圧倒的な力を持つ大企業から提示された契約書。
「スケジュールは当社の指示に従え」
「経費は込み込みで」。
これにそのままハンコを押すのは、自ら首輪をはめに行くようなものです。
本記事では、契約書におけるたった一言の追加・修正が、いかにして
「隷属」
を
「対等」
に変え、
「赤字」
を
「黒字」
に変えるか、その交渉の急所と、プロが使う
「柔らかな抵抗」
のテクニックについて解説します。
<事例/質問>
先生、またまた無理難題が降ってきました。
私、フリーランスで専門的な技術解説や実演(デモンストレーション)を行っているNと申します。
このたび、業界最大手の巨大流通グループであるゼット社(仮名)から、新商品のキャンペーン・アンバサダーとして、全国の店舗イベントに出演してほしいというオファーをいただきました。
天下のゼット社と仕事ができるのは光栄なのですが、送られてきた契約書(ドラフト)を見て愕然としました。
1 スケジュールの拘束
「甲(ゼット社)が指定する日程・場所において、乙(私)は出演業務を行うものとする。乙はスケジュール調整に最大限協力する」
→これでは、私が他の仕事を入れていても、ゼット社の一声でキャンセルさせられそうです。
2 ギャラと経費
「出演料は1回あたり10万円とし、これ以外の金銭的請求(交通費、宿泊費等を含む)はいっさいすることができない」
→北海道や沖縄に行かされたら、交通費だけで赤字になりそうです。
3 広報活動
「乙は、本キャンペーンの広報活動(SNS投稿、取材対応等)について、甲の指示に従い協力するものとする」
→タダ働きで宣伝マンまでやらされそうです。
相手は巨大企業です。
「文句があるなら他の人に頼むよ」
と言われそうで怖いです。
この
「奴隷契約」
のような条項を、角を立てずに、しかしこちらの身を守れるように修正するには、どう切り返せばよいでしょうか?
<弁護士畑中鐵丸の回答・アドバイス・指南>
Nさん、それは契約書ではありません。
あなたがいうように
「奴隷奉公の誓約書」
ですね。
そのままハンコを押せば、Nさんはゼット社の都合のいい駒として全国をドサ回りさせられ、最悪の場合、
「働けば働くほど貧乏になる(交通費倒れ)」
という、資本主義のバグのような状態に陥ります。
相手が巨大企業であっても、恐れることはありません。
彼らは
「ジャイアン」
のように振る舞っていますが、契約書という土俵の上では、対等な
「甲」
と
「乙」
です。
以下の3つの
「魔法の杖」
を使って、この召集令状を、ビジネス契約書に書き換えましょう。
1 「奴隷」から「人間」へ戻る魔法の言葉:「協議の上」
まず、最大の問題である
「スケジュールの拘束」
です。
相手が一方的に決めて、こちらは最大限協力する(=断れない)。
これは主従関係です。
ここに、魔法の言葉を挿入します。
「甲および乙の協議の上」
この7文字を入れるだけで、世界が変わります。
「やむをえない事情のある場合は、この期間を、“甲および乙の協議の上”変更することができる」
「作業日程は、“甲および乙の協議の上”定めるものとする」
こう書き換えることで、
「お前、明日来い」
という命令が、
「明日、どうですか?」
「いや、明日は先約があるので来週で」
という
「相談(交渉)」
に変わります。
Nさんの立場上、相手主導でのスケジュール調整が必要なのは事実でしょうが、少なくとも
「拒否権」
や
「調整権」
を確保しておくことが、人間としての尊厳を守る最低ラインです。
2 「赤字」を防ぐ防波堤:「実費は別」
次に、お金の問題です。
「出演料10万円(交通費込み)」
というのは、近所の公民館でのイベントなら良いでしょう。
しかし、全国展開のキャンペーンであれば、これは
「毒まんじゅう」
です。
もし、急遽
「明日は沖縄でイベントだ」
と言われたらどうしますか?
往復の航空券と宿泊費で、10万円など一瞬で消し飛びます。
Nさんは、タダ働きどころか、
「ゼット社のイベントにお金を払って出演させてもらう」
という、謎のスポンサーになってしまいます。
ここは、毅然とこう修正しましょう。
「なお、甲は、乙に対し、別途、本件業務に要する交通費等の実費を支払うものとする」
もし相手が
「予算の都合で込み込みにしたい」
と言ってきたら、
「では、交通費込みで妥当な額(例えば20万円)に増額してください」
と返しましょう。
「商品の値段(出演料)」
と
「送料(交通費)」
をごっちゃにしてはいけません。
3 できない約束はしない:「努める(努力義務)」への軟化
最後に、広報活動や追加の作業についてです。
「協力するものとする」
と書かれると、これは法的な
「義務」
になります。
もし協力できなかったら、契約違反で損害賠償請求されかねません。
しかし、相手との力関係で、真っ向から
「嫌だ」
とは言いづらい。
そんな時に使うのが、大人の逃げ道、
「努める(つとめる)」
です。
「~に応じるよう“努める”ものとする」
こう書き換えることで、これは
「努力義務」
になります。
「頑張ります(でも、できなかったらごめんね)」
という意味になり、法的な強制力は格段に落ちます。
結論
Nさん、契約交渉とは、喧嘩ではありません。
「長く良好な関係を続けるための、ルールのすり合わせ」
です。
「御社のお仕事に全力で貢献したいからこそ、無理が生じないように調整させてください」
というスタンスで、
「協議の上」
「実費は別」
「努める」
この3点を修正案として投げ返しましょう。
それでも
「一字一句変えられない」
と言うような相手なら、その仕事は断った方が、Nさんの未来のためです。
「名誉ある撤退」
もまた、プロフェッショナルの重要な決断です。
著:畑中鐵丸