00225_組織を壊すのは、「話した人」ではなく「聞いた人」_情報を握る責任の話

中立を装う人

こんな人、身の回りにいませんか?

表向きは
「私は中立です」
と言いながら、どこにも属さないふりをして、ただ聞き役に徹する人がいます。

判断も立場も示さず、静かにうなずきながら話を受け止めるその姿には、どこか安心感すら漂っているように見えます。

しかし、どういうわけか、その話が漏れているのです。

しかも、いろいろなところで耳に入ってきます。

そして、あとになって気づくのです。

静かに聞いていたその人が、実は話していたのだと。

あちこちで、少しずつ、しかし確かに。

話を流していたのは、ほかでもない、その聞き役の人だったのです。

聞き役に見える人ほど、よく話す、ということがあります。

むしろ
「中立です」
という仮面をかぶることで、多くの人から情報を引き出しやすくなるのです。

実は、こうした聞き方には、名前がついています。

「共感型ヒアリング」
と呼ばれる技法です。

会議後の雑談が“沈黙”を崩すとき

たとえば、こんな場面を思い浮かべてみてください。

ある会議のあと、あくまで“個人的な確認”というかたちで、
「あのときの発言、どういう意味だったんでしょうね」
「いまの方向性って、まだ変わる可能性ありますかねえ?」
そんなふうに話しかけてくる人がいます。

その場では一切、主張も結論も言わないのに、会議後には各方面をまわり、温度感を探っているのです。

本人に悪気はないのかもしれません。

ただ、こうした振る舞いが結果として、
「会議で話された議題について、外では話さない」
という合意を、じわじわと崩してしまうことがあります。

「今はまだ言わない」
という判断も、
「答えを出さない」
という合意も、チームにとっては、れっきとした戦略です。

それが、雑談や“共感”という名のもとに、静かに形を失っていきます。

情報が漏れるというよりも、語らないという構えそのものが、まわりから少しずつ崩されていきます。

感覚としては、じわじわと消されていくのです。

しかも、それが、かたちとしてはまったく表に出てこないのです。

実は、これがいちばんやっかいです。

「聞かれること」がリスクになる

情報漏洩というと、多くの人は
「話す側の問題」
と思いがちです。

しかし、実際には
「聞く側が備えている技術」
こそが、リスクを高めていることも少なくありません。

・相手が“善意で話した”と思える空気をつくる
・相手に「あなたには言ってもいいかも」と思わせる
・本人に言わせたようで、実は質問の設計で誘導していた

こうした聞き方は、営業スキルの応用でもあり、人間関係を円滑に見せかけた“聞き出しテクニック”でもあります。

だからこそ――
沈黙を守る立場にある者としては、
「話すこと」
だけでなく
「聞かれること」
にも、敏感になっておく必要があるのです。

本当の“中立”とは、何も聞かないこと

「私は中立だから、あちこちの話を聞いておく」
そんなふうに言う人がいます。

その人が、意図しているかどうかはさておき、結果的に“情報のハブ”になっていることがあります。

その人のまわりだけ、情報の粒が妙に細かく揃っていくのです。

それは、本当に中立といえるでしょうか。

本当の中立とは、次のように定義できます。

・自分から問いかけないこと
・自分から線を越えないこと
・相手の沈黙も、尊重すること

つまり、“何も聞かない”ことの方が、よほど中立的な姿勢といえます。

会議でしか共有していないはずの話が、漏れてくるとき

また、たとえば、会議でしか共有していないはずの話が、思わぬ人の口から漏れ聞こえてくることがあります。

本来なら、外には出ていないはずの会議の内容が、一部だけ、どこかで言葉を変え、かたちを変えながら、広がっていくのです。

その瞬間、誰もが手を止め、一気に空気が張り詰めたようになります。

「えっ、なぜ部外者に漏れているんですか?」
「誰から聞いたの?」
「誰が話したの?」

ひとつの言葉が、場の空気を変えます。

守られてきた沈黙に疑いが生まれ、情報を握っていた人たちの“立場”が、静かに揺らぎはじめるのです。

信頼関係が壊れるとき、責めを負うのは、必ずしも“話した人”とは限りません。

むしろ、“聞いた人”によって崩されていくことのほうが多いのです。

近づいてくる人との距離を、どう見極めるか

聞き役を装う人が、悪意を持っているとは限りません。

情報を求めてくるのも、その人なりの“善意”や“責任感”によるものかもしれません。

なかには本当に、
「状況を把握したい」
「力になりたい」
と思って動いている人もいるでしょう。

けれども、だからこそ“線引き”が必要です。

・今は話す段階ではない
・自分の口から語る立場にない
・共有にはまだ準備が整っていない

このような判断があるにもかかわらず、“共感”や“信頼関係”を理由に、うっかり語ってしまうことがあります。

しかし、それこそが、最も避けたい事態です。

語らないという判断を貫くには、ただ口をつぐむだけでは足りません。

その判断が、きちんと伝わるかたちで“距離”に表れていなければなりません。

語らないという構えを、誤解なく、かつフラットに示す力が求められます。

「何も言わない」
のではなく、
「今はまだ話す段階ではないと判断しています」
という意思を、きちんと言語化すること。

そして、もうひとつ、大切なことがあります。

近づいてくる人を責めるのではなく、
誰とどのように距離を取るか
――その選択を自分の側で管理するという視点です。

距離を取るのは、冷たさではありません。

むしろ、語らないことで守るべきものがあるからこそ、あえて一線を引く。

それが、“情報を握る者”に求められる、もうひとつの責任なのです。

語らぬという判断が、守っているもの

語らぬ者が守っているのは、情報そのものではありません。

意思決定の主権であり、判断の手綱であり、そして、組織の信頼です。

その沈黙を、誰かの無邪気な共感や、中立の顔をした質問で、壊されてはなりません。

語らぬという選択は、実は深い責任の上に置かれています。

会社の行く末を守る判断であるといっても、決して過言ではありません。

そしてそれは、ひいては、あなた自身の信頼を静かに積み上げているということにもつながるのです。

著:畑中鐵丸