00276_ケーススタディ_交渉は「懺悔室」ではない_プロが敢えて「実現不可能な要求(高めのボール)」を投げる理由

「来月退去するのは物理的に無理だから、正直に再来月と言おう」。 

その真面目さが、交渉では命取りになります。 

交渉とは、自分の都合を正直に告白する場ではなく、最終的な着地点を見据えて
「ボール」
を投げ合うゲームです。 

本記事では、契約トラブルを題材に、プロが計算して投げる
「高めのボール(実現不可能な要求)」
の効用と、素人が陥りがちな

「内容証明郵便の形式不備」
という落とし穴について解説します。

<事例/質問>

先生、作成いただいた内容証明郵便の案文について、修正の相談です。

当社(仮称:シェアオフィス・アルファ)は、現在入居しているビルのオーナーに対し、賃貸借契約の解除と賃料支払いの停止を通知しようとしています。 

契約期間の解釈について双方に相違があり、揉めている案件です。

先生の起案では、
「6月末での契約解除」
を主張することになっていますが、これは現実的に不可能です。 

現状復帰工事や引越し業者の手配を考えると、物理的に6月中に出ることはできません。 

万が一、相手が
「わかった、6月に出ろ」
と言ってきたら、対応できずに困ります。

ですので、現実的なラインである
「7月解除」
に変更してください。 

あわせて、請求金額も実態に合わせて修正したいです。

なお、費用節約のため、この通知書は私の名前で、私自身が郵便局から発送します。 

いただいた文書を印刷して、ホッチキスで留めて送ればよいのでしょうか? 

正式な形式があればご教示ください。

<弁護士畑中鐵丸の回答・アドバイス・指南>

社長、あなたは
「正直」
すぎます。

そして、交渉というものを
「懺悔(ざんげ)」
か何かと勘違いしておられるようです。

結論から申し上げます。 

「6月解除は『物理的に不可能』だからこそ、主張する意味があるのです」

ご自身で発送されるとのことですので、戦略の意図と、事務的な落とし穴について解説しましょう。

1 交渉は「中庸」ではなく「極端」から始まる

まず、今回の戦いの構造を整理しましょう。

• 相手の言い分(0): 
「契約期間はまだまだ先だ。11月末ですらない。もっと長く借りろ」

• 当方の真の狙い(1): 
「11月で解除し、敷金で相殺して手打ちにしたい」

ここで、最初から正直に
「11月でお願いします」
と言ったらどうなるでしょうか? 
相手はそこからさらに交渉を始め、
「じゃあ間を取って来年の1月で」
と押し込んでくるでしょう。 
これでは、こちらの負けです。

だからこそ、 当方の
「高めのボール(2)」: 「ふざけるな! 6月末で即時解除だ! 敷金は耳を揃えて全額返せ! さらに損害賠償も払え!」 
という、相手がのけぞるような
「極端な要求」
を最初にぶつけるのです。

これを
「アンカリング(錨を下ろす)」
といいます。

最初に
「6月解除」
という強烈なボールを投げておくことで、
「6月は勘弁してください、せめて11月で・・・」
と相手が言ってきたときに、
「仕方ないですね。では特別に11月で手を打ちましょう」
と、恩着せがましく、こちらの
「真の狙い(落とし所)」
に着地させるのです。

「万が一、6月に出ろと言われたらどうする?」
 ご安心ください。 

「契約はもっと先だ」
と言い張っている相手が、そんなことを言うはずがありません。 

交渉とは、自分のスケジュールの都合を正直に伝える連絡業務ではありません。

「相手の思考の枠組みを揺さぶる心理戦」
なのです。

2 「ホッチキス」で留めたら、郵便局で門前払いです

次に、ご自身で発送されるという点について。 

「ホッチキスで送ればよいか」
というご質問ですが、これこそが、プロが
「素人の本人発送」
を危惧する最大のポイントです。

内容証明郵便とは、 
「誰が、誰に、いつ、どんな内容の手紙を出したか」 
を郵便局が公的に証明してくれる特殊な制度です。

 単なる
「手紙」
ではありません。

「法的な爆弾」
です。

結論

戦略(中身)については、私の
「高めのボール」
の案を採用をおすすめします。

 実務(発送)については、ご自身でやるなら、郵便局のルールを徹底的に調べてからにしてください。

「たかが紙切れ一枚」
と思うかもしれませんが、その紙切れには、 
「御社の知性と、覚悟と、本気度」 
がすべて透けて見えるのです。

著:畑中鐵丸