00234_知ってるだけでは足りない_マニュアル・ルールはあるのに、綻ぶ組織

訓練はできる。でも、本番では動けない

たとえば――
年に一度の避難訓練。

非常ベルが鳴る。

全員が立ち上がり、訓練用ヘルメットをかぶって、マニュアル通りのルートを移動する。

出入口は右側通行。

リーダー役が先頭を歩き、点呼をとる。

完璧だ。 

でも、それは“訓練だから”できるのです。 

制度があっても、担当者がいなければ動かない

ある企業では、各部署に「防火担当者」がいます。

火災時の避難誘導を担う、各部署の“消防係”。名前も顔も共有されていて、定期的な防火訓練にも参加しています。

もちろん、防火管理者の下にはマニュアルがあり、ルールも整備されています。

「火災時にはこう動く」
「ここに集まる」
「こう報告する」
も決まっています。 

あるとき、火災が発生しました。

火災警報がなったと思ったら、焦げ臭いにおいがフロアに立ちこめました。

煙が天井を這い、照明が落ち、エレベーターは使えません。 

警報が鳴り響くなか、そのフロアの防火担当者は・・・
その日、休暇を取っていました。

社員たちは顔を見合わせて立ちすくみました。

なかには、出入口に駆けだした社員もいます。

「非常口、どこだっけ?」
「作りかけの重要書類、そのままにして逃げていいの?」
「誰か、指示くれないのか?」

幸い、小火はすぐに消し止められ、大事には至りませんでしたが、担当者が“たまたま休み”だっただけで、その部署の全員が右往左往しました。 

実際に火災が発生したとき、整っていたはずの訓練は、本番では機能しません。

なぜか。

想定どおりの状況なんて、現実には起きないからです。 

制度はある。

仕組みもある。

なのに、動かない。

この
「制度はあるのに、守られない」
というギャップこそが、もっとも危ういのです。 

企業ルールには“警報装置”がない

火災には
「煙」
というサインがあります。

異臭があり、警報が鳴り、人は五感で危機を察知します。 

一方で、企業の“ルール不全”には、サインがありません。

火災のように一気に炎上はしません。

“守られない状態”が、音もなく蔓延し、静かに、静かに、仕組みのほころびが広がっていくのです。 

たとえば―― 
・コンプライアンス規程は整備済み
・マニュアルもある
・社内ポータルにも掲載してある 

それなのに、現場ではこうした事態が起きます。

・処理は進んでいるが、押印ルートが部署ごとに違っている
・マニュアルに「判断基準あり」と書かれているが、どこにあるのかわからない
・研修は受けたが、現場のタイミングとまったく噛み合っていない

「一応、決まってます」
「やったことあります」
――その“つもり”が、むしろリスクになるのです。 

属人化した知識は、仕組みとは言えない

原因は、
「現場の人間がバカだから」
ではありません。

“使える状態になっていない”からです。 

現場が動けない。

あるいは、それぞれ勝手に動いてしまう。

それは、
「誰かがいなければ回らない設計」
になっているからです。 

・その処理は、Aさんしか知らない
・Aさんが休んだ日は、メールの文面を過去の送信履歴からコピペしている
・稟議や承認の流れが、個人の暗黙知に頼っている 

つまり、
「知っている人がいない」
ときに破綻するルールは、ルールの顔をした“人頼み”の運用にすぎません。 

属人化された知識は、仕組みとは言えない。

“誰でも動ける状態”になっていて、はじめて仕組みと呼べるのです。 

誰がいても、誰がいなくても、動くように設計されていなければ、意味がありません。 

「ルールがある」だけでは足りない

どれだけ立派なマニュアルがあっても、実際に守られていなければ、外から見れば
「無対策」
と同じです。 

守られるルールとは、
「想定された人が、想定どおりにそこにいなくても」
ちゃんと動くものです。 

知ってる人がいなくても、動ける。

言われなくても手が動く。

誰が来ても、誰が抜けても、破綻しない。 

現場が実際に動ける仕組みとは、
「人に頼らない」
「その場で判断できる」
「例外なく通用する」
状態にまで、落とし込まれていることです。

「読んでわかる」
でも足りません。

“守られる仕組み”にまで落とし込まれて、はじめて“使える知識”になるのです。 

ルールやマニュアルがあるだけでは、現場は守りません。

守ったとしても、肝心なところで抜け落ちます。

“できているつもり”が、いちばんタチが悪い。

要するに、
知識だけでは、足りない――ということです。

著:畑中鐵丸