学校の安全管理に“盲点”がある限り、事故は必ず繰り返される。
事故というのは、思いがけず突然起きるものだと思っている人が多いかもしれません。
ところが、実際にはそうではありません。
実は、
「起こるべくして起きる」
事故のほうが圧倒的に多いです。
今回の事例も、まさにその典型でした。
幼稚園行事の一環で、川遊びに来ていた一人の園児が流されました。
調査をしていくうちに判明したのは、
「いつか必ず起きるはずだったことが、ついに起きてしまっただけ」
ということでした。
現象面では、川の流れによって幼い子どもが流されてしまった。
しかし、本質は、そんなところにはありません。
「水の事故」
ではなく、
「安全管理欠如」
の事故。
もっと言えば、
「組織運営の事故」
であり、さらに踏みこめば、
「リスク管理リテラシーの欠落」
という事故でした。
問題の本質は
「水」
ではなく、
「人の判断や組織の管理」
にあったのです。
要するに、この事故は、
「自然に起きた出来事」
ではなく、安全のルールが守られず、組織としての責任が果たされなかった結果としての
「人と組織が引き起こした出来事」
だったのです。
浮き具もなし、急な流れの川に幼児を入れたという危険
自然の中で遊ぶ体験は、子どもにとって大切です。
川遊びや外での活動そのものを否定するつもりはありません。
しかし、
・川の流れが急で
・対象は幼児で
・浮き輪やヘルメットのような安全装備がなく
・現場の職員も経験が乏しく
・事前の調査も不十分で(川の地形、流れ、深さ、過去の事故歴等についての調査なし、天候変化や水位急変に関するモニタリングなし)
・保護者からの不安の声も無視された
という条件が重なった中で、
「子どもたちを川に入れる」
という判断がされたのは、冷静に考えても、かなり無謀だったといえます。
事故が起きる可能性は高かった。
むしろ、
「よくここまで大きな事故にならずに来られていた」
というのが実情だったのかもしれません。
もしあなたの声が無視されたら?
今回の事故で、さらに深刻だったのは、
「保護者が事前に不安を伝えていた」
という点です。
園側はそれを無視して、
「これまで大丈夫だったから、今回も大丈夫」
と判断しました。
つまり、
「過去の経験に頼った判断」
であり、
「新しいリスクへの感度」
が欠けていたのです。
これは、事故ではなく、判断の失敗です。
そして、その判断を下したのは、人であり、組織です。
組織の運営とは、構成員の“感覚”の合成体です。
その事故の本質とは、
「組織の“感覚”が麻痺していた」
という、静かなる破綻だった、ともいえます。
行政はなぜ“水のせい”にしてしまうのか?
事故の後、行政はこの出来事を
「水の事故」
と表現しました。
これもまた、致命的な感覚のズレです。
これでは問題の本質が見えてきません。
なぜ、こうした見解が生まれるのか。
なぜ、事故の本質が、正確に言語化されないのか。
それには、大きく3つの原因があると考えられます。
(1)リスクに対する感覚そのものの欠如
川の事故といえば、
「増水したから危なかった」
という話にされがちです。
しかし、川の危険性は、水の量だけではありません。
・流速
・深さ
・川底の様子(石が滑る、深くなっている)
・川底の見えなさ
・岸の構造
・逃げ場の有無
など、複合的な要素が絡みあって、初めて
「危険」
になるのです。
ところが、事故後の検証では、それらの視点がすっぽり抜け落ちていました。
その視点を無視して、
「増水していたかどうか」
だけで判断してしまうのは、川という存在に対するリスクセンスそのものが欠如していた証拠です。
(2)外部視点、客観的視点の決定的欠如
この園では、
「学校安全計画」
そのものがなく、
・外部の専門家のチェック
・事故情報の定期収集
・第三者評価
など、外部の人の目でチェックされる仕組みもなかったようです。
つまり、自分たちの過去の慣行だけで、全てを決めていたのです。
「去年も無事だったから、今年も大丈夫」
そうした無根拠な安心感の中で、子どもが川へ送り出されたのです。
“慣れ”に頼っている組織には、
「今年は条件が違うかもしれない」
という疑いすら生まれません。
第三者の視点が入っていれば、防げたかもしれないのに、です。
(3)組織内に緊張感がない
最大の問題は、組織としての
「緊張感のなさ」
です。
ヒヤリハットを共有する仕組みもなく、事故に学び、未然に防ごうという構えもない。
職員間のチェック体制も、意思決定の検証プロセスもなかった。
そういう“ゆるい日常”の中で、子どもたちが危険な場に送り出されたのです。
今回の事故は、
「特別な日」
に起きたのではありません。
むしろ、
「普段どおりの中」
で、普通に起きた。
そこにこそ、深刻さがあります。
「再発防止策」の中身が、根本的に間違っている
行政は、事故のあとに
「再発防止策」
を打ち出しました。
ですが、そこに書かれているのは、
「雨が降ったら川に入らないように」
とか
「増水したら中止する」
などの“表面的な対策”(対症療法)ばかりです。
そんなことで防げるのなら、そもそも、最初から事故は起きていません。
こうした対策だけでは、また同じような事故が起きます。
本当に必要なのは、
・安全管理計画そのものの策定
・事故やトラブルの情報を日々集め共有する仕組み
・外部の専門家のチェック(第三者視点の導入)
・職員へのリスクセンス研修
・ヒヤリハットを記録・共有する体制
・保護者との意見交換や双方向のリスク対話の場
といった
「組織の文化としての安全管理」
への転換です。
事故の直接原因を
「川」
や
「増水」
だとする見方は、原因を“自然”に責任転嫁しているにすぎません。
本当の原因は人の判断にあり、組織の姿勢にあります。
そしてそれは、今も変わっていないのです。
つまり、このままでは、またどこかで、同じような事故が起きます。
それがわが子だったとしたら・・・。
だからこそ、問うべきは、こうです。
「なぜ、浮き具をつけなかったのか」
「なぜ、客観的な調査をせずに活動を決めたのか」
「なぜ、保護者の不安の声を聞き入れなかったのか」
「なぜ、再発防止策が表面的なのか」
そして最後に――
これは、
「水の事故」
ではありません。
これは、
「人と組織による事故」
です。
だからこそ、私たち保護者や市民が声を上げなければなりません。
「危ない」
と感じたときに遠慮せず伝えること。
「形だけの再発防止策」
にごまかされず、本質を問い続けること。
それが、わが子の命を守ることにつながるのです。
著:畑中鐵丸