00041_千葉の小学校4年生虐待死事件で、被害者が父親の暴力を訴えたアンケートのコピーを市教育委員会の担当者が容疑者父親に渡した問題について

千葉の小学校4年生虐待死事件で、被害者が父親の暴力を訴えたアンケートのコピーを市教育委員会の担当者が容疑者父親に渡した問題について、コメントいたします。

報道によると、
・被害者(Mさん)の一時保護が解除されたあとの去年1月12日、父親のK容疑者(41)が妻とともに小学校を訪れた際、「娘に暴力は振るっていない。一時保護といって子どもを引き離された者の気持ちがわかるか」などと抗議し、アンケートの回答を見せるよう強く迫った
・その3日後にK容疑者が市の教育委員会を訪れた際にも、威圧的な態度で要求した
・「恐怖感を覚え精神的にも追い詰められて影響を深く考えられなかった」ということで、教育委員会のY次長が、父親にアンケートを手渡した
・なお、Y次長、アンケートを手渡す際、小学校の担任の先生のプライバシーには非常に手厚く配慮して、担任の書き込み部分を消してからアンケートのコピーを渡した
ということです。

この父親、ものすごい勢い、というか、尋常じゃない圧で、迫ったんだと思います。

娘を殴り殺すくらいのバイオレントな人間からのねじ込みですから、かなり、怖い感じだったことは想像できます。

それより、この教育委員会のY次長、たしかに、駄目、というか、アカン、というか、とことん無責任で、情けない人です。

自己保身の塊で、わが身可愛さに、モラルを投げ捨て、小さい子を危険にさらす、という意味で、大人として、人として、どうか、と思います。

他方で、
「アンケートを手渡す際、小学校の担任の先生のプライバシーには非常に手厚く配慮して、担任の書き込み部分を消してからアンケートのコピーを渡」す
ということをしているようです。

「子供はいくらでも犠牲にするが、教育関係者のプライバシーや身の安全は徹底的に守る」
という、しびれるくらい下劣な態度も、印象的でした。

教育委員会次長Yは責められるべきだし、責められても仕方ないことをやらかしていますし、責めるのは簡単です。

他方で、
「怖かった」
「ヤバかった」
「あんな勢いで迫られると無理」
「どうしようもなかった」
「そりゃ批判するのは簡単だけど、対抗するなんてできませんよ」
「皆さんも同じ立場に立ったら、絶対無理だと思います」
など、納得できるかどうかは別にして、彼にも、いろいろ言い分があるのかもしれません。

このような悲劇や愚行や恥ずべき事態を根絶し、社会を少しでも良くするためには、今回の事態の原因を、もっと深掘りし、本質や根源に迫ってみる必要があります。

すなわち、
・彼(教育委員会次長Y)が、このような卑怯で姑息で劣悪な行為をやって、殺人を誘発してしまった原因ないし背景はどのようなもので、
・彼としては、どのように考え、どのように行動すればよかったのか、
という点まできっちり考えないと、彼を弁解の余地なく責め切ることは難しいですし、そうなると、今回のY氏の
「自分や組織や業界の保身のため、子供を危険にさらしても、目の前の凶悪で危険な人物の言いなりになるのも、不可避の事故だった」
という形で風化していき、今後も、同様の悲劇が起きる可能性が懸念されます。

今回は、
「自己保身のため、大人を信じて、助けを求めてきた少女を、あっさり、裏切り、凶悪な暴力性癖のある人間に引き渡す」
という事件でしたが、教育の世界では、いじめ問題の対応でも、
「教師や教育関係者が、無責任で無関心な姿勢で、加害行為を放置し、イジメを黙認し、間接的に助長する」
といった対応事例が頻繁に発生しています。

いじめが発生しても、担任も、他の先生も、見て見ぬふり。

犯罪に該当するエゲツないイジメが発生しており、生徒はおろか、先生も、皆、はっきり、くっきり、知っている。

だけど、誰も、指一本動かさない。

その結果、いじめられた子が自殺する。

事件後、先生も学校も、異口同音に
「わからなかった」
「見つけられなかった」
「イジメのサインを見逃した」
「もっと早く気づいていれば」
などといった弁解を、いけしゃあしゃあ、と述べたりする。

よくある事件です。

私としては、こういう学校や教育現場で発生する
「子供のほったからしの末の見殺し」
が生じる根本的な原因は、学校や教育委員会等の教育行政に関わる方々の、能力過信によるものだと思います。

言うまでもありませんが、学校や教育委員会等の教育のプロの方々は、教育問題については、専門的知見と対処スキルを持っておられます(と思います)。

ですが、これら教育のプロの方々といえども、
「教育問題を超えた、法律問題」
については、ずぶの素人であり、まったく無力です。

われわれ弁護士も、相当勉強しますし、職業経験により培った知識も加えると、結構、いろいろ物を知っています。

社会生活において発生する生理的な事態も、病理的な現象も含め、酸いも甘いも、清も濁も、かなり多くの知見があります。

とはいえ、そんな物知りの弁護士とはいえ、病気になったら、自分で判断しませんし、友人の医療問題を扱っている弁護士に聞いたりもしません。

だって、医療問題だから。

知らないから。

無理だから。

われわれは法律のプロであっても、医療については、素人だから。

素人が判断しても、解決できないから。

「素人判断で状況を悪化させる」
なんてアホなことはしないから。

今回、教育委員会次長の方に突きつけられた問題は、
「加害者の父親から、自分の暴力行為を被害者の娘が告白したアンケートを見せろ、と凄まれたが、どうしたらかいいか」
という課題です。

この課題は、完全に教育問題を超えており、明らかに法律問題です。

先程の例でいうと、弁護士である私が、腹が痛い、胸が苦しい、高熱を発した、足が動かない、という状況と同じです。

これは、法律問題ではなく、医療上の課題です。

明らかに自己判断が不可能であり、適切な専門家に一刻も早く相談しないと、まったく改善しないでしょうし、さらにいえば、却って悪化しかねない状況です。

この教育委員会次長も、
「教育問題ではないから、自分では無理」
と考え、とっととギブアップし、弁護士に相談すべきでした。

ところが、実際は、
「自分でなんとかすべきだし、なんとかできるし、なんとかしなきゃいけないし」
と愚かな考えに陥り、
「知識も経験も適性もスキルもない事柄に素人が自己判断でやってはいけない行動を敢行する」
という愚行に及び、
最悪の結果を招いた。

そういう話です。

イジメ問題も同様です。

この点については、「いじめ問題解決の第一歩」で、書いた内容を引用します。
====================>引用開始
・・・・・・・・・・・
しかし、いじめの内容と質は、時代の変遷とともに、負の方向で驚異的な進歩を遂げています。

現代
「いじめ」
と称されるものは、未成年による毀棄隠匿行為、窃盗行為、名誉棄損行為、侮辱行為、暴行行為、傷害行為、脅迫行為、恐喝行為、強制猥褻行為、強盗行為、強姦行為、強盗強姦行為等です。

未成年者が関与するこれら犯罪行為については、加害者と被害者が同一教育機関に属する生徒である限り、すべて
「いじめ」
と呼称することがルール化されているようであり、状況を正確に表現しようとしても、犯罪用語の使用はよくわからない理由で御法度とされます。

いうまでもなく、
「いじめ」
といわれるものの実体である前記の各行為は、加害者と被害者が同一教育機関に属するか否かに関係なく、すべて悪質な犯罪です。

当然ながら、犯罪は教師の解決能力を超えた問題であり、本来、捜査機関による捜査と裁判所の判断を経て、法務省所轄の施設で矯正される等(保護という名の監視を含む)べきものです。

教育サービスの提供者に過ぎない教師が、犯罪行為を捜査し、解決し、犯罪者の矯正に責任を負うなどといったことは、できるはずもなく、また、してはいけないものです。
(以下、略)
<====================引用終了

教師や、教育関係者、弁護士、ジャーナリスト、作家等は、実際の知的水準はさておき、一応、
「インテリ」
とされます。

インテリ一般は、自信過剰で、プライドが高く、分際をわきまえず、自分は何でも知っているし、何でも自分でできる、と勘違いする輩が多いようです。

また、
「知らないことや、苦手なことや、できないことがある」
「自分が、バカなこと、駄目なこと」
を認めるのが非常に苦手な人種だと思います。

そのくせ、自己評価が高く、うまくいかないときには、逃げたり、弁解したり、ウソをついたり、知らないふりをしたり、煙に巻いたり、すっとぼけたりと、ありとあらゆる姑息で卑怯なマネを駆使して、自己保身を図ることがあります。

もちろん、インテリの一派である弁護士の1人である私も、
「このような、イヤな内面気質を持っているクズ人間の要素」
が皆無とは言い切れません。

件の教育委員会次長さんが、
「これは、教育問題ではなく、法律問題なので、私には無理。弁護士に相談しよう」
と正しい考えに至らず、
「自分でなんとかすべきだし、なんとかできるし、なんとかしなきゃいけないし」
と愚かな考えと愚かな行動によって、最悪の結果を招いたのは、彼が
「インテリ」
であることと無関係ではありません。

いや、今回の愚行は、悪しきインテリとしての要素が、思いっきり出てしまったことによると思います。

すなわち、
・自信過剰でプライドが高く、
・自分は何でも知っているし、何でも自分でできる、と勘違いし
・「知らないこと、できないこと、バカなこと、駄目なこと」を認めるのが非常に苦手、
というインテリのダメ気質が染み付いてしまっており、結果、
「専門外の法律問題ないし法律事件になってしまっている対処課題」
を、教育のプロとして、教育問題の延長として処理・対応しようとしたことによるものだと思います。

教師、学校関係者、教育関係者の皆様は、もっと、謙虚になって、自分たちの能力の限界を知り、分際をわきまえるべきです。

これ以上、今回のような被害者や、イジメの自殺被害者を増やさないために。

教育者としてのプロフェッショナルスキルは、
・法を尊重し、他者の尊厳を尊重し、
・文明人、文化人としての常識と作法を身につけ、
・知的好奇心があり、知識や学問の価値を認め、学びの意欲と姿勢がある、
そんな、まともな人間に対しては、非常に効果を発揮します。

しかしながら、
・法を尊重せず、他者に平然と危害を加え、
・常識や作法を知らない野蛮さをもち、
・知的好奇心もなく、知識や学問の価値を認めず、学びを拒否する
といった、特異な人間に対して必要なのは、教育ではなく、隔離と矯正です。

教育理論ではなく法律学や刑事政策の知見を活用すべきです。

無論、刑務所に入って、おとなしくなり、教育を受ける準備と前提が整えば、教育の力が発揮されることもあるでしょう。

しかし、校舎のガラスを叩き割り、盗んだバイクで走り出している真っ最中の少年に、
「ねえねえ、サイン・コサイン・タンジェントを教えてあげるよ」
と語りかけても、金属バットで殴られるだけです。

こういう言い方をすると、
「金八先生のように、不良学生を立ち直らせるのも、教師の役割と責任ではないか」
という物言いがつきそうです。

実に愚かな見解です。

・法を尊重せず、他者に平然と危害を加え、
・常識や作法を知らない野蛮さをもち、
・知的好奇心もなく、知識や学問の価値を認めず、学びを拒否する
というタイプの人間を収容し、更生させるために用いるべき本来的施設は、学校ではなく、別の矯正専門施設です。

また、この種のタイプの人間への対処は、本来的に、矯正のプロが担うべきです。

絶対、教師が矯正活動を兼業していけない、というわけではありません。

個人レベルで、教師が、
「学ぶ意欲のある者に教授する」能力
だけでなく、
「学ぶ意欲すらない、前述のような社会への脅威を振りまく特異な人間」を矯正することも得意
というケースも、属人的かつ稀にではあるものの、一切存在しない、というわけではありません。

ですが、たいていの教師の本源的スキルは、教育であり、矯正ではないですし、
「虞犯傾向が顕著な青少年を矯正することが大好き」
という方は、どちらかというと少数派です。

大学を出て、教員免許を取得して、教師になった先生一般は、そんな、
「言葉も通じないし、話も通じないし、気持ちも通じない、道徳や倫理と常識を共有できない、異世界の住人」
とは距離を置きたいと思うはずです。

だからこそ、教育委員会次長さんも距離を置こうとして被害者児童を生贄に差し出したのでしょう。

だからこそ、たいていの教師は、凶悪なイジメ(実際は刑法犯)を現認しても、見て見ぬふりをするのでしょう。

「金八先生」
はレアであり、例外であり、異常事例です。

「レアで、例外で、異常な事例」
を取り上げて、全体を語ったり、社会全体の課題を解決しようとしても、絶対に失敗します。

「金八先生」

「GTO」
のように、教育の傍ら、矯正も行う、なんて曲芸をできる異常事例は極々少数であり、たいていの教師は、矯正課題は放ったらかしであり、さらに言えば、厄介事として、見て見ぬふりをします。

私が教師でも、絶対そうします。

だって、専門外だし、わかんないし、できないし。

「机に座っている学びたい人間を教えるの」
は自分の仕事ですが、
「机に座れないし、学問の価値も認めない、野蛮で自己制御できない、俗悪で無作法な人間を、一定時間、黙って机に座らせるよう躾ける」
のは自分の本来的仕事ではありませんから。

というか、そういう仕事が好きだったら、動物園かサーカスの仕事を選んでいるはずだし。

動物とかそれに近いのが大嫌いだから、教師になったんだし。

教師になって、動物の調教に近いことやらせるなんて、冗談でしょ。

勘弁してよ。

そう考えるのが普通でしょう。

弁護士である私に対して、
「胸が苦しいのでなんとかして」
「頭が痛いのですが、これ、CTスキャンした方がいいですか」
「熱が下がらないのですが、インフルエンザの薬もらえませんか」
と相談されても、困ります。

無理です。

できません。

「医者に行った方がいい」というほかありません。

それと同じことです。

今後も、インテリ特有の自信過剰に陥り、学校や子供に関連して生じた事象すべてを
「教育問題」
の延長として捉えるような教育関係者が、自分は何でも知っているし、何でも自分でできる、と勘違いし、分際をわきまえず、
「教育問題の範疇を超えた、法律問題」
に直面しても、
「自分でなんとかすべきだし、なんとかできるし、なんとかしなきゃいけないし」
と考え、危険な素人判断で、愚劣な対応を続ける限り、今回のような悲劇や、イジメ問題を原因とする自殺事件等は、増えこそすれなくならない、と断言できます。

私としては、一刻も早く、教育関係者が、自らの程度や限界をわきまえ、目の前の問題が
「法律問題か教育問題か」
を早く正しく見極める判断力を備え、
「法律問題は、とっとと法律家か警察に持ち込む」
という、正しい
「ギブアップ習慣」
を身に着けていただくべきと考えます。

そうすることで、
法律問題が法律問題として適切に処理され、
犯罪者や犯罪者予備軍から攻撃を受ける弱者が、教育者により見殺しにされることなく、法律の力できっちりとした保護を受けられ、
少しずつ社会がよくなるのではないか、
と思います。

学校で発生しようが、子供同士で生じようが、親が騒ごうが、教育問題を超えたら、教師はとっととすっこみ、法律問題は法律問題として、法の視点で観察し、法の力で是非を論じ、きっちりカタをつけていく。

こういうシンプルで当たり前のことが行われれば、
イジメ被害による自殺事件が根絶し、
今回のような愚かで無能で無責任は大人の愚行で小さな子どもが犯罪被害に遭うといった悲劇が二度と起きない、
そんな、普通の社会になっていくのではないでしょうか。

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