なぜあなたの資料は通らないのか?
「出世したい」
「稼ぎたい」
「評価されたい」
ビジネスの世界に生きる以上、そう思うのは自然なことです。
ところが、努力しているのに思うように評価されない。
「なぜアイツの資料は通るのに、自分のは通らないのか?」
そんな疑問を感じたことはないでしょうか。
その違いは、案外シンプルなところにあります。
それは
「オーナーだったらどうするか?」
という視点を、持っているかどうかです。
たとえば、ある投資案件の延長判断について、上司から資料の作成を求められたとしましょう。
あなたは言われた通り、数字を集め、合理性と緊急性をチェックし、既存のフォーマットに沿って記載を進めます。
見込み数字、合理性、緊急性、業界動向・・・。
必要な項目は埋まっているし、ミスもない。表現も丁寧に整えました。
しかし、それだけでは“通らない”のです。
何かが足りません。
そこに1つ、欠けているものがあるのです。
欠けているのは、「主観の入り口」
あなたの作った資料は、単なる通り一遍の
「報告資料」
であり、
「判断を促す資料」
ではないからです。
もちろん、客観性は必要です。
しかし、それだけでは、意思決定者を動かすには足りないのです。
経営判断の現場では、数字があることよりも、
「なぜこの判断が合理的なのか?」
「なぜ今やるべきなのか?」
「自分がこの判断に責任を持つとしたら、何を気にし、どこに懸念を抱くか?」
「どの点を強くアピールし、何を補足したくなるか」
そうした主観の入り口が、資料の中に垣間見えることで、読み手は初めて
「納得」
を感じるのです。
このような
「理屈をひねり出す力」
が試されるのです。
あなたの作った資料に欠けていたもの、それは、
「オーナーだったら、どう判断するか?」
という、主体的な意思です。
つまり、あなた自身が
「この案件のオーナーだったらどう考えるか?」
という、主体的な視点を持っているかどうか。
ここが、上司や意思決定者にとって、判断可能な材料となるのです。
経営判断に関わる資料には、数字の正しさやフォーマットの整合性だけではなく、
「大切な要素」
が必要なのです。
それが、
「この判断に、自分は責任が持てるか」
という視点なのです。
もしあなたが本当にその案件に投資するオーナーだったら、数字だけを見て
「まぁ、いけるでしょう」
などとは、決して言わないでしょう。
良くも悪くも、責任ある立場から、結果に対する覚悟を持って判断材料を見ようとするはずです。
・資料作成を任されている立場であっても、オーナーの目線で考えてみる。
・この案件がうまくいかなかったとき、自分はどう弁明するか。
・あるいは、うまくいったとき、自分はどのように価値を語れるか。
・つまり、人に説明するための理屈をひねり出せるかどうか。
そこにこそ、資料の説得力の差が現れます。
たとえば
「うまくいかなかったとき、どこが最初に責任を問われるか?」
「この仮説、突っ込まれたらどう答えるか?」
「相手の納得ポイントは何か?」
そうしたことを、自分の頭で先回りして想像する力。
それが、
「説得力」
の正体なのです。
本気で考えた跡が信頼になる
もちろん、完璧な予測はできません。
けれど、あなたの資料に、そのオーナー視点の汗がにじんでいるか。
言い換えれば、本気で考えた跡が見えるかどうか。
数字とロジックと意思とが、繰り返し、織り交ぜられている資料。
それが、資料の評価を分ける分水嶺になるのです。
ロジックを重ねては、現実に戻り、また練り直す。
「書く」
ことは、
「考える」
ことの延長です。
だからこそ、
思考と熱量が込められた資料は、必ず人の心を動かします。
「オーナーだったらどうするか?」を癖にせよ
「この資料は誰のためのものか?」
「この判断は誰の責任なのか?」
その原点に立ち戻ることで、あなたの資料はきっと、ひとつ上のステージに進化します。
いま、あなたが書いているその資料に、自分なりの
「覚悟」
を入れてみてください。
「私は、こう考えます」
その一言が、キャリアの歯車を回し始めます。
「オーナーだったら、どうするか?」
これは、何も資料作成に限った話ではありません。
日々の報告、会議の発言、社内の立ち振る舞い――
どんな場面でも、この問いを持ち続ける人が、信頼を集め、チャンスを得て、出世の道を切り拓いていくのです。
著:畑中鐵丸