00104_苛酷な社会を生き抜くための「正しい非常識」32_(18)いいカッコをしたり、いい人であろうとしたり、正義のヒーローを演じようとすると、必ず身を滅ぼします_その4_20201120

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本コンテンツシリーズにおいては、個人で商売する方や、資産家や投資家や企業のオーナー経営者の方、出世して成功しようという意欲に燃える若い方、言い換えれば、「お金持ちや小金持ち、あるいはこれを目指す野心家の方々」へのリテラシー啓蒙として、「ビジネス弁護士として、無駄に四半世紀ほど、カネや欲にまつわるエゴの衝突の最前線を歩んできた、認知度も好感度もイマイチの、畑中鐵丸」の矮小にして独善的な知識と経験に基づく、処世のための「正しい非常識」をいくつか記しておたいと思います。
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(10)いいカッコをする人間の「イタさ」と、その末路
これまでみてきたとおり、我々は、生きている限り、法を犯さずにいられませんし、また、そのような外聞の悪い人生を、プライバシー権を盾に、冷蔵庫の陰に隠れたゴキブリのように、こっそり、ひそひそと姑息に生きています。

ところが、なかには、イイカッコをしたり、いい人であろうとしたり、美辞麗句を述べたり正義のヒーローを演じる人間がおり、彼ら彼女らは、人間の本質に反する行為を行います。

いうなれば、
「タチの悪いウソつき」
です。

この種の人間は、
「私は法を犯したことはない」
などという
「悪質なウソ」
をつかないと自分を成り立たせることはできない、悲しくて、イタい人間なのです。

もちろん、
「一般人」
としてコソコソ生きている限り、プライバシー権は保障されます。

ですが、
「正義のヒーロー」
とか
「理念を実現するリーダー」
とか自称して自ら進んでマスコミや世間に出た瞬間、プライバシー権は放棄したものとみなされ、過去の行いも含め、徹底的な監視の目にさらされます。

そして、ウソはいずれ、必ず露見します。

良い格好をしようとする偽善者(関西弁で「エエカッコシー」)は、小さなウソを守ろうとするために、どんどんウソを重ね、最後は、事態を過激な方向で打開しようと図り、大きな破滅を招きます。

アメリカ合衆国第42代大統領であったビル・クリントン氏は、ホワイトハウス実習生と性的な関係を持ったとする疑惑が持ち上がった際、1998年1月26日の記者会見で、
「もう一度言います。私はあの女性、ルインスキーさんと性的関係を持っていません。私は誰にも嘘をついたことがありません。いまだかつて一度もありません。この申し立ては虚偽です」
という、明らかなウソをつきました。

追い込まれた挙げ句の強弁ですが、これはダメでしょう。

「私は誰にも嘘をついたことがありません。いまだかつて一度もありません」
というのは、本当にタチの悪い、バレバレで、ミエミエで、スケスケの、額縁に入れてもいいぐらいの、金ピカで、まごうことなき、最悪の、ホンモノの
「ウソ」
です。

こんな
「ウソの中でも最悪のウソ」
をつかざるを得ない事態に至ったのは、ビル・クリントン氏が、
「正義のヒーロー」
とか
「理念を実現するリーダー」
とか自称して自ら進んでマスコミや世間に出た瞬間、プライバシー権は放棄したものとみなされ、過去の行いも含め、徹底的な監視の目にさらされたからです。

このような破滅を防ぐためには、

ア 意味なく無理して表に出ない
イ 表に出たとしても無理して良い格好をしない
あるいは
ウ 良い格好をして、それと真逆の事実を指摘されても、糊塗するために嘘をついたりせず、堂々と認めて開き直るか、プライバシーを盾に弁明を拒否する

のいずれか、またはすべてが推奨されます。

(11)プライバシーを武器にセクハラ疑惑を振り切ったトーマス判事の弁明術

ちなみに、アメリカ最高裁判事のクラレンス・トーマスという御仁は、就任の際、かつての部下であったアニタ・ヒルという女性法学者(オクラホマ大学教授〔当時〕)からセクシャル・ハラスメントで訴えられました。

要するに、出世の機会を得て、世に出て、しかも、法と正義を代弁するという
「究極の良い格好をしなければならない良識あふれる善人」
という立場を演じることが要求される立場を務めることになったところ、過去のセクシャル・ハラスメントを訴え出られて、かなり手厳しい状況に追い込まれたのです。

その際、同判事は、
「良い格好をして、それと真逆の事実を指摘されても、糊塗するために嘘をつく」
という戦略ではなく、
「プライバシーを盾に弁明を拒否する」
という、ある意味、振り切った態度決定を貫く戦略を取り、見事に窮地を脱しました。

その弁明たるや見事の一言に尽きます。

「I will not provide the rope for my own lynching or for further humiliation. I am not going to engage in discussions nor will I submit to roving questions of what goes on in the most intimate parts of my private life or the sanctity of my bedroom. These are the most intimate parts of my privacy, and they will remain just that, private. (意訳:私は、自分が社会的リンチを受け、さらなる誹謗中傷をうけるために、自分から攻撃材料を提供するつもりはない。こんな馬鹿げた議論に参加するつもりもない。私生活の根幹や、神聖な場所である寝室での事柄について、くだらない質問に答えるつもりもない。議論の対象が、私のプライバシーの中で最も機微に触れる部分であり、プライバシーそのものだから、答えないのは当然なはずです)」

こういう類まれなる弁舌のスキルをもつ超天才は別として、我々凡人は、
「雉も鳴かずば撃たれまい」
といった諺をよく噛み締め、地味に暮らしたほうが賢明なのかもしれません。

著:畑中鐵丸

初出:『筆鋒鋭利』No.159、「ポリスマガジン」誌、2020年11月号(2020年10月20日発売)

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