00165_モノのマネジメント(1)_20120820

連載シリーズ
「仕事のお作法」
ですが、
「お仕事・各論編」
として、ヒト・モノ・カネ・チエという各種経営資源マネジメントについてお話をしておりますが、今回から、
「モノのマネジメント(製造・調達マネジメント)」
についてお話ししたいと存じます。

4 モノのマネジメント(製造・調達マネジメント)に関わるお仕事の作法

(1)モノつくり環境の変化

ア かつて“世界の工場ニッポン”と呼ばれた時代

もうすでにはるか昔の“歴史の話”になってしまうのですが、日本が
「世界の工場」
と呼ばれた時代がありました。

すなわち、冷戦時代においては、日本は、
「フツーのものをフツーの値段でフツーに作れる」
という稀有な工業国家として、西側世界の生産機能の大半を引き受けていたのです。

経済はインフレーション傾向にあり、作っても作ってもモノが不足し、作ればすべてモノが売れる時代でした。

「作ったら売れる」
という環境において、日本は、ひたすら右肩上がりの成長を享受し、
「世界の工場」
の地位を築き上げたのです。

メーカー等でこの時代のことを知っている方の話を聞くと、皆さん、口を揃えて、
「昔は全員残業してフル稼働しても生産が追いつかなかった」
「人がたくさんいたし、いつも人手不足だった」
「どんどん設備を更新していたし、覚えるのが大変だった」
「たくさんの下請けを使っていたが、それでも捌き切れないほどの注文があった」
「とにかくメーカーが強くて、価格交渉もメーカー主導でできた」
など、今では信じられないようなことをおっしゃいます。

イ 冷戦の終結と大競争時代の到来

しかし、その後、冷戦が終結しました。

東西が仲直りして(というより東側世界が白旗を上げて、西側世界に擦り寄ってきて)、世界に平和が訪れました。

平和になった世界では、東とか西とかにかかわらず、世界中の国の企業が、1つになった市場に向かって能率競争(価格と品質による競争)を展開するようになったのです。

そして、東欧諸国や中国が競争に参入し、圧倒的な価格競争力で
「世界の工場」
という地位を日本から奪取しにかかります。

そのころ、日本国内においては社会が成熟し、デフレ・低成長時代になり、モノ余りが顕著になっていきました。

やがて、世界中で供給過剰になり、モノが余ってだダブつき始め、低成長時代に突入する中、日本は、
「安くて便利で効率的な世界の工場」
から
「生産コストが高く、規制や言語や文化の特異性による障壁が高く、使いづらい老朽設備の工場」
というダメな国に変化していきました。

このようにして、
「フツーのものをフツーに作れる」
という工業国家ニッポンは希有でもなんでもなく、
「ビミョーなものを、イジョーな安価で作れる中国」
に簡単に負けることを意味するようになりました。

 環境変化への対応が求められる時代

以上のような時代の変化にともなって、日本企業は、
「フツーのものを大量に作れば、フツーに在庫が積み上がり、フツーの会社が生き残れない時代」
を迎えるようになったのです。

また、製品のライフサイクルも信じられないほど短くなりました。

どんなに斬新な商品であっても、販売直後から、世界中の企業がこぞって、さらに安くて良い物を作り出しはじめ、一瞬でコモディティ化する状況になっています。

このようにして、日本の産業界は大きな試練に直面します。

鉄鋼業界では生き残りをかけて合従連衡が頻繁に行われるようになり、自動車メーカーも日本というローカルマーケットを出て、今や完全な多国籍企業と化しています。

三洋電機はパナソニック(かつての松下電器)に吸収され影も形もなくなりました。

他方、吸収した側のパナソニックも、1929年の世界大恐慌の時ですらリストラしなかったにもかかわらず、大量のリストラを発表しています。

さらに、液晶テレビ製造で世界を席巻したシャープも、今や中国企業の子会社となりつつあります。

環境が激変する時代においては、企業は、生き残りのための変革を行い、環境適応しなければなりません。

そして、環境適応する際には、
「圧倒的なブランドやコアコンピタンス(絶対的差別化要因)を前提に、これをさらに磨き上げるか」
か、
「まったく新しい考えで、まったく新しいモノを作り、まったく新しい市場に参入すること」
が求められます。

言い換えれば、ブランドもコアコンピタンスもなく、新しい事業を興すこともなく、コモディティをひたすら作り続ける企業は、倒産を余儀なくされ、市場から強制的に退場させられる、という厳しい時代が到来したのです。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.060、「ポリスマガジン」誌、2012年8月号(2012年7月20日発売)