00123_「決断の技術」_5_間違ったとき、しくじったときのイメトレ

1、決断するときに重要なのは、「うまくいったときの皮算用」ではなく、ストレステストとネガティブな展開予測
「いろいろ人の話を聞いて、迷って、計算して、考えて、さあ、決断だ」と決めるタイミングが来ました。

ですが、まだ、やることがあります。

決断をする前に、すごいネガティブなイメトレ、イメージトレーニング、もやってくださいねと。

要するに、「A案・B案あって、さんざん迷って、もういいや、B案でいこう」ってときに、決断して実行に移す前の最後の最後の段階で、「じゃ、B案でいった場合で、想定が狂いまくって、大失敗、大しくじりやらかしたときに、最悪、どうなっちゃんだろ」っていうことをイメージしてください、という話です。

人間が決断するときって、例えば、A案・B案のうちA案選ぶときには、うまくいったときのことだけを考えがちです。

「うまいこといって、大成功した」「危機を脱して、元の状態に戻った、直った」「シビレルくらい儲かった」って話については、イメージトレーニングというか、妄想たくましく、凄まじいまでに想像します。しかも、楽観バイアスが働くので、想像に偏見が加わり、その多幸感たるや、凄まじいものです。

しかし、決断の知的技術、という点からいうと、これと真逆のことをすべきです。

成功確率を高めたいのであれば、「A案でいった場合で、仮に、想定が全部崩れて、大失敗をして、お金も何から全部なくしてた場合」を考えた、最過酷想定もしておくべきなのです。

要するに「特定の決断をしたが、これが全く間違った決断であり、その結果、散々な目に遭ったときの状況」をリアルに具体的に想定しておくのです。

2、ネガティブなイメトレ=事前に「敗戦の弁」を考えてみる
具体的に言えば、「そのような最過酷の状況になったときに、自分はどういう敗戦の弁を言うか」ということも考えて、何だったら、原因分析を含む敗戦のスピーチまで起案しておいたらいい、と思います。

先の大戦で言えば、
日中戦争をおっぱじめたときに、うまくいかなかったり、最終的にボロ負けの末何も得られずに撤退したときのこと、
アメリカにケンカを売るときに、ボロ負けして本土まで攻め込まれて、戦争遂行責任者が片っ端から縛り首にされたときのこと、
を想定しておけば、もうちょっと、冷静に、確度の高い、合理的な外交戦略や事態収拾を展開出来たかもしれません。

スポーツ選手でいうと、金メダル取ったときのスピーチなんて、考える必要ありません。勝手に口から出てきますから。

むしろ、失敗して、メダル取れなかったときに、報道陣の前で、どういう敗戦の弁を語ってるかってときのことを、想定すべきなんです。

3、ストレステストやネガティブなイメトレは、成功確率を高めることにつながる
そういう不愉快な事態を想定しておいて、「いや、あんときにこういうことがあって、この想定が外れて、こんなアクシデントがあって」って言い訳をつらつら考えている、見えてこなかったリスクがくっきりはっきり見えてきて、もう一度、検証して、成功確率を高める準備が可能になりますので、より成功確率が高まります。

アクシデント、ハプニング含めて想定が崩れる場合のことも含めて、もう一回どのぐらいアクシデントも含めた対策ができてるかっていう、ストレステストを実施することで、準備を万全にするのです。

過酷な展開予測や、過酷な想定や、ストレステストは極めて重要です。

原子力発電所おっ建てて、造って動かすときには、「全部うまくいったらこうなる」っていう想定なんて不要です。別に当たり前の話ですから。

むしろ、原発造ったはいいが、どえらい津波とか来ちゃったり、地震とか来ちゃったり、いろんなことがあったりして、全部の想定外れたときでも、これぐらいで済むとか、あるいは、これについての対策はある程度できてるとかっていうことを、よりリアルに想定すべきです。

4、人間は、常に間違う動物である
人間は、動物です。人工知能ではありません。動物である以上、必ず、失敗します。誤解します、想定が外れます、認識や評価を誤ります。人間は、失敗することが不可避の生き物です。

だから、絶対、失敗します。絶対。特に、大きな計画や、野心的な事業や、選択や決断に迷うな営みは、すべからく失敗する契機を孕んでいる、と考えるのが正しい見方です。

選択した後の展開予測を行う際、ヒューマンエラーも含めてどういう失敗があり得るかってことを、どんだけ考えられてるかってことが重要ですし、これを、決断する前に、何度も再確認をするということが必須です

「未来の敗戦の弁」に対する対策は、どこまでできているかをもう一度検証する最後のストレステストを、重大な決断の前にやってください、という話です。

5、「永遠に決断出来ない」「いつまでも決断出来ない」なんて言われても、別に決断しなくてもいいし、「決断しない」「決断をグズグズ先延ばしにする」というのも立派な決断
そうすると、「いや、そんなこと言ったらいつまでたっても決断できないじゃないですか!」という反対の声が上がってきそうです。

いいじゃないですか。別にやんなくたって。先延ばしをしたって。先延ばししたって、別に困るようなことないかもしれません。

そんなに慌てて不動産買わなくたって、賃貸で十分じゃないですか。
投資しなくて、現金残しておけばいいじゃないですか。デフレなんですから。現金持っているだけで補助金つくような経済状況なんですから。

そんなにあわてて満州を占拠する必要あります?暴支膺懲とかって、そんなに必要?アメリカにケンカ売る必要あります?返り討ちにあってボロ負けしたときのこと、考えています?何の目的で戦っています?国のため、って言ってますが、国のために戦って、外地を全て失い、主要都市を爆撃され、原爆まで落とされたら、それこそ国のためにマイナスじゃないですか。

ただ、適齢期の間に結婚したい、とか時間がリスクになる場合、じっくり考えると、「時間を失う」というリスクが積み重なりますので、不愉快な展開予測やストレステストに目をつぶる場合もあるかもしれません。

例えば、婚前契約にこだわっていると、「『離婚の条件が決まらないから結婚できない』状態のまま、独身で還暦迎えた」なんてことになりかねませんし。

著:畑中鐵丸