00236_でっちあげDVと「住民票ブロック制度」の闇

日本には、
「先に泣いた者が勝つ」
という、まことに奇妙な世界が存在します。

これは比喩に過ぎないのでしょうか。

いいえ、断じてフィクションではありません。

むしろ、完全なリアリティを伴います。

家庭内の対立や、泥沼化した離婚紛争の現場では、先に
「DVを受けた」
と声高に訴えた側が、行政制度を、一方的に動かせる、そんな構造が存在するのです。

たとえば、
「DV支援措置」
というものがあります。

正式名称は
「住民基本台帳事務における支援措置」。

これは、巷で
「住民票ブロック」
とも呼ばれる制度です。

被害を申し出るだけで、相手の住民票取得をブロックできるという、仕組みです。

本人不在の「加害者」認定と行政の鉄壁

具体的に、どのようなことが起きるのか。

支援センターなどに
「DVを受けた」
と申し出れば、本人確認や事情聴取を経て、
「支援が必要」
と、判断されます。

すると、相手は、問答無用で
「DV加害者」
として扱われることになります。

自治体は、その加害者とされた人に対し、住民票や戸籍附票を渡さないよう、まるで門番のようにブロックをかけるのです。

驚くべきは、この時点で、加害者とされた側には、一切の確認も、通告もありません。

つまり、本人不在のまま、
「加害者」
としてのレッテルが貼られ、その恐るべき扱いがスタートするのです。

もちろん、そのこと自体は、制度の目的からして当然である、という理屈もあるでしょう。

被害が疑われるときには、何よりもまず、保護が最優先になされるべき、ということなのです。

それは、命と安全を守るために、社会が用意した緊急避難の枠組みです。

ところが、一度この措置が実行されると、加害者とされた側は、相手の住民票や戸籍附票を、永久に、いや、半永久的に取得できなくなります。

役所に出向いても、窓口で冷たく言い放たれるだけです。
「住民票はお出しできません」
「DV支援措置が取られております」

なぜならば、
「加害者による不当な目的の請求」
と自治体が見なし、その開示を、有無を言わさず拒絶するからです。

司法の判断すら覆せない「無敵カード」の現実

多くの場合、加害者とされた側がどれだけ説明を尽くしても、訂正や
「ブロック」
の解除はできません。

その解除には、原則として
「被害を訴えた側の同意」
が必要とされているからです。

しかし、もしそれが誤解や嘘だったらどうなるのか?
裁判で虚偽が認定され勝訴したら、ブロックは解除されるのか?

答えはNOです。

いったんブロックされてしまうと、仮にDVが存在しなかったとしても、申請の内容は嘘だと証明しても、裁判で勝訴したとしても、行政手続の中では、永遠に
「加害者」
のままです。

行政はオウム返しのように
「措置は措置です」
と言って、その処分を引っ込めることはありません。

その状態が、長く長く続くのです。

要するに、支援措置は、あくまでも保護を目的とした行政手続であり、司法判断の有無とは関係なく、どこまでも継続されます。

そして、その解除には、申請者本人の同意が、条件として必要とされているのです。

「加害者ラベル」がもたらす悲劇と逃げ切り

この制度によって、実際に起きている事態を挙げましょう。

・相手が住民票をブロックしたまま所在を隠す
・子どもを連れて引っ越し、住所を、徹底的に、知らせない
・面会交流や監護者指定の申立てが、事実上、不可能になる
・損害賠償請求の書類が送れず、手も足も出ない
・気づけば、法的主張のタイミングを逃している

加害者とされた側は、対話も交渉も封じられ、子に会えないまま、ただ時間だけを失っていくのです。

そして、記録も記憶も証拠も風化し、誰が真実を語っていたのかすら、検証不可能になるのです。

相手が意図的に連絡を絶っていた場合、そのまま“逃げ切り”が成立してしまうケースも、少なくありません。

まるで
「制度を使って逃げ切る」
ための、巧妙な戦術であるかのようにさえ、見えてしまうこともあります。

まさに、
「逃げ切り勝ちの構図」
としか言いようがありません。

司法の「無罪」も行政には届かない

行政は、自らその判断を修正する義務を負いません。

「制度上、対応できません」
「一度決定されたので変更できません」
これが現実です。

司法の結果は、行政の支援措置に、これっぽっちも反映されないのです。

今の制度は、裁判よりも早く、裁判よりも強く、
「加害者の烙印」
を貼ることができます。

しかも、その烙印には、
「消し方」
が、存在しないのです。

たとえるならば、こう言えるでしょう。

裁判所が
「無罪」
と判断を下しても、刑務所は
「うちはうち、そちらはそちら」
と嘯いて、鍵を、決して開けないような話である、と。

制度本来の理念と「私物化」の闇

制度の出発点は、まっとうです。

支援措置は、本来、被害を受けた方の安全を最優先に守る仕組みです。

それは、揺るぎない大前提であり、疑う余地はありません。

しかし、その一方で、制度が継続されることにより、もう一方の当事者にとっては“声を上げることすらできなくなる”状況が、厳として生まれることもあります。

「虚偽申告」
の余地があると、相手が逃げ切り勝ちする構図が、完全に、そして巧妙に、出来上がってしまうのです。

「確認なき申告」
「訂正なき継続」
「異議申立の手段の欠如」
が重なると、加害者とされた者は、ただただ泣き寝入りするしかありません。

支援措置は、使いようによっては、嘘をついた人が逃げ切るためのインフラになっている一面もあるのです。

行政と制度を味方につけて、子どもを囲い込み、相手を社会的に抹消し、親としての役割まで奪って、最後に
「あなたとは会わせません」
と、にべもなく終わらせることができるのです。

「制度の私物化」をミエル化せよ

実際、制度上は、加害者とされる側が
「支援措置を解除せよ」
と、直接求める明確な手段は、存在しません。

支援措置の解除は、原則として
「申請者の同意」
が必要であり、あくまで申出人の意思に委ねられています。

加害者とされる側が、どれだけ裁判に勝とうが、真実がどうであろうが、申請者が
「解除しません」
と言えば、それで終わりなのです。

いったん貼られた
「加害者ラベル」
は、司法の洗剤では、決して落ちません。

漂白もできません。

どこまでも肌に染みこむ、制度という名のタトゥーなのです。

実務上、打てる手は限られているが…

では、実務上、この理不尽な状況にどう対応するのか。

残念ながら、取れる手段は、そう多くはなく、冷静に、淡々と、粛々と、動くしかありません。

あの手この手、奥の手、禁じ手、寝技、小技、反則技、全てを駆使する覚悟が必要です。

どれも“魔法の杖”にはなりません。

ただ、唯一できるとすれば、
「逃げた側が、制度を“私物化”している構図は、きちんとミエル化する」
ということです。

これを言語化し、文書化し、フォーマル化することです。

1 家庭裁判所経由で送達ルートを探る

たとえば、監護者指定の審判や、面会交流の調停を通じて、裁判所が送達を肩代わりする仕組みがあります。
裁判所を経由すれば、相手の住所を直接知らずとも、訴訟が進むケースもあるのです。
これは、まさに突破口となり得るでしょう。

2 損害賠償請求の準備

虚偽申告によって社会的信用を傷つけられた場合、不法行為に基づく損害賠償請求も視野に入ります。
ただし、「知ったときから2年」という時効の「2年ルール」には、細心の注意が必要です。
油断は禁物なのです。

3 証拠と経過を記録に残す

裁判での主張は、「過去の積み重ね」で成立します。
どのような対応をしてきたか、相手の対応がどうであったか。
支援措置の長期化が不合理であることを証明するには、経緯の記録と、誠実な交渉履歴が、何よりも強力な武器となります。
全てを記録にミエル化し、カタチ化しておくのです。

制度の盲点と、問われるべき正義

本稿は、制度そのものを否定するものではありません。

真の被害者を守るため、支援措置が必要なのは間違いありません。

しかし、どんな制度も、
「運用の盲点」
があれば、そこを突かれて悪用されるのが、この世の常です。

「DV支援措置」
という、誰もが正義だと思いがちな制度。

そこに“嘘”と“時間”が混ざると、真面目に生きてきた側が、じわじわと、しかし確実に、詰んでいく。

制度設計上の“片方向性”が、時に、取り返しのつかない不均衡を生み出してしまうことは、残念ながら否めない、というのが現実なのです。

著:畑中鐵丸