こうした“何気ない確認”を装った問いかけに、あなたはどこまで答えますか。

たとえ、相手が上司であれ、同僚であれ、あるいは外部の関係者であれ――
「何をどこまで話すか」
は、情報を扱ううえで、避けて通れない判断の連続です。

一見、ただの会話。

しかしその裏にあるのは、
「情報を取りにくる人たち」
の存在です。

確認のカタチをした“仕掛け”

すべての確認が悪いわけではありません。

問題なのは、それが
「何のための確認か」
が曖昧なまま、無防備に語ってしまう構造です。

たとえば、
・進捗を装って、核心に迫ってくる
・雑談の流れで、こっそり裏情報を引き出そうとする
・あいまいな表現で、先に“言質”をとろうとする

こうした問いかけの本質は、“確認”ではなく“回収”です。

情報を取りにきているのです。

語らせようとする“あの手、この手”は、日々、更新され続けています。

情報を取りにくる人のタイプとは

情報を欲しがる人には、いくつかのタイプがあります。

(1)探偵型:
 意図を明かさず、質問を重ねて真相に近づこうとするタイプ。

(2)善意型:
 「助けになりたいから」と言いながら、結果的に情報を引き出してしまうタイプ。

(3)世話焼き型:
 相手の状況を“先回りして理解しよう”とする中で、無自覚に踏み込んでくるタイプ。

(4)無意識型:
 自分がどれだけの情報を引き出しているか、まったく気づいていないタイプ。

どのタイプにせよ、共通しているのは、
「自分が情報を集めている」
という自覚のなさ。

そして、語ってしまう側が
「悪意がなさそうだから」
と油断してしまう構造です。

「かわす力」は、拒絶よりも高度な技術

大切なのは、相手を敵とみなすことではありません。

情報を渡さないために、むしろ“自然に話を終わらせる”技術が求められるのです。

たとえば――
・「まだ確定していないので」と言い切る
・「今の段階では共有されていない情報です」と線を引く
・「その件は、担当が別にいます」と話題をそらす

いずれも、相手を否定せず、情報のやりとり自体を“保留する技術”です。

そして、もうひとつの高度な方法が、
「あえて“確定していないことにしておく”」
というテクニックです。

「まだ白紙です」
「案が複数あって」
「方向性を検討中です」
情報を“確定しない”という曖昧さで包むことで、相手の興味をかわす。

これは、
「嘘をつく」
のではなく、
「情報を確定させない」
という高度なバランスの技です。

「答えない文化」をチームで共有する

語らないことを個人に任せてしまうと、どうしても
「つい話してしまった」
が起こります。

だからこそ、チームとして
「答えない方針」
を共有しておくことが重要です。

・聞かれても「ノーコメント」と返す
・情報の扱い方にチーム内ルールを定める
・むしろ「何も言わないことが誠実である」という文化をつくる

そうすることで、
「誰がどこまで話すか」
をめぐる判断がブレにくくなります。

確認される前に、構えておく

情報を“持っている側”に求められるのは、ただ守るだけではなく、
「聞かれる前提で構えておく」
ことです。

つまり、情報は漏れるものだという現実を前提に、
「語らない態度」
を意識的に設計しておく。

その積み重ねが、あなた自身の信頼を守り、
組織の情報を、じわじわと外に流さない“防壁”となっていくのです。

語らないとは、ただ拒むことではありません。

流れを読んで、かわして、受け流す。

そんな
「技術」
です。

語らないとは、ただ沈黙することでもありません。

守るべきものを見極めて、あえて語らないという
「仕組み」
です。

著:畑中鐵丸

00226_聞かれてもいないのに話してしまう人_語らせようとする空気とその正体

「言わなくていいことを、なぜ言ってしまったのか」

こうした
「ポロリ」
は、社内でも社外でも、あとを絶ちません。
意図的でないにせよ、情報が漏れる瞬間というのは、実にさりげなく、そして深刻です。

たとえば、次のようなケース、身に覚えはありませんか。
・「その話、まだ表に出さないでね」――そう念を押したはずの情報が、別の部署ですでに知られていた。
・「誰にも言ってないのに」――話した相手が、なぜか“知っていて当然”の顔をしていた。
あるいは、
・聞かれてもいないのに、自分から話してしまった。
・明確な口止めがあったわけでもないのに、なぜか口を開いてしまった。
・誰に咎められたわけでもないのに、なぜか“言ってはいけないこと”を語ってしまった。

もしかすると、これらは情報漏洩というより、
「語ってしまいやすい空気」
に巻き込まれた結果なのかもしれません。
語ってしまったというより、
「語らされていた」
のかもしれません。

人は、なぜ語ってしまうのか

語りたくなる理由は、いくつかあります。
ひとつは、「知っていることを話すと、ちょっと優位に立てる」という欲求。
もうひとつは、「場をまわすために何か話さねば」という義務感のような気持ち。
そしてもうひとつ、「つい口をすべらせてしまう」という、無意識の自己防衛反応。

とりわけ厄介なのが、3つ目、
「誰かに頼まれたわけでもないのに、つい話してしまう」というパターンです。
これは
「漏らした」
というより、
「情報をわざわざ届けに行ってしまった」
という構造になります。

その背景には、情報を
「守るもの」
ではなく
「動かすもの」
だと捉えてしまう感覚があります。
つまり、
「情報は誰かに渡してナンボ」
「話せば意味がある」
という思い込み。
「一度出た言葉が、どこへどう波及するか」
その想像力が、決定的に欠けているとも言えるでしょう。

話した人だけが悪いのか?

情報が漏れるとき、責められるのはいつも
「話した側」
です。
けれども、本当に悪いのは、話した人なのでしょうか?
もしかすると、
語らせようと
「仕掛けた誰か」
がいたのかもしれません。

もう少し踏み込むなら、
「語った側」
にすべての非があるとは限りません。
話すように仕向けてくる
「誘導のプロ」
がいることもあります。

つまり、
「仕掛けたのは誰か」
「仕掛けられたのは誰だったのか」
この構図で見ていくと、
実は
「話してしまった人」
が、
「引き出されていた」
だけなのかもしれません。
そうした視点も必要です。

たとえば、何気ない雑談の中に交わされる
「最近どう?」
という一言。
それが実は、情報を
「語らせるためのトリガー」
になっていることもあるのです。

あの手、この手、奥の手、禁じ手――
あらゆる手段を使って、情報を
「引き出す技術」
を持っている人がいます。
話す側が油断したというより、聞く側が
「仕掛けていた」。
そうした構造の中で、
「つい語ってしまった」
という結果が生まれるのです。

語らないための仕組みを持つ

だからこそ大切なのは、個人の感覚に頼らない
「語らない仕組み」
を持つことなのです。

「これは話していい情報なのかどうか」
その線引きが曖昧なままでは、人は場の空気や相手の雰囲気に流されてしまいます。

語らないことを、美学ではなく
「手順」
として持つことです。

・この話題には触れない
・このタイミングでは何も言わない
・この人には話さない

そうした「語らないルール」を、あらかじめ共有しておくのです。

あるいは、守るべき人や場に対しては、必ず
「語る前に一呼吸おく」
という手順を意識しておくことです。

それだけでも、
「語らせる力」
に対する抵抗力は、ぐっと増していきます。

語らない力とは、読み取る力でもある

情報を守るというのは、単に
「話さない技術」
ではありません。

・誰が
・どんな場面で
・なぜその情報を欲しがっているのか

その背景まで読み取れる人が、本当の意味で
「語らない力」
を持っている人なのです。

そして、もう1つ。

語らないというのは、
「相手を信じていないから」
ではありません。
むしろ――
「情報の価値を理解しているから」
語らないのです。

話すことが、必ずしも親切ではない。
語らないことが、もっと深い誠実である。

そうした
「構え」
を持つ人が、組織の中で、本当に信頼される存在になっていくのです。

語らないことで、信頼を守れる。
語らないことで、未来を壊さずに済む。

こうした
「見えない技術」
こそが、
今日のビジネスの現場を、静かに、けれども力強く支えているのです。

著:畑中鐵丸

00225_組織を壊すのは、「話した人」ではなく「聞いた人」_情報を握る責任の話

中立を装う人

こんな人、身の回りにいませんか?

表向きは
「私は中立です」
と言いながら、どこにも属さないふりをして、ただ聞き役に徹する人がいます。

判断も立場も示さず、静かにうなずきながら話を受け止めるその姿には、どこか安心感すら漂っているように見えます。

しかし、どういうわけか、その話が漏れているのです。

しかも、いろいろなところで耳に入ってきます。

そして、あとになって気づくのです。

静かに聞いていたその人が、実は話していたのだと。

あちこちで、少しずつ、しかし確かに。

話を流していたのは、ほかでもない、その聞き役の人だったのです。

聞き役に見える人ほど、よく話す、ということがあります。

むしろ
「中立です」
という仮面をかぶることで、多くの人から情報を引き出しやすくなるのです。

実は、こうした聞き方には、名前がついています。

「共感型ヒアリング」
と呼ばれる技法です。

会議後の雑談が“沈黙”を崩すとき

たとえば、こんな場面を思い浮かべてみてください。

ある会議のあと、あくまで“個人的な確認”というかたちで、
「あのときの発言、どういう意味だったんでしょうね」
「いまの方向性って、まだ変わる可能性ありますかねえ?」
そんなふうに話しかけてくる人がいます。

その場では一切、主張も結論も言わないのに、会議後には各方面をまわり、温度感を探っているのです。

本人に悪気はないのかもしれません。

ただ、こうした振る舞いが結果として、
「会議で話された議題について、外では話さない」
という合意を、じわじわと崩してしまうことがあります。

「今はまだ言わない」
という判断も、
「答えを出さない」
という合意も、チームにとっては、れっきとした戦略です。

それが、雑談や“共感”という名のもとに、静かに形を失っていきます。

情報が漏れるというよりも、語らないという構えそのものが、まわりから少しずつ崩されていきます。

感覚としては、じわじわと消されていくのです。

しかも、それが、かたちとしてはまったく表に出てこないのです。

実は、これがいちばんやっかいです。

「聞かれること」がリスクになる

情報漏洩というと、多くの人は
「話す側の問題」
と思いがちです。

しかし、実際には
「聞く側が備えている技術」
こそが、リスクを高めていることも少なくありません。

・相手が“善意で話した”と思える空気をつくる
・相手に「あなたには言ってもいいかも」と思わせる
・本人に言わせたようで、実は質問の設計で誘導していた

こうした聞き方は、営業スキルの応用でもあり、人間関係を円滑に見せかけた“聞き出しテクニック”でもあります。

だからこそ――
沈黙を守る立場にある者としては、
「話すこと」
だけでなく
「聞かれること」
にも、敏感になっておく必要があるのです。

本当の“中立”とは、何も聞かないこと

「私は中立だから、あちこちの話を聞いておく」
そんなふうに言う人がいます。

その人が、意図しているかどうかはさておき、結果的に“情報のハブ”になっていることがあります。

その人のまわりだけ、情報の粒が妙に細かく揃っていくのです。

それは、本当に中立といえるでしょうか。

本当の中立とは、次のように定義できます。

・自分から問いかけないこと
・自分から線を越えないこと
・相手の沈黙も、尊重すること

つまり、“何も聞かない”ことの方が、よほど中立的な姿勢といえます。

会議でしか共有していないはずの話が、漏れてくるとき

また、たとえば、会議でしか共有していないはずの話が、思わぬ人の口から漏れ聞こえてくることがあります。

本来なら、外には出ていないはずの会議の内容が、一部だけ、どこかで言葉を変え、かたちを変えながら、広がっていくのです。

その瞬間、誰もが手を止め、一気に空気が張り詰めたようになります。

「えっ、なぜ部外者に漏れているんですか?」
「誰から聞いたの?」
「誰が話したの?」

ひとつの言葉が、場の空気を変えます。

守られてきた沈黙に疑いが生まれ、情報を握っていた人たちの“立場”が、静かに揺らぎはじめるのです。

信頼関係が壊れるとき、責めを負うのは、必ずしも“話した人”とは限りません。

むしろ、“聞いた人”によって崩されていくことのほうが多いのです。

近づいてくる人との距離を、どう見極めるか

聞き役を装う人が、悪意を持っているとは限りません。

情報を求めてくるのも、その人なりの“善意”や“責任感”によるものかもしれません。

なかには本当に、
「状況を把握したい」
「力になりたい」
と思って動いている人もいるでしょう。

けれども、だからこそ“線引き”が必要です。

・今は話す段階ではない
・自分の口から語る立場にない
・共有にはまだ準備が整っていない

このような判断があるにもかかわらず、“共感”や“信頼関係”を理由に、うっかり語ってしまうことがあります。

しかし、それこそが、最も避けたい事態です。

語らないという判断を貫くには、ただ口をつぐむだけでは足りません。

その判断が、きちんと伝わるかたちで“距離”に表れていなければなりません。

語らないという構えを、誤解なく、かつフラットに示す力が求められます。

「何も言わない」
のではなく、
「今はまだ話す段階ではないと判断しています」
という意思を、きちんと言語化すること。

そして、もうひとつ、大切なことがあります。

近づいてくる人を責めるのではなく、
誰とどのように距離を取るか
――その選択を自分の側で管理するという視点です。

距離を取るのは、冷たさではありません。

むしろ、語らないことで守るべきものがあるからこそ、あえて一線を引く。

それが、“情報を握る者”に求められる、もうひとつの責任なのです。

語らぬという判断が、守っているもの

語らぬ者が守っているのは、情報そのものではありません。

意思決定の主権であり、判断の手綱であり、そして、組織の信頼です。

その沈黙を、誰かの無邪気な共感や、中立の顔をした質問で、壊されてはなりません。

語らぬという選択は、実は深い責任の上に置かれています。

会社の行く末を守る判断であるといっても、決して過言ではありません。

そしてそれは、ひいては、あなた自身の信頼を静かに積み上げているということにもつながるのです。

著:畑中鐵丸

00224_家庭内戦争の設計図_離婚と生活費をめぐる戦略思考のリアル

離婚とは、単なる
「別れ」
ではありません。

それは、感情の綱引きであり、経済の駆け引きであり、そして何より、
「戦略」
がものを言う
「家庭内戦争」
です。

「カネは払いたくない、けれども離婚はしたい」
「生活費は出してほしい、でも別れたくはない」
このように、
「それぞれに、それぞれの理屈があり、それぞれの事情がある」
構図のなかで、利害が複雑に絡み合い、どちらの言い分も一歩も引かない状況では、冷静に戦略と戦術を組み立てる力が求められます。 

事例から見る家庭内のリアル

たとえば、ある事例。

夫は
「離婚する」
「連れ子とも離縁する」
と言い張りながら、
「お金は一銭たりとも払わない」
と主張します。

妻の側は
「愛しているから」
ではなく、
「生活費が必要だから別れられない」
と返してきます。

感情のやりとりに見えて、実はそこにあるのは生活の現実です。

もっと言えば、経済のリアルです。

家庭の構図は、企業の紛争構造と同じ

そこには感情よりも、生活の現実が色濃く見えてきます。

家庭内のこの構図――
ビジネスに置き換えれば、
「解約したい取引先が、過去の請求には応じない」
と言っているようなものです。

相手の言い分をそのまま受け入れるのではなく、まず全体を
「ミエル化」
してみることが大切です。

そのうえで、どう動くかを定めていく。

それが、戦略というものなのです。

戦略の出発点は「環境整理」

まず、
「環境整理」
をすることです。

どんな利害が交差しているのか。

どんな法的・社会的背景があるのか。

そこを丁寧に見極めることが、出発点になります。

そのうえで、
「ゴールは何か」
をはっきりさせておく必要があります。

・金銭なのか
・居場所なのか
・時間なのか
・感情なのか

――それによって、採るべき
「戦略」
が変わってくるのです。

「悲劇のヒロイン戦術」という技術

たとえば、妻側が、離婚を拒否してでも生活費を得たいのであれば、
「悲劇のヒロイン戦術」
が有効かもしれません。

・相手がウソをついているなら、それを暴く
・真実を隠しているなら、それをあぶり出す
・ときに、感情の表現を装いながら、冷静に「ATMはまだ機能している」と知らせる

これらの技術は、実は、企業の訴訟戦略とまったく同じ構造をしています。

家庭の問題を戦略的に語ることに、違和感を持つ人もいるでしょう。

しかしながら、感情だけで戦えるほど、現代の家族関係は単純ではないのです。

争いは形を変えながら続きます。

場合によっては、年単位の時間を費消することすらあるのです。

そのたびに、何を守り、何を捨て、何を得るかを考え直さなくてはなりません。

「家族」
という最小単位の社会に、
「離婚問題」
が浮上したとき、私たちは、戦略と戦術の使い手でなければならないのかもしれません。

著:畑中鐵丸

00223_オーナー社長企業_制度で動かす経営管理の未来像_6つのレイヤーの設計思考

企業を動かすとは、理想と現実のせめぎあいです。

とりわけ、オーナー社長が率いる企業においては、この緊張感はさらに際立ちます。

今回ご紹介するのは、あるオーナー社長企業の、未来型の経営体制構想です。

この体制は、国家の統治構造になぞらえて設計しています。

まず、その全体像を整理してみましょう。

国家になぞらえた、未来型オーナー社長企業の経営構造

1 オーナー社長
 …国家における「天皇」
 (最終ジャッジ、経営哲学=国家理念の発信者)
→ 冷静な経済合理性を担保しながらも、天皇の意志を常に読み取る

2 経営管理・監視機構(社外非常勤で構成されるコミッティー方式)
 …国家の「枢密院(*)」
 (合理性と合法性を冷静に検証する参謀組織)

*旧憲法(大日本帝国憲法)で、国家の大事(機密や政治上の重要な秘密)に関して天皇の諮問にこたえることを主な任務とした合議組織。

3 経営管理機構のサポート部隊
 …枢密院を支える「官僚組織」
 (政策実行の補佐、事務支援、若手育成)
→ 若手を育てつつ、自らもまた哲学を継承する立場として自覚を持つ

4 取締役会
 …国家の「内閣」
 (方針に基づき政策を実行する行政執行機関)
→ 現場との連携を腹に据えて動く

5 執行役員
 …各「省庁」の局長
 (部門ごとの運営・管理責任者)

6 従業員
 …国家公務員・現場実務官
 (具体的な政策実行、現場活動)

このように、国家統治機構をなぞらえながら、それぞれの役割と立ち位置が設計しています。


各階層の間に存在する「見えない壁」

理想とは裏腹に、現実社会では、それぞれの階層のあいだには、
「見えない壁」
が存在します。

「天皇」

「枢密院」
のあいだに。

「枢密院」

「官僚組織」
のあいだに。

「官僚組織」

「内閣」
のあいだに。

「内閣」

「省庁局長」
のあいだに。

そして、
「省庁局長」

「現場実務官」
のあいだに。

各階層のあいだに、意図せざる隔たりが生まれてしまうことがあるのです。

結果として、
「天皇」

「現場実務官」
のあいだには、幾重にも、
「見えない壁」
が生じ、それが企業の発展を阻むことになるのです。

これこそが、企業運営の難しさの正体です。

では、どうすればいいのでしょう。

「見えない壁」を知る

無意識にある
「見えない壁」
を、壊すことはできません。

しかし、乗り越えることはできます。

制度・仕組みさえ整っていれば、誰もが
「見えない壁」
を、意識せずとも乗り越えられることは可能なのです。

それには、まず、
「見えない壁」
を知ることが前提となります。

さらにいえば、
「意思に頼って乗り越えるものではない」
ということを理解することが前提となります。

意思ほど、不確実なものはありません。

「壁の存在を認め、理解できたので、あとは意思のチカラで乗り越えよう」
などと精神論を語っても、現場は動きません。

だからこそ、仕組みを整え、意識せずとも自然に乗り越えられる設計にしておくのです。

「見えない壁」を乗り越える制度や仕組み

■ 枢密院(=経営管理・監視機構)(社外非常勤で構成されるコミッティー方式)

【目的】
・オーナーのジャッジ負荷の軽減

【役割】
・御前会議にて報告と裁可
・参謀会議にて、報告徴求・状況把握、管理上の指示、報告事案の管理・整理、裁可案件の整理
・案件スクリーニング、決裁
・デイリーオペレーションのモニタリング
・計画策定・達成状況管理
・人事評価
・幹部候補OJT育成

【イメージ】
・経営管理事項に関する専門的知見
・私心や欲で判断を歪めない
・業界に対する愛と理解
・オーナー社長を敬愛しオーナー社長の経営哲学を理解

【実務に即した具体例】

1 案件スクリーニング会議の運用ルール化

(1) 会社に持ち込まれた取引案件・投資案件・契約案件などについて、「天皇」の裁可を仰ぐ前にまずは「枢密院」側でのふるい分けを行う
 (ア)金額が大きい案件
 (イ)相手先がリスクのある企業
 (ウ)契約条件に例外が含まれる
 (エ)新規性の高い事業展開を伴う など

(2)ルール化する
 (ア)どんな案件を対象にするのか(例:契約金額500万円以上)
 (イ)誰が出席するのか(例:法務・経理・営業・外部顧問)
 (ウ)どんな観点で確認するのか(例:経済性・法的妥当性・オーナー哲学)
 (エ)何曜日に開催するのか(例:毎週水曜10時〜)

2 一定金額以上の取引案件に対する「3点チェック」制度の導入

(1)経済合理性
(2)法務的妥当性
(3)オーナー哲学への適合性

3 「オーナー専権事項」リストを明文化し、介入しない範囲の明確化

4 社内で起案される文書に「裁可要否」欄を設けることで、判断の前提ラインを揃える

■ 官僚組織(=経営管理・監視機構事務局

【役割】
・参謀本部佐官級の補佐集団としての仕事
・「枢密院」のサポート
・秘書役
・事務全般
・幹部候補として徹底した経営管理技術を身につけ、かつ、「天皇」の経営哲学の伝承者として「天皇」のスピリッツを涵養する

【イメージ】
・イメージ=入社3~5年目で、向上心旺盛で勉強が苦にならない(OJTでのスキルアップのほか、休日等に自己能力開発を積極的に行うほか、ネットワークを広げられる社交性も涵養)
・私心や欲で判断を歪めない
・業界に対する愛と理
・「天皇」を敬愛し「天皇」の経営哲学を理解

【選抜方式】
・履歴書、職務経歴書、日経TESTを受験させスコア提出
・PCスキル検証
・「枢密院」全員の面接によってトライアルし、その後本格稼働

【実務に即した具体例】

1 幹部候補向けの「経営管理勉強会」の定期開催

(1) OJTの補完として、理論と実務の橋渡しとなる研修を毎月実施
    テーマ例
   ・月次経営指標の読み方
   ・社外取締役の視点を体験する模擬案件審査
   ・経営哲学にまつわるケースディスカッション

2 経営哲学の内製教材の整備

(1) 読み物形式で、オーナー社長の経営観をわかりやすく文書化(語録集)
(2) 類型化された失敗事例の収集・編集(「この判断のどこにズレがあったか」解説つき)
(3) 定期更新とバックナンバーのアーカイブ化

3 議事録作成を通じた育成制度の構築

(1) 週次・月次会議に出席し、サマリー・要点抽出力を訓練
(2) 議事メモに対して「枢密院」からのフィードバックを必須とする
(3) 1年後には、判断材料の提示や整理まで担うフェーズへ

4 人材評価項目に「哲学理解度」や「管理補佐の適正」などを定性項目として組み込む

■ 内閣(=取締役会)

【役割】
・組織統治の要として、「枢密院」と「省庁局長」の接続点を担う(「枢密院」と「省庁局長」の“翻訳者”として機能する)
・単なる承認機関にとどまらない
・形式上のマネジメント、実際は現場指揮・統括

【本来の意図】
取締役が現場の声を直接ヒアリングし、それを経営管理・監視機構にフィードバックすることで
・経営管理・監視機構が「取締役も現場の状況を理解してくれている」と感じる
・経営判断に現場感覚が反映されているという納得感が生まれる
・結果として、「執行役員」層の判断や行動に“迷いがなくなる”

【実務に即した具体例】

1 部門横断的な「現場ヒアリング」の定例化

(1) 月1回以上、「内閣」が部門横断で現場リーダーとの対話の場を持つ(=現場温度を把握する)
(2) 課題・懸念・提案などを収集し、現場と取締役会の判断との間に“納得の接点”をつくる
(3) ヒアリング内容は「官僚組織」へ報告し、判断の材料として還流させる

2 「翻訳力」を測る評価制度の導入

(1) 年1回の役員評価に、次のような“接続力”項目を含める。
 (ア) 現場の言葉を経営の文脈に置き換えて伝える力(=「上位層との接続状況」)
 (イ) 経営判断をわかりやすく現場に伝える力(=「現場連携度」)
 (ウ) 双方向の対話を継続する姿勢と頻度

3 情報接続ミーティングの制度化

(1) 月次で「枢密院」と「内閣」メンバーによる接続会議を実施する(=組織階層間の“対話の場”を創出)。
(2) 議論内容を要約・翻訳したレポートを作成する。
(3) そのレポートは「枢密院」側がレビューし、誤解なき意思伝達を確保する。

4 「意思決定プロセス図」を部署ごとに作成し、責任と裁量の境界をミエル化(=議事録と説明責任の強化)

(1) 取締役会議事録において、「何を判断し」「なぜそうしたか」の背景を明記。
(2) その記録が執行側にも配信され、納得感と透明性を担保する。
(3) 会議体の記録が「翻訳の証拠」として機能することで、組織内の信頼が醸成される。

■省庁局長(=執行役員)

【役割】
・計画遂行の責任者として、各部門におけるタスクの設計・推進・育成を統括する実行責任者層
・現場に最も近い立場で、上位の意図と現場の行動を“構造として接続”する役割も担う
・部下育成のハブとなることが求められる

【実務に即した具体例】

1 部門別KPIのレビュー制度

(1) 四半期ごとに、各部門の数値・非数値のKPI(定量・定性)を整理し、達成度を自己点検。
(2) 未達の場合は原因分析と対応策を明記し、取締役会と共有する。
(3) レビュー結果を基に、翌期の戦略・戦術の修正案を策定するプロセスを制度化。

2 「役割分担マップ」の導入と定期更新

(1) 部門内で「誰が」「何を」「どこまで」担っているかをミエル化する(=機能別の責任分担の可視化)。
(2) このマップは月1で更新され、人事異動や担当変更時の引継ぎにも活用する。
(3) 役職名や上下関係ではなく、「果たすべき機能」で分担を設計することが原則(=「役割分担マップ」)。

3 部下育成と日常業務の接続制度

(1) 執行役員が自部門の若手を対象に、毎月1テーマの育成セッションを実施(例:ケーススタディ/業務設計講座)。
(2) 人事評価には、「部下の成長を促すフィードバックの実施回数」や「指導記録」も反映させる。
(3) 育成内容と業務実績を関連づけた「育成ポートフォリオ(育成+業務実績セット)」を作成・共有。

4 改善提案制度と月次共有会

(1) 部門内に「現場からの改善提案制度(小さなアイデアのミエル化)」を整備する。
(2) 提出された提案のうち、実行されたもの・却下されたものを毎月レビューする。
(3) 月末の部門会議で「今月の改善シェア会」を開催し、成功例をチーム内で共有する。

■ 現場実務官(=従業員層

【役割】
・現場の最前線として、業務タスクを実行し、活動を報告し、気づきを発信する存在(現場情報の供給源としての自覚を持つこと)
・“組織の目と耳と手足”として機能することが求められる

【実務に即した具体例】

1 簡易な行動レポートの定着

(1) 日次または週次での作業内容・所感の記録(所定フォーマットで)
(2) 直接の上長だけでなく、一定期間後に枢密院側も確認する
(3) 「業務プロセスのミエル化」として活用

2 イントラでの「気づき共有欄」の運用

(1) 誰でも自由に書き込める「今月の気づき」コーナーをイントラに設置
(2) 優良投稿には簡易な表彰制度(例:食事券、全社メルマガ掲載)
(3) 集まった投稿は月ごとにカテゴリー化・分析され、枢密院へ報告

3 “壁”の吸い上げと共有の仕組み

(1) 月1の階層別ミーティングで「最近感じた“壁”」をテーマに話す場を設定
(2) その内容を部門長→取締役→枢密院へと吸い上げるルートを明文化
(3) 同時に「どう乗り越えたか」も共有し、制度改善への素材とする

意思に頼らず、制度で超える

このように、誰かの意思に頼るのではなく、誰がその場にいても自然に動けるように、制度と仕組みでカタチをつくるのです。

「見えない壁」
を壊すのではなく、越えさせる。

そのために必要なのは、意思ではなく、設計です。

判断の前提を揃えること。
役割の境界をミエル化すること。
現場の声を、声として届くようにすること。

こうした構造があってこそ、腹落ちが生まれ、行動が自分ごとになるのです。

意思に頼らず、制度で越える。

それが、オーナー経営における
「見えない壁」
の正しい乗り越え方であり、組織の未来をひらく、本当の統治構造なのです。

著:畑中鐵丸

00222_語らぬという判断:沈黙と情報を“握る側”の戦略

「それについては、お答えできません」
このひと言が持つ重みは、想像以上に大きいものです。

たとえば、囲碁や将棋の世界では――
あえて打たない
「空白の一手」
が、勝敗を分けることがあります。

・すぐに動かない
・すぐに開示しない
・むしろ“待つこと”で、相手の出方を見極め、全体の流れをコントロールする
・名人ほど、よく黙る
・プロほど、手を見せない

そこにこそ、真の戦略が宿ります。

ビジネスの現場も、これと似ています。

実際、企業経営の現場では、情報を
「どう出すか」
以上に、
「出さない」
という判断が、功を奏すことが少なくありません。

とりわけ、オーナー経営者が関わる意思決定においては、その判断が企業の運命を大きく左右することがあります。

だからこそ、意思決定者(=オーナー経営者)に近しい人間は、何かを問われたとき、その場で答えることが“誠実”とは限らないということを肝に銘じなければなりません。

「今は言わない」

それが、のちのち大きな信頼につながります。

黙ることが、未来を動かす起点になるのです。

このことは、著者が、企業経営の現場で何度も見てきた真実です。

・説明責任という言葉が先に立ち、つい口を開いてしまう
・あるいは、自分の意見を言うことで場を回そうとしてしまう

そこにあるのは“誤った親切”であり、もっともしてはいけない行動です。

なぜなら、情報は一度出てしまえば、もう戻せないからです。

沈黙とは、弱さではありません。

むしろ、状況をコントロールする側がとる“強さの表現”でもあります。

さて、ここからが、本題です。

そもそも、誰が“情報を握る側”に立つのか。

その立ち位置が曖昧なままでは、組織もプロジェクトも、どこかでほころびます。

だからこそ、意思決定者(=オーナー経営者)が
「誰に情報を預けるのか」
をはっきりさせることは、経営を守る土台になるのです。

意思決定者に近しい人間の心得として、情報を預かるというのは、ただ知っているだけでは足りません。

“守る力”と“伝える判断”がそろって、ようやくその役目を任されるのです。

一方で、“情報を持っていない側”の人々は、あの手この手、奥の手まで使って、
「少しでも情報に触れたい」
と寄ってきます。

表向きは相談、雑談、確認というかたちをとりながら――
その本音は、情報を
「引き出す」
ことにあります。

そのときこそ、距離感が試される場面です。

近づいてくる人が悪いのではありません。

・「誰に語らないか」を見極める目を持つこと
・そして、“語らないこと”を誤解なく伝える技術を持つこと

それが、情報を握る者に求められるもう一つの資質です。

情報は力です。

それは“開示して得られる力”ではなく、
“握っている者が持つ力”であることを忘れてはなりません。

「情報を制する者が、戦略を制する」

それは、表に出ている情報だけの話ではありません。

「出さない情報」
「まだ出さない情報」
もまた、戦略の一部です。

むしろ“もっとも戦略的な情報”かもしれないのです。

沈黙には、意味があります。

情報を預かるということは、それ自体がひとつの責任です。

それを軽々しく扱わず、持ちこたえる力があるかどうか。

それが、情報を握る者に求められる第一歩です。

さらにもう一つ。

その立場に立った者には、
「寄ってくる者」
との距離をどう取るか、その判断力も問われます。

誰と距離を置き、誰に語らないか――
その選択の積み重ねが、信頼される沈黙をかたちづくっていくのです。

著:畑中鐵丸

00221_ケーススタディ_ 価値はあるのに、なぜ響かないのか_感性で選ばれる市場で、生き残るということ

<事例/質問>

新商品のローンチを控えており、差別化の戦略に頭を悩ませております。

ターゲットは、わたしと同じ40代女性です。

商品は、季節の変わり目に肌荒れしやすい人に向けた、美容サポート飲料です。

・ベリー系のナチュラルフレーバー
・植物発酵エキスとビタミンを独自配合
・「外からじゃなく、中から肌を整える」がコンセプト
・パッケージは白とピンクを基調に、シンプルで清潔感のあるデザイン

わたし自身、発酵を長く研究してきたこともあり、成分の設計には独自の工夫を盛り込み、かつ専門的な裏づけもあり、これは売れる、と自負していました。

ところが、ローンチ前のテストでは、
・類似商品が多すぎて、違いが伝わりにくい
・技術的な裏付けがあっても、「へぇ、で?」で終わってしまう
このようなフィードバックが数多く寄せられました。

わたしは、自分が女性で、それこそが強みだと思って、今までやってきましたが、女性を相手にする商売って、やっぱり難しいのでしょうか。

難しいのは、女性が相手だからなのか、それともわたしの“伝え方”なのか。

「誰に、何を、どう伝えればいいのか」
「価値はあると思うのに、どうして響かないのか」
今、迷路にはいってしまったような感覚です。

<弁護士畑中鐵丸の回答・アドバイス・指南>

「女性を相手にする商売って、やっぱり難しいのでしょうか」
「難しいのは、女性が相手だからなのか、それともわたしの“伝え方”なのか」
この問いかけは、実に本質を突いています。

それに対する答えは、
「どちらも正しい。そして、どちらも問い続けるしかありません」

もっとも難しい商売とは、感性の鋭い人たちを相手にする商売です。

「美容」
「健康」
「快適さ」
「安心感」
そのすべてに対して、自分の感覚で選び取ろうとする人たち。

たとえば、あなたと同じ40代の女性たち。

たとえば、子どもの肌や健康を気づかう親御さんたち。

この層の消費者は、我慢しませんし、遠慮もしません。

良くなければ、すぐに離れます。

なんとなく、では決して買いません。

「へぇ、で?」
で終わる商品は、そもそも手に取りません。

ブランドの“顔”が曖昧なら、不安に思うのが、この層です。

気に入られなければ、1回で終わり、2回目はありません。

要するに、義理もなければ情もない、欲と感性だけが、すべてを決める市場です。

ここに参入するというのであれば、ただ良い商品を出すだけでは足りません。

「なんとなく参入して、なんとなく誰かに届けばいい」
そんな態度では、1秒で見破られます。

この市場において、伝え方とは“技術”であり、“構造”であり、そして——“覚悟”です。

あなたの商品には、専門的な裏づけも、真摯な思いもあるでしょう。

けれども、それが
「わたしにとって何の意味があるのか」
が見えなければ、この市場にいる消費者には響きません。

違いが伝わらないのは、商品のせいではありません。

伝え方が、まだ定まっていないのです。

伝え方とは、ただの言い回しではありません。

商品そのものの
「立ち位置」
「意味づけ」
を、もう一度ゼロから設計しなおす作業です。

・誰の、どんな悩みを、どの場面で、どう解決するのか。
・どこで競合と違いをつくり、どこで刺さる言葉を見つけるのか。
・どんな言葉で、どんな形で、どんな空気で、伝えるのか。
・それらを、ミエル化し、カタチ化し、言語化し、文書化し、フォーマル化する。
・あらゆる工夫を、誠意と覚悟をもって注ぎ込む。
・伝えるために必要なことを、ひとつずつ、丁寧に組み立てていく。

それが、感性で選ばれる市場で生き残る最低条件です。

それほどの覚悟が、最初から求められています。

あなたの迷いは、決して無駄ではありません。

迷路に見えるそのプロセスにこそ、本当に響く伝え方のヒントが隠れています。

そして、その壁を越えたときにだけ、得られるものがあるのです。

・リピートという信頼
・口コミという影響力
・ブランドという、揺るがない存在感

たった一度の“がっかり”が、もう二度と取り戻せない距離を生む世界です。

だからこそ、たった一度でも心に届いた商品は、長くつかってもらえますし、静かに広がっていきます。

覚悟のない商品は、この市場ではただのノイズです。

覚悟のある商品だけが、静かに、しかし力強く、この感性で選ばれる市場で生き残っていくのです。

著:畑中鐵丸

00220_ただの処分では終わらせない_再教育:経営者に問われる「読みの力」

「反省しない社員を、育てるべきか、切るべきか。」

経営の現場では、こんな問いに直面することは少なくありません。

たとえば今回、ある企業で人事の相談を受けました。

不祥事を起こした社員が2人いました。

社員Aは、深く反省の意を示し、自らの処分を当然のことと受け止めていました。

一方、社員Bは開き直り、仲間内では会社批判を繰り返していたとのことです。

「辞める」
と言いながら、実際には辞めません。

むしろ、会社にとどまりながら、経営を腐すのです。

社員Aと社員B、どちらが悪質か、火を見るより明らかです。

けれども――この2人を、どう処するかは、単なる比較の問題ではありません。

その社員に悪意があるのか、ただ無知なのか。

本当に反省しているのか、それとも芝居(表面だけの反省)なのか。

育てるべきか、切るべきか。

その見極めは、人の問題のようでいて、実は経営者自身の在り方が、もっとも深く問われる瞬間でもあります。

この話を聞いたとき、私はふと思い出しました。

以前、まったく別の経営者が、驚くほど似たようなことを語っていたのです。

「きれいごとでは人は育ちません。誤解や葛藤が渦巻く“泥のような現場”で、どうにか人を信じて育てていくしかないと、日々、肚をくくっています」

現場というのは、いつだって不格好で、どろどろしていて、その時々の感情も、ぶつかり合っています。

表面的に整った美しい処分や、いかにも正しそうな論理だけでは、人は動きません。

だからこそ、判断は、難しいのです。

ここで、将棋の話を少ししましょう。

将棋には、
「捨て駒」
と呼ばれる手があります。

一見、ムダに見える手。

すぐに取られてしまう駒を、あえて打つのです。

熟練の棋士ほど、こう言います。

「すべての駒には意味がある。ムダな駒など一つもない」

たとえば、飛車や角のような派手な駒ばかりを使っていても、勝てるわけではありません。

歩をどう使うか。

香車をいつ温存するか。

見捨てたようで、実は布石だった――そんな一手が、勝敗を分けるのです。

経営も同じです。

開き直っているように見える社員Bが、実は組織の風通しを改善する触媒になることがあります。

一見厄介な存在が、見方を変えれば、“社内の真実”を映す鏡かもしれません。

もちろん、悪意しかない者は、切るしかありません。

けれども、ただの無知や未熟さであれば、それを見極め、あえて打つという
「再教育の一手」
も、経営者には必要です。

たとえば、一見すると、
「あれが処分と言えるか?  上は何を考えているんだ。不公平じゃないか!」
と、見えるような配置換えになるかもしれません。

けれども、実はその部署こそ、本人がもっとも嫌がっている部署だとしたら・・・。

そう、
「それが処分なのか?」
という声の裏で、当の本人には、“根性試し”の場として、最も厳しい任務が課されているのです。

もちろん、本人が何を嫌がっているかを知るには、どれほどその社員のことを見てきたか――そこにかかっています。

これは、再教育以前の問題であり、“調査”が肝です。

社員Bが、そこから這い上がれるのか。

それを、じっくりと見ていくのです。

もちろん、時間はかかります。

表面だけを見て、
「軽すぎる」
「優遇だ」
と批判する社員が出てくるかもしれません。

しかし、それでもなお、そこに仕掛けた“再教育の意図”を信じられるか。

経営者にとって、それこそが勝負どころなのです。

一方で、反省を示している社員Aには、あえて距離を取ります。

遠くから見守りながら、実績と信頼を積ませていきます。

再登用のチャンスを、水面下で静かに準備しておくのです。

もっとも、これも一歩間違えれば、
「なぜ何もしてくれないのか」
と、本人のやる気をそいでしまうこともあります。

周囲からも、
「放置ではないか」
と誤解されるかもしれません。

どちらも、ただの
「許し」
ではありません。

経営者のいっときの感情などではなく、
「信じて試す」
再教育という名の、戦略的な判断なのです。

その意図が、社員に理解されることはほとんどありません。

けれども、だからこそ、誤解をおそれず、孤高を恐れず、決断し、信じ切る姿勢が問われるのです。

将棋と同じく、経営でも、すべての駒(社員)には意味があります。

切ってしまえば、それまでです。

けれども、温存して、見極めて、次の手を打つことで、想像もしなかった展開が開けることがあるのです。

再教育とは、単にチャンスを与えることではありません。

時に厳しい手を打つことも必要です。

けれども、その一手に
「信じる意志」
が宿っていなければ、ただの処分になってしまう。

人を裁くのではなく、導く。

それは、経営者の“読み”が問われる、将棋にも似た営みなのです。

著:畑中鐵丸

00219_“丸投げ”が会社を弱くする─「のみこまれない会社」になるために必要なこと

大手企業の多くが、社内に“法律に詳しい人”──弁護士資格を持つ従業員や、法学部出身のスタッフ──を多数抱えているのを、知っていますか?

特に法務やリスク管理を重視する企業では、法務部門のうち2割以上が有資格者というケースすらあるのです。

また、法学部出身者に限れば、証券会社やメーカーなどで、部門によっては7〜8割を占めることも珍しくありません。

その理由は何だと思いますか。

リスクを避けるためでも、書類をきれいに作るためでもありません。

「判断する力」
「外部の専門家を使いこなす力」
この2つの力を、社内に“持ち続ける”ためです。

そしてこの2つこそ、会社という組織が、外からの攻撃やトラブルに“のみこまれない”ために、どうしても欠かせない力なのです。

「丸投げ」は、信頼ではなく“放棄”である

たとえば、こんな場面を想像してください。

ある会社が、トラブルに直面しました。

急いで外部の弁護士に電話をかけます。

「もう手に負えない。とにかく任せたい。カネは出すから、好きにやってくれ」

一見すると、潔くて、頼り上手な姿勢にも見えるかもしれません。

けれどもこれは、“信頼”ではなく“放棄”です。

何を解決したいのか。

そのために、どんな情報を共有し、どんな判断をしていくべきなのか。

それを決めるのは、弁護士ではありません。

会社自身です。

「法律のことは専門家に聞けばいい」
「うちは顧問弁護士がいるから安心だ」
そうやって考える会社ほど、実は“考えること”を手放し、“動かす力”を外に出してしまっていることが少なくありません。

リフォーム業者に家づくりを丸投げする”ようなもの

たとえるなら、それは“高級なリフォーム業者”に、設計図も出さずに
「全部やってくれ。イメージはお任せで」
と言っているようなものです。

最初の打ち合わせでは、ベテランが顔を出すかもしれません。

けれども、2回目以降は新人や下請けが動き出します。

表には頼れる人が顔を出しても、実際に現場で手を動かすのは、別の誰か─
このような構造は少なくありません。

結果、完成した家は、
「思っていたのと違う」
「どこにカネがかかったのか分からない」
といったものになりがちです。

同じように、弁護士に限らず、外の専門家もまた、設計と段取りがなければ、効果的に動けません。

どんなに腕が良くても、ゴールへのこちらの思いや考えがあってこそ、初めて、外の知恵やスキルが活かされ、成果につながるのです。

しかも、思うような結果が出なかったとしても、誰も責任までは取ってくれません(カネだけは取られますが・・・ね)。

アメリカ企業はなぜ、社内に弁護士を置くのか

アメリカでは、大企業であれ、スタートアップであれ、社内にロースクール経験者や弁護士資格者を“置くのが当たり前”になりつつあります。

なぜでしょう。

それは
「法律の仕事を社内で済ませるため」
ではありません。

目的はただ1つ。
「外部の弁護士と、対等に話をするため」
丸投げを防ぎ、外の専門家を“活かす”──言い換えれば、“使いこなす”ための、知恵の防波堤なのです。

弁護士に限らず、コンサルタントでも、調査会社でも、同じことが言えます。

外部の知恵は、あくまで“使いこなすもの”です。

そして、判断と責任は、どこまでいっても、社内で引き受けなければならないのです(外に委ねることはできないのです)。

だからこそ“使いこなす”のです。

「任せる」には、設計が必要だ

では、どうやって“使いこなす側”になるか。

答えはシンプルです。

・何をしたいのか
・どこをゴールにするのか
・何にどれだけお金を使うのか
・どんな順序で進めるのか
・どうやって進捗を見えるようにするのか

このような
「設計」
を、自分たちの中で考えることです。

最初は荒削りでも構いません。

社内で意見を集め、見えてきたことから順に、ミエル化し、カタチ化し、言語化し、文書化していけばいいのです。

それが、依存ではなく、自立につながります。

動かす力”は、社内にあるべきもの

いま、ビジネスの世界には、
・正解のない判断
・スピードを求められる決断
・リスクと利益のせめぎあい
が日常的にあふれています。

そんな時代に、外部の専門家に
「任せる」
だけでは、乗り切れません。

「どう任せるか」
「なぜそれを任せるのか」
その判断ができるようになること。

つまり、“動かす力”を社内に持つことが、会社の安全保障なのです。

「困ったときは誰かが助けてくれるだろう」
ではなく、
「どうすれば助けられる形にできるか」
を考えられること。

それこそが、トラブルの波に“のみこまれない”ための、最初の一歩なのです。

著:畑中鐵丸