「来月退去するのは物理的に無理だから、正直に再来月と言おう」。
その真面目さが、交渉では命取りになります。
交渉とは、自分の都合を正直に告白する場ではなく、最終的な着地点を見据えて
「ボール」
を投げ合うゲームです。
本記事では、契約トラブルを題材に、プロが計算して投げる
「高めのボール(実現不可能な要求)」
の効用と、素人が陥りがちな
「内容証明郵便の形式不備」
という落とし穴について解説します。
<事例/質問>
先生、作成いただいた内容証明郵便の案文について、修正の相談です。
当社(仮称:シェアオフィス・アルファ)は、現在入居しているビルのオーナーに対し、賃貸借契約の解除と賃料支払いの停止を通知しようとしています。
契約期間の解釈について双方に相違があり、揉めている案件です。
先生の起案では、
「6月末での契約解除」
を主張することになっていますが、これは現実的に不可能です。
現状復帰工事や引越し業者の手配を考えると、物理的に6月中に出ることはできません。
万が一、相手が
「わかった、6月に出ろ」
と言ってきたら、対応できずに困ります。
ですので、現実的なラインである
「7月解除」
に変更してください。
あわせて、請求金額も実態に合わせて修正したいです。
なお、費用節約のため、この通知書は私の名前で、私自身が郵便局から発送します。
いただいた文書を印刷して、ホッチキスで留めて送ればよいのでしょうか?
正式な形式があればご教示ください。
<弁護士畑中鐵丸の回答・アドバイス・指南>
社長、あなたは
「正直」
すぎます。
そして、交渉というものを
「懺悔(ざんげ)」
か何かと勘違いしておられるようです。
結論から申し上げます。
「6月解除は『物理的に不可能』だからこそ、主張する意味があるのです」
ご自身で発送されるとのことですので、戦略の意図と、事務的な落とし穴について解説しましょう。
1 交渉は「中庸」ではなく「極端」から始まる
まず、今回の戦いの構造を整理しましょう。
• 相手の言い分(0):
「契約期間はまだまだ先だ。11月末ですらない。もっと長く借りろ」
• 当方の真の狙い(1):
「11月で解除し、敷金で相殺して手打ちにしたい」
ここで、最初から正直に
「11月でお願いします」
と言ったらどうなるでしょうか?
相手はそこからさらに交渉を始め、
「じゃあ間を取って来年の1月で」
と押し込んでくるでしょう。
これでは、こちらの負けです。
だからこそ、 当方の
「高めのボール(2)」: 「ふざけるな! 6月末で即時解除だ! 敷金は耳を揃えて全額返せ! さらに損害賠償も払え!」
という、相手がのけぞるような
「極端な要求」
を最初にぶつけるのです。
これを
「アンカリング(錨を下ろす)」
といいます。
最初に
「6月解除」
という強烈なボールを投げておくことで、
「6月は勘弁してください、せめて11月で・・・」
と相手が言ってきたときに、
「仕方ないですね。では特別に11月で手を打ちましょう」
と、恩着せがましく、こちらの
「真の狙い(落とし所)」
に着地させるのです。
「万が一、6月に出ろと言われたらどうする?」
ご安心ください。
「契約はもっと先だ」
と言い張っている相手が、そんなことを言うはずがありません。
交渉とは、自分のスケジュールの都合を正直に伝える連絡業務ではありません。
「相手の思考の枠組みを揺さぶる心理戦」
なのです。
2 「ホッチキス」で留めたら、郵便局で門前払いです
次に、ご自身で発送されるという点について。
「ホッチキスで送ればよいか」
というご質問ですが、これこそが、プロが
「素人の本人発送」
を危惧する最大のポイントです。
内容証明郵便とは、
「誰が、誰に、いつ、どんな内容の手紙を出したか」
を郵便局が公的に証明してくれる特殊な制度です。
単なる
「手紙」
ではありません。
「法的な爆弾」
です。
結論
戦略(中身)については、私の
「高めのボール」
の案を採用をおすすめします。
実務(発送)については、ご自身でやるなら、郵便局のルールを徹底的に調べてからにしてください。
「たかが紙切れ一枚」
と思うかもしれませんが、その紙切れには、
「御社の知性と、覚悟と、本気度」
がすべて透けて見えるのです。
著:畑中鐵丸