私のところには、日々、実に様々なご相談が寄せられます。
その中でも、やはり多いのは
「相続」
に関するトラブルです。
「家族」
という密接な関係だからこそ、感情が複雑に絡み合い、泥沼化してしまうケースが後を絶ちません。
今回ご紹介するのは、ある男性から寄せられた、祖母の遺言に関する相談です。
このケースには、家族間の借金、複雑な人間関係、そして意識が混濁する中で
「確実な遺言」
をいかにして残すかという、切実な問題が詰まっています。
親から子への借金は「返さなくてもいい」のか
相談者は、祖母が危篤状態にあり、家族仲が悪いという家庭環境にありました。
祖母には息子が二人いて、長男にあたるのが相談者の父親です。
そして、その父親が、祖母から数千万円もの借金をしたまま、踏み倒している、というのです。
そのうえ、叔父(父親からみれば、弟)の名前を騙って借金を重ねたため、返済不能となった叔父は、結果的にブラックリスト入り。
それだけではありません。
父親は、自分の息子である相談者の名義を使い、借金をさらに重ね、相談者は、知らぬ間に学生ローンを背負わされ、就職後に保証協会から通知が届いた、という状況です。
親子間、兄弟間の借金。
「家族だから大丈夫だろう」
「いずれ返せばいい」
「いやいや、あれは借金じゃない。もらったのだ」
と、様々な言い訳が聞こえてきそうです。
なかには、貸した方が
「どうせ返ってこないだろう」
と半ば諦めていることもあるでしょう。
法的に言えば、たとえ親子であっても金銭の貸し借りは
「借金」
です。
借りた側には、当然、返済する義務があります。
ましてや、それを他の家族にまで負わせるなど、あってはならないことです。
このケースでは、祖母は、長年の出来事を目の当たりにして、次男に全財産を遺す内容の遺言書を自筆で作成しました。
しかし、その遺言は、手書きの、素人作成の一枚紙。
ちゃんと効力があるのか、孫である相談者は不安に思ったのです。
素人作成の遺言書はなぜ「禁じ手」なのか
このケースで、問題なのは、危篤状態に陥った祖母の遺言書が
「素人作成」
であるという点でした。
祖母は次男に全額を渡すという内容で遺言書を書いたそうですが、相談者としては、その内容が
「確実」
であるか不安を感じています。
この不安は、実に的を射ています。
そもそも
「遺言書」
は、死後の財産分与について、自身の意思を明確にするためのものです。
ところが、この遺言書は、法律が定めた厳格な
「方式」
に従って作成しなければ、その効力が認められません。
たとえば、自筆証書遺言の場合、作成した日付、署名、押印がすべて自筆でなければなりません。
これらが一つでも欠けていたり、あるいは代筆だったりすると、せっかく書いた遺言書が無効になってしまう可能性が高いのです。
法律の専門家ではない方が遺言書を作成する場合、ご自身の意図をいかに明文化し、法的に有効なものにするかという、非常に高いハードルが立ちはだかります。
たとえば、
「全財産を次男に渡す」
と書いたとしても、どの財産なのか、あいまいなままでは、解釈をめぐって争いが起きる可能性があります。
そうなれば、結局は法廷で争うことになり、遺言書を書いた意味がなくなってしまいます。
まさに、素人作成の遺言書は、家族の絆を守るための
「奥の手」
であるはずが、争いを招く
「禁じ手」
にもなりかねない、ということです。
意識が混濁した状態でも「確実な遺言」はつくれるのか
相談者がもっとも切実に感じていたのは、すでに手書きの遺言書はあるものの、その不備をどうやって
「補強」
し、法的に
「確実な遺言書」
として完成させるか、という問題でした。
祖母は一日の中で数分間だけ意識がはっきりすることがあるという、まさに一刻を争う状況です。
この状況下で、私たちが考えられる
「奥の手」
は何か。
まず、遺言は原則として自筆でなければなりません。
意識が混濁している祖母に、改めて自筆で遺言書を書かせるのは、現実的ではありません。
そこで、このような
「特別」
な状況に対応するために、法律には
「危急時遺言(ききゅうじゆいごん)」
という制度が用意されています。
危急時遺言とは、病気や災害など、死が迫っている状況で、通常の遺言書作成が困難な場合に、特別な方式で遺言書を残すことができる制度です。
危急時遺言の法的根拠と要件
危急時遺言にはいくつかの種類がありますが、今回のケースのように疾病で死亡の危機に迫っている状況で利用されるのは、民法976条に定められた
「一般危急時遺言」
です。
その要件は以下のとおり、厳格に定められています。
・証人3人以上の立会いがあること
遺言者の配偶者、推定相続人、受遺者、その配偶者や直系血族など、利害関係のある人は証人になれません。
・遺言者が証人の1人に遺言の趣旨を口授すること
口頭で遺言内容を伝えることです。
・口授を受けた証人がその内容を筆記すること。
・筆記者が、遺言者および他の証人全員に、筆記内容を読み聞かせ、または閲覧させること。
・各証人が、筆記が正確であることを承認した後、署名・押印すること。
・遺言の日から20日以内に、家庭裁判所に確認の請求をすること。
この手続きを経て、家庭裁判所が遺言者の真意であることを認めなければ、遺言は効力を生じません。
もっとも、危急時遺言はあくまで“例外”の制度です。
要件が厳格に定められているため、その時点で意思能力があったのかどうかが、後日争点となることも少なくありません。
また、遺言者の口述能力が問われるため、意識が混濁している場合は、その有効性が争われる可能性があります。
このケースでは、まずすでに作成されている
「素人作成の遺言書」
が有効かどうかを検証することが第一歩です。
その上で、祖母の意識がはっきりしている数分間に、いかにして法的に有効な遺言書を作成するか、あるいは、すでに作成された遺言書の内容を補強するか、できる限りの対策を講じなければなりません。
ミエル化・カタチ化・言語化が示す「確実な未来」
法律の世界では、あらゆる出来事を
「ミエル化」
「カタチ化」
「言語化」
「文書化」
し、誰が見ても同じように理解できるよう
「フォーマル化」することが、何よりも大切です。
今回のケースも同じです。
まずは、家族間の金銭トラブルを
「ミエル化」
する。
借金の事実を
「カタチ化」
して文書にする。
そして、祖母の意思を
「言語化」
し、法的に有効な遺言書という
「文書」
に落とし込む。
こうした手続きを踏むことで、家族間の争いを未然に防ぎ、祖母の意思を尊重し、そして何よりも、相談者の
「確実な未来」
を築くことができるのです。
著:畑中鐵丸