00247_弁護士報酬をゴネたうえに顧問契約解除を申し出た社長が直面した「法的カウンター」とは

ビジネスの現場では、報酬や歩合の調整交渉は日常茶飯事です。

製造業やゼネコン、広告代理店から医療法人まで──価格交渉はあらゆる業種で日常的に行われています。

では、弁護士にも同じような「値下げ交渉」は通用するのでしょうか。

特に、
「報酬の減額」
について、
「顧問契約の終了」
をちらつかせながら持ち出したとき、その信義上・法的な意味合いはどう評価されるべきでしょうか。

本稿では、ある不動産会社のケースをもとに、弁護士との信頼関係における
「報酬交渉」
の限界と、そこに潜むリスクを具体的に解説します。

社長の致命的な誤算

「市況が冷え込み、プロジェクトの出口戦略が想定どおりに進まない。金融機関との交渉も難航している」

このような窮地において、大規模訴訟の敗訴が決定し、さらに高額な弁護士報酬の請求書が届きました。

「うちのキャッシュフローじゃ、とてもこの金額は払えない」

経営者の脳裏に、ある考えが一瞬よぎりました。

「弁護士報酬、ゴネれば安くなるんじゃないか」

たしかに、日常の業務では、ゼネコンや設計事務所、仲介会社との価格交渉は当たり前です。

不動産業界は
「値引き交渉」

「歩合調整」
によって、案件収支を柔軟に操作するのが常識とも言えます。

一見すると、合理的なコスト削減に見えます。

ならば弁護士報酬も同じだろう——と。

本当に、弁護士報酬も、
「交渉可能なコスト」
なのでしょうか。

答えは、イエスでもあり、ノーでもあります。

ここには、見過ごされがちな
「信義の地雷」
が潜んでいるのです。

顧問弁護士との信頼関係が一瞬で破綻した理由

この不動産会社は、都市部の再開発に関与する中堅デベロッパーです。

新規大型分譲プロジェクトに取り組む中で、経営上の最重要局面を迎えていました。

そこに、高裁判決による敗訴という悪報が舞い込みました。

第一審は勝訴し、社内は楽観ムードが漂っていたのですが、控訴審では一転して敗訴となったのです。

多額の賠償金、工事中止による違約金負担を余儀なくされ、資金繰りは一気にひっ迫しました。

不動産開発には近隣住民との訴訟など法的リスクがつきものですが、今回のダメージは特に深刻でした。

社長としては精神的にも資金的にも極限まで追い込まれた状況にありました。

その状況下で、同社は弁護士法人に対し、次の2点を提示しました。

1 「報酬の減額」を申し出る
2 減額が受け入れられないときは、「顧問契約の終了」を要望する

ここで問題となるのは、これらを
「ほぼ同時に」
申し出たという点です。

「交渉」だったのか、それとも「背信」だったのか

もちろん、この不動産会社が悪意で動いたとは思えません。

むしろ、追い詰められた経営者として、必死の選択をしているのです。

社長の意思決定の背景には、いくつかの要因が同時に作用していたようです。

新規プロジェクトの資金需要、敗訴による支払義務──キャッシュフローは限界に近づいていました。

さらに、第一審では勝訴していたこともあり、控訴審での敗訴には強い落胆があったはずです。

そのうえで、担当弁護士の報告が遅れたという
「サービス品質の瑕疵」
への不満も、心の底にくすぶっていたのは想像に難くありません。

そして追い打ちをかけるように、高額な弁護士報酬の請求書が届きました。

社長としては、こう考えたのかもしれません。

「顧問契約はもう継続する意味がない。だから解除する。そして、報酬も減額してもらおう」

経営判断としては、ある意味、自然に見えます。

困窮した状況下での、合理的なコスト削減の試みです。

しかし、ここには、致命的な見落としがありました。

彼らは、法律事務所を
「取引先の一つ」
と見なしてしまったのです。

そして、そこにある信義の構造を、完全に見誤ったのです。

こうした背景を踏まえると、社長の判断には次のような思考の流れがあったと考えられます。
・新規プロジェクトの資金需要と、敗訴による支払義務――キャッシュフローは限界に近い
・第一審は勝訴だったのに控訴審で敗訴、しかも報告が遅かった
・そこに高額な弁護士報酬の請求
・ならば顧問契約を解除し、報酬も減額してもらおう

一見すると筋が通っているようにも見えます。

しかしこの判断こそが、信義の地雷を踏み抜いた瞬間だったのです。

そしてこの
「信義の破綻」
に対し、弁護士側が取った対応は、驚くほど明確で、そして冷徹なものでした。

法律事務所がすでに提示していた「温情案」

実は、法律事務所側は、控訴審での敗訴が確定した時点で、不動産会社に対して報酬減額を含む譲歩案をすでに提示していました。

契約上は満額を請求できるにもかかわらず、経営状況に配慮し、事前に特別対応を打診していたのです。

その提案には、次のような一文が添えられていました。

「今後も貴法人との信頼関係が継続するとの前提で、今回に限り、貴法人に有利なご提案をさせていただいた次第です」

この一文こそが、本件の核心です。

すなわちこの譲歩案は、
「信頼関係の継続」
を前提とした温情的な提案だったのです。

法律事務所の対応は、無条件の善意ではありません。

「今後も顧問先として良好な関係を維持するのであれば、今回は報酬面で配慮しましょう」──そうした前提条件つきの提案でした。

実際、こうした対応は、法律実務の世界では珍しくありません。

訴訟で不本意な結果が出た場合、顧問先との長期的関係を重視して、報酬面で一定の配慮を行う。

そうした柔軟な対応を取る法律事務所は存在します。

ところが、不動産会社はこの温情案を、全く異なる形で受け止めていたのです。

前提条件を崩した「背信のカウンター」

ところが不動産会社は、この譲歩案を無視しました。

それどころか、法律事務所が提示した減額案よりもさらに大幅な減額を要求し、そのうえで顧問契約の終了をほのめかしたのです。

法律事務所側から見れば、まさに
「前提条件の崩壊」
に他なりません。

譲歩の根拠は
「関係継続」
であったにもかかわらず、相手方は契約を打ち切る意向を示した。

しかも、法律事務所が善意で提示した減額案を、
「交渉の出発点」
として扱い、さらなる値下げを要求してきたのです。

これは、信義にもとづく特別対応を、単なる
「値引き交渉の入り口」
として利用したような構図です。

法律事務所が善意で差し出した手を、不動産会社は
あろうことか
「弱みを見せた」
と判断したように見える。

少なくとも、法律事務所側はそう受け取ったでしょう。

整理すると、不動産会社の行動は次の3点において、前提条件を崩壊させるものでした。

・減額は「関係継続」が前提だったのに、契約終了を通告した
・法律事務所の譲歩案を拒否し、さらなる大幅減額を要求した
・善意の特別対応を、値引き交渉の起点として利用した

この時点で、法律事務所は明確に
「背信行為」
と判断したのです。

自らの善意を踏みにじられた上、本来請求可能な報酬債権まで危うくされたのですから、次の対応は法と契約の原則に則った、冷徹なものとなるのは必然です。

法律事務所の非情の三段カウンター

法律事務所からの返信メールは、感情的な反発は一切含みません。

淡々と、しかし容赦なく、法的ロジックを展開していきます。

以下の3点が明確に不動産会社へ通告されたのです。

1 譲歩案の撤回と契約通りの満額請求
2 顧問契約解除の承諾(すなわち関係断絶)
3 上告審の受任拒否

特に3の影響は甚大です。

不動産会社は、上告期限が迫る中で、新たな弁護士を緊急で探し、一から事件を引き継がせなければなりません。

しかも、控訴審で敗れた直後という、最も法的サポートが必要な時期です。

事件の経緯を知る弁護士を失うことは、単なる時間的ペナルティにとどまらず、上告戦略そのものに深刻な影響を与えます。

最後に、報酬債権の保全と回収に向けた、当然の対応が記されていました。

 「万が一、お支払いいただけない場合、当弁護士法人としては不本意ながら、弁護士会での紛議調停を経て、最終的には支払いを求めて訴訟によって解決されるべきこととなる場合がありますこと、念のため付言いたします」

これは脅迫ではありません。

正当な権利行使の予告です。

しかし経営者が読めば、背筋が凍る一文でしょう──弁護士会の紛議調停、そして訴訟提起。

要するに、支払わなければ法的手続きに移行する、という明確な最終警告です。

経営者が学ぶべき「信義の鉄則」

本ケースを通じて浮き彫りになったのは、弁護士との報酬交渉には、通常の取引先とは異なる
「信義の作法」
が存在するという事実です。

この作法を無視すれば、不動産会社が直面したような
「信義の崩壊」
が待っています。

以下、経営者が絶対に守るべき4つの鉄則を整理します。

鉄則1 報酬交渉と関係終了は、絶対に同時に持ち出すな

報酬交渉それ自体は、あり得る選択です。
しかしそれは、「今後も関係を継続する」という前提があるときだけです。
同時に解約を通告し、報酬も値切る──これは、逃げ得を狙っているようにしか映らないのです。

鉄則2 善意の譲歩を「値切りの出発点」にしてはならない

弁護士事務所側が善意で譲歩案を出してきた場合、それは「ここが下限」というラインの提示です。
それをさらに下げようとすれば、相手の信義を踏みにじることになります。
結果的に、譲歩案そのものが撤回されるリスクが生じます。

鉄則3 「結果が悪い」は報酬減額の理由にならない

弁護士報酬は、「結果に対する対価」ではありません。
「専門的労務に対する対価」であり、弁護士が誠実に対応していれば、結果の良否にかかわらず報酬請求権は成立します。
この原則を誤解したまま報酬交渉を始めれば、本ケースの不動産会社と同じ轍を踏むことになります。

鉄則4 法的措置の予告は「脅し」ではない

「法的手段をとる場合がある」という文言は、報酬債権者として当然の対応を示したものであり、脅迫ではありません。
法律事務所からの「弁護士会紛議調停を経て訴訟提起」という予告は、相手が本気であることを示すシグナルです。
これを「脅し」と誤解して反発すれば、事態はさらに悪化します。

訴訟リスクと「弁護士を敵に回すコスト」

万一、訴訟に発展すれば、相手は訴訟技術に長けた弁護士法人です。

判決では、約定報酬に加えて、遅延損害金や訴訟費用の一部負担が命じられる可能性も高いのです。

しかも、新たな弁護士を選任して訴訟対応を依頼する必要があり、その着手金・報酬金も発生します。

当初の減額要求どころか、最終的なコスト負担は大きく膨れ上がることになります。

値切ろうとした結果、むしろ支払額が増大する──これが、報酬トラブルの典型的帰結です。

「評判」という見えないコストが、事業を蝕む

さらに深刻なのは、業界内の評判の毀損です。

弁護士業界は、経営者が想像する以上に狭い世界であり、横のつながりも強いのです。

弁護士たちは、司法研修所の同期であり、弁護士会の委員会で顔を合わせ、セミナーや懇親会で情報交換をしています。

「あの会社、報酬でモメたらしいよ」

この一言が、どれほどの速度で業界内を駆け巡るか。

次に法的トラブルが発生した時、優秀な弁護士から
「ウチでは受けられません」
と断られる確率がどれほど上がるか。

しかも、理由を詳しく語られることはない。

「断られた理由がわからない」
ことこそが、評判リスクの本質なのです。

不動産開発には、近隣住民との訴訟、行政との折衝、金融機関との交渉、М&Aなど、常に法的サポートが必要です。

その際、信頼できる弁護士を確保できなければ、経営上の致命的リスクとなります。

「報酬をゴネる経営者」
という評判は、いずれ弁護士たちの間で共有され、静かに、確実に、長期的には自らの首を絞めることになるのです。

経営者として選べたはずの3つの選択肢

パターン①:提示された譲歩案を受け入れ、関係を継続
最も望ましい選択です。
報酬負担を抑えつつ、上告審もスムーズに対応できたはず。

パターン②:支払猶予をお願いし、関係を維持
支払総額ではなく「支払時期・分割方法」について交渉する。
誠実な対応として、受け入れられる可能性が高い。

パターン③:契約通りの支払い+円満な解約
「報酬は払います。その上で顧問契約を終了します」
という対応であれば、将来、再び関係を築く可能性も残せた。

経営者が守るべき一線

不動産会社が最後に突きつけられた現実は、以下のとおりです。
・譲歩案が撤回され、約定報酬の全額を支払う義務が発生した。
・最も必要なタイミングで、上告審の代理人を失った。
・報酬を支払わなければ、弁護士から訴訟を提起されるリスクを負うことになった。

そして何より──信頼の喪失。
「信頼関係を盾に取って報酬を値切ろうとした結果、信頼関係そのものを失った」
これが、本件のすべてです。

締めくくりに──交渉とは「信義」の上に成り立つ

不動産開発のようなプロジェクト型ビジネスに限らず、弁護士との関係はどの業種においても重要です。

それは単なる
「外注先」
ではありません。

・法的支援
・ステークホルダーとの交渉
・長期的リスク管理

これらすべてを担う
「経営の片腕」
です。

そして、信頼を裏切った時、見放されるのは、弁護士ではなく、専門家に対する敬意を欠いた経営者の方なのです。

著:畑中鐵丸